憬文堂
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隠 家 物 語
六条御堂邸において、新たな役目と局を得る





 

「それじゃ、さっそく家まで来てもらうぞ」

 御堂の中将は、当たり前のようにあたしに命令した。

「え、今から?」

「当然だ。約定をかわしたからには、さっさとついて来い。主人に手間をかけさせるな」


 それからあたしは、彼の牛車に一緒に乗せられて今日から職場となるその家に向かった。

 まさか、同じ車に乗せて連れて行かれるとは思わなかったので驚いたけど、彼はあまり

そういう事にこだわらないみたいだ。

「女の足で歩いて車の後をついてこさせても、遅れるだけだろ。まして京の地に疎そうな

子どもに迷われると面倒だ」

「それはお気遣いどうも」

「もうそろそろ、六条だ」

 大内裏近い二条の祥慶殿から、朱雀大通りをずっと南にさがり、ざわざわした街中を過

ぎて、落ち着いた閑静なあたりへやってくると、車の物見窓からでも、ぐっと風情のある

様子がうかがえた。大半が屋敷の屋根さえ塀と庭木の彼方で見えない。

 小半刻ほど牛車にゆられてから、たどり着いた家は──



「ついたぞ」

「うわぁ……」

「突っ立ってないで、さっさと入れ。時は金なり。時間の無駄だぞ」

「わ、わかったよ」


 牛車は牛飼いと下人にまかせて、前を行く新しい主の後を付いていく。

 祥慶殿に比べればこじんまりした、でも貴族の家としては立派としか言い様のない檜拭

きの門をくぐって、遣水の流れる庭をながめつつ、透渡殿を歩いた。

 どうでもいいけど、それなりに広い家なのに人がいない。普通、これだけ偉そうな主が

帰ってきたら、留守を預かる家人がわっと世話をしに迎えに出そうなものなのに。

 でもこの家はすごい。

 庭も季節の草花が植えられた前栽や築山がうかがえるし、水も流れていて、殿舎の造り

も凝ってるし、当たり前なら、こんなに若い公達が主として住む屋敷じゃないのは、あた

しにだってわかる。

「はぁ……すご……」

 寝殿に向かっているらしい庭に面した長い廊を歩きながら思わずため息をこぼすあたし

を、彼は気にも留めないみたいだった。

「──さて、と。まずは、何をやってもらおうか」

「ち、ちょっと待って!」


 この男、ホントに何者? 

 すごい裕福な若様で、殿上人で花形の中将ってことは、ちょっとはぶりのいい受領あた

りも目じゃないんだろうけど、でも、どこかの名家のお姫さまの婿として通ってる先や、

公卿の実家ならともかく、若い男がこれだけの屋敷を持ってるなんて、あり得なくない?


「ねぇ、なんで、こんな屋敷にひとりなの? 宮家の若様なんでしょ?」

「御堂と聞いて、わからないような鄙人に説明するのは、さすがの俺でも少々骨が折れる

な。面倒だから、説明はしない。おいおい自分で調べておけ」

「……そ、それじゃあ、ご両親は? この家にいないの?」

「この屋敷は、元服の時に母から俺が譲り受けた俺の家だ。主は俺ひとり。ここで何をし

ようが、誰を雇おうが、俺の好きにできる。おかげでやっかいなしがらみに縛られずに済

むと言うわけだ。もういいだろ。無駄話は終わりだ。何からしてもらうか……」

「待ってってば! この屋敷には他に誰もいないの? 北の方(奥様)も? あたし、イヤ

なんだけど。主と女房でふたり暮らしだなんて」

「気が合うな、同感だ。だが、幸い、ふたり暮らしじゃない。ここには俺のほかに三人、

男が住んでる。みな祥慶殿に参内している殿上人だ」

「その人たちのお付きの人は?」

「ここは俺の屋敷だぞ。身分の高い者のところに身を寄せている者が、お付きをぞろぞろ

連れて乗り込んできているわけないだろ。礼儀に反する」

「なっ……! なに、それ……最悪。いくら何でも、あたし一人だけ女房なんて冗談じゃ

ないわ」

「冗談のつもりはないぜ。それが無理なら、祥慶殿へ入れる話も、女房の約定も、取り消

しだ。それでも、出ていくか?」

「ええっ? ……ああ、わかった! あなたたち近頃話に聞くあやしげな密教だかのヤバ

イ集まりなんでしょ! 無垢な少女(おとめ)を騙して引っ張り込んで、それで形代に──」

「身の程知らずな妄想中のところ申し訳ないが、ひとりの女嫌いをのぞいて、女に不自由

している奴も、世を拗ね呪詛をたくらむ奴も、いない。だいたい、ガキ相手にそんな気に

なるか、馬鹿」

「……ガキって誰のコトよ」

「お前のことだ。安心したか? それじゃ、まずは掃除と片づけからしてもらうか。庭や

廊はともかく、母屋は下の屋の下人に踏み入れさせるわけいもいかなかったからな。俺の

参内は宿直でなければ寅の刻。軽く食事をして出かけるから、毎日抜かりなく用意してお

け。折々の装束の仕度やひっきりなしに届く文の整理もある。母屋から雑舎までは、結構

あるからな。暁から裳を引きずって、もたもたするなよ。いつ何時でも、俺が呼んだら、

すぐに駆けつけろ。いいな」

「な……っ」

 こんな広い屋敷の奥でちょっとやそっと手を叩かれたって、聞こえるわけないじゃない。

 常に几帳の側で侍っていろとでも言う気なの? ムカつく……!

「なんだ? 文句でもありそうな顔だな」

「当然だよっ! 確かにあたしは女房を引き受けたけど、そこまでアゴで使われる覚えは

ないもん」

「今のお前は、アゴで使われるくらいが、ちょうどいいってことだろ。くやしければ、俺

より上に立つ人間になるんだな。その時は、お前に従ってやるよ。わかったら、いいかげ

んに仕事を始めろ。俺はお前と違って忙しいんだ。じゃあな」

 たっぷりした直衣の袖をひるがえし、彼は寝殿奥の御簾の内へ引っ込んでしまった。


 なんだろ、あの態度。あんな偉そうなヤツ見たコトないっ! いくら身分が高くたって、

人としての寛容とか慈愛ってものに欠けてるよ。感じ悪いったらありゃしない。



 ……けど、もういいや。

 文句を言ってもしかたない。あたしが選んだ道なんだし。

 絶対、負けないんだからねっ!



 よし、まずは片付け! なんだか簀の子を歩いてる時も、あちこちほこりっぽくて気に

なってたんだよね。下の屋にはさすがにちょっとは人がいるみたいだから、母屋と対の屋

の廂(ひさし)から始めようかな。ぴっかぴかにして見返してやる!



 御堂の中将が所有するこの屋敷は、京の都でもちょっと風流な貴族が大きな屋敷を構え

る六条あたりにある立派な邸宅で、その名も白梅院とか言うらしい。広々とした南向きの

寝殿とつながる北の対、それから寝殿と車宿がある東門をつなぐ間に東の対と、その奥に

東北の対、西側には西の対と、そこから庭の池へつき出した釣殿があり、少し離れた西北

奥に雑舎である下の屋がある。南の庭は白砂がひかれ、水は流れて池には築山や島に橋も

かかっているし、草花や緑の樹木の姿景色の美しいことこの上なかった。

 白梅院と言うからには、初春の頃はさぞかしゆかしい風情だろうと思われる。


 と、これだけ聞けば、すごいんだけど……。

 広さや調度品の豪華さが一流なら、汚さもまた、超一流だった。


「きったな〜い! なに、これ! 信じられない!!」

 透き廊から下がっている御簾を上げて廂(ひさし)の間に足を踏み入れたあたしは思わず

悲鳴を上げそうになった。

 女房や小間使いがいないからって、こんなのアリ!?

 どこからひっぱりだしてきたかわからない書物や巻物、文の両紙や、箱や道具の数々が、

まるで足の踏み場もない程、散乱して、あちこちに積み上がっている。脱いだままの衣は

丸められたり几帳にひっかけられたりでしわしわの台無し。散らばったごみにまぎれて横

になって転がっている折敷や高坏、土器といったものには虫がたかっているありさまで。

 いったい格子と御簾はいつから開けてないんだってほどのカビくささに、あたしはめま

いがした。どれだけ掃除してないワケ!? 考えたくない〜っ!!



 身につけていた短めの装束をこれ幸いと袖にたすきがけをしてから、東と西の対の廂の

間を全部なんとか綺麗に片付けて、最後にやってきた寝殿の中心、ぐるっと廂に囲まれた

南北二間の母屋を隔てる御簾を上げた時、あたしは確かに一瞬、立ったまま気を失った。


「なんなのっ!? このありさまはっっ!!」

 いったいどこの山賊の根城か、いやいや、山犬の穴蔵だってここよりはましってほどの

汚さだった。せっかくの屋敷も、これじゃ、つぶれかけたあばら屋と同じよ。

 あいつ偉そうなコト言って、自分の身の回りを整えさせることもできないの? 

 屋敷は汚い、性格はゆがみまくり。いいトコと言ったら、顔だけじゃん。

 ふんっ、バーカ、バーカ!

 あたしは自分の正気を支えるためにも声を出して悪態をつきまくった。



「ほう……そうか。お前の局が今、確定したぜ」

 あたしの背後で、地の底から響くような声がした。

「あっ……か、一哉くん! いつからそこに!」

 気づいた時には、もう遅い。

「……その、広い母屋だね……っ、えへへ」

「掃除が終わったら、釣殿へ来い。お前の局に案内してやろう」

「…………ハイ」




 そして、寝殿掃除で疲れ切ったあたしが案内された、その部屋は――――



「……暗いね」

「廂の突き当たりで、塗籠ではないんだが、三方壁に囲まれているからな。格子もないし」

「なんで床が一段下がってるの?」

「さあ。たまたま奥だから、そうなったんだろ」

「あの……ここって、物置じゃないの……?」

「なにを言ってるんだ、お前は。れっきとした局だろ。几帳もたててあるし、畳もある」


 そりゃあ、まあ、寝起きするだけなら不自由はないけど、どう見ても土間のような低い

端近で、寝殿と西の対、ずっと北端の雑舎をつなぐ廊に引っかかっているみたいな北側の

はずれ、廂のすみっこだ。


「ここなら、俺が寝殿の帳台から呼んでも聞こえるはずだし、下の屋にも近い。几帳や櫃

まで用意された局を一人で使えと、雇われてすぐにたまわるなんて、幸せ者だぜ。感謝の

言葉は?」

「ありがと……」

「それじゃ、次は衣を調えてもらうか。縫い物はできるな。衣替えの後だから色々と新し

く用入りが多くて難儀だぜ。俺も官位が上がって、お赦しの色も増えたしな。キリキリや

れよ。いいな」

「はあ…………い」




 こんな落窪みたいな土間もどきの局に、鬼のような主人。まだ見ぬ三人の公達まで……

ここって祟り渦巻く物の怪屋敷? あたしひょっとして、道を誤ったわけ?!

 彼がさっと背を向けて、廂を後にすると、局に唯一置かれたすすぼけた几帳のとばりが

ひらひらとはためいた。

 はあ……。いや、負けるもんかっ!

 あたしには姉さまを探し出すという大事な目的があるんだから!

 ゼッタイ負けない……ぞ。

 あたしは自分のため息を、振り払って、新たな一歩を踏み出したのだった。








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