賢者の森
<プロローグ・メイヤの章>





  【3】




 賢者の森は、他に人間が入ってこない所為もあって昼でも空は木々の枝や葉に覆われて薄暗い。地面の方は積もった枯れ葉で完全に埋め尽くされ、多少なら高い位置から落ちてもクッションになってくれる反面、足を入れればずぼりと足が埋もれて森の中を歩き回るのさえ困難だ。
 そんな、薄暗い森の中、唯一土の地面が見えるところまで踏みしめられている家の前で、ティーダは杖で地面に文字を書きながら話をしていた。

「……っていうのが、とりあえず魔法の理論だ」
「……はぁ」

 まず習う前に、と一通り理論を話してくれたティーダだったが、これまで魔法使いの勉強などした事がないメイヤがそれを理解出来る筈はなかった。
 だから。

「と言っても、まぁ、理解出来ねーと思うけどな。ただ、理解出来なくても、どこらへんが分からないかくらいは何となく分かってるんだろ。後は実技で感覚を覚えながら理解しろ」

 そう言って、ティーダはメイヤに何かを投げた。
 思わず受け取ったメイヤは、それを見て首を傾げた。
 それは、金色の綺麗な装飾が施された腕輪だった。宝石が埋め込まれたそれは見た目から高価そうではあったが、それがこの腕輪の価値ではない事はメイヤでも分かった。

「魔法、篭ってますね、これ」
「マトモな魔法使った事ない上に素養がギリギリのお前じゃ、イキナリ使ってみろって言っても感覚掴めねーだろ。神殿魔法みたいに手順踏めば誰でも使えるってモンじゃねーからな。だからそれでサポートだ、そいつつけてりゃ溢れる魔力で嫌でも魔法が使える。まずはそれで魔法を使う感覚と、制御する感覚を作れ」
「そういわれても、何をすれば……」

 困惑して師の顔を見返せば、彼は腕を指さしてメイヤにその腕輪をつけるように指示をする。
 仕方なく考えた末にメイヤは、そっと、慎重にその腕輪を腕にはめた。なにせ、魔法が篭ったものというのは、それ自体の扱いがえらく大変なものであるらしい、というくらいは聞いた事があったので、まさにおそるおそるといった感じであったのだが。

 ――つけた途端に、メイヤはその意味を理解する事になった。

 腕が、熱い。
 しかも、それが腕だけに止まらず、腕から生じた熱が溢れるように体に伝ってきてすぐに体中が熱くなってくる。熱くて熱くて、熱を放出したいのに出せない、そんなもどかしい感覚。
 だからどうすればいいのだと、ティーダに助けを視線で求めたメイヤだったが、彼は特別驚いた様子も見せずに、のんびりと杖で地面に文字を書き出す。

「おい、そこの木を指さして、この呪文を言って見ろ」

 熱さで頭までもが少し朦朧としてきながらも、メイヤは言われた通りに木を指さして呪文を叫んだ。

「セイレース、アガリア、シグトッ。火を構成する者達よ、この手に集まりこの手から生まれよ」

 途端。
 指さしたその指先から光が弾けたかと思うと、その光が赤い炎となって燃え上がる。しかも、体中に溜まっていた熱が一気に放出されたらしく、炎が弾けた途端腕に熱さが集まって、腕を抑え、足がガクリと膝をついた。
 さすがに大抵の事は覚悟が出来ていたメイヤも、この初めての感覚にどう対処すればいいのか分からず、助けを求めるように師を見上げるしかない。
 そしてティーダと言えば。

「だいじょーぶか?」

 笑い声と共に、まったく心配しているように見えない様子でそう言ってくるのだから、メイヤの瞳は恨みがましく細められる。

「いやまぁ怒るな、ちぃっとスカしたガキが思った通りに困ってたんでついな」
「スカしてて悪かったですね」
「まー、初っ端に、デキが良すぎて可愛げがない弟子の鼻をくじいとくのは師匠の役目だろ?」
「あなたのその考え方の方が可愛げないと思いますよ」
「ったく、本当に口減らねぇガキだなぁ、俺はもう可愛いって言葉が似合うような歳じゃねぇからいいんだよ」

 ――確かに可愛いは似合わないかもしれませんが、あなたは外見だけなら、綺麗という言葉は似合いますよ。

 こっそり心で呟きながら、メイヤは溜め息を付く。
 どちらにしろ、年長者に逆らうのは適度なところで止めておくべきだというのは、昔から家で躾られているところだ。
 メイヤが反論を諦めたのを見たティーダは、笑い声を収めると手を差し伸べてくる。それで全て許せてしまうのだから、自分もお手軽な性格だとメイヤは我ながら思う。

「まぁ、今ので感覚は分かったろ、それが魔法が自分から放出されるって感覚だ。そんじゃま、最初はとにかく俺の言う通りの呪文を言ってみろ、そんでとにかく魔法使ってみるんだ。なぁに、ちゃんと周りには結界を張ってあるから被害は出ない、気にせずやっていいからな」
「……ハイ」

 とは言ったものの不安は拭えない。
 それでもメイヤは彼の指示に従う事を躊躇いはしなかった。ただし、予想通り後悔はすることになったが。








「うん、まぁ、こんなとこかな。お疲れさん」

 明るいティーダの声を聞いて、メイヤはぱったりとその場に足をつくどころか倒れ込んだ。
 あれから、とにかく次々と指示された呪文を唱えたメイヤは、その度に体から放出される魔法にすっかり体力を使い切っていた。

「疲れたかー?」
「当然です」

 分かりきった事を聞くティーダは、分かりきっているからこそ楽しいのだろう、顔に意地の悪い笑みを浮かべたままだ。

「まー、でもその疲れは魔力を放出した所為じゃないぞ、それは分かってるか?」
「そうなんですか?」

 本気で意外だったメイヤは、目を見開いてティーダを見上げた。

「放出した魔力はほとんどその腕輪の中に入ってたヤツだからな、オマエの魔力じゃねーよ。オマエ自身の魔力を使ったのはな、その体から放出される魔法を押さえようとした時だ。まぁ、そういうとんでもない魔力が体通っていくとな、自然とどうにか抑えようって力が無意識に働くもんで、それにオマエは自分の魔力使ってたんだよ」

 はぁ、と気のない返事をするメイヤに、さらにティーダは意地悪そうに口元を歪ませた。

「考えてもみろ、今オマエが放ったくらいの魔力がオマエの中にあったら、俺にあう以前のとっくの昔に抑えきれずに魔法使ってるぞ」
「それはそうですけどね……」

 メイヤは口を尖らせる。
 こんな事をやらせたティーダの意図が分からない。
 魔法を出す感覚をとりあえず体験させるだけなら、最初の1回だけでいい筈だった。なのにその後、彼に言われるまま何度となくメイヤはいろいろな魔法を唱えさせられ、いくら結界を張ってあるとは言っても、とんでもない大惨事を生み出すのではないかと、内心びくびくしながら魔法を使っていたのだから。
 だが、その疑問はまるで心を読まれたように、すぐにティーダが説明をしてくれた。

「さて、なんでこんな事をしたのかというとな、オマエに魔法を使う感覚ってのを実感させる為と、単純にオマエの適正検査だ」
「適正?」
「そう、魔法ってのはいろいろな種類のモンがあるが、だいたい系統ってのがある。それでな、魔法使いってのはどんな魔法でも使えるなんてのはまずいなくて、自分と相性のいい系統の魔法をさらに探求して積み上げていくもんだ」
「そうなんですか?」
「そう、だから魔法を勉強しだす前に、まず自分と相性のいい系統を見つける事が重要だ。見つけた後に、あまりにも現在の師と系統が違いすぎたらそこで師を変える事も多い」
「成る程……」

 そこまで聞けば、メイヤでも適正検査の意味が分かる。つまり彼の師は、とにかくいろいろな魔法を使わせて、メイヤと相性のいい魔法の系統を見極めていたのだろう、と。

「分かりはしましたが、随分と大がかりな調べ方ですね……」

 ただの適正検査にしては、使う道具の希少さも、周りへの危険度もかなりハデだ。
 そう思ったメイヤに、ヘコんだ生意気な弟子の様子に機嫌がいいのか、笑顔でティーダは答えた。

「ばっかいえ、普通はこんな方法とるわけねーだろ。たまたま今はこういう事出来るのが揃ってただけで、普通はもっと勉強しながら少しづつ試して探していくもんだ。まぁ、ヘタをすれば、勉強始めてから相性のいい系統を見つけるのに数年掛かる奴だっている」
「あぁ、それなら納得出来ました」
「そ、そうか」

 妙に冷めた目で見上げたメイヤに、ティーダが少し驚く。

「つまりあなたは、てっとり早いからこういう方法を使った訳なんですね」
「そうだよ」

 メイヤは思わず溜め息をついた。
 本当にこの人は大雑把過ぎる、と思わず心で呟きたくなる。
 いくら魔法の勉強をほとんどしていないメイヤだって、この腕輪がどれだけ希少価値のあるトンでもない代物かというかくらいは予想出来る。しかもこの手のモノは、篭められた魔力分を使ったらそれで終わりなモノの筈であった。そんなものを惜しげもなく弟子のお試しで使わせるなんて、どれだけ無駄遣いというか勿体ないという話だろう。
 ……けれど、ここで彼に今更そんな事を言ったところで仕方ないと思ったメイヤは、今の話で余計疲れたように力なく尋ねた。

「それで、俺の相性のいい魔法っていうのは分かったんですか?」
「それなんだがな……」

 今までにやにやと人の悪い笑みを浮かべっぱなしだったティーダは、そこで初めて表情を真剣なものにする。

「いろいろオマエに使わせてはみたんだけどな、一番驚いたのは思った以上に被害が少ないって事なんだ」
「被害って……それは貴方が結界を張ってたからでしょう?」
「いや、そんでも反動でオマエがちっと怪我したり、このあたりに火をつけるくらいはするかなーとは思ってたんだ」
「そんな事平然と言わないでください」

 やはりこの人は性格に難がある、とメイヤはじめてティーダを魔法の師とした事にちょっとだけ後悔した。

「まぁ聞けって。さっきも言ったろ、あーゆー力が体を通ると自然と抑えようって意志が働くって。つまりオマエな、現時点で魔法の勉強ほとんどしてないクセに、制御力が大したもんだって事なんだ。自分が持ってる魔力以上の力を自分の意志だけでどうにか抑えられてるんだから、トンでもない才能ではあるんだぞ」
「そう、なんですか?」

 どうやら褒められているらしい、と気がついて、メイヤは少しだけ頬を染めて俯いた。

「オマエ、さっき魔法使ってる間さ、抑えようって思ったか?」
「そりゃ、どうにか抑えようとはしましたよ。いくら結界あるって言っても、怖かったですし……」

 真剣な顔をしていたティーダだったが、そこでいきなり不機嫌そうに顔を顰めて頭を掻きだした。

「あーったく、これでまたオマエを追い出す理由がなくなっちまったじゃねーか。なんだよオマエ、性格だけじゃなく本気で可愛いげがねーぞ」

 褒めてくれたと思えばそんな事を言われて、メイヤは複雑な表情で悪態をつく顔だけならばとんでもなく綺麗な師を見た。

「可愛いくなくてすいませんでした。でも、いくら制御出来ても元々の魔力が低いならどれだけ制御する力があっても必要ないでしょう」

 頭を掻いていたティーダが、そのメイヤの言葉にはじろりと目線で怒りを示す。

「バカ、魔法使いの魔法ってのは、手順さえ踏めば安定して使える神官の魔法とは違うって言ったろ。呪文の唱え方、体調、魔力の込めかた、どれをとっても微妙な違いが魔法の効果に現れる。相性のいい魔法ってのは、より強いのを使える魔法を探すのより、より制御しやすい魔法を探す事なんだよ」
「そうなんですか?」
「そうなんだよっ、同じ呪文、同じ陣を使っても、制御出来ないヤツが魔法使ったらもう全然違う効果になる。逆の効果になったり、予想出来ないトンでもない事が起こっても仕方ない。どんだけ力があったって、制御出来ない魔法は使えないモンも同じだ。だからな、オマエの能力ってのはすごいんだよ、確かに誰もがすごいって思うような魔法を使うのは魔力的に無理だろうけどな、おそらくこれから勉強すりゃ、いろんな系統の魔法をかなり正確に使えるようになれる。実用面じゃすごい『使える』能力なんだよ」

 そう言ってティーダは大きく溜め息をついた。
 メイヤは喜んでいいのかどうか分からなくて、やはり複雑な表情でそんな師を見るしかなかったが。
 困惑しているメイヤを嫌そうな目で見て、ティーダは再び溜め息をつくと、今度はメイヤに手をのばす。

「ほら、返せ」

 あまりにも唐突で、一瞬、メイヤは何の事か分からなかったが、すぐに理解して急いで腕輪を外しはじめた。

「後はひたすらオマエ自身の力で魔法使う勉強だ。制御力があるんなら、もうイキナリ魔法の引き出し方を教えられる。普通はな、まず抑え方から教わってくもんなんだぜ」

 余程自分を追い出せなかったのが悔しかったのか、ティーダの顔は不貞腐れたような表情のままだった。そんなに嫌なのかと少しショックを受けたメイヤだったが、その後にティーダは、顔は不機嫌なままだが頭を乱暴に撫でて来て、今度は少し優しい声で言った。

「シャクだがおもしれーって思っちまったからな、仕方ねぇ、そこそこまでは俺がいろいろ教えてやるよ。ただ、俺は優しくねーからな、覚悟しとけよ」

 それが正式に弟子入りを許可する言葉なのだとメイヤは理解して、今度は顔に満面の笑顔を浮かべた。

「ハイっ」

 元気よく叫んでそう返したメイヤに、ティーダは少し眉を寄せる。けれども、そこからまた溜め息をつくと、今度は僅かに口元に笑みを浮かべた。

「ったく、うれしそうにしやがって」

 そうしてメイヤは、本当に剣士から魔法使い見習いになったのだった。





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