憬文堂
遙の書棚 Fullkissの書棚 いろいろ書庫 憬の書棚 刊行物ご案内 お食事日記掲示板 web拍手 メールフォーム


 蓋のない箱 

仲秋 憬




                    <6>




 クリスマスを、どう過ごすか。そんな事に頭を悩ませた経験は、依織にはない。

 誘いは引きも切らずにあったし、その中で気が向いたものを選んで、とりとめのない時

を過ごす。学園行事は、とりあえず、そのほんの一部だ。

 松川という役者の家では、歌舞伎の舞台があれば、クリスマスだろうが誕生日だろうが、

親戚の冠婚葬祭ですら一切後回しになるものだし、クリスマスを祝うという習慣が依織に

はない。子供の頃は贔屓筋にプレゼントも随分もらったけれど、特に望んだものでもクリ

スマスだから特別という感慨もなかった。

 しかし、そんな依織をよそに、実行委員のむぎと、生徒会長の一哉は、なかなかに多忙

に見えた。最終学年でもある一哉は、いい加減に生徒会長を引退して受験に備えていい身

であるはずだが、彼にそんな気配はみじんもない。それどころか、社長業の方が一段と忙

しさを加速させているらしく、自宅にいる時間がめっきり減った。



 12月も半ばにさしかかろうかという月曜日。

 たまたま住人のそろった朝食時に、一哉が、むぎに向かって告げた。

「葉山のリゾートに、てこ入れするから、この冬は仕事で湘南通いが増える」

「冬に海?」

 むぎがけげんそうな顔をする。

「今が冬だからこそだ。来年の夏に間に合わせるには遅いくらいだぜ。マリンレジャーと

総合型スポーツクラブの理想型を実現させる。ようやく始動するところまで来たから現場

の仕事が山積みだ。葉山には御堂の別荘もあるし、帰れない場合はそこを使う。緊急事項

があれば、連絡しろ」

「……家に帰ってこられないの? 冬休み前から出張?」

 むぎが尋ねる。

「帰れる時は帰るが……年末年始は他にも挨拶や会合が多いしな」

「そうじゃなくて……、クリスマスとか……さ」

「祥慶のクリスマス行事はこなすぜ。生徒会長としては最後の大きな学園行事だ。お前の

実行委員も、何をしでかすかと思うと見ものだしな。欠席したりはしないから安心しろ。

バザーは22日だったな」

「違うって。だから家で食事はしないの? ここでもツリーを飾ってチキン焼いたりケー

キの用意するなら準備したいわけ! 本当はツリー、もっと早くから飾りたかったんだけ

ど実行委員とかでバタバタしていて遅くなっちゃったから……あ、みんなクリスマスの夜

はお出かけ? だったら夏実たちと……」

「むぎちゃん、クリスマス・パーティの支度してくれるんだ?」

 すかさず瀬伊が口を挟んだ。

「えっ……うん、家にいるなら、それなりにご馳走作ろうかなとは思ってたけど……でも、

よく考えたら、さすがにみんな予定あるよね」

「僕はいるよ。ご馳走、期待してるから作ってよ」

「イブに? 25日?」

「どっちも」

「冬休みになるのに、いいの?」

「どこにも、いかないもの」

「瀬伊くんが? ……ホントに?」

「俺もいる! 何なら少しは手伝うしっ」

 麻生が慌てた声で割り込むと、後はお決まりのコースだ。

「羽倉、雰囲気読めないね……正直、邪魔なんだけど」

「なんだと! 邪魔は、てめーの方だろ」

「へ〜え、認めるんだ? むぎちゃんと二人っきりのがいいって」

「るせーな。てめぇに関係ねぇよ」

「残念でした。先にお願いしたのは僕だから」

 目の前の争いに、むぎは目を丸くしている。依織は、やれやれとため息をついて仲裁に

入った。

「ほら、二人とも、いいかげんにしておきなさい。むぎちゃんが困ってる」

「……そもそも、こいつは雇い主の俺に予定を尋ねていたはずだが」

 一哉がその場をすくい上げる発言をすると、瀬伊と麻生は黙ってむぎに問いかけるよう

な視線をぶつけてくる。たじろぎつつも、むぎはおそるおそる確かめるように口を開いた。

「あ……っと、瀬伊くんと麻生くんはお家にいるんだね。じゃあ、一哉くんと依織くんは

……?」

「むぎちゃんのご馳走をいただけるなら僕もクリスマスは出かけないことにするよ。元々、

特に決まった予定もないからね」

「依織くんも? 信じられない……」

「おや、どうしてかな?」

「どうしてって、えっと、その……何となく……だけど。ゴメンなさい」

「あやまらなくていいよ。本当は君と二人きりで出かけられるなら、尚いいのだけれどね」

「……きたねーぞ松川さん!」

「抜け駆け反対ー!」

 下級生組のブーイングは綺麗に右から左に流して、依織がむぎに微笑むと、彼女は頬を

染めてうつむいた。

 そんな依織とむぎのやり取りを無視して、一哉は事務的に断定した。

「俺の予定は確定できない」

「一哉くん、やっぱり休日でも忙しい?」

 言われてうつむいていたむぎは、ぱっと顔を上げて一哉を見る。

「ホリデーシーズンは欧米相手の仕事だとこっちもしっかり休暇になるんだが、日本では

それほど関係ないからな。正月前のこの時期が休めない部分もある。悪く思うなよ」

「そっか。師走だもんね。でも用意はしておくから、もし予定が入らなければ一哉くんも

一緒にクリスマスの食事するって考えてていい?」

「かまわないぜ。お前も冬休みが必要か……」

「学校がある時はできない家事をやりたいし、今回はいいよ。大掃除しなくちゃね」

「──結構だ。給料分は働いてもらおう。優秀ならボーナスを考慮してやるぜ」

「はーい。ガンバリます!」



 彼女との同居生活は、こうしてあり得ない計画が、どんどん飛び出してくる。

 クリスマスのような華やかな季節行事に、どこにも出かけず疑似家族パーティよろしく

集う同居人たちなんて、ラ・プリンスと呼ばれている自分たちに何より似合わない状況と

言っていい。

 彼女が、ここにいてくれるからこその絶妙なバランスで、自分たちは暮らしている。

 それをどこか物足りなくも心地よく感じる自分を、依織はいぶかしむ。

 あまり居心地がいいと、かえって落ち着かない。

 このままでいられるはずがない──と考えてしまうのだ。

 安らぎをもたらすぬるま湯も、いつかは冷めきって水になってしまうはずだから。





 御堂家のリビングにクリスマスツリーが飾られたのは、その二日後だった。

 麻生とむぎが、翌日の夜、せっせと飾り付けたらしい。依織の背丈よりも高い本物のも

みの木のツリーが、リビングとダイニングの間の絶好の位置に据えられていた。

「一宮がやたらちょっかいかけてきて邪魔するから、手間かかったぜ」

「え〜、野獣のような羽倉が、いつ、むぎちゃん襲うか心配で心配で、見張り番してあげ

てただけでしょ」

「バカ言うな。だったら、てめぇも手伝うくらいすりゃあいいだろ。余計な事ばっかしや

がって。鈴原の足引っ張るなら、ずっと引っ込んでろよ。やたら悪魔人形なんか飾られた

ら、あいつもたまんねーっつーの」

「でもとにかく、綺麗にできたじゃないか。なかなか見事なものだね」

 朝食に降りてきたいつものリビングで、朝日に輝くツリーをながめるのも悪くはない。

「で、むぎちゃんは、もう学校かい?」

「ああ。俺らの朝食用意して、自分は御堂と先食って出てったぜ」

「あーあ、僕もむぎちゃんにくっついて一緒に行けばよかった。むぎちゃんは一哉ばっか

り、かまい過ぎ」

「何、言ってやがる。てめぇのわがままに振り回されてる方がずっと多いだろ?」

 麻生の物言いに笑ってうなずきつつも、依織としては、瀬伊の気持ちも、わからないで

はない。しかし、どうしたって彼女の雇い主が一哉である以上、彼を優先するのは仕方の

ないことだ。


 仕方がない──と言い聞かせるのが癖になっているなと、依織はひとりごちた。







 戻る      次へ 


遙の書棚 Fullkissの書棚 いろいろ書庫 憬の書棚 刊行物ご案内 お食事日記掲示板 web拍手 メールフォーム
憬文堂