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 蓋のない箱 

仲秋 憬




                    <4>




 祥慶学園に無事編入したむぎが、人気者になるのは、本当にあっという間だった。

 元々彼女のパワーは、閉ざされた温室で育つ果実のような純粋培養の人間が多い学園の

中では異端だ。異端な存在は、突出して崇められるか、無視されたあげく排斥されるかの

どちらかに転ぶことが多いが、彼女は前者の突然変異だ。誰もむぎを無視できず、多くの

生徒達の中にいて恐ろしく人の目を引いた。彼女を好ましくないと感じた者でも、それは

同じらしく、結果的には憎めない愛すべき存在になってしまうのだ。

 わずかな間だが教師として祥慶にいたことが彼女の特異な立場をさらに強調していた。

 身分詐称の上、ニセ教師をしていたことは犯罪だが、表向きには、かつての美術臨時教

師の鈴原先生と編入生の鈴原むぎは、同姓同名の別人ということになっている。

 しかし、実際には同一人物であることは隠しようもない。本人と会えば一目瞭然だ。

 そのあたりの問題は、すべて学園に巣くっていたスキャンダラスな事件の調査と解決の

ために御堂が派遣していた特殊機関の任務に絡んで許可されていた事で、国家機密レベル

に匹敵する擬態であったのだと、まことしやかな噂が流れた。

 鈴原むぎは、学園の裏で起こっていた事件を明るみに出すために送り込まれた訳ありの

VIPだったというわけだ。

 自分たちの通う学園が地に落ち泥にまみれて欲しいと願う者は少なかったらしく、フィ

クションめいたこの噂は公然の秘密として素直に認識された。まるで冗談にしか思えない

ような話だが、祥慶学園という閉ざされた箱庭故の結果だろう。

 学内の教職員や理事達に、どういった根回しがされたのか、依織は知るよしもなかった

が、御堂が細心の注意をはらってお膳立てしたものを、理事長がらみのスキャンダルでひ

とつ間違えばつぶれてしまう可能性もあった学園が受け入れないはずはなく、表立ったト

ラブルは何も起こらなかった。


 むぎが、ただの編入生ではあり得ない注目を受けるきっかけになる以外には。


 否応なしに彼女は目立つ。

 それはラ・プリンスというラベルを貼られた同居人らに負けないほどだった。





「学校のクリスマス行事の実行委員に選ばれちゃった。今年は礼拝とコンサートだけじゃ

なく、チャリティ・バザーはどうかなって意見を言ったら、いいアイディアだから、ぜひ

実現させようって。そのために実行委員になれだって」

 全員そろった御堂家の夕食の席で、むぎがあっけらかんと報告する。

「もう、そんな季節か。11月も半ばだものね」

 むぎが御堂邸に戻ってきてからのひと月が何と早く過ぎたことか。依織にとっても感慨

深い。

「そんなめんどくせぇこと、よく引き受けたな」

 麻生が感心した声を出す。

「えーっ、だって楽しそうだし頑張るよ。……あ、もちろん、家政婦もちゃんとするから

心配しないで!」

「無理すんなよ」

「へーき、へーき!」

 明るく言って、むぎは食事の済んだテーブルに残された食器を片付け始めた。



 彼女がキッチンで洗い物をしている間、男達は誰も自室に戻らず、何とはなしにリビン

グでテレビを見ながら食後のお茶を飲んでいた。

「実行委員ね……生徒会長の一哉の差し金?」

 瀬伊が尋ねる。

「いや。俺も今、初めて聞いた話だ」

「ふーん……僕は実行委員どころじゃない噂も聞いたんだけどさ」

「何だよ? 俺はそんなの知らねーぞ」

「羽倉はニブイから」

「んだと!」

「まぁまぁ。それは気になるね。瀬伊」

「松川さんも知らないか。……むぎちゃんを生徒会役員にしようっていうウ・ワ・サ」

「生徒会だぁ〜? 御堂の後釜かよ」

 麻生が疑問を口にする。

「役職まではどうだか。うちの生徒会って学生の選挙で決めてるわけじゃないから、よく

わかんないよね。任期も決まってないんでしょ。結局、自薦他薦は問わないけど、やる気

があって生徒会が受け入れるかどうかってトコ?」

「だったら、どうだと言うんだ」

 一哉は眉一つ動かさず瀬伊に問い返した。

「ズルイなぁ。僕が聞いてるんだよ、一哉」

「本当にそんな話があるなら、むぎちゃんが僕らに黙っているとは思えないのだけれど」

 依織が言うと麻生がすぐに反応する。

「あっ、そうだよな。一宮、ふざけたこと言ってんじゃねーよ」

「ふざけてないよ。本当にそういう待望論が出てるんだから。むぎちゃんのモテぶりを見

ればわかるでしょ」

「確かに、あの子は男女問わず親しみやすい雰囲気があると僕も思うよ」

「色気はないが、な」

「だからこそじゃないかな」



 一哉が、それを理解していないとは思えない。

 むぎは偽教師だった時も、教師のくせにカワイイとか、若すぎるとか、生徒の間で評判

になっていたのだ。実際に15歳でしかなかったのだから、その評価は当然とも言えるが、

偽らざる本来あるべき生徒に戻っても彼女の魅力に変化はないのだ。特に女生徒の人気に

偏る依織や瀬伊より、よほど学園全体での好感度は高いかもしれない。

 彼女の親しみやすさを、庶民的で洗練されておらず目障りだと言う者も皆無ではないが、

今のところ、あからさまな嫌悪を向けられることもなかった。



「で、事実そんな動きがあるとしてさ。入れるの? 生徒会」

 瀬伊が真正面から一哉を見つめて尋ねると、一哉はかすかに笑って即答した。

「まさか」

「……まさかってのは引っかかるなー。むぎちゃんは、いつだって一所懸命で、お節介で、

誰よりパワフルだし、みんなに頼りにされちゃえば、一哉の引退後に女生徒会長だってや

りかねないくらいだと思うけど」

「馬鹿馬鹿しい。そもそも授業についていくのも精一杯なのに、生徒会の仕事をする暇が、

あいつにあるか? 家の仕事はどうするんだ」

「御堂、そりゃ家政婦とニセ教師させてたヤツの言うセリフじゃねーだろ」

「違いない。麻生に一理あるね」

 依織も同意すると、一哉はヤレヤレといった様子で肩を大げさにすくめてから、手にし

ていたほうじ茶を飲み干した。

 その場での彼女の話は、ひとまず、そこでおしまいになった。





 翌日、夕方のリビングで、むぎがアイロンかけをしているところに、学校から帰宅した

依織と麻生が居合わせた。

 むぎはFM放送をBGMに鼻歌まじりにアイロンをかけ、依織と麻生は、そんなむぎの

横で紅茶で一服していた。

 こんなふとした折りの団らんもどきも彼女がいなければ成り立たない一時だ。

「わざわざアイロン台をリビングに引っ張ってくるより、洗濯室の方が楽じゃねーの?」

「だって、こっちの方が明るくて仕事がはかどるんだもん。麻生くんたちが帰ってくるま

で誰もここにいなかったから、いいかなと思って。日常の仕事だってたまには変化が必要

なんだよ」

「おー、何かえらそうじゃん」

 麻生が軽口を返すと、むぎはチッチッと舌をならしながら人差し指を振って、かつての

教師の口調になった。

「あたしがいないと、靴下や下着までクリーニングに出しちゃうような人たちには、一生

わかんないだろうけど、アイロンかけも、これだけあると重労働なんですからね!」

「へーえ」

「いつも面倒をかけてすまないね。むぎちゃんには本当に感謝しているよ」

 依織がわびると、むぎはパッと頬を赤らめた。

「あ、えっと、でも仕事だからイヤイヤしてるんじゃないからね。あたし、アイロンかけ

も洗濯も掃除も料理も嫌いじゃないし、家政婦って向いてるかなーって思ってるもん。…

…見てよ! この一哉くんのワイシャツ!! クリーニング屋さんに負けてないでしょ?」

 カラーから袖口まで、しわひとつなくプレスされ丁寧にたたまれた青いシャツを掲げて、

少し誇らしげな彼女は、実に可愛らしかった。


「なあ、鈴原……お前、生徒会にスカウトされたりとかって、ちらっと聞いたけどホント

か?」

 唐突な麻生の問いに、むぎはアイロンかけの手を止め、目を丸くした。

「はぁ?! あたしが生徒会って……なったのはクリスマスの実行委員だって、昨日話し

たよね?」

「それは聞いた。それとは別の件だ。ダチとかに推薦されたりとかしてねーか?」

「ううん。大体さ、あたし委員とか役員とかガラじゃないもん。そういうのは遊洛院さん

みたいな、やる気があって自信家でバリバリな人が向いてるよねー。特に祥慶だと、色々

うるさいんじゃないの? 生徒会役員に立候補なんか絶対しないって!」

 むぎは祥慶の生徒会役員の選出方法も知らず、普通に選挙があると思っているようだが、

依織も麻生もその勘違いを正そうとはしなかった。

「全く興味はないの?」

 依織が聞いても、むぎは大きく頭を横に振った。

「そんなの考えたコトもないよ。編入して、やっとちょっぴり慣れてきたところなのに!」

「……あー、そう……そうだよな……うん」

 むぎの答えに麻生は何度も大きく頷いた。

「それにしても、いきなりあたしが生徒会だなんて話、どこから出てきたの?」

「ああ、一宮のヤローが聞いたって言いやがってさ」

「瀬伊くんが? また、あたしのコトからかって遊ぶつもりね。もーっ!」

「いや瀬伊もあれで心配していたようだよ。僕らとしては、むぎちゃんが生徒会や実行委

員会の仕事に夢中になって、かまってもらえなくなる方が大問題だからね」

 それは依織を始めとする同居人一同の本音だったが、むぎは大げさに受け取ったのか、

ますます赤くなって声を上ずらせた。

「いっ依織くんまで、瀬伊くんみたいにからかってくれちゃってヤダなー。おだてたって

何にも出ないよ」

「そんなつもりじゃないよ」

「またまたーっ! 照れちゃうでしょ」



 結局、御堂邸でむぎと暮らす男達は、彼女を自分たちだけの家政婦さんにしておきたい

のだ。

 四人の間ですら、微妙に彼女の愛情──それは異性愛と言うよりは家族愛に近いもので

あったが──を少しでも多く得るために、張り合ったり、牽制を仕掛け合う状態なのに、

この上、生徒会役員にして彼女の時間を奪われるのは、まっぴらだった。

 役員になどなった日には、世話好きで、他人にも入れ込みやすいむぎが、使命感に燃え

て必死になるのは目に見えている。

 そんな野暮な仕事は、能力を持てあまして、社長業とラ・プリンスで生徒会長の学生生

活をこなして尚、暇つぶしにはなると豪語する一哉に任せておけばいいのだ。近い将来、

世界の御堂をしょって立つことが決まっているサラブレッドの一哉にとって、それは重荷

でもなんでもないのだから。



「鈴原ー、俺、夕飯、カレー食いてぇ」

 麻生がリクエストをすると、むぎはまるで母親のような顔つきになった。

「またぁ? しょーがないなァ。じゃあ、タイ・カレーにしよう。エビのグリーンカレー

でもいいなら作るよ。エビを買ってくれば材料はあったはずだし。あとはサラダどうしよ

うかな。ポテトかお豆か……うーん……」

「うまそーだ。買物行くなら付き合うぜ」

「ならリクエストを受けた分、責任もって、麻生くんに荷物持ちしてもらおうかなー」

 むぎが使い終わったアイロンを片付けようとしていたところで、割烹着のポケットが震

えだした。

「あーっ!! 携帯、マナーモードのままだった!」

 むぎは大あわてで電話に出る。

「はいっ、むぎです……って、え? 水色の細かいストライプのワイシャツ? ちゃんと

アイロンかけてクローゼットのいつもの棚にしまったよ。見つからないなら似たようなの

じゃダメなの? いっぱい持ってるじゃない。……あーハイハイ、ネクタイもね。わかり

ました。今、行きまーすっ!」

 むぎは電話の会話にしては必要以上に大きな声で返事をすると麻生に向き直った。

「ごめん、一哉くん、これから会社で急いでるみたい。あとでね」

「おう」

 勢いに呑まれたように頷く麻生を置いて、むぎはリビングを飛び出して行った。エレベ

ーターを使わず、二階の一哉の部屋目指して駆け上がっていったらしく、リビングにいて

も彼女のあわてた足音が聞こえて、依織は小さく笑った。


「御堂のヤツ、なんで同じ家の中にいて携帯かけるんだかな。インターホン使えっつーの」

「席を立たずにすむからじゃないかな。むぎちゃんもインターホンの近くにいるとは限ら

ないし、携帯の方が確実だからだろう」

「何かしゃくに障るんだよなー。御堂はよ……やたらアイツのこと呼びつけるし」

 
 例えば、夕食の献立に誰のリクエストが選ばれるか、とか。

 同時に頼んだお使いのどちらを先にしてくれるか、とか。

 おそらく、むぎにとっては等しく家政婦の仕事で、大した違いはないであろうに、どこ

かに彼女の隠された愛情や意志が働いているのじゃないか、と邪推する男達は、こっけい

なものだ。

 祥慶学園の王子、ラ・プリンスが聞いて呆れる。

 彼女は、この家の家政婦であって、当たり前の姫君じゃない。

 ただ、共に暮らす彼らにとっては、大事な家政婦さんであり、お姫様であり、救いの女

神でもあったのだ。








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