記憶の遁走曲




  【13】




 その日もまた、シーグルは、暗い廊下を歩いていた。
 空はとっくに暗くなり、もう星が輝いている。満月には遠いヴィンサンロアの月が、今夜の空の見張り役として、星達を引き立てるように細く輝いていた。
 だが、外の廊下に出てすぐ、柱の方から人の気配を感じたシーグルは、すぐに壁際にまで飛び退いた。
 そうすれば、悪びれる様子もなく、ただ顔に残念そうな表情だけを浮かべて、その見るからに立派な体躯の男が姿を現した。

「流石に2度目は無理でしたか」
「当たり前だ」

 シーグルが冷たく睨み付ければ、柱の影にまだ体を半分程溶け込ませたまま、アウドは困ったように頭を掻く。

「一度あった事を警戒しない筈がない」
「それは残念」

 相手の声はあまりにも緊張感がなくて、シーグルは馬鹿馬鹿しくなって、臨戦態勢をとっていたその構えを解くと腰に手を当てた。

「お前だって、2度同じ手が通用するとは思ってなかったんだろ」

 言えばアウドはにやりと笑って、身体半分を隠す柱の影から抜け出すと、こちらへと近づいてくる。大柄でがっしりとした、いかにも歴戦の戦士らしい堂々とした体が月の光の中で露わになる。

「そうですね、でも、貴方が許したなら、2度目も3度目もあるかと思いましてね」
「それはない」
「残念です」

 しれっとそんな事をいう男の事を、やはりシーグルは理解できないと思ったが、ハッキリと危害を加えられた相手の割に、何故か自分の方も彼を憎み切れなくて困る部分があった。

「もう、警戒しなくてもいいですよ。今日は諦めましたから。俺の足じゃ、貴方の油断をつかない限り、捕まえる事は不可能ですし。……まぁ、捕まえられれば押さえ込む自信はありますけどね」

 それは身を持って分かっている。
 シーグルはこれでも非力という訳ではない。そしてこの男は、セイネリア程圧倒的な力があるという程でもない。けれども、押さえられたときには全く逃げられる気がしなかった、力の入れ方が上手いというか、押さえ方が上手いのだ。

「お前は、何のためにここにいる? 今更騎士団に復帰した理由は何だ?」

 聞けばアウドは、その質問の意図が分からないように顔を顰めた。

「んー……騎士団にいた方が都合がいいんですよ。なにせヴィド卿回りは今ちょっと危ない事になってますからね。こっちに所属してると、そう簡単に、誰にも知られずに始末って事はされにくくなりますから」

 その返事はシーグルにとっても予想の出来る理由ではあった。だが、それでも聞いてみたい事があったのだ。

「お前……結局は予備隊の後期組に入る気があったのなら、何故、守備隊にいた時、大人しくそっちへ配属変えをせずに辞めたんだ」

 シーグルにはアウドの考えが分からない。けれども、かつて騎士団を辞めた理由がシーグルの思った通りならば、彼という人間の根本の部分は分かるような気がするのだ。
 アウドは気まずそうに視線を外すと、小さい声で、それでも吐き捨てるように呟いた。

「あの時は……まだ若かったんですよ。足が悪くても、それを補うに十分な動きが自分は出来るって思いこんでた。だからやめて冒険者として名を上げたほうがいいと思ったんです」

 あぁやはり、とシーグルは思う。
 だから彼の顔を真っ直ぐ見つめ、強い声でそれに続く質問をする。

「なら、どうして、ヴィド卿の下での仕事を辞めたんだ。あの時、あそこにいた連中は、ヴィド卿の直属の守護兵だ。騎士として、貴族でないものが成れる地位としては最上に近いくらいだろ、セイネリアに制裁を加えられた後なら仕方ないとしても、あの時点で自ら辞める理由がない」
「それは……」

 アウドは口を開きかけて、一度歯を噛みしめる。
 真っ直ぐなシーグルの視線を苦しそうに受け止め、何か言いたそうなその顔のまま、シーグルの顔をじっと見つめる。

「それはですね、原因はあんただったんです。俺はこんなとこで何やってるんだって馬鹿馬鹿しくなったんですよっ」

 それだけ言うと、彼は目を逸らすと同時にシーグルに背を向ける。
 だからシーグルには、その言葉に隠された彼の本心までは分からなかった。

 だが、彼という人間に関しては、少し、わかったような気がした。








 それから、一日飛んで二日後。
 この日の空は快晴で、ただし風は冷たく、空気も冷たかった。
 午前は軽く街の城壁を見て回っていた隊の連中は、午後は自主訓練となっている筈で、だから、午後の会議が終わった途端、シーグルは中庭の訓練場の方へ急いだ。

「ウルダッ、お前はもう体力切れか、だらしないぞッ」

 それがリーメリの声だと気づいて、集まっている彼らをよく見てみると、彼らの中心で剣を持って対峙している、ウルダとアウドの姿が見えた。

「お、隊長殿、今日の会議は終わりましたか?」
「間に合ってよかったですね、なかなか面白いとこですよ」

 年長組が笑顔で言いながら開けてくれた場所に、シーグルは入る。
 そうすれば、今まさに鉄同士がぶつかった音が響き、そしてすぐに二つの影は離れた。

「成程、この勝負は……きついな」

 シーグルがそう思ったのも仕方ない、勝負というには二人の装備条件が違い過ぎる。
 まず、服装は二人とも、流石に外套は脱いでいるが、普通にいつも通りの冬用の厚手の服を着ているだけではある。だが問題は、ウルダの武器は両手剣である長剣で、アウドの方は片手剣に盾という装備になっている事だった。平服の勝負で、この武器の差は大きい。

「というか、リーメリが悪いんです。アウドの足の分は、ハンデをつけるべきだっていったのはリーメリだから……」
「ウルダの奴が正々堂々と実力勝負って言ったんだ、ハンデを付けるのは当然だろ」

 サッシャンとリーメリの会話が少し険悪になっているあたりで、ウルダの旗色が悪い事はすぐにわかる。というか、実際の二人の今の状態を見れば、それ以上に一目瞭然な訳なのだが。

「くっそ、じじぃは動いてくれないから困る」

 吐き捨てたウルダのセリフを、アウドは体を小さく盾で隠すようにした態勢のままで笑った。

「俺が動きたがらないのは分かってたろ、愚痴るな、半人前」
「るせ……」

 ウルダが走る。
 だが、盾ありと盾なしでは、圧倒的に盾なしはきつい。
 なにせ、盾がある場合、攻撃と防御が同時に出来るのに、両手剣では防御か攻撃のどちらかしか一度に出来ない。戦いにおいてはまず身を守る事を優先させる分、両手剣側の動きはどうしても防御優先で消極的になりがちになる。そもそも両手剣の場合、シーグルのように身が鎧で包まれているからこそ防御をある程度無視できるという前提でないと、盾持ちの相手とは分が悪過ぎるのだ。

 ウルダの動きは悪くなく、剣は正確にアウドの盾の隅ぎりぎりを抜けて、本人の胸倉に吸い込まれる筈であった。だが、ほんの少しずらした盾でその剣は防がれる。
 盾は木製であるから刺さりでもしたら致命的であるため、ウルダはそのまま剣で押すことも出来ず一度引くしかない。だが、それに追いすがるように伸びてくる相手の剣は速く、簡単にウルダの喉元のその近くにまで届く。勿論、長剣をその位置にまで戻す余裕がウルダにある筈はない。

「そこまで」

 グスが張り上げた声で、二人ともが体を離す。
 見ていたギャラリー達も一息ついて、それから思い思いに野次を投げかけ出す。

「勝負ありだな、若造」
「負けました。余計な事いって申し訳ありませんでした。一本も取れないんじゃ、俺に文句言う資格はありません」
「なぁに、口は禍の元ってやつだ。ま、これで負けたら俺の方が恥ずかしいしな」

 それで握手をして別れた二人だが、アウドの方はそこでシーグルを見つけると、明るい声で手を振ってきた。

「おぉ、隊長も見てたんですか。いやーお恥ずかしい」

 シーグルは手こそ振り返しはしなかったものの、軽く笑みを浮かべて、この後期組の中でも一番体つきががっちりしている大柄な相手に向けて手を叩いた。

「いや、いい動きだった。なぁアウド、お前がよければそのまま俺と勝負してみないか?」

 シーグルの笑顔からは予想出来ないその発言に、隊の者達全員の雑談が止まる。
 アウドは一瞬のみ驚いたような顔をしたものの、すぐにその顔を先ほどまでと同じ、照れくさそうな笑顔に戻した。

「そうですね、隊長が負けたら今夜付き合ってくれるんでしたら、喜んで」

 それを満面の笑顔で言えば、すかさずサッシャンとラナがアウドに詰め寄っていくが、彼らをシーグルは手で制して、じっと真剣な瞳をアウドに向ける。

「それでもいいぞ」
「隊長ッ」

 それを止めに入ったのは今度はグスで、彼はシーグルとアウドの間に遮るように入ってくると、シーグルの方を心配そうに見つめて近づいてくる。

「どうしたんですか、らしくないですよ」
「そうか? 単に彼と剣を合わせてみたいと思っただけだが」
「なら、条件なんか却下でいいでしょう。そもそも、たかだが手合せ程度の勝負に何かを賭ける必要もないでしょうよ」

 自分を子供のように見てくれる彼には申し訳ないと思うものの、シーグルにだって思うところはあるのだ。それに今更この体を賭けるくらいは別に惜しい事でもない。その相手がアウドであるなら、殊更に。

「いや……賭け事はやめましょう、先ほどのは冗談です。私も単に貴方と勝負してみたい。ぜひこちらからもお願い致します」

 そうアウドの方か言ってきたことで、グスがほっと胸をなでおろしたのが分かる。シーグルは、グスの肩を通して、目があったアウドにむけて微笑んで見せた。

「別に負ける事はないから、何を賭けても構わないんだが」

 笑顔を浮かべていたアウドの顔の中、明らかに瞳だけが敵意を持ってシーグルを見ていた。

「装備もそのままでいい。俺はこれで」

 言いながら腰の長剣を抜けば、グスが少し怒ったようにシーグルを睨んでくる。それには正直苦笑しか返せなくて、だがアウドには、出来るだけ冷たい目を向ける。

「貴方がそれでいいというなら、それで。私は文句はありません。ただ、少し落胆しました、貴方はもっと思慮深い方だと思っていましたので」

 アウドがそう言って再び礼をした途端、回りの者達が口々に騒ぐ。

「おいっ、アウドっ」
「隊長にその言い方は失礼だろっ」
「本気で信じられないッ」

 だがシーグルは回りの者の声にも、そして心配そうに見てくるグスにも顔を向けもせずに、無言で自分の位置に向かって歩いていく。今日も鎧は着ていないから、最初から不利な条件はウルダと同じだ。

「グス、そのまま合図役を頼む、三本勝負で」

 了解を示して礼をしたグスだったが、その顔は何か言いたそうで、不満があるだろう事はすぐにわかる。
 二人ともに開始の位置に立ち、互いに構える。後はグスの合図を待って、筋肉を緊張させるだけだった。






「始めッ」

 シーグルが、合図と同時に走り込む。
 何時になく最初から本気のシーグルの動きに、見ている者達からどよめきが起こるが、集中している二人にそれが意味を持って聞こえる訳がない。
 そもそも、後期組の者達はよく分かってないだろうが、シーグルが隊の者との手合せで、自分から開始直後に突っ込んでいく事は珍しい。それだけアウドの実力を認めているのかと思ったグスは、険しい顔でシーグルを見ていた。
 先に攻撃に出たのは勿論シーグルで、見た目上は突っこんで真っ直ぐに剣を突いたかのように見えたものの、実際は直前で狙いをずらし、その所為でアウドの盾が遅れ、ぎりぎり盾の端の鉄で補強している部分に当たる。
 あぁ、と回りから上がった声は、やはりシーグルの速さを持ってしても盾で防がれるのかという思いがあって、どこか落胆した響きがあった。
 とはいえ、そこはある程度は仕方ない。
 剣の攻撃が線であるなら、盾はそれを面で受けられる。受けるのに必要な力も、その当てればいい面積も段違いに盾は有利である。盾だからこそ、重い両手剣の攻撃を片手で受けられるのであり、速さにおいても、剣で受けるならはっきり太刀筋が追えていなければ厳しいが、盾の場合はその広い面積で、大まかな場所の予想が出来さえすれば防げるのだ。
 とはいえ、盾にも致命的な弱みはある。盾は自分を守るかわりに、盾の面積分、自分の視界を隠すのだ。自分で死角を作る訳である。目視に隙が出来る分、相手の攻撃を上手く予測しなくてはならない。大き目の盾であれば体の近くに構えるのが基本である為、隠す視界は更に広い。
 そして、両手剣のシーグル側が一番優位な点は、やはりその間合いの広さである。片腕で思い切り伸ばせる分、思った以上に片手剣側の間合いはあるのだが、やはり両手持ちの長剣のその長さ分のアドバンテージは大きい。
 シーグルは、まるで盾の側面をわざと狙っているかのように、左右から剣を打ち付ける。ただ、剣は自分の攻撃範囲のほぼぎりぎりで振り下ろし、盾に当たると同時に一度引く為、アウドの剣の長さでは、なかなか反撃の手を出す事が出来ない。

「隊長殿は、盾壊す気ですかね?」

 ボレスの呟きに、グスは何も言わず、ただ忌々しげに顎を擦る。ボレスの予想は違うと、彼は思っていた。
 木製とはいえ側面に鉄を打って強化してある盾は、その鉄が曲がったりすれば木の繋ぎが離されて、ヘタをすれば分解する恐れはある。盾破壊は両手剣の重さをもってすれば有効な選択肢ではあるが、正確さと速さが特徴のシーグルが訓練試合でそれを狙うとは考え難い。それに破壊を狙うにしては、シーグルの攻撃はどれも軽い。
 だがそこで、シーグルとアウドの両方の足元を見ていたグスは、ふと気が付いた。
 シーグルは、アウドの足の動かし方を見ているのだと。
 足の悪いアウドは、不自由な右足を軸にして、左足で踏み込んでシーグルの動きに対処している。だからこそ、左手にある盾の動きは速く、その防御面は広いが、足に動きがない右半身の剣の出は遅い。盾を持つ場合、盾のある左を前に出して構えるのは基本とはいえ、それでも足捌きは左右交互に出るものだ。アウドの動きは、左足ばかりが大きく動き、右は殆ど動かしていない。
 右、左、そして剣を振る位置、それらを調整して、アウドの剣の有効範囲と出の速度をシーグルは測っている。普通なら、得物と体格とある程度の動きを見ればわかるそれを、そこまで正確に測ろうとしているのは、おそらく、足が悪い分の影響を見るためだ。
 何か、らしくない、とそう思うものの、何か考えがあるのだろうとグスは思うしかない。

 ある程度のアウドの動きを見たシーグルが、そこで、本当の攻撃に切り替えた。
 そして、その途端、勝負は一瞬で決まってしまった。
 盾で受けて、アウドの左足が引いたところへ、シーグルがその左側面から更に盾を叩き、そのまま剣を押してアウドの顔の直前にまで届かせたのだ。もし、アウドの足が悪くなければ、素早く右足を引いて体全体を下げて間に合ったのかもしれないが、アウドは遅れる右足を動かすより、更に左足を下げて体を捻って避けようとした。それが、間に合わなかったという訳だ。
 それでも、対策もなかった訳ではない。
 シーグルが踏み込んできたその瞬間に、逆に左を前に出して、シーグルを盾で押し返せば良かったのだ。
 ただ、ずっと左右からの攻撃を繰り返してきた事と、シーグルの動きの速さ、そして盾で防がせて、踏み込むその瞬間の姿を見せなかった事で勝負は決してしまった。

「そこまで」

 言えば、シーグルは剣を引く。
 というか、あの状態で寸止めが出来る事の方がおかしいだろ、とグスは思う。普通なら、訓練だった筈が大怪我をさせるパターンだ。
 つまり、あんな状態でも寸止めが出来るだけの余裕が――実力差があった、と取れる。おそらくそれは、負けたアウドが一番良く分かっている事だろう。

「隊長殿、可愛い顔の割には容赦ないねぇ」

 笑いながらいうローンじいさんは、ならばシーグルの動きとその意図が分かったのだろう。
 それにバグデンがぼそりと返す。

「相手の弱みをつくのは当然だ」

 確かに、勝負において、弱点がある相手ならその弱点をつくのは常識である。
 だがそれでも、何か、シーグルらしくない、とグスは思えて仕方なかった。
 シーグルが、黙って開始位置に戻る。2本目の準備が出来た事を知らせるそれに、両方の様子を見て、グスは再び開始の合図を叫んだ。

 二本目もまた、シーグルが走り出す。
 ただ考えれば、シーグルから仕掛けてやる時点で、アウドの足を気遣ってやっている、と言えなくもない。
 今度は、シーグルは左右から盾を叩くのではなく、徹底的に相手にとっての左側を攻撃する。左へ、左へとする事で、まるでアウドは右足を軸にして回転しているような状態になる。驚くのは、シーグルの速度が叩く度に上がっている事であり、だから、突然、攻撃が右に切り替わった時、アウドの盾の反応が遅れた。
 咄嗟にアウドは剣でそれを受けようとするが、両手剣を片手剣で受ける時点で、余程の力がない限り負けは決まっている。
 剣が弾かれ、地面に落ちた時点で、訓練試合としては勝負あり、となる。

「流石ですね、完全にこちらの負けです」

 出してきたアウドの手を握り返したシーグルは、だがいつもならこういう勝負の後に大抵浮かべている笑みを、今日は浮かべていなかった。

「次を楽しみにしている」

 と、返した言葉もそれだけで、好意的に考えれば次が楽しみなくらいの相手の実力を褒めているようは取れるが、いつものシーグルはもっと直接的な反応をする訳で、やはりどうにも違和感が拭えない。
 まだシーグルとの付き合いの浅い後期の連中は、そんな違和感を感じる事なくシーグルと話しているが、グスにはどうにも気になって仕方なかった。

 皆の輪から離れたところに一人、ぽつんと座るアウドの、勝負前までのふてぶてしい程の態度から一変した落ち込んだ背中を見れば、更に、グスの中ではどうにも納得がいかないようなもやもやした気分が強くなるばかりだった。



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趣味に走ってすいません。はい、戦闘シーンとか薀蓄とは興味ない方は飛ばしちゃってください。
ちなみに、一見すると攻撃重視タイプに見える両手剣の方が、動きが防御よりになるってのがおもしろいところです。



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