憬文堂
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 蓋のない箱 

仲秋 憬




                    <3>




 むぎの編入試験は、彼女が御堂家に帰ってきてから丁度一週間後の水曜日だった。

 毎晩、遅くまで一哉にマンツーマンでしごかれて高校入試の時より勉強したという彼女

は、持ち前のパワーで睡眠時間を削っても弱音をはかなかった。

「これもチャンスのひとつだもんね! やれるだけやるよ」

 試験科目は国語、数学、英語の三教科と面接で、彼女の不安は、これまでほとんど高校

の授業を受けていない数学と、それほど得意でない英語のようだった。一哉がむぎにどの

ように教えたのかは不明だが、編入試験に出そうな範囲にヤマをかけ、数多くの予想問題

を解く方法をとったらしい。天才は物を教える先生に向いていないことも多いが、一哉は

徹底的に実践させるリアリストで、その方法はむぎに合っていたようだ。



 試験当日の朝、先に家を出る祥慶の先輩達は、緊張している彼女をそれぞれ激励したが、

一哉は「俺の顔に泥をぬるなよ」とだけ言って子供にするように彼女の頭に手を置くと髪

をくしゃっとかきまわした。

「もーっ、髪の毛やり直しさせないでよ! 面接あるから気合い入れてたのに!」

「大して変らないだろ。いつも通りにしてればいい」

 騒ぐむぎを笑い飛ばして一哉は家を出て行った。むぎは一哉に軽く怒っていたが、その

やりとりで彼女を覆っていた緊張感がするりと抜けたのは見事だと依織は思った。

 一哉は自分の行動による結果を考えずに動く男ではない。そういう風に育てられている。


 後から出るむぎより先にそろって家を出た時、瀬伊が一哉に尋ねた。

「ねえ、一哉は今日むぎちゃんが試験を受ける教室、どこか知ってるの?」

「なぜそんなことを聞く?」

「試験は10時からで午後までかかるんでしょ。昼休みには誘えるじゃない。頑張れーって

激励ついでにさ」

「受験に来ているのに内部の学生と接触させるわけないだろう」

「そっか。一哉でも?」

「……当たり前だ。あいつの邪魔はするなよ」

「そんなに牽制しなくたって平気だよ。僕はむぎちゃんに祥慶に入ってほしいんだから」

 一哉がむぎの編入試験の詳細について知っているかどうか結局答えなかったことに瀬伊

が気付いているのか依織には判断しかねた。



 同居人達の心配をよそに編入試験そのものは順調に済んだらしい。



 丸一日かかる試験でむぎが大変なのはわかっていたので、その日、住人は全員、夕食は

外食してくると決めていた。最初は家政婦の仕事だし平気だと渋っていた彼女を、試験に

集中しろと雇い主としての命令で言い含めたのは一哉だ。

 さすがの彼女も試験を受けて家に帰ってくると、疲れ切って自室で眠ってしまったらし

く、依織が帰宅した時は、深夜でもないのに、もうリビングの明かりも消えていて一階に

人の気配はなかった。

 むぎが「お帰りなさい」と笑いかけてくれないと、すっかり物足りなさを感じるように

なっている自分に依織は呆れた。

 頑張った彼女のおみやげに、最近、評判の良いパティスリーのバターサブレとチョコレ

ートを買ってきたのだが、今夜食べてもらうのは無理のようだ。

 依織は物音を立てないように静かに自室に戻り、落ちるはずはないと思いつつも、その

夜は彼女の合格を祈った。




 翌日になると朝から彼女はいつも通り元気いっぱいで、少し手の込んだ朝食を作ってく

れていた。

 朝の食卓で御堂邸の住人が勢揃いすると、自然と彼女の試験の話になる。

「今日中に結果出るんでしょ。何だか僕までドキドキしちゃうな」

「瀬伊くん……ウソばっかり!」

「えぇー? ひどいな。どうして嘘だと思うのさ」

「てめぇの日頃の行いからして当然だろ。そんなことより、鈴原としちゃ上手くいったの

かよ?」

 麻生の問いに、むぎはほんの少し眉を寄せた。

「うーん……たぶんね。数学も一哉くんが作ってくれてた予想問題と似てるのが出たし。

英語が時間ぎりぎりになっちゃって見直しが最後までできなかったんだけど……」

「空欄がなかったなら、きっと大丈夫だよ。振り落とすための試験じゃないのだし。合格

したら今夜はお祝いだね」

 不安そうなむぎを安心させたくて依織も口を挟んだ。

「それにしても昨日の今日で結果出すって早ぇよな」

「一人だけの編入試験だからな」

 どこまでも一哉は平静だった。

 御堂が後ろ盾になっていて、万が一にもむぎが祥慶学園にはじかれるはずはない。身分

詐称の教師としてですら無理を通すことが可能だったのだ。本来あるべき生徒としての入

学なら何も困難はないだろう。

 しかしそこでわざわざ厳しく試験勉強までさせたのは、一哉のむぎに対する愛情である

と依織には思えた。それに本気で応えようと頑張るむぎだから、皆に愛されるのだ。



 間違いなく合格するとわかっていても編入試験の結果が気になるラ・プリンス達だった

が、四人とも表向きはいつも通りに通学し、それぞれ授業を受けた。


 昼休み、依織は学園のカフェテリアで一哉を探した。彼はむぎの試験の結果を先に知っ

ているはず。いつもならカフェテリアか生徒会室、図書館あたりを歩けば一哉と遭遇でき

ることが多いのだが、今日は学園長室ということも考えられる。ここにいないのならば本

校舎へ向かうかと迷っていたところで、庭に面したテラスを横切る一哉の姿を見つけた。

 早足で追いかけて声をかけると遠巻きにしている周囲の女生徒達にざわめきが広がった

が、二人とも慣れているので意に介さない。

「ああ、一哉。探していたんだよ」

「松川さんにしては、めずらしいな。何か急用でも?」

「むぎちゃんの結果が気になったものだからね」

「……本人より先に他人に告げるのもどうかと思うが」

 一哉がそっけなく答えると、依織の背後から見慣れた同居人達が現れた。

「だったら一哉こそ何で当たり前みたいにもう知ってるの。いくら祥慶は御堂家が創設し

た学校だって言っても、今はあくまでも一生徒のはずの一哉がさ」

「瀬伊……麻生も来たんだね」

 ちゃっかり便乗するのは『祥慶学園の妖精』のあだ名を持つ瀬伊である。

「先に学園長室まで行ったんだよ。そこで一哉は少し前に出たって聞いたから追いかけて

来たわけ。途中で羽倉とかち合っちゃったのは計算外だったけど」

「いちいちムカつくやつだな」

 瀬伊の言い様に麻生は面白く無さそうだが、それでも気になるのかその場を離れる素振

りを見せない。

 時ならぬ学園のアイドル勢揃いに、テラス周辺はなお一層の興奮に包まれたが、男達は

そんな騒ぎには当然ながら目もくれなかった。

「お前達まで何の用だ?」

「この期に及んでカッコつけてんじゃねーよ、御堂。わかってんだろ!」

 麻生が焦れる。

 寄ると触るともめる二人が連れ立って一哉を探すという行為自体が驚きだ。それもこれ

も原因はただひとつ。

「僕たちの大事な家政婦さんが心配なんだよ」

 依織が告げると一哉は大げさに肩をすくめた。

「ここじゃ何かとうるさいな」

 お昼のカフェテリアでは人目が多すぎる。そのままテラスから外へ出る一哉について女

生徒のさえずりをBGMにラ・プリンスご一行でチャペルの裏手まで移動した。



 ようやく人目を避けることに成功すると、一哉は彼らの目の前で携帯電話を取り出し、

短縮ボタンで電話をかけた。

「俺だ。…………電話でわめくな。……合格したぞ。本日15時に入学手続きの書類を受け

取りに祥慶の受付に来い。その帰りに指定店で制服と体操服等一式を受け取っておけ。用

意してあるから。…………馬鹿。必要経費だ。気にするな。…………そう。かまわない。

通学は来週の月曜日からだ。……ああ…………え? ちょっと待て」

 一哉は顔を上げ、電話のやり取りを聞いている同居人を見回した。

「お前ら今日の夕食はどうするんだ?」

 いらないと言付ける者が一人もいなかったのは言うまでもない。



 昼休みの終りを告げる予鈴が鳴っている。本鈴前に教室に戻るべきだろう。

 本校舎へゆっくりと歩きながら何となく会話は続いた。長く同居していても、学園で共

にラ・プリンスと祭り上げられていても、四人で会話するということ自体が希だったいび

つな関係の彼らだったが、それが次第に風変わりな結びつきを持ちつつある。

 彼らをつないでいるのは、たったひとりの少女だ。

「これでむぎちゃんも祥慶の生徒か」

「ま、よかったんじゃねーの。あいつ頑張ってたし一安心じゃん。制服まで、もうできて

るって用意いいんだな」

 こういう反応は麻生の人の良さを表している。すぐにでも通学可能な準備がされている

ということ自体、御堂の意志を感じるのだが、依織は黙っていた。彼女のためなのだから

別にとりたてて騒ぐことでもない。

「……一哉ってむぎちゃんへの電話で自分の名前言わないんだね」

 一番後ろを歩いていた瀬伊の唐突な言葉に依織と麻生は、彼を振り返った。

「それで通じるってのがスゴイよね。着メロ鳴るようにしてるとは限らないのにさ」

 瀬伊は笑ってもいなければ不機嫌そうでもなく、無表情でそう言った。

 何をどう捉えればいいのか一瞬躊躇して、依織は肯定も否定もできない。

 瀬伊もただ事実を言っただけかもしれなかった。

 言われた当の本人である先頭を行く一哉は、無言のまま瀬伊を振り返ることもなく本校

舎に入り、彼らはおのおのの教室に戻ったのだった。







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