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隠 家 物 語
懐かしき人と再会し祥慶殿の広さに迷うこと





 

 一哉くんの屋敷である六条の白梅院から今内裏・祥慶殿のある二条までは、牛車ならそれ

ほど時間もかからない。

 すんなりと祥慶殿へと到着したあたしは、内裏の奥へ足を踏み入れた。

 昨日の打ち合わせ通り中宮大夫のことづけで用意された後宮の隅の廂の間で身支度をして、

迎えにやってきた中宮大夫と藤壺に向かう。

 祥慶殿の中でも帝のお妃さまたちが暮らす後宮は、一段と華やかな雰囲気が感じで気分も

華やいでくる。本当の内裏よりは手狭らしいのに、どうしてどうして立派な殿舎が連なって

いて、ついきょろきょろしちゃうくらいだ。

 遣水が流れ露草の茂る庭を横目に透渡廊を歩きながら、あたしは深々と息を吸った。

 とうとう、やって来たわ。ここから、あたしの隠密生活が始まるのね。

 見てて、西方浄土の父さま、母さま! 必ず姉さまを探し出してみせるから!

 渡殿の片側に連なる御簾の向こう側でかすかな衣擦れが聞こえ、そこはかとなく薫る雅な

香、鮮やかな出だし衣を見ながら歩いてるうちに、胸がどきどきして緊張してきた。

 やっぱり内裏って立派すぎ。

 こんなところで暮らす中宮さまや姫宮さまって、どんな方だろう。

 どんなふうに挨拶しようか。最初がカンジンだって言うし慎重にしないと……。

 すでに花は散っているけど瑞々しい青葉のつるも見事な藤を中央に配した庭の正面の御簾

まで来ると、中宮大夫は奥に向かって声をかけた。

「おはよう。きょうは、お待ちかねの女絵師と参りましたよ」

「中宮大夫さま、よく来てくださいました。絵師さま、どうぞ御簾内へ」

 取次ぎの女房から招かれて、かしこまりつつ、あたしは中に入った。

 中宮さまのおいでになる御簾内には帝か、ご家族以外の男の人は入れないから、やはり女

絵師でないとまずかったわけだ。

 そもそも宮さまに直接、お言葉をいただくことだって、めったにないはずよね。

 わー、どうしよう!

 御簾の中は藤壺の寝殿の廂の間らしく、すぐまた御簾が下がっている。

 たぶんその奥に中宮さまがいらっしゃるんだろう。

 その御簾と御簾にはさまれた廂の間は、すでにあでやかな女房たちでいっぱいだった。

 御前に上がる前に、お付の女房仲間になるであろう女人たちに一斉に囲まれて、あたしは

思わずたじろいだ。

 並居る十二単の集団ってかなり壮観だよ! 

 若き今上帝の後宮だけあって、賀茂の神に仕える斎院宮とはぜんぜん違う華やかさで目が

くらみそう。誰も彼も綺麗で生き生きした感じが、なんともいえない美しさだ。

 助けを求めたくても、中宮大夫は御簾の外だし、一哉くんたちが来てくれるわけでもない。

 この女の園で、あたしは自力で何とかしなきゃいけないんだ。

 どんなふうに挨拶しようか。最初がカンジンだって言うし慎重にしないと……。

 ここはやっぱり明るく晴れやかに振舞うのが一番かな。

「はじめまして! 本日より、おめもじいたします。むぎとお呼びください。祥慶殿へ拝殿

することになって、とてもうれしく思っております。私におたずねになりたいことがござい

ましたら、なんでもお話しください! みなさまと仲良くさせていただければ、この上なき

幸せです。どうぞよろしくお願いいたします!」

 とびきりの笑顔を見せてから礼を尽くして頭を下げた。

 女房たちはイヤな顔はしてないけど、ひそひそ風に押さえつつあからさまなざわめきは、

ちょっと微妙な感じだ。

 あたし、もしかして外した? しまった、もうちょっと優雅にしなきゃまずかったかな。

 たらりと冷や汗の流れる心情を隠して、頭を上げると大勢の女人の目力に思わず倒れ伏し

そうになる。

 ま、負けないぞ! あたしはここで必ず姉さまの手がかりをつかむんだから!




「姫宮さまに対面される前に、ご用意があればこちらでどうぞ。むぎ様」

 女房のひとりに廂の一番端の襖障子で区切られた局に通され、ようやく値踏みするあまた

の視線から逃れられたあたしは、ふうっと肩から力を抜いた。

 き、緊張したよ〜っ。

 これから、いよいよ中宮さまと姫宮さまにご対面できるのかな?

 女ばかりの後宮では目だって浮いちゃっても良くないだろうし、早くこの雰囲気になじま

なきゃ。同僚になる女房さんたちにも好感を持ってもらわないとね。

 決意も新たにしているところに几帳の向こう側から声がかかった。

「むぎ様」

 来た! 笑顔で行こう!

「はい、なにかしら?」

 ……て、え!?

「はじめまして、女絵師のむぎ様。今日づけで藤壺の女房になりました夏実です」

 几帳の影から手を突いていざり寄ってきた姿を忘れるわけがない。

「夏実! どうしたの!? 夏実も内裏に来たの?」

「もう、あんたってば、あんな文ひとつでいなくなっちゃって! すごく心配したんだよ!」

 気を許したくだけた物言いと笑顔に、あたしは百万の味方を得た気分になった。

「ごめんごめん。でも夏実こそ、なんでこんなところにいるの?」

「女房になったって言ったでしょ。あんたひとりになんてしておけないって。どう、この五

つ衣、似合ってる?」

 夏実の女房姿は、もちろん季節に合った趣味のいいもので、そこいらの軽い下働きの女儒

とは違う出自を感じさせるものだったから、あたしは大きくうなずいた。

「で、でも、どうしてあたしが藤壺に入るって……」

「祥慶殿に行くってあんたの文にあったから、父さまに調べてもらったの。そしたら藤壺で

人を探してるって話があったみたいでさ。折りよく年若い女房も集めてたからつてを頼って

……ね。もー、びっくりちゃったよ。まったくあんたって、すぐ突っ走るんだから。心配で

とうとう、ここまで来ちゃった」

「う、ゴメン……」

「……なんてね。本当はあたしがそうしたかっただけ。それに、むぎらしいと言えば、むぎ

らしい話だし。これからは昇殿すれば側にいるんだから、なにかあったらすぐ言ってきてね。

いい?」

 持つべきものは親しき友だわ。あたしは感激して涙がこぼれそうになった。

 夏実は家にいればお金持ちの受領の一人娘で、そのへんの名ばかりの貴族より、よっぽど

姫君らしく何不自由ない暮らしができるのに、こうして内裏で人に仕える女房暮らしに飛び

込んできてくれるなんて!

「……ありがと、夏実。すっごくうれしいよ」

「どういたしまして。そうそう。あたし、藤壺で姫宮さま付きになったから。むぎが参内し

てきたら、きっと会えるよ」

「ホント? すごい!」

「中宮さまが帝のご寵愛も深いだけあって、藤壺はすごく華やかで人の出入りも多いみたい」

「そうなんだ……だったら、それだけ噂もたくさん聞けるかな」

「あたしも、まだ来たばかりだからわからないけど、たぶんね。せっかくの機会だしあせら

ず行こうよ」

「うん。そうだね。頑張るよ! まずはここになじんでからね」

「あたしも新参女房だし、たぶん新入り同士仲良くしてても変にあやしまれることもないと

思うしね。姫宮さまも、とてもおかわいらしい方なんだって」

「よかったぁ。なんだかほっとしたよ」

「うん、あたしもさすがに、同じ後宮でも、あんたが来る藤壺に入れるかは賭けだったから

……梅壺や桐壺って可能性もあったしさ」

「梅壺や桐壺?」

「梅壺にも女御様がいるし、桐壺の淑景舎にも、お渡りになる東宮さまがまだいとけなくて、

ご夫婦というよりお遊び相手のお姉さまみたいな立場だけど東宮妃の姫君がおいででしょ?

祥慶殿は仮とはいえ内裏が引越してきてるんだから」

「そういえば、そうだった。エヘヘ、覚えるコトが多くて……」

「しっかりしてよ、もう。それじゃ、あたし、そろそろ行くね。失礼します、絵師むぎ様」

 そう言って夏実は裾さばきもあざやかに、その場から下がっていった。

 あたしのために、ここまでしてくれて……うれしいな。

 こうなったら、なにがなんでも姉さまを見つけなきゃ。それには、しっかり祥慶殿の様子

をつかまないと!

 こうしちゃ、いられないわ。ぼーっとしている暇があったらできる限り探るのよ。

 まずは後宮の色々な関係と人の居所よね。




 居ても立ってもいられなくて、あたしはそっと局を出ると庭の見渡せる渡殿まで歩み出た。

 ずっと伸びた渡殿を南の先へ進めば、たぶん主上のいらっしゃる清涼殿ね。中宮様の藤壺

は清涼殿にお渡りするのに近い御殿のはずだもの。

 とすると清涼殿から距離的には同じほどで東隣にあるのは格式から言って弘徽殿で、北奥

にならぶ殿舎が梅壺かな。本当の内裏にあった全部の殿舎がそっくりそのままは、さすがに

ないだろうけど、少なくともこの奥には東宮妃のおいでになる淑景舎があるはずよね……。

 うーん、とても仮の御所には見えないわ。

 昨日、試験を受けに来た時から感じているけど、祥慶殿にはじめて来て驚いたのは、とに

かく広いコト。後宮だけでもこんなに御殿があるんだもん。常の主上が過ごされている清涼

殿や、儀式が執り行われる紫宸殿とかはもっと大きくて立派なんだわ。

 ここから見える庭も木々も花々も池にかかる橋の細工や水辺の風情も立派だし、かすかに

聞こえる滝の水音まで荘厳で、その御景色はまるで蓬莱のようだと言われるのも納得しちゃ

う。帝やお妃さま宮さま方にお仕えするための大勢の人がここで暮らしているわけで、本当

の内裏がこれ以上に広い場所と言われたって、それこそ想像がつかないよ。内裏だけで立派

なひとつの町のようなものなのね。

 こういう世界があるなんて、今までちっとも知らなかった。



 祥慶殿に圧倒されたあたしはそろそろと周囲を見渡しながら渡殿を歩いて、ふと気づくと

藤壺からずいぶん離れてしまっていることに気がついた。

 ……あれ? あたしがいた局って、どこだっけ?

 同じようにずらっと御簾が下がっているし、目印らしいものもなくて、どこから出てきた

のか、わからなくなっちゃった。


 あ、向こうの渡殿から人が来るみたい。あの人に聞いてみよう。

 すらりとした美しい身のこなしの女房装束の女人と、いかにも身分の高そうな、ちょっと

苦みばしった壮年の殿上人がやってくるのを見つけたあたしは遠慮がちに声をかけた。

「あの、すみません。藤壺はどちらかお教えくださいませんか?」

 殿上人は問いかけに返事をせず、あたしをちらりと見ただけ。気難しそうな人だなぁ。

「あの……?」

「あなた今日から祥慶殿に参内する者のようね」

 前にいた女の人がきついまなざしであたしを見て言い放った。この人もキツそう……。

「はい、そうですけど……」

「まさか、この方がどなたか知らないわけじゃないでしょうね」

「え? どこかで、お会いしたことありましたっけ……?」

「この方は中納言にして右近の大将であられる桜木永世様よ。態度を慎みなさい」

「えっ!?」

 えーと、中納言で大将ってことは内大臣まであと一歩っていうか、中宮大夫やまだ中将の

一哉くんよりも偉い人ってことよね。

「申し訳ございません! 何もわからず来たばかりで迷っていたものですから……」

「昇殿するならば、お目にかかる貴人に失礼のないよう万事控えておきなさい。うかつに声

をかけることが許されない立場をわきまえることです」

 冷たい声でそう言って、二人は渡殿をずんずん進んで行ってしまった。 

 はぁ〜、ビックリした。桜木の右大将様か。なんだか怖そうな人だったなぁ。

 今度会ったら気をつけようっと。



 それにしても藤壺の場所がわかんないままなんだけど……。

「なにしてるんだ? お前」

 背後から聞き覚えのある涼やかな声がして、あたしが振り返ると、非の打ち所のない公達

姿の威張りんぼな雇い主の姿があった。

「あっ、一哉くん!……じゃなかった、えーと、御堂の中将様」

「思ったとおり、危なっかしいな」

「来たばっかりなんだから、しかたないでしょ」

「で? こんなところで、何をしてるんだ。姫宮にお目にかかる支度でもするべきなんじゃ

ないのか?」

 うっ……迷子になったなんて言ったら、またバカにされそう……。

 でもごまかしたってしかたないしなぁ。ここは正直に聞くしかないか。

「それが……迷っちゃって。藤壺の場所、教えてもらえない?」

「……自分の職場も知らずに、なにをしに来たんだ。あれだけ意気込んでたくせに」

「う……そうなんだけど……その……周囲を確かめておこうと思ったら、いつの間にか迷っ

ちゃって」

「本当にあやうい奴だな」

 そんなに呆れ顔しなくてもいいのにさ。フンだ。とはいえ、ここではあたしは新参者。

 相手はエライ中将様なんだから、おしとやかに我慢我慢。

「……で、その、藤壺は、どちらなんでしょーか」

「その先を右へ行った西の廊を行って、おそらく奥から二番目の廂の間」

「え………?」

「姫宮さまにお目にかかるなら、宮が常日ごろ過ごされている藤壺西奥の間に近い廂のはず

だからな。そのあたりに行けば誰かいるはずだ」

「あ、ありがとうございますっ! すっごく助かりました!」

「まったく……」

 手にしていたかわほりで口元を隠しつつあからさまにため息をつく中将に頭を下げてから、

あたしは大急ぎで藤壺へ戻った。








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