黒い騎士と黒の剣




  【20】




 また面倒な連中が来たものだ、とクリムゾンは思った。

 それでも、彼としても、これでこのまますんなり帰れる等とは思ってはいなかったが。
 とはいえ、彼が想定していたのは、メルーが再度手を打ってくるだろうという事であるから、この状況とは少し違う。こちらが無事帰ろうとしていると知れば、必ずあの女魔法使いはどうにかしてくるだろう――だから、ここをもし脱出出来たとしても、まだあの女をどうにかしなくてはならないと、そうクリムゾンは思っていた。
 だが、その問題については、あっさりと無視していいものに変わったようだった。

「セイネリア・クロッセス殿ですね」

 魔法使いの集団の中、本人の背より高い、大きな杖を持った初老の男が前に出る。

「そうだ。お前達の用件はこの剣か」
「はい、その通りです。それ以外の用件もありますが」

 あっさり男は認めると、目を見開いてセイネリアが持ち上げた黒い剣を凝視する。

「お前達が来た、という事は、メルーはどうした?」

 剣に気を取られていた男は、それではっと気づいたように、視線をセイネリアに戻して、口元にうすら笑いを浮かべた。

「あやつは拘束しました。違反者ですので」
「つまり、俺達が行ってきたあの場所は、お前達の規則で行ってはいけない場所だった、というところか」
「その通りです」

 そのやり取りで、クリムゾンもこの状況が大体理解できた。
 つまり、メルーは魔法ギルドで禁止されていると分かっていて、人を雇ってあの場所へ行った。そこへ行ったという証拠を消す為に、雇った連中を始末しようとしたが、結局はバレてギルドに捕まった。
 となれば、ギルドの方は、あの場所の秘密を知っている残った自分達をどうにかする為にここにきた、とも考えられないか。

「それでどうする? それ以外、というのは、あの場所を知った俺達を始末する事か?」

 クリムゾンの考えた事はセイネリアも考えた事らしく、そう彼が聞けば、男はゆっくりと首を振った。

「いいえ。我等の秘密は守らねばなりませんが、その為に人を殺そうとは思いません。それに……出来ないでしょう、貴方がいる限り。ここにいる者達はギルドでもかなりの使い手ばかりですが、それでも、貴方が本当にその剣の主であるなら敵にはなりますまい。……まったく、それを結界程度で閉じ込められたと思ったのですから、あやつの愚かさには呆れるばかりですが」

 現状、彼らが現れてから今まで、男の後ろに控えている魔法使い達は何も言わず、じっと動かずにただ立っているだけだった。

 セイネリアに、魔法は一切効かない。

 もしそれを向うが分かっているとするなら、彼らがセイネリアと敵対するとは思えない。ならば、これだけの手数を連れてきた理由は何か、とクリムゾンは考える。

「そもそも、あの場所を秘密のままにしておきたかった理由の大半はその剣です。それに誰かが触れれば大参事になる、それはお分かりいただけますね?」
「あぁ、そうだな」
「ですから、あの場所が見つからないように細工して、我々はあそこを隠していた。ところが、あり得ないと思っていた、その剣を使える者が現れてしまった。……これは、我々にとって全くの想定外であり、とてつもない危険と、とてつもない好機を孕んでいます」

 先ほどまでどこか作り物めいた顔立ちだった男の顔が、頬を紅潮させ、興奮しきった顔でセイネリアを見つめていた。ただ、血走った瞳はどこか狂信者のような異常性を感じさせて、先ほどまでの顔と今の顔と、どちらのほうが人間らしいかと言われれば難しいところだったが。
 そんな相手の興奮を不快げに見ながら、セイネリアは殊更冷たく言い放った。

「言っておくが、俺はここで貴様らとぐだぐだ長話をする気はない。結局、何をしに来た?」

 魔法使いの男が、口を閉じ、表情を引き締める。
 興奮していた自分に気づいたのか、一呼吸の間を置いて自らを落ち着かせてから、彼は改めてセイネリアに向けて礼をした。

「セイネリア・クロッセス。貴方は、その手に入れた力に見合うだけの地位を手に入れようとは思いませんか?」

 セイネリアの眉が、更に不快そうに寄せられる。

「貴方がその剣を使い、その地位を手に入れる為、我々は全面的に協力すると約束しましょう。ですからかわりに、貴方も我々に協力して頂きたいのです」

 途端、セイネリアが、不機嫌な表情そのままに、喉だけで笑い声を上げる。

「なんだお前達は、俺に王にでもなれというのか? それで、魔法使いの為の世界を作れとでも?」

 男は更に頭を下げる。

「貴方に世を統べてもらいたいとは思っても、魔法使いの世界を欲しいという話ではありません。我々は現在、このクリュースという国での地位に十分に満足しています。我々が望むのは単にこのままである事だけです。ですが、他国ではまだ、魔法使いというものは忌まわしい存在だとされているところが多い。貴方がその力に相応しい地位になれば、もっと多くの我々の同胞を救う事が出来ると、それを願っているだけです」

 魔法使い達はおそらく、セイネリアが手に入れた力がどれだけのものかを分かっている。分かっているからこそ言う言葉が、彼に世を統べろと言うのなら、その力は少なくとも、敵軍一つを軽く吹き飛ばせるレベルである事は間違いない。……実際、クリムゾンはその目で見て、それを知っていた。
 最早、最強とかそういう個人レベルの能力の話ではない。
 けれども、男に倣って礼を取る大勢の魔法使い達を見下ろして、黒い騎士はこともなげに言うのだ。

 ふざけるな、と。

 富と、名声と、権力と、全てをその手に掴めるという誘惑を、迷う事を一切せずにその一言で切り捨ててしまった男は、魔法使い達を侮蔑の瞳で見下ろす。

「お前達にそんな野望があるというなら、自分達でどうにかしろ。意地汚らしく長い生に執着するくらいなら、お前達の力全部を注ぎ込めば大抵の敵はどうにか出来るだろ」
「我々は……争いで世界をどうこうしたい訳ではありません」
「それで、自分たちが表立たない分、俺に敵を打ち倒せというのか?」
「その剣の力なら……最小限の犠牲で事は果たせる筈です。大きすぎる力なら、相手を傷つけなくても勝てる事を貴方は知っている筈でしょう?」

 魔法使いの代表だろう、男の表情は強張っている。余裕をもって見下しているセイネリアの表情と比べれば、現状の立場の格付けははっきりしているというものだ。
 セイネリアは、青ざめている魔法使いの真剣な目を受け止めて、今度は口元に嘲笑を浮かべた。

「……まず、一つ前提を教えてやろう。俺はな、この剣を手に入れても嬉しくもなんともない。却って厄介なものを手に入れたと忌々しく思っているくらいだ」

 魔法使いの男の表情が更に強張る。驚愕に見開かれた瞳は、まるで信じられないものを見るように震えている。
 それを鼻で笑った黒い騎士は、殊更ゆっくりと、言い聞かせるように男に言った。

「だから、この剣を使う気はない。まぁ、あるからには使える時には使うだろうが、最初からこの剣の力をアテにして何かをする気はないし、出来れば極力使いたくない。剣というのはあくまで道具だ、道具は使うものであって使われるものではない。俺は、剣の為の木偶になる気はない」

 最高の力、最高の権力、すべてが思うままになるだけの状況を差し出されて、それに全く興味を示さない、セイネリア、という男。彼にとってはどれだけ強大な力であっても、自分自身の力で得たものでなければ価値がないのだ。
 そんな男の事を、魔法使いという、彼とはある意味一番遠い考えの人種が理解出来る筈はない、とクリムゾンは思う。
 多分、彼らよりもずっと近い生き方をしてきた筈のクリムゾンでさえ理解出来ない、あの男の事を、あんな奴らが理解出来るものかと。

――そうだ、あの男に、わざわざ権力など必要ない。
  何故なら、目に見えた権力などなくとも、あの男は既に誰も手が出せない位置にいるのだから。

 大勢の、おそらく一人一人が化け物の範疇に近い魔法使い達を冷たく見下ろす琥珀色の瞳と、堂々とした揺るがない彼の姿に、クリムゾンはぞくぞくと、今まで感じたことのない背筋から体の奥へと抜ける高揚感を感じていた。
 まるで焦がれるように彼の顔を見つめていた事を、クリムゾン本人も気づいてはいなかった。

 強くなるという事に拘っても、最強であるという地位に拘っていない男は、だからこそ恐れるものがない。地位がないからこそ、地位を手放す事を恐れる必要もなく、己の力にしか興味がないから、手に入っただけの余所の力には何の執着もない。この男にとっては、他から与えられるだけのものになどなんの価値もないのだ。

 そこで初めて、クリムゾンはこの男の事が少し理解出来た気がした。だが、理解出来たとしても、この男のようにはなれない、と即座に彼は思う。

「……我々としては、ギルドの秘密は守らねばなりません。貴方が我等と協力関係にあるのなら問題はないのです、が……」

 苦しそうに言う男の声に、やはりセイネリアは笑って返す。

「それで、協力しないなら俺をどうする気だ?」

 セイネリア自身、相手がその言葉に答えを返せない事を分かっている。分かっているからこそ聞いて、そして、相手を追い詰める。
 暫く、唇を震わせて何も言えずにいた男は、やがて途切れがちに返した。

「……ならば、約束を。あの場所の事も、剣によって貴方が知った事も、他人には言わないと」

 セイネリアは唇を皮肉げに歪めた。

「まぁ、そのくらいがお前達の妥協点だろうな。いいさ、どうせべらべらと話す気などなかったからな、秘密は秘密のままにしといてやる」

 魔法使いは僅かに安堵の息をついたが、それでもその表情は険しい。

「なら、交渉は終わりだな。……目障りだ、さっさと失せろ」

 けれども、そうセイネリアが言った途端、魔法使いは今度は視線をこちら――つまり、彼らのやりとりを見ていたクリムゾンやエル、アリエラ、サーフェス、ラスハルカの5人に向けた。

「貴方の事はそれで良くても、他の者達にはそれで済ます訳にはいきません」
「ならどうする?」

 セイネリアの声の響きは軽く、ただ興味があるから聞いてみた、というだけのように聞こえた。男も声でそう判断したのか、あっさりと思惑を口に出した。

「見習いの二人については、魔法使いに格上げという事になるでしょう。元々実力は見習いとしてかなり高い者達ですし、秘密を知る立場としては仕方ない処置です。ですがそのほかの皆さんには……記憶操作をさせて頂きます」

 アリエラとサーフェス以外の者達の間に、緊張が走る。

「ほう、それはつまり、記憶を消すという事か」
「そうです。あの場所で起こった事に関して、すべての記憶を消去させて頂きます」

 成程、この魔法使いの集団は、自分たちを逃がさない為の脅しかとクリムゾンは思う。とはいえ、勿論、大人しく記憶をくれてやる気などある筈がない。

「冗談じゃねぇ、俺は今回、どうしても忘れる訳にいかねぇ事があるんだ」

 そこで唐突に、青い髪のアッテラ神官が皆の前に出て叫んだ。

「約束する、あの場所の事も、あそこで何があったかも、絶対言わないと誓ってやる。なんなら、何かの誓約魔法を使ってくれてもいい。だが記憶を消すのだけは勘弁してくれ、俺は今回、たった一人真実を知ってるやつから死に際に大切な話を聞いてるんだ、それを忘れる訳にはいかない。それは勿論、魔法使いのあんたらとは関係ない、俺の個人的な話だ、だから……」

 けれども、魔法使いの表情は変わる事はない。

「駄目です。これはギルド内で決められた処置です。記憶に残っていれば、本人が黙っていたとしても読み取られる可能性があります。ならば消すしかありません。貴方達にとってもそれだけで完全に解放されるのですから、悪い話ではないと思いますが」
「ならっ、その話を聞いたその部分だけ残してもらう事って事は……」
「出来ません、貴方達がここへ来た時から、この時点までをすべて忘れて頂きます」

 男は言って片手を上げる。後ろに控える魔法使いたちが一斉にこちらを見る。
 見られた者達は自然武器を構え、抵抗の意志を魔法使い達に示す。
 エルは勿論、クリムゾンも自分の記憶を消されるといわれて黙って従う気はない。自分の範囲外の相手であり、戦い方が難しくはあっても、そんな勝手な処置を押し付けようとした事を後悔するくらいの目には合わせてやるつもりだった。

 だが、どちらが先に動くのかと、緊張を続けていたその二者の間に、黒一色に身を包んだ騎士の姿が割り込んでくる。優雅とも取れる程ゆっくりと、彼は見せつけるように歩いてくると、殊更派手にマントを翻して、魔法使い達に向き直った。
 それで明らかに、魔法使い側に動揺が走る。

「……庇うという事ですか。貴方は、他人がどうなろうと気にするような方ではないと思っていましたが」
「あぁ、確かにどうでもいい」

 緊張を纏う両者の間で、セイネリアはわざと緊張感のない軽い声で答える。その口元には、笑みさえ浮かんでいた。

「ただな、お前達のやり方は気に入らない。だから、強引にでもお前達がこいつらの記憶を消すというなら、こっちについてやるかと思ってな」
「……我々は、貴方と敵対する気はない」

 苦し気に顔を顰めて、魔法使いの男はセイネリアを見る。

「だろうな、俺と敵対しても、お前達にいい事なぞ一つもない」

 普通に立っていても、身長的に見下ろす事になる黒い騎士は、鞘に納まったままの黒い剣を、肩に担ぐようにして笑う。

「一般人に、我々の秘密を知られる訳にはいかないのです」

 トントンと、肩を叩くように扱われているその剣を見つめながら、怯えるような顔で、魔法使いはセイネリアに言う。セイネリアは嘲笑の笑みを顔に浮かべたまま、彼らを見下ろす。

「秘密、といっても、あの場所が何なのかを正確にこいつらは分かっていない。剣に関しては俺が持っている段階で意味がない。つまり、秘密といっても大した事は知らない訳だ。それにどうせ、あの場所の周辺の細工も全部やり直すんだろ。なら、こいつらが再びあの場所へ行こうとしても行けないし、誰かが頭を覗いたとしても同じだ。記憶消去までやる必要はないな」
「しかしっ……」

 けれど、それでも反論しようとしていた男は、セイネリアが黒い剣を抜こうとするのを見て、驚いて後ろへと下がった。

「俺とは敵対する気はないんだろ? なら、諦めろ」

 セイネリアの声には、まるで重みがない。だがだからこそ、彼らを敵に回してもまったく構わないというのが分かる。魔法使い側にとっては相当の覚悟がいるだろうそれを、彼にしてみれば何でもないことだと態度で示しているのだ。

「失せろ。ヘタな小細工をすれば、いつでも俺はお前らの敵になってやる」

 剣を抜くふりだけをしてまた下したセイネリアは、笑いながら怯えて腰の引けている魔法使い達を見る。

 ――だから結局、魔法使い達は言われた通り、そこで大人しく引き下がるしかなかった。




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これで一通り問題は解決。後はいろいろそれぞれの行き先のお話を書いて終了予定です。


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