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 蓋のない箱 

仲秋 憬




                     <7>




 忙しくなると宣言していた通り、その日から一哉はほとんど家に帰宅することがなかった。

 主のいない家は荒れると言うが、夏休みの間も二ヶ月近く一人で留守を守ったむぎがいる

のだ。一哉が夜、帰宅しない日が続いたところで、すぐさまどうにかなるわけではない。

 むしろ、この家で一番、部屋を散らかす主の留守で、家政婦の仕事は楽になっているはず

なのに、むぎの様子は一哉がいないと、いつもの調子が出ないように見えた。彼が数日帰ら

ないくらい何でもない……と決して言い切れないあたり、この家は確かに一哉の家なのだっ

た。

 とは言え、彼は早退が頻繁であっても律儀にほぼ二日おきに学園には通学していたから、

休み時間の教室か生徒会室につめかければ、直接会って挨拶と日常報告くらいはできたろう。

むぎはクリスマス実行委員なのだから、生徒会長の一哉と学園で話をしていたところで不自

然ではない。しかし、どうやら彼女はそれもしていないようだ。



 御堂家のダイニングで、明日に迫ったバザーで売り出すお菓子をセロファンで包みながら、

むぎはどこか上の空だった。

「おい! 一宮が食ってるぜ!」

 ラッピングまで手伝っていた麻生に指摘され、はっとしたむぎが振り向くと、緑と赤のク

リスマスカラーのリボンをするりと解いて床へ放り投げた瀬伊が、リビングのソファへ向か

いながらチョコレート味の焼菓子を口に入れているところだった。

「あーっ! ダメだよ、瀬伊くん!」

「味見させてよ。こんなにおいしそうなんだもん」

「作った時だって、あんなに食べたのに〜。売り物なんだよ!」

「じゃあ僕がお金払えばいいよね。みんな買い占めちゃおうかな」

「それなら明日のバザーで買ってよ……もう」

 むくれながらも相手をしてくれるむぎが可愛いから、よけいに瀬伊が悪乗りするのだが、

彼女はそれがわからない。ぼんやりしている彼女の意識を自分に向けさせようとして、瀬伊

のちょっかいがエスカレートするのはいつものことだ。

「むぎちゃん、もうここは片づけて自分の部屋でした方がいいね」

 リビングで紅茶を飲んでいた依織が声をかけると、むぎは素直にうなずき、ダイニング・

テーブルの上に山になっているお菓子の包みを丁寧にダンボール箱に詰め始めた。

「うん、そうする。これでおしまいだし。麻生くん手伝ってくれて、ありがとね。助かっち

ゃった」

「いや。ヒマだったから気にすんな。これ二階に上げるんだろ」

 彼女の承諾を得る前に、菓子を詰めたダンボール箱をふたつ重ねてひょいと抱えると、麻

生はむぎをうながした。

 麻生に、こんな真似ができるようになる日が来ようとは。いつもどこかイラついて不機嫌

そうな態度を隠さず、寄ると触ると喧嘩腰だった以前を思えば雲泥の差だ。

 連れ立ってダイニングを出ていく二人をながめて、瀬伊が派手にため息をつく。

「あーあ。行っちゃった」

「自業自得じゃないかな」

「だって、世話が焼けないと気がついてくれないでしょ。僕らの家政婦さんは、とーっても

鈍いんだもの」

「むぎちゃんが世話好きというのは確かだけれど、それだけでは、どうだろう」

「……松川さん、リタイアしてるなら黙っててよ」

「僕に当たっても無意味だよ」

 瀬伊は、そのまま黙ってリビングを出ていった。

 ひとりその場に残った依織は、紅茶を飲みながら、つけっぱなしのテレビに映っている報

道番組を最後まで見て、ゆっくりと自室に戻った。


 結局この日も一哉は自宅に帰ってこなかった。







 翌日の22日はすでに授業もなく、終業式前の最後の通学日だ。期末試験の結果は、とうに

出ていて、年末年始の短い冬期休暇には補習もないので、いわゆる名家の子女が集まる祥慶

学園では、冬期休暇を前にしたクリスマス前の華やかさばかりが引き立つ。

 そんな中での学内のチャリティ・バザーは、売り手も買い手も学園関係者のみのイベント

で初の試みでもあったから、そう大がかりにはなるまいと予想されていた。祥慶学園のクリ

スマス・メイン・イベントは、やはり24日の終業式に続くクリスマス礼拝であり、毎年恒例

のクリスマス・コンサートの方だ。バザーの準備に奔走していたむぎが忙しそうであっても

大仰にしていなかった事からも、それは伺える。

 けれど、依織が、チャペルの片隅を区切って設営されたバザーの会場に顔を出してみると、

どうしてどうして、それは本格的な並一通りでない規模のチャリティ・バザーだった。

 この時期のカトリック教会につきもののキリスト生誕シーンを再現したドールハウスを、

入口の側に台をしつらえ美しく飾り、品物を並べる机にはすべて黒いベルベットの布がかけ

られて、ステンドグラスの明かりとキャンドル型のライトに輝く会場は、普段見慣れたチャ

ペルの雰囲気を見事に変えている。集められた売り物も手作りのお菓子だけでなく、しっか

りした銀製品や、骨董品らしいアクセサリーに、つたなさを感じさせない手芸の小物類で、

祥慶学園に通う生徒や職員が出す不要品や手作り品は、おざなりのバザーとは違い、それな

りの値が付く一級品であることが明らかなものばかりだった。ちょっと見てみるかと冷やか

し気分でのぞきに来た生徒も、皆楽しみながら、けっこう真剣に吟味しているのがわかる。

 売り子として中央で張り切っているむぎの姿を見つけて依織が歩み寄ると、会場を物色し

ていた周囲の女生徒たちも無礼にならないぎりぎりの距離を保ちつつ、集まってくる。もち

ろん声もかけられる。

「ごきげんよう、松川さま」

「バザーをご覧になられるのですか?」

「ああ、ちょっと、ね。どんな具合かと思って」

「あっ! 依織くんも来てくれたの!」

 気がついたむぎが、たっと小走りで依織の前までやってくる。

「フフ。お姫さまが、あんなに頑張っていたものね」

「まあね。ちょっとしたもんでしょ?」

「ああ。素敵な会場に仕上がったね。売れ行きも好調かな」

 並べられたバザーの品は、順調に数を減らしているらしく、売り子役の生徒は、忙しくし

ている。

 向き合っているむぎと依織がはさんでいる机の上にある緑のクロスを敷いた籐籠は、もう

すっかり空っぽで、昨夜むぎが御堂家でラッピングしていたお菓子も、すでに売り切れてし

まったようだ。

 その机の一番端に、御堂家で瀬伊が麻生に押しつけていた不気味な悪魔の様な、ろうそく

人形が鎮座しているのを見つけ、依織は思わず笑ってしまった。

「あのろうそく、結局、出したんだね。売れ残っているのかい?」

「ああ、マイケルね。いや、瀬伊くんと麻生くんが出したって宣伝したら、ファンの女の子

達で突発オークション状態になっちゃって、かなりいい値段で売れちゃったんだよ! ビッ

クリでしょ! けっこう大きいから買い上げてくれた子が帰りに取り来るまで、あそこに置

いてるの。“ラ・プリンスの二人が出したガーゴイルのろうそく”って値札に書いておけば、

教会に縁がないわけじゃないし充分いい値段で売れるだろうって、一哉くんが言った通りに

なっちゃった」

「一哉が? いつ?」

「えーと、いつだったかな。何を売ればいいか悩んでた時だから……結構、前だったっけ」

 小首を傾げたむぎの後ろに、よどみない一哉の意志が透けて見えた気がして、依織は一瞬、

チリリと小さく何かが胸につかえたような気分に襲われた。

 正にその時、最近めったに顔を見なかった祥慶学園の生徒会長にしてラ・プリンスのディ

アデーム、御堂一哉がバザーの会場に現れた。

「御堂さま!」

「ご覧になって、御堂様よ!」

「御堂さま、ごきげんよう」

「……御堂さま」

「御堂さま!!」

 あちこちで上がる歓声は、依織がやってきた時と変わらないようでいて、その実、かけられ

る声の調子や集まる視線の種類はかなり異なる。御堂一哉の、立っているだけで近寄り難いほ

ど、その場を圧倒する雰囲気は、他の誰にもないものだ。それは弱者が強者に無意識に敬意と

共に頭を垂れる感覚に似ている。

 たかだか十代の学生にカリスマなどと安易にレッテルをつけるのはどうかしていると依織も

思うが、確かにその言葉にふさわしい例外が御堂一哉である。

 そして、そのオーラに全く臆することなく平然と対抗できるのが、むぎだった。

「一哉くん!」

 むぎの呼び声が聞こえているだろう一哉は、他に目もくれず真っ直ぐに彼女と依織が立ち話

していたところまでやって来た。

「盛況じゃないか。準備に時間をかけただけのことはあったな」

「うん。ありがと。みんなも協力してくれたしね!」

 見ているこちらが嬉しくなってしまうような笑顔で話すむぎに、一哉が、よしよしとうなず

いた。

「久しぶり、一哉」

「松川さんも来ていたのか」

「ああ。少し前にね」

「他の二人は?」

「麻生くんは設営から手伝ってくれたんだよ。瀬伊くんも買いに来てくれたしね。おかげで売

り切れちゃったお菓子もあるから、実行委員のみんなに最後に配ろうってよけておいた分も、

この際だから売ろうってコトになってね。今、取りに行ってもらってるんだけど……」

 むぎが説明している途中で、当の麻生が戻ってきた。

「御堂! お前、来たのかよ!」

 小ぶりのダンボール箱を抱え、足早に近付いてきた麻生が、一哉を見て驚いた顔をした。

「生徒会長が学園行事に顔を出して悪いか」

「……悪かねぇよ。なんか最近、家でも顔見てなかったから」

「仕事が忙しかったからな。……お前こそ、そんなにクリスマスの学園行事に参加する意志が

あるなら、実行委員になればよかったものを。明後日のクリスマス礼拝の聖書朗読、俺と代わ

るか」

「笑えねぇ冗談言うなよ。ラ・プリンスの義務だとか関係ねぇから」

「…………」

 麻生の態度に一哉は頓着しない。

「あー来た来た。これ僕、買うからね!」

 むぎが麻生が持ってきたダンボール箱から菓子の包みを取り出して籠に並べ始めると、それ

までどこにいたのか姿の見えなかった瀬伊がいつの間にかちゃっかり現れて、ラッピングされ

た菓子に手を伸ばす。それは昨日御堂家でむぎが用意していた、彼女の手作りのお菓子だ。

「瀬伊くん! もういいから! 一人で、そんなに食べきれないでしょ! 瀬伊くんと同じも

のを買いたいって女の子に譲ってよ!」

 むぎが困惑して瀬伊の手をよけるようにお菓子の籠を自分の頭上に持ち上げた。

「え〜っ、ちゃんとお金出すんだから、いいじゃない」

「クリスマス・チャリティなんだから、少しは聞き分けてよ〜」

「売上に協力してるのに」

「協力してねぇだろ。そういうのは邪魔してるっつうんだ!」

「へぇ。羽倉ってば足手まといだったんだね。むぎちゃん、かわいそう」

「俺じゃねぇよ。邪魔なのは、てめぇだ、一宮!」

「いいかげんにしろ!」

 時ならぬラ・プリンス勢揃いに遠巻きにざわめく生徒達を物ともせず、後輩ふたりを鶴の一

声で一喝すると、一哉はふいにむぎと向かい合う。

「一哉くん……すごく疲れてない? なんだかやつれて見えるよ」

「大したことない」

「でも……」

「これ、もらうぜ」

 むぎが焼いたチョコレート・ブラウニーは、瀬伊のお気に入りという評判もあって早々に売

り切れたらしく、取り分けていた追加分も結局十数個ほどのようだった。一哉はむぎの頭上の

籠から楽々とひとつを手に取り、代金をむぎに渡した。

「釣りはいいから」

 そんなセリフと共に、150円で売っているブラウニーに一万円札を出されて、たじろがな

いにわか売り子がいるだろうか。

「え、ええっ? あ……あ、ありがと……ございました。主の祝福がありますように……っ!」

 一哉の突然の行動に面食らったむぎが、頬を薄紅に染めて、しどろもどろにバザーの買い

上げ時の決まり文句を言うと、彼は、めったに見せることのない柔らかい笑顔になった。

 その瞬間、遠巻きに様子を見ていた周囲の生徒たちが一斉に、どよめく。

 一哉のそんな表情を見たのは、彼らも初めてだったのだ。

 その笑みが、その場の効果をねらい意識して見せたものだったのか、むぎを相手に自然と、

こぼれたものだったのか、一部始終を隣でながめていた依織にも判断しかねた。

 その場をさらう主役でしかない一哉の目立ち方に周囲が魅せられ陶然としている間に、本人

は「じゃあな。最後までしっかりやれよ」と、むぎの額を軽くこづくと、颯爽とバザー会場の

チャペルを出て行った。


 本当にあっという間の出来事だったが、一哉がいなくなった後、残された者はしばらく毒気

を抜かれたようになっていた。

 残ったラ・プリンス三人も、それは似たような有様で。

 ほんの少し追加されたブラウニーは、我に返った女生徒達が一気に買い上げてしまい完全に

売り切れて、祥慶学園生徒会主催の初めてのクリスマス・チャリティ・バザーは大成功という

結果に終わったのだった。







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