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 蓋のない箱 

仲秋 憬




                    <5>




 祥慶学園クリスマス実行委員の仕事は、むぎが以前、教師と家政婦を掛け持ちしていた

時の目まぐるしさを同居人達に思い出させるくらいには多忙なようだ。

 彼女がそれで家政婦の仕事に手を抜いたり、しくじったりすることはなかったが、12月

に入りいよいよクリスマス当日が近付いてくると、どうしても下校は遅くなりがちで、早

朝に家を出る日も増えた。

 そのことで目に見えて不機嫌になっていったのは瀬伊だ。

「また、むぎちゃん早出なの……?」

「おはよう、瀬伊くん! ごめんね。朝ごはんできてるから、食べたら、そのままにして

おいていいよ」

「おい、出かけるぞ。車が待っている」

 先に靴をはいていた一哉が、むぎを呼ぶ。

「一哉も一緒に車でご登校かい?」

 二階の自室から階段を降りてきてその場へ居合わせた依織が尋ねると、一哉はあっさり

答えた。

「学園行事は生徒会の主催だからな。生徒会長にも責任はあるし、ついでだ」

「……それじゃ何のための実行委員会だか」

 瀬伊のつぶやきは聞こえなかったのか、一哉が気に留めた様子はない。

「ほんとゴメン! 夜は瀬伊くんの好きなもの作るからね。じゃあ行ってきまーす!」

 起き抜けの瀬伊と依織に元気に挨拶して、むぎは御堂邸の玄関から勢いよく飛び出して

行く。

 残された男達は取り残された気だるさを振り払えないまま、のろのろと食卓につく。

「瀬伊、食べないのかい?」

「むぎちゃんがお給仕してくれないなら食べたくない」

「ガキじゃあるまいしハンストなんかして、鈴原に八つ当たりするなよ」

「そんなんじゃなくて本当に食欲わかないだけ。男の顔ばかり見て食事したくないし」

「……それは僕も同感だけれどね……」

「ケッ! 勝手にしろよ」

 依織はため息をつき、麻生は呆れて瀬伊を無視することに決めたのか、目の前のパンと

オムレツだけに集中している。

「むぎちゃんいないと、つまんない」

 瀬伊はいつだって子供のようなわがままをストレートに口にする。

 それを、どこかでうらやむ自分に依織は気付いていた。




 学園の日々に目立った変わりはない。むぎは相変わらず人気者だ。

 体育の授業で体育教諭の山本春太に贔屓されセクハラ誤解の騒ぎがあったとか、美術部

の連中にむぎのファンが多くて親衛隊が出来たとか、学年が別でも彼女の噂は、そこかし

こで耳にしたし、元気な姿もあちこちで見かけた。実際、むぎの度胸と実行力は際立って

いたし、その陽性のパワーはラ・プリンス達をして魅せられているくらいなのだから、良

家の子女であっても並の人間には太刀打ちできない。抗えない。

 彼女に本気で頼られて、手を貸したくならない者は少ないだろう。





 瀬伊に朝、ごねられたこともあって、今日はむぎが早く帰宅したようだ。

 依織が学園から少し書店に寄り道して御堂邸に帰ってみると、リビングから楽しげな話

し声が響いていた。むぎと麻生が向かい合って話し込んでいるのを、横から瀬伊が茶々を

入れているらしい。

「チャリティ・バザーで売れるもの……かよ」

「そうなの! 取りあえずくるみ入りチョコブラウニーは焼くんだけどね。あれは一気に

たくさん作っておけるから。でも食べ物だけじゃなんだから、他にこの家から出せるもの

がないかなぁ。家には祥慶の生徒が五人もいて、そのうち四人はラ・プリンスでしょ? 

協力してほしいんだけどな」

「……一宮が勝手に俺んとこに置いてく妙ちきりんなものなら、いくらでもあるぜ。あれ

でも、いいのかよ?」

「あーっ! 羽倉ったらマイケルを手放すつもり? マイケルを売り飛ばしたりしたら、

羽倉の身に何が起きても知らないからね。どんな災厄が降りかかるか僕には想像できない

よ。ああ恐い」

「あの不気味人形ろうそく呪われてるのかよ! そんなもん人に押しつけんじゃねーよ!」

「僕はいらないけど、羽倉には似合うかと思って」

「バカ言うな! ぜってーいらねぇ。お断りだ!」

「マイケルってこの悪魔の像みたいなやつ? うーん……天使のろうそくだったらクリス

マスに似合うけどコレ売れるかな……麻生くんの愛蔵品てことにすれば行けるか……」

「俺じゃねー。一宮だ」

「もう僕のじゃないし」

「ホントはさ、あたしがこの家の掃除ので拾い集めた髪の毛だって袋詰めしたら売れるだ

ろうなって、ちらっと思ったけどね。お守りにしたいファンの子、きっとたくさんいるよ」

「……マジかよ」

 麻生が嫌そうな声を出す。

「あー、冗談冗談。まさかそんなコトしないよ。あたしが本気で祥慶でお金儲けしたかっ

たら、とっくに家でみんなを隠し撮りとかしてセットで女の子達に密売オークションでも

してるって!」

「……ふーん。なるほどね……それは思いつかなかったな」

「一宮、テメェそんなまねしたらブっとばす!」

「僕じゃなくて、むぎちゃんが言ったのに、羽倉ったらひどいや!」

「混ぜっ返してるのは全部てめぇだろ」

「あーごめん、ごめんなさいってば。ほら、この話は、もうおしまい! そろそろ夕食の

支度始めなきゃ。あ、依織くん、お帰りなさーい!」

 むぎがリビングの扉をそっと開けたまま、中に入らずにたたずんでいた依織に気付いた。

「ただいま。にぎやかだね」

「うるさくしてゴメンね。すぐ、お使いに行くから。ブラウニー試作の材料も買い込んで

おかないと。明日、調理室で焼いてみるんだ」

 むぎがソファから腰を上げると、麻生も一緒に立ち上がった。

「んじゃ、それは付き合ってやるよ。……その……買い出しなら荷物持ちに男手があった

方がいいだろ?」

「え?! いいの? だったらいっそ麻生くん今から実行委員になっちゃう?」

「そーゆーのはカンベンしてくれ! ……お前の手伝いならイイけど……」

「荷物が多いなら僕が車を出してもいいよ、むぎちゃん」

 依織の申し出に麻生が不機嫌そうにまばたきする。

「あー依織くん今帰ってきたばかりで面倒かけちゃうからいいって! そんなに大物じゃ

ないから大丈夫。麻生くん手伝ってくれるって言うし。ね?」

「おう。まかせろ」

「じゃあ行こう。今夜は瀬伊くんのリクエストでロールキャベツだからね」

「期待してる。羽倉に脅されてもカレー味にはしないでね」

「誰が脅すか!」

「早く行かないと遅くなるよ」

「わわっ。そうだよね。ちょっと行ってきます!」

 むぎが麻生と連れ立って慌ただしく出て行くと、リビングはまるで火が消えたようだ。

 瀬伊がひとりソファで膝をかかえて座っている。

「けなげだよねぇ……」

 誰がとは聞かずに依織は自室へ引き上げた。





 その日、一番帰宅が遅かったのは一哉だった。

 学園から直接仕事のあった会社に出社したそうで夕食にも間に合わず、夜の10時近い頃、

ようやく帰ってきた。

 依織がバスルームから出たところで、ちょうど自室へ戻る一哉に会った。

「お帰り。今日は仕事かい。忙しいのは年末のせいかな。むぎちゃんが心配していたけれど」

「ああ……。まぁそんなところだ。あいつには伝えてあったはずだが」

「そう。余計なことを聞いたね。悪かった。……瀬伊や麻生がたいらげてしまいそうだった

君の分のロールキャベツを彼女が取り分けていたものだから」

「後でもらうさ」

「おやすみ」

 部屋に戻る一哉を見送り、依織は風呂上がりの喉を潤すべく階下のキッチンへ出向いた。



 夜のキッチンから明かりと話し声がもれている。麻生とむぎだ。

「えーっ! そんなの入れるなんて信じられないっ!!」

「バーカ。これが絶妙な味わいになるんだ」

「カレーにチョコレートとかは聞いたことあるけど、入れない! 塩辛は絶対入れないっ

て! そんなの食べたくなーい!」

「エスニックなシーフードっぽくなるんだから食べてみろって!」

「きゃーっ! いやぁー!」

 夜中にキッチンで大騒ぎしている二人の子供の中へ割って入る気になれず、依織は肩を

すくめて、部屋へ戻った。

 結局、その後、一哉がむぎのロールキャベツを食べたかどうか、依織は特に確かめず、

そのまま忘れてしまった。







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