憬文堂
遙の書棚 Fullkissの書棚 いろいろ書庫 憬の書棚 刊行物ご案内 お食事日記ブログ web拍手 メールフォーム


隠 家 物 語
女絵師初参内の朝の風景





 

 女房の一日の仕事は夜明け前から始まる。

 主人が出仕する日ともなれば、朝のしたくは大忙しだ。

 あたしは落窪の局から這い出して、まだ薄暗い外の様子を確かめるために蔀戸を開けた。 

 ぴんと張り詰めた朝の空気はあたしの背筋をしゃっきりさせてくれる。

 うわぁ、いいお天気になりそう。気持ちも晴れ晴れしてくるよ。

 今日から、あたしは女絵師になるんだよね。

 女房は女房で続けないといけないし……うーん、忙しくなりそう。

 でも、負けられないもんね。よーし、気合い入れていくぞ!

「やあー、たあー、はあーっ!」

 はかまの裾をさばきながら、廊に出て次々と閉まっていた蔀戸を上げていく。


「うるさい奴だな。朝っぱらから、そんなに騒ぐな」

 突然、背後から声をかけられて飛び上がる。

「わっ! か、一哉くん、おはよう。今日は、早いんだね」

「いつも、これぐらいに起きている。殿上するんだから、そう寝てばかりいられるか」

「こんなに朝早くから?」

「お前は内裏に参内する貴族を知らないのか? 帝におめもじするには日の出と共に内裏に

向かい参内の間で朝議の始まるのを待つんだよ。主上が朝の儀式を終えて、伺候されるまで

控えているんだ。いつお出ましになるかはわからないからな。宿直(とのい)の日は夕刻から

翌朝まで内裏だし」

「そ、そうなんだ……。ゆっくり寝るヒマもないね」

「まあな。それより、せっかく早起きしたなら、朝の支度を急げよ。タダ飯食わせてやる気

はないんだから、しっかり働け」

 一哉くんは手にしていたかわほりをぱしっと鳴らして、あたしを上から見据える。

「それと、今日から藤壺に参内するんだろ。もう1度言っておくが、あまり恥ずかしい真似

はするなよ。いくら俺でも、かばえるものとかばえないものがあるんだから。わかったな?」

 この態度……何様のつもりだろ?

「返事はどうした?」

「はいはい、わかりました。今すぐ、朝餉のしたくを始めさせていただきます!!」

 フン。こんなコトでは負けないもんね。

 女房も女絵師もちゃんとやって、今の言葉、撤回させてやるんだから。

 参内の身支度をするためか御簾の奥に引っ込んだ一哉くんを見送ってから、あたしはそそ

くさと台盤所へ向かった。


 夜明け前の朝餉ならごく軽い方がいいだろうと粥とひしおに塩漬の瓜などを取り合わせた

膳を持って、まず寝殿へ向かう。

 これからたったひとりで四人の所へ順々に周ると思うと、せわしないったらありゃしない。

 ちょうど南の渡殿へ出たところで、きちんと直衣をまとった依織くんに出会った。

「おはよう、むぎちゃん。早いんだね」

「おはよう、依織くん。朝餉の膳を運んできたよ」

「遅い。もう出かけるぞ」

 身支度を整えた一哉くんも御簾から出てくる。

「だってみんなの対の屋にそれぞれ膳を運んで給仕までするんじゃ限界があるよ」

「それがお前の仕事だろ。本来なら装束のしたくも手伝うべきだ」

「あたしひとりで?!」

 できっこない作業をやって当然みたいに言うなんてヤな感じ!

 あたしがムっとしたのがわかったのか、依織くんがやんわりと割って入る。

「まあまあ、一哉。起きたら朝餉の膳が運ばれてくるなんて、それだけで嬉しいじゃないか。

この屋敷じゃ今までなかったことだ。僕はいただくよ。ありがとう」

「どうぞ、どうぞ。今、運ぶね。……で、一哉くんは? 食べずにもう出かけるなら、片づ

けるけど」

「食わないとは言ってない。時を無駄にできないから指摘しただけだ」

 ……………どうだろ、この態度。

 あたしは無言で、まず寝殿の一哉くんのところへ膳をひとつ下ろしてから、自分で運ぶよ

と言ってくれた依織くんに膳を渡した。

「ところで、麻生くんと瀬伊くんは?」

「さあ、寝ているんじゃないかな」

「あいつらは、いつもそうだ。常の参内の刻限もまともに守ったことがない。放っておけば

いい」

 一哉くんは我関せずの態度で言い捨てる。

「でも、ふたりの分も支度したんだけど」

「じゃあ君が膳を運ぶついでに起こしてあげるといいよ。少し苦労するかもしれないけど、

頑張ってね」

 依織くんはにこやかに微笑んで、そう言った。

 苦労……って、なんだろう? とりあえず起こしに行かなきゃ始まらないよね。



 よし、まずは東の対の麻生くんを起こそうっと。

 東の対まで来てきっちり降りている御簾をくぐり、帳台をさえぎっている几帳の手前から

声をかけた。

「麻生くーん、早く起きてよ、夜が明けるよ。殿上するんでしょ! もしもーし、もしもー

し! あーさーきーくーん!!」

「うるっせぇな!!! まだ暗い朝っぱらから、わめくんじゃねえよ!」

 ものすごく不機嫌そうな声がして、帳台から這い出てくる大柄な男は乱暴に几帳をどかし

てあたしを見つけると、いかにも不機嫌そうに怒鳴った。

「わめくって……なによ、それ! 内裏に行くはずだから、朝餉を運ぶついでに、わざわざ

起こしに来てあげたんでしょ! いつまでも寝てないで、さっさとご飯すませてよね。じゃ

ないと、片づかないじゃない」

「そんなの、知らねぇよ。メシなんて頼んでねぇし……」

 寝間にいたはずなのに彼が引っかぶっているのは昨日見た気がする狩衣だ。

「麻生くん、昨日の装束のまま寝たの? しわもすごいし、形が崩れちゃうじゃない! 

信じられない〜っ!」

「うっせえなー。なに着て寝ようが勝手だろ。俺に命令すんな。とにかく、メシはいらねぇ。

俺のことは放っておいてくれ。じゃあな!」

 麻生くんはわざとらしくあたしの目の前に音を立てて几帳の位置を戻すと、帳台の中へ

引っ込んだ。

「あー、そうですか! それじゃあ、放っておきますー!」

 人が気を利かして起こしに来たっていうのに、なんって失礼な人なの! 勝手に遅刻して

帝に叱られちゃえばいいのよ!

 むかむかしながら、あたしは最後の一人が休んでいる東北の対へ向かった。

 ……次は瀬伊くんか。ちゃんと起きてくれればいいけど……。

 一応、小奇麗になっている廂から、御簾をくぐって膳をかかげたまま声をかけた。



「瀬伊くん、起きてる? 朝になるよ。そろそろ起きないと殿上に遅刻しちゃうよ」

「……おはよ」

「ギャア!?」

 瀬伊くんの帳台に向かって声をかけたら、突然、背後から抱きしめられて、あたしは死ぬ

ほど驚いた。

「せ、瀬伊くん! いつの間にうしろにいたの!? ビックリさせないでよ、もう!」

「フフ……ごめんね。あんまり和んでる背中だから、つい抱きついちゃった」

 彼はくすくす笑いながらあたしの髪をすきなでている。

 背中がぞわぞわして落ち着かない。

「それにしても、君の髪、豊かで長いんだね。僕に髪削ぎしてほしい?」

「……いや、やめてほしいかな。それより、朝餉を持ってきたから、食べてほしいんだけど」

 持っていた膳をずいっとつきつけると、彼は萌黄の直衣の袖をひるがえして、ゆっくりと

あたしを放してから、それを受け取った。

「わかった。すぐいただくよ」

 あたしはひきつりつつも何とか笑顔を保って、そろそろと御簾をくぐって、その場を離れた。



 ……はぁ。なんだか疲れちゃった。なんなの、まったく。どいつもこいつも……。

 夜明けから倒れてもいられないので、何とか気を取り直し、あたしは自分の身支度に取り

かかった。

 みんなの膳を引く前に自分も軽くおなかに入れてから、後宮に上がってもおかしくないよ

うに裳をつけ五つ衣を着る。こんな正装は裳着の時か、宴や祝祭で斎院様のお側に上がる時

以来で緊張する。

 いよいよあたし、祥慶殿に殿上するんだな。がんばって、ゼッタイに姉さまを探し出そう。

 それでまた、前みたいに一緒に暮らすんだ。父さまや母さまの分まで平和に楽しく。



 誓いも新たに気合を入れて車宿へ向かうと、依織くんに会った。

「おや、見違えたね」

「あ、依織くん。ちょっと早いけど、あたしもそろそろ行くね」

「そう、気をつけて」

「この襲の色目、ヘンじゃない? 季節にはあってると思うんだけど、ちょっと場違いだっ

たりしないかな?」

「大丈夫、可愛いよ。ほら、中将、来てごらんよ」

 依織くんが声をかけるときりっとした直衣姿で烏帽子をかぶった一哉くんも出てきた。

「ふん……先取りして花橘でそろえたか。ま、見られないほどじゃない。馬子にも衣装って

感じだな」

 馬子にも衣装って……ふーん。だったらあたしも言ってやるわよ。

「貧しくも哀れな言い様だね。誉れ高い御堂中将様なら、もっとうまい皮肉を言うと思った

けど」

 あたしの反撃に一哉くんは一瞬黙り込み、依織くんがすごく楽しそうにくすくす笑い出す。

「くく……だってさ。御堂の中将」

「……ふん、開き直ると強い女だ」

 ちょっと言い負かした気分! あたしは、できるだけ優雅に微笑んでみせた。

 なのにしかめっつらを崩さない一哉くんは説教する気満々って感じで、出かけようとする

あたしの前に立ちはだかる。

「とにかく。いいか、祥慶殿ではお前と俺たちは、姫宮に呼ばれた女絵師と、参内している

貴族だからな。うっかり口を滑らせて、ここの女房勤めの話なんてするなよ。あと、俺たち

と一緒に暮らしていることも言うな。迷惑だからな」

「はいはい。大丈夫、なにがあっても言いませんって」

「中将は君のために言ってるんだよ。バレたら困るのは、君なんだから。それじゃ、頑張っ

て。またあとで、内裏で会おうね」

 そう言って依織くんはふわりと笑顔になった。

 こーゆーのが、あらまほしい公達の姿ってわけですか。ふむ。

「宮にお目にかける絵巻や画材は用意してやったよな。扱いにはくれぐれも気をつけろ。

初日でクビになるのだけは勘弁しろよ。いいな?」

「はいはい、どうもご親切に! じゃあ、行ってきます!」

 あたしは意気揚々と車宿から、一哉くんに許された網代車を出してもらって、祥慶殿へ

と向かった。








 戻る      次へ 


遙の書棚 Fullkissの書棚 いろいろ書庫 憬の書棚 刊行物ご案内 お食事日記ブログ web拍手 メールフォーム
憬文堂