再会の日、始まりの出会い
『その濁りない青に』0話から1話の間、セイネリアがシーグルと再会する話。



  【7】



 部屋に帰ってきたエルは、やけに機嫌が良さそうなセイネリアを見て嫌そうに顔を顰めた。彼が機嫌がいいには越したことがないが、機嫌が良すぎる時は大抵何かとんでもない事を思いついた時で、エルはその後始末に奔走することになる……というのがいつもの事だからだ。

「なんだ、例の貴族の坊やとの話はそんなに楽しかったのかよ」

 聞けばセイネリアは、まぁな、と返しただけだが、それが肯定だという事は付き合いの長いエルには分かる。

「気になるなら、お前も会ってみればよかったじゃないか」
「いーよ、言ったろ、俺ァ貴族様とのお上品なお食事会なんて嫌なんだよ。あれこれ気をつけねぇとって考えてるうちに折角の美味い食いモンが不味くなる」

 セイネリアはそれに喉を揺らして笑う。
 エルはため息をついて前髪を一度面倒そうに掻き上げると、勢いをつけて椅子にどっかりと座った。

「それにこっちはンな優雅にメシしてる暇もなかったしな。ったく、自分とこの新人を賭博の対象にして儲けるなんてトンでもねぇ団長様だぜ。しかも仕事は全部俺に押し付けやがってよ」

 実は団の新人とあの貴族騎士の決闘が決まった時からさっきまで、その賭けを仕切っていたエルは忙しくてのんびり食事などをとっている暇もなかった。だから好き嫌い以前に、貴族青年との食事に誘われた時の第一声は『ンな時間あるか』だったのだ。……貴族様との食事は……という理由はその次だ。

「そりゃぁ俺が仕切ったら、怖がって誰も賭けられないだろ」
「はいはい、そーだけどよ。……ったく、今回は幹部が俺だけって段階で嫌な予感はしてたぜ」
「いつもの事だろ」
「あーそうだな、いつものことだっ」

 けっと唾を飛ばしそうな勢いでエルは顔を上に上げると乱暴に足を組んだ。

「そう腐るな、お前には感謝してるぞ」
「へーへー、感謝ね。もちっと具体的な待遇ってか態度で示して貰いたいモンだがね」

 言った言葉は投げやりで、浅く椅子に座ってぐったりと背もたれに倒れ込んでいるような体勢のエルに、セイネリアは平然と聞いてきた。

「具体的というと何で示して貰いたいんだ。金か? 休暇か? それともベッドでの態度か?」

 背もたれに頭を乗せるようにして上を向いていたエルの顔がゆっくりとおりて正面を見る。嫌そうに目を細め、やたらと機嫌の良さそうなセイネリアと目が合うと呟くように言い放った。

「……いや最後のネタは笑えねぇわ。優しくしてくれっていったら優しくすんのかよあんたは」
「多少はな」

 エルは顔を手で覆った。

「まさか貴族様相手にそっちの話題出したんじゃねーだろーな。後で貴族法うんちゃらって騒がれるとか勘弁してくれよ」
「さすがに俺でもほぼ初対面の相手にその手の話題はふらないさ。真面目そうだったしな、禁酒令が出てるからと酒も出さなかったくらいだ」

 今朝まで暇だからと飲んでごろごろしていた男を思い出せば、それにはエルだって鼻で笑いたくなる。

「はっ、散々飲んだくってて今更禁酒令かよ」
「ちゃんと契約で許可されていると説明しても良かったが……大人しく規則を守っている、と見せておいた方がいいだろ?」

 それで人の悪そうな笑みを浮かべる男を見れば、エルも自然と顔が引きつる。うわこいつ騙す気満々だろ、と頭を抱え、相手の貴族様があまりこの男を信用してなければいいんだが……なんて彼の部下でありながら思ってしまったくらいだ。

 ともかく、何を考えているのか――その日からセイネリアはひたすら飲んでごろごろするのを止め、やたら上機嫌で砦の敷地内に散歩によく行くようになった。







 シーグルは基本、どこにいようと早起きである。
 もともとはシルバスピナ家に来てすぐの頃、与えられたあの広い部屋で寝ていたくなくて、明るくなったらすぐ起きて外で剣を振っていたというのがあるのだが、今ではもうクセになって明るくなっても寝ている事が出来なくなっていた。
 だから自由行動が制限されているという状況でもない限りは、空が白くなってきたらすぐ起きてとにかく剣を振る、という日課は欠かしていなかった。
 たださすがに砦内では規則として、警備の者以外は夜間は用足しや緊急連絡でしか天幕の外を出歩いてはいけない事になっていた。そして、シーグルがいつも起きる時間はまだその『夜間』に分類されてしまうのだ。
 だから目が覚めてから暫く待って、早朝の見張り交代の鐘が鳴ると同時に起きる事になる。
 シーグルが起きるとすぐ、シャレイも起きる。
 まだ寝ている者がいるから声を交わさずそうっと外に出て、少し広くなっている水場の近くまでいって剣を振る……のがここにきてからのいつもの事だったのだが。

「構わん、続けてくれ」

 このあいだの事があってからというもの、あのセイネリア・クロッセスが剣を振っている最中にやってくるようになった。
 しかも彼は特に何をするでもなくただこちらが剣を振るのを眺めているだけで、はっきり言うととてもやり難くて気まずい。

「どうせなら見てるだけでなく、貴方も少し剣を振ったらどうだ?」

 だからそう聞いたのは、見られている気まずさもだが、彼が剣を振っているのを見てみたいというシーグルの思惑もあった。

「そうだな……少し体を動かすか」

 ただ見てるだけなのは理由があるのかとも思っていたが、そう言うとあっさり彼は剣を抜いた。その剣は何かすごい業物……という事はなくごく普通の剣だったが、血抜きの溝もなく刀身も厚目で彼の背丈に合わせて長めでもある――シーグルの剣に比べると相当に重いのは確かだろう。
 それを抜いたまま片手で軽々と手首の運動のように振り回すと、少し首を左右に振って筋肉を解してからやっと左手も添えて両手で剣を持ち、構えた。
 だん、と勢いのある踏み込みと共に彼の剣が線を描く。辺りに風が起こったのを感じ、剣が止まった後に彼の黒いマントが翻った。
 速い、強い、巧い――シーグルはそれだけしか思いつけなかった。
 シーグルは腕力の低さを速さと巧さで補っているが、この男はそのシーグルでさえ速いと思うスピードに圧倒的な力と巧さが備わっている。たった一振り、しかも彼としては軽い運動程度の動きで、シーグルはこの男の強さには何があっても自分は追い付けないという事が分かってしまった。

――完璧じゃないか。

 長身に長い手足、圧倒的な筋力。その体から繰り出される剣は、どこにも隙がなく、欠点がなく、まさに非の打ちどころがないとしか言えない。今の彼の一振りならどうにかシーグルも速さだけは追い付けるかもしれないが、筋力の差が馬鹿みたいにありすぎて受けたとしても受けきれない、勝負なんて話にならないだろうと思う。

――せめてもう少し、強い体、だったら……。

 つい、そう考えてしまうのは仕方ない。食べる事が出来ないこの貧弱な体が、せめて一般男子くらい食べられてもう少し筋力と体力を備えられていたなら。そうすれば少しくらいは、彼に追いつこうと思う事が出来たかもしれない。
 シーグルの視線の先、尚もセイネリアは剣を振る。彼の踏み込みの強さは抉られる地面を見るだけでも明白で、重い筈の剣は軽々と空を舞って止まる時は少しも揺れない。彼が化け物じみた筋力を持っているという事は見ているだけでぞっとするレベルで実感出来て、シーグルは自分の中の自信がどんどん削られていくのが分かった。

――あぁ本当に、彼は最強と呼ばれるに足る人物なんだ。

 最強なんてふざけた言葉にここまで納得してしまう程彼は強い。本当に強い人間というのはこのレベルなのだと、シーグルの唇に自嘲の笑みが乗る。

 だから本当はこの後、軽く剣を合わせてみたいと、そう、言おうと思っていた言葉は結局最後までシーグルの口から出る事はなかった。







 初めてみた時から分かってはいたが、これは相当の負けず嫌いで、その為に最大限の努力をしてきた人間だ――というのをセイネリアは彼の剣を見て再確認した。

 細かい技巧だスピードだの言っても、戦闘職で強くあるならまず『力』――筋力は必須である。よく速さで補うと言うが、剣を振るスピードは腕力によるところが大きい。もちろん正確な剣のコントロールである程度までは補えるが、そちらを鍛えるよりは単純に力を付けてしまった方が手っ取り早くもある。若い男なら尚更だ。
 だが『力』をある程度以上は無理だと悟った彼の場合は技巧で補うしかなかった。歳をとって筋力ではどうにも出来なくなった老騎士と同じ道を選ぶという事は、老騎士の積み重ねた年月に負けぬ程絶えず鍛錬を重ねるしかない。この若さでこれだけの技術を掴んだのなら、それは並大抵の努力ではなかったろう。
 貴族のボンボンにしては……などと言わず、貴族でなかったとしても、この歳でここまで努力をしてきた人間はそうそうにいないだろうと思えるくらいに。

 考えれば考える程楽しくなる。セイネリアにとって彼が貴族だったなんて事はどうでもいいが、彼が自分の目を真っすぐ睨み返して話せるだけの心の強さと、不利な体をそれでも鍛えて手に入れたその能力面での強さを持っている人物であるというのが分かれば十分だ。
 彼の持つ『強さ』がどこまでのものなのか。
 努力と意地だけでどうにもならない圧倒的な力に折られた時、どうなるのか。

 考えただけで楽しくなる。こちらを見つめるあの真っすぐな瞳がどう変わるのか。

「……さすがだ。見ただけで次元が違うと思った」

 剣を収めれば、彼は剣を下してこちらを見ていた。
 その瞳に少しの羨む気持ちとそれ以上の憧憬が見て取れてセイネリアは薄く笑う。
 疑いのない澄み切った瞳に、つい自分をそんなに信用するなと、他人事のように言ってしまいたくなる。

「そう思ったなら、仕事で組んだ時は頼りにしてくれていいぞ」

 笑ってやれば、彼は目を大きく開いて顔をちょっと赤くしたから、セイネリアはその彼の頭に軽く手を置いた。

「こちらも頼りにするからな」

 深く青い瞳が細められて、彼は僅かに笑った。



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セイネリアの悪役ぶり。
 
 



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