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隠 家 物 語
姫宮さまとの対面と宮中でのよしなしごと





 
 一哉くんに教わってどうにか藤壺へ戻ってくると、ちょうど対面の支度ができたとかで、

華やかな装束の若々しい女人が三人、局へやってきた。あたしと同じくらいの年ごろかな。

「絵師さま、こちらへ。姫宮さまがお待ちです」

 なんだかツンとしてるけど、宮中の女房って、こんな風に気取っているものなのかしら。

 内裏ってかなり窮屈なところみたい。ま、いいけどさ。


 よーっし、いよいよ初お目見えだ。文箱よし。絵巻物よし。

 身につけてる裳も唐衣もばっちりなはず。いざ、出陣ー!


 三人の先輩女房の後について、あたしは藤壺の中心へと進む。

 寝殿奥の御簾をくぐって、几帳を分けたその先へ。姫宮様の前へと伺候する。

「初めてお目にかかります。わたくし―――きゃっ!!」

 失礼のないように慣れない裳をさばいて進むのに、あたしはうっかりへりに裳裾と足を

取られて転びかけた。

 イ、イタタタ……これだから正装ってやつは……ハッ! いけない!

「今のご覧になりまして……?」

「なあに、この方……」

 一緒に連れ立っていた女房三人のひそひそ声は明らかにあたしを非難していて、見つめる

視線は容赦なく痛い。

「あ、その、宮中の見事さに目を奪われるあまり、つい足もとがおろそかになり粗相をして

しまいました。おゆるしくださいまし……ほほほ……」

 あわてて取り繕ってみたけど大丈夫かな? 目の前の小さな姫君はこぼれ落ちそうな大き

な目で、あたしをまじまじと見ている。どうやら、ご機嫌を損ねたってほどではなさそうだ。

 畳の上に座しておいでの姫君の横には、落ち着いて優しげな年かさの女房がついていて、

これはたぶん乳母(めのと)の君ね。

 後方に控えている数人の女房と女童の中に夏実がいるのもしっかり見えて、あたしは少し

ほっとした。

「こちらが利安ノ宮愛子内親王さまですよ。あなたが御堂の中将のつてで呼ばれた女絵師で

すね」

 乳母の君が話かけてくれたので、あたしは平伏してご挨拶につなげた。

「むぎ、と申します。今日は姫宮さまに、まずこれをお目にかけたくてお持ちしました」

 あたしは一哉くんから借りうけた絵巻物ではなく、文箱に入れてきた一枚の古い料紙を

取り出して利安ノ宮さまにお渡しした。

「なぁに? これ……!」

 姫宮さまは手に取った紙をのぞきこんで、さらに目を丸くした。

「まぁ……これはあまりにも……」

「もしや書き損じではありませんの?」

「このようなものを姫宮さまにお目にかけるなんて……」

 ざわめく取り巻きの言葉を気にした風もなく姫宮は小首をかしげて、一見いたずらに墨が

のたくっている紙を向きを変えながら見つめている。

「これはさる絵師が幼きころ初めて筆をとって描いた猫でございます」

 あたしが説明すると、姫宮は合点のいった顔でうなずいた。

「ああ、何か獣かしらとは思ったの。ほら足としっぽがあるみたいでしょう?」

「さすが絵に御慧眼をお持ちの姫宮さま。では、こちらはいかがでしょうか」

 あたしは、きれいに彩色された扇をひろげて姫宮にお渡しすると、姫宮はぱっと笑顔に

なられた。

「わあ、かわいい! これ、子猫ね。落ち葉とたわむれてるのね!」

「なんともめずらしき扇面ですこと」

「猫が今にも扇から飛び出してきそうですわ」

 姫宮さまを取り囲む女房たちも、顔をほころばす。

「同じ絵師の手のものでございます。いかがですか? 最初はいかにつたなくても修練を

積めば、ここまで描けるようになるんです」

「見事なものね。こんな絵が描けたら素敵だわ。女絵師なんて、どんな方が来られるのかと

思ったけれど、あなたは堅苦しい先生ぽくなくて、びっくりしちゃった」

「申し訳ございません」

「ううん、いいのよ。あなたは、ただの女房じゃなくて絵師なんですもの。これからは、

むぎ先生と呼ぶわ。できるだけ藤壺に来て、いろいろ教えてね」

「ありがとうございます。利安ノ宮さま」

 よ、よかったー。つかみは上々みたい。子猫の扇面なんて用意してくれた一哉くんの

おかげかな。とりあえず姫宮さまに気に入られれば、いきなりクビにはならないよね。

 汗をふきつつ安堵しているあたしの前で、利安ノ宮さまは、ぽんと手を打った。

「ねぇ、せっかくむぎ先生が来てくださったのだから、藤壺で絵合わせをしましょうよ。

母上にお願いして。ねえ、式部〜」

「姫宮さま……」

 ちょ、ちょっと待って。いきなり絵合わせって、それは困るよ。もう少し勉強してから

でないと嘘がバレちゃう!

「遊洛院も京香も桜子も賛成よね。だって合わせものをすれば四神の君も来てくださるかも

しれないし!」

「そ、それは確かに……」

「中宮さまもご臨席となれば必ずやおいでになりますわね」

「あら、だったら主上もお立ち寄りになられるかもしれなくてよ!」

「まあ、どうしましょう!!」

「少し落ち着きなさいませ。あまりに唐突すぎやしませんか。いきなり事を急いたところで、

お支度も整いませんことよ」

 そうよそうよ、支度もなしで絵合わせなんかしてボロが出たらまずいって!

「ダメなの? むぎ先生に判者をしていただけばいいと思ったのに」

 利安ノ姫宮さまはご不満顔だ。

「あの、大変ありがたきお話ですが、わたくしも本日参内したばかりで、まだ慣れておりま

せんし……っ」

 ここでいきなりご不興を買いたくはないあたしは必死で姫宮さまに訴えた。

「姫宮さま、先生はまだ中宮さまにお目通りされる前ではありませんか。絵合わせをしたい

なら姫宮さまも、お勉強していただかなければ。そのために絵師先生にお越しいただいたの

でしょう?」

 乳母の君が、かんでふくめるように姫宮に言い聞かせる。

「……先生とお勉強をしたら母上に絵合わせをお願いしてくれる?」

「歌と手習と琴もですわ」

「えーっ……」

 姫宮さまは、言われた途端に眉をよせられる。お勉強が苦手なんて高貴なお姫さまなのに

親近感もっちゃうな。

「絵合わせに四神の君をはじめとする公達に来ていただこうというなら、歌のひとつも返せ

なくてどうします」

「わかったわ。じゃあ私もお勉強するから、先生が慣れた頃にって母上にお願いしてね」

「はいはい。では先生には、こちらを……藤壺にある絵巻物や絵屏風の目録をご確認いただ

きましょうか。明日までにお目をお通しくださいね」

「はあ……ありがとううございます……」

 ちょっと目録って、なに? この両紙と巻物の束はっ!

 とまどうあたしに、同席している美しき女房連中の値踏みの視線がつきささる。

 う、うろたえちゃダメだわ。平然としてなきゃ。

「殿上された時は、先ほどの廂の間をお使い下さいな。姫宮さまへのご講義で何か足りない

ものがありましたら遠慮なくおっしゃってくださいまし。……もっとも御堂の中将さまの後

押しで来られた方には無用の気遣いかもしれませんが」

 いやーそんなことは……とか軽く返せる感じじゃないんですけど。

 ちょっと後ろの女房さんたち、どうしてそんなに睨むのよーっ。

 御堂の中将なんて今は関係ないでしょうが!

 これって一哉くんのせいなの? そうなの?

 動悸めまい息切れにいっぺんに襲われたあたしは、その場でへたりこみそうになるのを

必死で耐えた。

 しっかりしなくちゃ! 今ここで気を失ったら、姉さまを助けることなんて、できっこ

ないんだからっ!

「それでは、これから、どうぞよしなに」

「先生、またあしたね!」

「はい、よろしくお願い申し上げます」



 平に頭を下げつつ利安ノ宮さまの御前から退出しあたしは、紙の束をかかえて、最初に

入った廂の間まで戻った。

 まいっちゃったなあ。とにかく、これを何とかしないと。

 綴じられた冊子をひとつ広げてみると、何やら書きつけがある。

 うわー漢字じゃないのさ。女にかなじゃなくて漢字読ませるっての? 絵師だから?


 与えられた局でひとりあたふたしてると、御簾の向こうの廊からコホンという咳ばらいと

衣ずれの気配がした。

「……先ほど姫宮さまの御前で同席していた女房の遊洛院と申します。少しよろしくて?」

「えっ? はいっ、ど……どうぞ……」

 御簾をくぐって入ってきたのは年のころもあたしと変わらない若くて美しい女房三人だ。

 確かにさっき姫宮さまのところへ行くのに迎えにきた人たちだ。見覚えがある。

「遊洛院です」

「京香と申します」

「桜子でよろしいですわ」

「……むぎです。よろしくお願いいた……」

「あなたの呼び名は先ほどうかがいました。それよりも、少しお尋ねしたいことがござい

ますの」

 美人だけど、やけにつんけんした人だなあ、もう。

「なんでしょう? 何ぶん、参内したばかりなので……」

「絵師としてのお話をお聞かせくださいな。内裏の清涼殿の東の広廂の北つきあたりにある

襖障子に描かれた荒海の手長足長の絵は、もちろんご存知ですわよね」

「…………」

 初めて参内したって言ってるでしょーが。そんな絵、見たことも聞いたこともあるわけ

ないよ。だいたい、その絵は内裏の火事で燃えちゃったんじゃないの?

 この祥慶殿の今内裏にも同じ絵があるの!?

「あの絵はたいそう不気味なものでしたわ。弘徽殿の上の御局に上がっている時、戸を押し

上げるとすぐ目に入って……絵師様にお目にかかれた時は、ぜひ、あの絵について謎解きを

していただきたいと思っておりましたの。なぜあのような気味の悪い生き物の絵が描かれた

のか、お教えくださらないかしら」

 遊洛院さんは、ずいっと膝からいざり寄って、あたしに問いかけた。

 不気味な絵……で、手長足長? 歌が添えてある松原や岩波の絵とかじゃないの? 

 気味が悪いのなら地獄絵とかそういう類かな。斎院さまのおつかいで行ったお寺で見たこ

とあるんけどすっごくおっかない絵だったなぁ……でも内裏の中だし……、えーと、えーと。

「まさか答えられない……なんて、あり得ませんわね」

「当然ですわ。そんなことで姫宮さまの師としてお役目が勤まりまして?」

「今内裏である祥慶殿へ殿上される身で!」

 押しの強い美人女房たちにぐいぐい詰め寄られて、あたしもたじたじだ。

 でもっ! ここで逃げるわけにはいかない。女は度胸よ!

「あの、私、あいにく内裏とは縁遠く育ちまして、その襖絵のことは詳しくないんですけど」

「……あら、どういうことでしょう。そんな方がなぜ絵師として呼ばれたのかしら」

「それは私を雇ってくださった方に直にうかがってください」

「ま、なんてぶしつけな」

「遊洛院さま、やはりこの方……」

 目の前のあからさまなひそひそ話を気にするよりも、謎解きに必死だったあたしの頭に、

ぱっとひらめいたことがあった。

「その襖障子って清涼殿のどこにあったんですか?」

 あたしが急に問いかけたもんだから、ツンツン美女の遊洛院さんはよほどびっくりしたの

か、厭味をつけたさず素直に答えてくれた。

「先ほども申し上げた通り、清涼殿の東の広廂の北つきあたり、弘徽殿の上の御局のすぐ前

の廂の間ですわ」

「……もしかして清涼殿の中心から見て東北(うしとら)の方向?」

「ええ」

「そこって清涼殿の鬼門ですよね。だったら鬼門除けに異形の者を描いたんじゃないかしら。

これが鬼や地獄の絵となると、また別の意味があると思うんですけど……清涼殿は帝のお住

まいですから寺や社とも違うでしょうし」

「…………」

 あら、黙っちゃった。あてずっぽうだったけど当たってたかな。

 斎院宮でいろいろ教わってたことって内裏でも一緒なんだ。よかったぁ!

 たくさんの決まりごとや振る舞いを教えてくれた斎院宮での暮らしと姉さまに、あたしは

心の底から感謝した。

「……それくらいの常識はご存知のようね」

 聞こえるか聞こえないかの小声で遊洛院さんがつぶやくと、京香さんと桜子さんがすかさ

ず続く。

「まぁ姫宮様にものをお教えしようという方なら当たり前ですわ」

「そうよ、御堂の中将さまの恥になりますもの」

「祥慶殿の四神の君に絵師まがいの新参女房がお近づきになろうなどと、たやすく思わない

ことね」

 いやー、あたしだって別に好きで近づきたいわけじゃないし。

 内裏で姉さまのことを好きに調べて探せるものならば、四神の君だろうが、主上だろうが、

できるだけ関わりたくないんだってば。

 だいたい絵師をやれって言い出したのは一哉くんの方なんだから。

 でも、そんなコト言えるわけないしなぁ。ここは黙って耐えるしかないか。ふう。

 その時、渡殿の方から控え目に、でもはっきりとあたしのいる局に声がかけられた。

「遊洛院さんは、こちらにおいででしょうか? 梨壺からお文が届いたそうで、姫宮様がお

呼びです」

「まあ、梨壺から……東宮様のお使いでしょうか。わかりました。すぐ参ります」

 遊洛院さんは、ぱっと姿勢を正して立ち上がった。

「仮にも姫宮さまから先生とお呼びいただけることを、よくお考えになって。わたくし達は、

あなたが師と呼ぶにふさわしいかどうかはっきりするまで、先生とお呼びする気になれない

ということはご承知おきくださいな」

「別に呼び捨てで構いませんけど……」

「何を言われますの! 姫宮さまが先生とお呼びになられる人を、臣下のわたくし達が呼び

捨てなどできるわけないじゃありませんか!」

「あ……ご、ごめんなさい」

 頭を下げるあたしにフンと鼻を鳴らしてから、色とりどりの鮮やかな唐衣をひるがえして、

三人の美人女房さん達はあたしのいる局から立ち去った。








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