賢者の森
<プロローグ・メイヤの章>





  【1】




 メイヤは困っていた。

 ここは何処だろう。
 右も左も木しか見えない。
 地面は枯葉が大量に積もり、ちょっと歩けば子供のメイヤの腰まで埋まる。
 所々倒木や穴もあるから、歩いてどこかにいく前に、どこかに埋まってしまいそうだ。

 ――だからこそ、助かったのだとは思うが。

 ほんの数時間前までは、メイヤは馴染みの草原でうさぎを追いかけていた。
 ところが、その獲物のうさぎを空から横取りしようと、大きな鳥が降りてきた。
 代々剣士の家系で小さい頃から剣を持たされてきたメイヤは、子供ながらも負けてなるものかと果敢に大鳥に挑みかかり、見事追い払った……と思ったらその鳥に掴まれて空の上にいた。
 自分が獲物になるとは思わなかったメイヤは、目の眩む空の上で、とにかく暴れた。
 必死で暴れて、剣を振り回して、見事大鳥から逃げ出す事に成功した。
 だが、もちろん、空から逃げ出すということは、落ちるという事で。
 運よく密集した木の枝が折り重なるところに落ちて、更に運がよくそこから枯葉の積もった地面に落ちた。

「助かった……のが奇跡だよなぁ」

 だが、運が良くなかったのは、落ちた場所がまったくメイヤの知らない森の中だったという事だ。
 普段、村の傍にある森は、たびたび人が入っているだけあって、そこここに歩き易くなった道のようになっているところがある。森の中で迷っていても余程奥に入りこまない限りは、人の足取りを見つけられればどうにか外に出られるようになっているものだ。
 ところが、この森には人が入った跡が見えない。
 余程森の奥地にきたか、はたまたまったく知らない森なのか、メイヤはその場に座りこんだまま考えた。
 が、分かる訳はない。
 せめて、空の上で現在位置を確認できる風景でも見ておけばよかったのだが、あの時のメイヤはとにかく暴れる事で必死だった。

「どこだろう……」

 じっと木々を見つめても、どうにかなるものではない。
 それでもとにかく周りを見渡していれば、大型の動物が木に残した爪あととか、真っ黒な鳥がギャァギャァと騒いでいるところとか、積もった枯葉の下でガサガサなにかいう音だとか……不安になるものばかりを見つけてしまう。

 怖くない、怖くない。

 不安になってくる自分にいい聞かせて、メイヤは胸を抑えて自分の鼓動の速さを確かめる。
 小さい頃から剣を持って、父親に勇敢に戦う事を教え込まれてはいても、メイヤはまだ冒険者登録さえ出来ない子供だった。この状況で不安にならない筈はなかった。
 一度不安を感じてしまえば、それはどんどん膨らんで、涙が出そうになってくる。

「くそ、怖くないっ。ないったらない。化け物が出たって倒せばいいんだっ」

 叫んだ途端、その音に驚いた鳥達が一斉に飛び立つ音に、メイヤは悲鳴をあげて身を屈めた。
 誰もいない森の中は、獣の気配しかしない。
 落ちたときにぶつけたあちこちが痛む。
 空は少しづつ暗くなってくる。
 どうにか強がっていたメイヤだったが、子供の彼にはとうとう限界が訪れてしまった。

「誰かーー。ねぇ、誰か返事してよー」

 もう涙を我慢する事もできず、メイヤは大声で泣き出した。
 泣いて泣いて、声の限りに叫んでも、人の入った跡のない森から返事が返される事はない。その間にもあたりは更に暗くなっていくし、泣いた所為もあってお腹がすいてくる。

 ――俺きっとここで死ぬんだ。

 もう涙さえ枯れかけて、メイヤはしゃくりあげながらうずくまっていた。

「おい、ガキ。何やってんだお前」

 最初メイヤは、その声が空耳かと思った。
 なにせ声がする前に、人が近づいてきた気配がなかったので。
 けれども、そっと顔を上げてみれば、少し離れた倒木の上に、白いローブを羽織った黒い髪の青年が座っているのを見つけた。

 ――この人、魔法使いだ。

 手に持つ杖は魔法使いの印。
 そしてそうであるなら、気配をさせないでやってきたのも理解できた。
 メイヤはまだしゃくりあげながらも、ほっとした笑顔を浮かべて立ち上がった。

「俺っ、鳥に掴まれてっ、そんで、落ちたらここでっ」
「あー、分かった分かった、いわゆる迷子だな。しっかたねぇなぁ」

 ぼりぼりと頭を掻いて、その人物は杖を掲げる。
 そうすれば、メイヤの前から彼のところまで、地面に光る道のようなものが出来た。

「おいガキ、その道の通りに歩いてついてこい」

 そういって魔法使いの青年も立ち上がると、メイヤを振り向きもせずにスタスタと歩きだす。メイヤは急いで、置いていかれないように走り出した。
 滑るように歩くその人物は、ゆっくりとした足取りの筈なのに、走っても走ってもメイヤは追いつけない。でもここで置いていかれたらと思うと、必死でメイヤは走るしかなかった。
 息を切らして走って、そこでメイヤは不思議なことに気が付いた。
 光る道は、メイヤが走り抜けると光を失ってただの地面になる。逆に前をみれば、魔法使いの青年が歩くと、その数歩先に道が出来た。マトモに歩ける筈ない地面なのに、光の道の上では足が沈まず普通に走れる。
 物心ついたときからメイヤは剣をもたされて、両親も兄弟も皆剣士で、知り合いもやっぱり剣の道を行く人々が多かった。はやい話、メイヤにとって魔法使いというのは、村にいるちょっと物知りなじいさん程度の認識しかなく、本物の魔法を見たのはこれが初めてだったのだ。

「おいガキ、足を止めるな、置いてくぞ」

 いわれてメイヤは急いでまた走り始める。
 そうして、ひたすら走って、メイヤは突然何かにぶつかって止まった。

「いったぁ」

 倒れた後にどうにか起き上がれば、白いローブの青年がじっと立っている。
 白いローブのイメージが強かったが、どうやらローブの下は黒い服のようで、黒い髪とあわせて傍で見ると彼のイメージは黒だった。黒い髪に真白な肌、そして緑色の宝石のような瞳が、じっとメイヤを見下ろしていた。
 メイヤが見た、どんな綺麗な人物よりも綺麗なその青年は、深い森の中に住む、伝説の妖精のように思えた。

「もう日が落ちるから今日はウチに置いてやる。連絡はしといたから、明日には迎えが来るだろう。ほらこい、腹へってんだろ」

 青年の容姿に見とれて気付かなかったが、彼が指差す場所には小さな小屋があった。まるで周りの木々がその小屋を取り囲むように捻じ曲がり小屋の上を覆っていて、昔絵本でみた妖精の家のようだった。

 ――やっぱり、この人は妖精の魔法使いなんだ。

 メイヤがそう思っても、所詮子供、仕方が無い。
 その青年は、今度はドカドカと家の前に歩いていくと、ガンっと音をさせて小屋のドアを蹴った。その勢いに反してドアはゆっくりと開いたものの、妖精の優雅なイメージを壊されて、メイヤはぽかんと口を開ける。

「おら、入るぞガキ、メシ食うぞ。……っていってもロクなのねーからな、贅沢いうなよ。いったらたたきだすからな」

 綺麗なのに、綺麗なのに――口の悪さも態度のガサツさも、メイヤが知っている剣士達の数倍悪い。
 なんだかガッカリしたメイヤだが、助けてもらった以上文句をいう訳にもいかない。
 彼は家の中に入ると、コンコンと家のあちこちを叩いて回る。そうすれば叩いた場所が青白く光りだし、部屋の中は明るくなる。

「そこ座ってろ、今メシ出してやっから」

 黙って指示されたところに座っていれば、出てくる料理は真っ黒に焦げたイモリの丸焼きに、木の実がごろごろ、茹でたイモが少々。トドメのように水が入ったコップがでんっと置かれて、メイヤはさすがに顔を引きつらせた。
 別に、質素な食事に文句がある訳ではない。
 ただ、もしかしてこの綺麗な人は、普段からこんな食事を食べているのだろうか、というのが気になったのだ。

「あの……すいません」
「なんだ?」

 茹でたイモを手で掴んで食べてはその手を舐めて、傍にあったコップの中身を呷る。礼儀や作法に煩いメイヤの父親など、こんな態度の人間をみたら説教で済むどころの話ではない。というか綺麗な顔をしているのにそんな姿を見ると、なんだか夢を壊された気分だとメイヤは思った。

「いつもこんな食事をしているんですか?」

 いえば青年は、眉を寄せて、音を立てて手に持っていたコップをテーブルの上に置いた。

「おいガキ、食いモンに文句はいうなっていったよな」

 最初の憧れから大分冷めてきたメイヤは、落ち着いてきていつもの調子が戻ってきた。

「俺は文句はいいませんよ。ただ、毎回こんな食事をしていると、貴方の体に良くないと思っただけです」

 すましてそういいながら、メイヤは黒コゲのイモリを噛み千切った。噛み砕けばやはりそれは苦くて、焦げた物ってだけで体によくないんじゃないかと考える。
 メイヤがイモリの丸焼きと格闘する様子をじっと見ていた青年は、少しだけ口元に笑みを浮かべて、コップに壷から何かをすくって入れた。あぁ多分あの中身は酒だな、とメイヤは思う。

「お前、ちょっとおもしろいな。まぁ、心配するな。そのイモリは特別な薬草でわざと焦げるように焼いてる薬みたいなもんだ。あとはまぁ、腹が膨れればいいかな程度のおまけだ。……昔はいろいろ作ったりもしたんだがな、今はもう面倒で料理なんて長くやってねー。食事自体、しなきゃなんねーもんでもないしな……」

 いいながら、僅かに頬を酔いに赤くして、彼は緑色の瞳でコップの中を見つめる。緑の瞳は、部屋のぼんやりとした明かりを映してキラキラと美しかったけれど、青白い光に浮かぶその顔はとても寂しそうだった。

「ずっと、一人でここに住んでるんですか?」

 声を掛けられた事に気付いた青年は、メイヤを見る。

「まぁな。たまに人はくるけど、基本は一人だな」

 静かに座っていれば、本当にこの黒髪の青年は綺麗だと思う。
 寂しそうな彼の顔を見ていると、メイヤの胸がつきりと痛んだ。

「寂しく、ないですか?」

 緑の目は、静かに伏せられる。

「どうかな……もう忘れたよ」

 メイヤは、その時の彼の顔を忘れることができなかった。






 朝になって、なんだかやたらと立派な格好をした男が迎えだといって小屋にやってきた。所々に宝石のついた装身具をつけ、豪華な刺繍入りだが裾の長いローブに杖をもったその姿は、彼も魔法使いなのだと分かる。

「で、迷子君、君の名前と住んでるところは?」

 派手な格好に更に派手な金髪をしたその人物は、腰を曲げて視線を合わせると、メイヤをじっと見つめてくる。瞳の色は灰青だが、その顔の上半分は金細工の仮面に隠れていて、ハッキリと表情はわからない。

「メイヤ・パララテスです。クルス・フィール村に住んでいます」
「なるほど、クルス・フィール村ね」

 男は背を伸ばす。
 それから、メイヤの頭に手を乗せて引き寄せた。

「あそこならポイントで傍まで飛べるな。仕方ない、このクノーム様が直々に連れて行ってやろう」

 そういって腕を組む男の頭を、メイヤを助けてくれた魔法使いの青年は杖で軽く叩いた。

「だからお前を呼んだんだよ。ケチケチしないでそんくらい働け、国民のために働くのがお前の仕事だろーが」
「なんだティーダ、折角呼び出してくれたから、俺はてっきり一人寝が寂しくなったのかと……」

 いいながら、すかさず青年の傍に顔を近づけようとした仮面の男は、再びごつりと、今度は先ほどよりも痛そうな音をさせて杖で殴られた。

「ガキの前でいう話じゃねーよ」

 その時のメイヤが話の意味を分からなかったのは、ある意味幸せだったのかもしれない。

 仮面の男は、メイヤの手をとって呪文を唱えだす。
 杖がぼんやりとした光を放ち、周りの風景がぼやける。
 完全に今居た風景が消える直前、振り返ったメイヤは、笑顔で手を振るあの青年魔法使いの姿を見た。
 その顔が僅かに寂しそうに見えたのは、間違いではなかったと思う。

 風景が完全にぐにゃりとつぶれ、再び明るくなった時、メイヤの周りには森が広がっていた。
 ただし、先ほどまでと違って森の中ではなく、そこは森の入り口だった。
 ここならば、メイヤにも見覚えがあった。

「あ……賢者の森?」

 昔の偉い賢者様が何かを封じた場所だとかいう事で、そこには入ってはいけないと、メイヤは小さい時から教えられていた。住んでいたクルス・フィール村からもそんなに離れてはいない場所だ。

「あの人は、もしかして賢者の森に住んでるんですか?」
「まぁ、そうだ」
「森の管理人?」
「そうだな、そういうものだ。よし、メイヤ、ここからなら一人で帰れるな。俺は村人の前に顔出す訳にはいかなくてな」

 それにはこくりとメイヤは頷く。
 けれどこの男には、まだ聞きたいことがメイヤにはあった。

「あの人は、ずっと一人で暮らしているんですか?」

 男は暫くメイヤの顔を見て、それから溜め息をつくとその頭を撫ぜてきた。

「まぁ、そうするしかないからな。今までも、これからも……」

 仮面の男はメイヤに別れを告げると、ここへ来たときと似た呪文をまた唱えて姿を消した。メイヤは家に帰ったが、厳格な父にはもちろんかなり怒られて、その後暫くは村の外に出る事さえできなかった。
 やっと外に出る許可が出た後、メイヤは再び賢者の森の入り口まで行き、中には入らなかったものの、森をずっと見つめていた。
 その後も、メイヤは何度も何度も森を見にいって、そして何時の頃からか、ある決心を固めていた。




 それから、5年後。




 冒険者登録を済まし、家を出て修行してくるといったメイヤは、親や兄弟に見送られ、故郷の村を後にした。
 けれど、首都へ続く街道に向かっていたその足は、途中から逸れて森の中を進んでいく。見慣れたいつもの森を抜ければ、開けた丘とその向こうに、何度も入り口だけを見て帰っていた賢者の森の入り口が見える。
 メイヤは森の前に出ると、出来るだけ大声で森に向かって叫んだ。

「おーい、ティーダさーん、聞こえてますかー? 昔助けてもらったメイヤ・パララテスですー。お願いがあるんです、出てきてくださいー」

 いってから、メイヤはその場に座りこんだ。
 じっと、森を見つめたまま、その場で待つ。
 時間が経てば、高いところにあった太陽もずっと下に下りてきて、辺りはオレンジ色に染まりだす。もうすぐ獣たちの時間になるが、あの時と違って今のメイヤには怖くなかった。彼が出てくるまで、例え何日掛かっても待っているつもりだった。
 果たして――。
 まだ微かに光を残す空に、早い月が見えはじめた頃。ざわざわと森の木々が揺れると、そこには前に見たときとまったく違わない姿で、綺麗な黒髪の魔法使いが立っていた。
 不機嫌そうに立っているティーダに、メイヤは精一杯の笑顔でいった。

「俺、魔法使いになることにしたんです。ですから、弟子にしてください」





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