賢者の森
<プロローグ・メイヤの章>





  【2】




「まず言っとくが、俺は弟子は取らない主義だ」

 開口一番そう言った彼は、その綺麗な緑色の瞳に出来るだけの凄みを利かせてメイヤを睨んだ。
 しかし、そのくらいで折れる程、メイヤの決心は軽いものではなかった。

「では主義を変えてください」

 けろりと、笑顔さえ浮かべてそう言ったメイヤに、ティーダのほうが頭を抱えた。
 メイヤとしては彼に再び会えるかどうかが一番の難関だったのだ、そこがクリア出来た時点で、後は何があって引き下がるだけと肝は据わっていた。

「簡単に言うな。そもそもお前は魔法使いになるというのがどういう事なのか……」
「前に魔法使いに適正を見てもらった事はあります。目指したいならぎりぎり及第点って言われました。素質がない訳じゃない筈です」

 ティーダはその緑色の眼を細めて、じっとメイヤの顔を見る。
 彼が魔法使いなら、その人物が持つ魔力の見極めは容易い筈だった。
 ティーダは溜め息をつく。

「……確かに素質がねーって程じゃないが、本当にぎりぎりだぞ、お前。いいか、魔法使いってのは目指した奴が皆成れるようなモンじゃねーんだ。むしろ成れるのが一握り、大抵は見習い止まりで終わっちまう。お前みたいなギリギリの素質の奴が目指すのはかなーーーり厳しい」

 けれどメイヤの笑顔は揺るがない。

「それくらい知ってます。でも、俺が聞いた魔法使いの話では、魔力素質だけが魔法使いになる条件じゃないって事でした。俺、がんばりますから。努力だけは出来る自信があります」

 ティーダは頭を押さえてメイヤから視線を外す。
 メイヤはじっとその彼の顔を見ていた。
 5年前と今と、記憶した限りでは目の前の彼は変わっているところがない。いくら子供に比べて大人の方が外見の変化が少ないと言っても、当時の彼からすれば今の彼には皺の一つ、肌のハリ、どこか微妙に年齢分の変化が現れている筈だった。
 それがないという事が何を表すのか、それが分からないメイヤではない。子供の時のように妖精だなんて言う考えもない。魔法使いについても、あれからかなり勉強して調べていたというのもある。

「……まぁ、魔法使い目指すのを止める権利は俺にはねー。でもな、何で俺のとこに来たんだ」

 そこから導き出された結論。
 彼は、きっと、見た目通りの年齢ではない。
 彼は、きっと、メイヤがあの時思った以上に長い間ここに一人でいるのだ。
 5年ぶりに会った彼を見た途端それを確信したメイヤは、だが少しも驚かなかった。寂しそうなあの時の彼を見た時から、それは何処かで予想していた事だったから。

「俺は貴方の弟子になりたいんです。貴方以外の弟子になる気はありません」

 ティーダは眼を丸く開いてメイヤの顔を見る。
 彼は口は悪いものの、人を突き放せるような人物ではない事は、あの時から変わっていない。そうであれば、押し通せる自信がメイヤにはあった。
 ティーダが再び溜め息をついて、今度は眼を細めて真剣な声で聞いてくる。

「……もし、俺が出てこなかったらどうする気だったんだ。もしくは、ここで俺がお前を無視して消えたら?」
「俺はずっと待つつもりでした。そうですね、待ちきれなくなったら森の中に入って行ったかもしれませんが」
「馬鹿言え、ここに入って一旦迷ったら出て来れなくなるんだぞ」

 賢者の森は、人間が入ってはいけない場所だ。
 誰も入らないから、人が通るべき道はない。
 さらに聞いた話では、中は特殊な空間というか結界に守られていて、殆どの魔法道具が無効になる。方向を調べる為の道具さえ役に立たないらしい。
 入ってはいけないというのは、禁忌だというだけではなく、中に入ったら生きて出られないかもしれないという警告を込めているのだと。

「まぁ、出て来れなくてもあの時とは違ってすぐに死ぬ事はないでしょうし、貴方がじれて出てくるまでは森を迷っているでしょうね」
「それで、そのままのたれ死ぬ事になってもか」
「それでも、死ぬ前には出てきてくれると信じてました」

 け、とティーダが顔に似合わない下品な動作で地面に唾を吐く。
 メイヤはそれに肩を軽く竦めて見せたものの、やはり顔の笑顔を崩す事はなかった。

「なんつー頑固モンだ」
「そう思ったのなら諦めてください」
「あのなぁ……」

 再びティーダは頭を抱える。
 思ったよりも手強いかな、と思ったメイヤは、だから少し、話の方向性を変える事にした。

「では、とりあえず試しで少しの間だけ弟子にしてください。その間に、俺が魔法使いになるのは無理だって諦めさせてくれたなら帰ります。でも俺に素質ありって思うなら弟子にしてくださいね」

 ティーダは恨みがましそうにメイヤをじとりと見て、深く息を吐きながらも、諦めたように呟いた。

「……お前、ソレを俺が断るとかは思ってないんだろ」
「はい。断ってくれてもかまいませんが、そうしたらまた貴方が出てくるまで俺はここにいるだけですから」

 次にティーダが顔を上げた時には、メイヤは小さな勝利を確信した。

「わあったよ、ちょっとの間だけ面倒見てやる」








 面倒を見てやる、とティーダは言ったが、面倒を見ているのはどう考えても自分の方ではないだろうか、とメイヤは思う。
 魔法使いの朝は遅い、が、メイヤの朝は早い。
 家の前の掃除が終わって、太陽の位置を確かめたメイヤは、そろそろかと嬉しそうに家の中へ入り、上掛けをぐちゃぐちゃにして眠っている師の傍で大きく息を吸い込んだ。

「おはよーございますっ」

 大きすぎない声で、それでも声を張り上げて言えば、返って来るのは何時も通りの唸り声。それから数度彼は寝返りをうって、2、3度また唸った後にやっと上掛けから顔を出す。

「相変わらず元気だな……お前」

 綺麗な黒髪はぐしゃぐしゃで、宝石みたいな緑色の瞳は半開き。いつでも偉そうな彼のそんな姿を見れるのは、メイヤにとって早起きと朝の仕事を入れても十分にお釣りがくるだけの価値があった。

「食事は出来てますよ。水も汲んできてありますので、顔を洗ったら着替えて来て下さいね」

 彼が起きたことを確認すると、いそいそと竈の傍に行き、お茶の準備を始める。やはり目覚めのお茶は少しすーっとするハーブを入れるべきかな、と葉の配分を考えて、それからお湯を注ぐ。蒸らして、カップに入れる頃には、丁度着替えが終わったティーダがやってきて、彼は食卓に目を配せると自分の席に座った。
 そんな彼の前にお茶を置いて、メイヤも自分の席に座る。

「いただきます」

 言うとすぐ食べ始めるティーダ。
 メイヤは、食前の祈りを軽く唱えてから、ティーダに少し遅れて食べ始める。
 食事中は基本喋らない。それはメイヤが親からそう教えられているからだ。だから、食事中に話し掛けてくるのはまず大抵ティーダからだった。

「うげ、なんだこれ苦いぞ」
「コウレシン草です。体にいいんですよ」
「体にいいってもンな不味いモン食ってまで体を気にするこたねーよ」
「特に、アルコールを呑んだ次の日の胃のむかつきにいいそうです。昨夜は少し呑み過ぎたでしょう」

 と、いう会話の後にはしぶしぶ食べるのだから、それには内心メイヤも笑ってしまいたくなる。
 彼の大雑把でずぼらな生活は、5年経った今でもメイヤの予想通り変わっていなかった。
 食事はよく抜く、食べるとしても料理と言えるほど手を掛ける事はなく、服は皺だらけで、部屋の中はぐちゃぐちゃ。剣に生きる者としてまず自分自身を律する事、と何時も言っていたメイヤの父親がこんな人物を見たら、説教どころか怒りで血管を切って倒れ込みそうだと思う。

 ただ言い方を変えれば、そういう人物だからこそつけ入る隙がある、とメイヤは思っている。

 弟子にしてくれるかどうかは置いておいても、この手の面倒臭がりな人物というのは、楽をさせれば簡単に依存してくれる。そして人間というのは、一度楽を覚えるとそう簡単に元に戻れないものなのだ。
 食事も洗濯も掃除も黙っていてもやってくれる生活というのは、一度慣れたらそうそう戻りたくないと思ってしまうものだ、というのは怪我をして家事全般を変わりにメイヤがやった時の母親の言葉である。

 そしてメイヤのその思惑は、現在のところ半分成功していると言ってもいい。

 最初のうちはメイヤが勝手にあれこれするのを文句を言っていたティーダだったが、来てたった3日で、彼はメイヤがやる事に口を出さなくなった。それどころか、時間になれば食事が出てきて、散らかしても片付けてあって、言うだけで荷物が運ばれるというのを当然のように受け止めるようになってきていた。

 ――まぁこの分なら、弟子、にはなれなかったとしても雑用係りくらいにはなれるだろう。

 実際のところ、メイヤとしては本当に魔法使いになりたいのかと言われると微妙なところだった。
 子供の頃から剣を振るい、剣士や騎士になるのだと思っていたところからそう簡単に切り替えられるものでもない。正直な話、剣士として冒険者になり、その道で上を目指してみたいという思いが完全に捨てきれた訳ではない。更に言えば、魔法使いとなった自分を想像するよりはまだそっちの方が現実味がある気がするくらいだ。
 しかも、ここにきて既に1週間を越えたものの、魔法の触り程度の事もティーダは教えてくれはしない。無理やり押しかけたのだから仕方ないか、という思いと、一番の目的が彼の傍にいる事だから現状で満足してしまっているというのもあって、それを不満には感じていなかった。

 まずは彼の傍にいる事。

 それが大きなハードルだった所為で、そこから先まであまり考えていなかったと、メイヤは今更ながらに自覚していたりする。

「ちょっと聞きたいんだけどな……」

 だからその日、食後のお茶をいれている最中に唐突にティーダが聞いて来た事は、現状から一歩進む為にはメイヤにとって嬉しい足掛かりだった。

「お前さ、魔法使いの魔法使ってみようと思った事ある?」
「ありません」

 きっぱりと即答した答えはティーダの予想通りだったようで、別段彼は落胆したような様子は見せない。

「んじゃ、お前ン家なら神様はアッテラだろ、何か使える神殿魔法は?」
「治癒と、一時的な筋力、視力と聴力の向上ですね」
「まぁ定番だな。んじゃま魔法自体は使った事はある、と」

 納得したように何か考え込むティーダだが、メイヤにはこの時点で疑問がある。

「何で俺の家だとアッテラ教だって分かったんですか?」

 ティーダはその時、明らかに失敗したという顔をした。つまり、彼がバラしたくない何かが関わっているのだろう。
 それ以上追求するかどうや悩むメイヤに対して、だがティーダはすぐに表情を切り替えて、動揺の気配を綺麗に消した。

「クルス・フィールのパララテスっていや、この辺じゃ有名な剣士の家だ。周辺の村から剣を習いにきた弟子がうろうろしてるような家だろ、そこがアッテラを信奉してるなんて普通に知られてる話だ」
「まぁ、そうですけどね……」

 ならば何故、最初に彼はうろたえたのか。
 そこは気になったものの、まだ焦ってあれこれ聞く時期ではないと思いとどまる。

「まぁそんな事より、お前がここに来て一週間過ぎた訳だけどな。まぁ実際、どんな風にお前がここでやっているのかこんとこずっと俺も見てた訳だ」

 これには少しメイヤは驚いた。
 ずっとやりたいようにやらせて放置していただけだだと思っていた分、それを見られていたというのは、恥ずかしい反面、嬉しくもあった。
 テスト結果を聞く生徒のように、緊張してティーダを見ているメイヤに、彼は少し眉を寄せて難しい顔で咳払いをして見せた。

「お前、本気でちゃんと親父さんのとこで修行終わらせてから来てんだな……、ったく、追い出す理由が減ったじゃねぇか」

 メイヤはひきつった笑いを返す。

「そりゃぁ、そうでないと父さんは家を出してくれませんから」

 どうやら、顰めた難しい顔はただの不機嫌に不貞腐れた顔だったらしい。

「俺は優しくなんかないからな、ここで生活するのに最小限の事しか教えなかった。そんでお前がネを上げるか見て来た訳だが、大きい事言っただけあってまぁ可愛げがないくらいちゃんと躾られてるな、お前」

 一応誉めてくれているらしい、とメイヤは思うと、こっそりと心の中で父親に感謝した。

「だからな、とりあえず魔法使いを目指す以前の問題の方はクリアだ、そこは認めてやる。……だから、今日からはちっと魔法の方の手ほどきをしてやる事にした」
「本当ですか?!」

 そう言って顔一杯に笑顔を浮かべたメイヤを、ティーダは苦笑いをしてみると大きく溜め息をついた。

「ったく、本当に小憎らしいガキだな、お前。そういう時にはちゃんと年齢相応の可愛い顔しやがって」

 せめて、本当にまったく可愛げがなければ追い出せたのにさ……という呟きを、メイヤは聞いたが聞かない振りをする事にした。





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