Ep 24

ウード弾きの少年

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Ep25.忘れ得ぬ少女

祭の2日目はちょうど金曜にあたり、正午の礼拝にはたくさんの人がジャーミーに向かった。

アザーンとともに人の群れがジャーミーへ移動していく中、ユースフは誘い合って礼拝に行こうとする仲間たちから抜け出して、ハールーンの住む建物から少し離れた所で、ハールーンが来るのを待っていた。

程なく、通りの向こうから、アバーヤ姿の女たちが10人ほどぞろぞろと固まってやって来た。どの女も皆、黒か白のアバーヤで体をすっぽりと包み、目の下から胸の前を薄絹のブルクーで覆っている。身長や体形はそれぞれ違っていても、ユースフには目だけを出したその姿がどれも皆同じように見えた。

(こんな集団の中にいたら、わかんねぇだろうなぁ……)と思いながら、女たちを眺めていたユースフの目が、後ろの方にいた小柄な女に釘づけになった。

(いた!!

ユースフはそのアバーヤの少女を見つめ続けた。全てを隠し、あらわになっているのは目だけだったのに、同じような体形の女は他にもいたのに、ユースフの目は引き寄せられるように、確実にその姿を見分けたのだ。一ヶ所だけあらわになったその目は、確かにハールーンのものだった。

ユースフはたちどころに少女を見分けた自分に、自分で驚いていた。その目はもうずっとハールーンの目を見つめている。

これは驚くことではないのかもしれない――不思議なほど冷静に、もう一人の自分が解答を出した。

(きっと、それが当たり前なんだ……。そうだ、それが……)

ようやく彼は、それを自分で認めた。

(恋ってヤツなんだ……)

ハールーンは視線を感じ、立ち止まった。通りの少し離れた壁際にユースフが立ち、こちらを見ていた。その視線はもうずっと自分に注がれていたようだった。彼女は憮然とした。

(チッ、女たちに紛れて行けば、わかんねーだろうと思ってたのに、ほんとに目鼻の利くやつだな……)

他の女たちはおしゃべりをしながら次第に遠ざかっていき、取り残されたハールーンは壁際から離れたユースフと二人、向かい合って立っていた。

(仕方ねえな、ちっとはサービスしてやるか)

ハールーンは再び歩き出した。歩きながら、アバーヤの前を開き、両手で頭と肩からアバーヤを外した。黒いアバーヤが翻り、一瞬、鮮やかな衣装がユースフの目に飛び込んできた。ヒムスの商人がハールーンに譲った服だ。淡い薄紅の上衣に薄紫のズボン、ブルクーと頭被いも薄紫で金の縁飾りがついている。

ハールーンはすぐに何気ない素振りでアバーヤをかぶり直し、前を合わせながら、ほうけたように見つめているユースフのすぐ横を通り過ぎていった。チリンと鳴る腕輪の音と、服に焚きしめた香の残り香が、ユースフの耳と鼻に残った。

ユースフはフラフラと後を追った。ハールーンは歩を早めて、先に行った女たちに追いつき、その後ろについて歩いていた。ユースフはその少し後ろから歩きながら、自分は何を望んでいたのだろうと考えていた。

(普通なら、男が女の素顔を垣間見て一目惚れでもしたら、その女の素顔をもっとよく見たいとか望むんだよな。でもおれ、あいつの素顔はもう充分知ってるし……)

(もうすでに知ってるものを、わざわざ隠して見せろなんて、よくよく考えたら変な望みだな……)

理屈ではまったくそのとおりだった。だが実際には、さっき見たハールーンの姿は、ユースフの心をときめかすものだった。

目を除いて他を全部隠すと、その目の美しさはひときわ映え、彼を魅了した。普段でも印象的なハールーンの大きな黒い瞳は、強い光を帯びているがゆえに、眼差しだけになって、さらに深い印象を与えていた。他の女のようにクフル*1で目の縁を染めていないが、長く濃いまつげで縁取られ、充分に引き立って見える。ユースフにとって、その目は蠱惑的ですらあった。

そして腕輪の音や残り香にも、それが恋する人のものなら、心は動くものなのだとユースフは知った。

ユースフの当初の目的――女の姿をしたハールーンを見て、彼女が女であることを実感したいということ――は、あまり満足のいく結果が得られなかった。外見はあくまで外見に過ぎない。女の姿をすれば女に見える、ただそれだけのことだった。しかしユースフはもう、そのことにはこだわっていなかった。

(たとえあいつが男で、男が女装してたとしても、おれはやっぱりあの目に、腕輪の音に、心惹かれてたんだろう……。そうだ、おれはあいつに、女だという前提で惚れたんじゃないしな。男だと信じてた時から、おれはあいつに……)

ジャーミーに着いた。女たちは浄めを済ますと、女性専用の区域に入っていき、ハールーンも女たちと一緒にそちらへ入っていった。ハールーンの後ろ姿が女たちの後ろ姿の中に消えた時、ユースフはふと、これからのことを考えた。ハールーンはもうじき去ると言う。その時自分は、彼女を忘れられるのだろうか――

(まいったな……)

ユースフは身を浄める泉水に足を向けながら、密かに苦笑いした。

(あんな姿、見るんじゃなかった。これじゃ余計、忘れようにも忘れられなくなっちまったじゃねえか……)

正午の礼拝が始まり、男も女も皆、マッカの方を向き、頭を垂れ、クルアーンを唱え、平伏した。礼拝が終わった後、ユースフはそのままそこに座り、アッラーに感謝の祈りをささげた。たとえこの後、恋の苦しみがやって来ることになっても、自分はハールーンと出会えたことに感謝していると――そして、やっぱり彼女が女であってよかったということも、後から付け加えた。

礼拝を終えた人々が、続々とジャーミーを出て行く。人の波にもまれながら、ユースフはもう一度、女たちの群れの中にハールーンを探した。しかし、たくさんのアバーヤ姿の女たちの中から、ハールーンの姿を見出すことは、もうできなかった。

(第1話 おわり)

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