愛しさと悔しさの不協和音




  【3】




「俺の勝ちだな」

 それには何も返せず、ロウは歯を噛みしめる。
 ロウは、アウドの右から回り込んで剣を突き出し、横から彼の顔の前、その喉元にまで剣を伸ばして勝負をつけるつもりだった。だがアウドは、こちらを見ないまま、突っ込んだタイミングに合わせて体を沈め、剣の柄でこちらの腹を殴ってきたのだ。
 今のは完全に自分の負けだというのは、どれだけ悔しくても認めなくてはならなかった。いくら口が達者なロウであっても、ここまでハッキリ負けていて、口で言い返す気はなかった。――そう、勝てないなら、何も聞く権利も、言う権利もない。

「あの人を抱いたのは、最初は仕事上の命令だった」

 剣を引くのと同時にアウドの声が聞こえて、ロウは顔を上げる。

「だからって、それを言い訳にはしない、その後俺は自分の意志であの人を犯してる」

 ロウは悔しさで歯を噛み締めながら、ただアウドを睨みつける事しか出来ない。
 けれども、その目を受けたロウは、自嘲のように弱々しく笑った。

「俺はもうダメだ、ただのクズとして一生を終るしかないって思ってた。でも、まだある未練をあの人に見抜かれてな、そんで今にいたるって訳だ」
「話を飛ばすなよ、どうしてシーグルはお前を許して隊に残したんだっ」

 ロウが立ち上がれば、アウドは笑って肩を竦め、剣を鞘に入れる。

「おいおい、俺は『勝ったら』教えてやるっていったろ。今のはお前の気迫に対しての特別サービスみたいなもんだ」

 そこを突かれるとロウは黙る。吐き出せなかった怒りの言葉は、負けた自分への憤りに変えるしかなく、ぐっと拳を握り締めて、くそ、と小さく呟くに留まる。
 そんなロウをちらと見て、アウドは体の埃を叩くと、すっかり暗くなった空を見て盾を肩に背負った。

「ただまぁ、サービスついでにもうひとつ教えてやる。確かにあの人は俺を許してはくれたけどな、そんでもきついのを一発くれたよ。まぁ俺の自業自得だが。そんでだ、今の俺はあの人に恩がある、あの人の為なら喜んで死ねるくらいの恩だ。だから、もうこれ以上、あの人に危害を加える事は絶対にない」
「信用……出来るかっ」

 すぐさまロウが言えば。

「信用してくれたぞ、シーグル・シスバスピナ本人は。普通、あり得ない話だよな。……だからこそ俺は、あの人の信用だけは絶対に裏切らない」

 笑みを一切捨てて真剣に返された男の瞳は、戦場を知っている者故の、ロウには出せない重い気迫があった。
 思わず、ロウはその気迫に圧されて、体を引く。

「ロウ、俺が今回、お前さんと剣を合わせてみたかったのは、ただその実力を知りたかっただけじゃない。俺はお前の覚悟が知りたかった」
「……どういうことだ?」

 何かちりちりと頭に嫌な予感がして聞き返せば、アウドはその重い口調のまま答える。

「お前は、邪魔だ」

 突然のその言葉に驚きすぎて、ロウは声も出す事が出来なかった。

「今みたいに平和な時なら、別にお前がちょろちょろしてようが問題はねぇ。だがな、あの人に何かあったら……命を狙われるような状況になったなら、お前は絶対に邪魔になる」

 どこまでも抑揚がない冷静な声に、ロウの頭も少しづつ動きだす。そして、動き出した途端、それは怒りになって声を吐き出した。

「邪魔、て何だよ……俺は何かあったらあいつの為に……!」
「為に、何をするんだ? あの人より弱いくせに守るとか抜かすのか? そりゃ無理だ、それともお前は、俺や、隊の連中みたいに、あの人の盾になって死ぬ気があるのか?」

 そこで一瞬、ロウは返答を迷う。
 だが、迷った事自体をすぐに恥じて、アウドを強く睨み返した。

 「……俺だって……あいつの為なら死んだって構わない」

 けれどアウドは、明らかに馬鹿にしたようにそれを鼻で笑った。

「だから、それが無理なんだよ、お前の立場だと」
「なんでだ?」

 アウドの瞳がまるで憐れむように、ロウを見下ろす。
 ロウはごくりと喉を鳴らした。

「お前と俺らは立場が違う。お前が死にそうになったら、あの人はきっと後先考えずに庇っちまう。お前がいる友人ってポジジョンは、そこが厄介なんだよ。お前があの人を守ると言うなら、信用して任せて貰える程度には、お前はあの人より強くなきゃならない」

 それでやっと、ロウはこの男の言いたい事が理解出来た。
 理解出来た途端、それを否定する言葉が見つからなくて愕然とした。『邪魔だ』という言葉の意味に納得出来てしまう事が悔しくて、それでも何か道はないかと頭を巡らす。勿論、思い浮かぶ言葉などある筈はない。
 追い討ちのように、更にアウドの言葉が重く圧し掛かる。

「……もしくは、あの人が行動するより早く、決断して動ける程の覚悟があるか、だ。そしてお前にはそれがない」

 ぎり、とロウは歯を噛み締める。
 けれどもやはり、返すべき言葉は口から何も出ない。

「自覚したら、もうあの人に必要以上に近付くな。何かあったら、出来るだけ関わらないように離れてろ。いいか、でなきゃ俺は、状況によったらお前を殺さないとならなくなる」

 アウドの瞳は本気以外の何ものにもとれなくて、ロウはぞくりと背を震わせる。
 この男は人を殺したことがあるのだと、その気迫だけで十分ロウは理解した。

 そうして、背を向けて去っていく男に、ロウは結局、何一つ言葉を返す事は出来なかった。







 一方その頃、シーグルは自分付き文官の泣き落としに引っかかっていた。

「まぁぁぁったく、シーグル様が今日の仕事を投げ出してくれたおかげでぇ〜私は思いっきり苦労したんですからねぇぇええっ」
「悪かった、キール、だから明日は一日こちらに付き合うと言っただろ」
「明日はぁ? そうですねぇ明日はこちらにいらっしゃるのですねぇ、えぇでもですねぇ、その言い方だとぅ明後日はどうなさるおつもりでしょうかねぇ?」

 頭を手で押さえながら、シーグルは目の前の書類に目を通していく。
 とはいえ、流石にもういい時間で、今日中にどうにかしなくてはならない程の急ぎの件がないかを確かめているだけではあるが。

「明後日は状況に応じてだ。こちらの仕事が終わらないなら、向うに出るのは朝の挨拶だけにしておくさ」
「本当ですね? 本当にほーんとに本当ですよねぇ? 約束ですよぉっ」

 じっとりと恨みがしく睨み付けられれば、流石にシーグルもうんざりした顔で大きくため息をつく。

「本当だ、今日の事は反省している。だから、暫くはこちらの仕事を優先する」

 そこまで言えばやっとキールは納得したようで、黙って自分の椅子に戻っていく。
 手元の書類から見つかった急ぎの件だけを抜き取り、シーグルは書き物の準備をする。

 前期から後期へ、後期から前期へ、移り変わりの時期は、各種手続きやらの事務仕事の方が忙しいのは仕方ない事ではある。後期へ移った時程ではないものの、会議もそれなりに呼ばれる為、本来、この時期に訓練の方にほぼ一日付き合うなんていうのは無理な話だ。
 それでも今日は後期からの者が合流する日とあって、シーグルとしてはどうしても向うに出ていたい事情があった。
 本来、騎士団の規定では、この時期は交代期間で、正確には前期とは呼ばれはしない。けれども後期の連中が交代期間に出るのは自由なので、結果として来なくなり、年度の頭に当たるこの時期は、実質前期メンバーだけで始まるのが普通であった。
 ところが今回は後期から引き続き、ラナとリーメリ、ウルダの3人がこの期間もくる事になり、更には前期への変更が決まったアウドも、全員今日から合流という事になっていたのだ。

「まったく、心配症ですねぇ。あのおっさんに任せといても、適度にいいようにしといてくれたでしょうに」
「キール、おっさんというのは、もしかしてグスの事か?」
「そーに決まってるじゃないですかぁ♪」

 あまりにも楽しそうに返されて、シーグルはそれ以上何かを言うのを止めた。
 まぁ確かに、グスに任せておけば良かったかとはシーグルも思う。それでもやはり、後期の連中がこちらのメンバーにどう受け入れられるか、それを見ておきたかったというのがある。後はアウドが前期に入るにあたり、彼の怪我の事情とその実力を、一番分かりやすい形で皆に伝えたかったというのもあった。
 とはいえ少し、やりすぎたかと思うところもあったのだが。

「俺はまだ、彼らを信頼しきれていない、のだろうか」

 その呟きは本当に小さく、キールには聞こえていない筈だった。
 後期のメンバーがこちらに無事受け入れられるだろう、という事を、シーグルは疑ってはいなかった。それは皆を信用していたからだ。
 けれども、それでも全部人任せにしておけなかった、自分の目で確認したかった。それは、矛盾と言えるだろう。

「いやぁ、信用してたって気になるってのはあるでしょうしねぇ、シーグル様も若いですからねぇ、そこは理解できますよぉ〜」

 聞こえていない筈が聞こえていたらしく、シーグルはばつが悪そうに軽くキールを睨んだ。いつでもマイペースな文官は、それににこりとやたらいい笑顔を返してくる。

「貴方はですねぇ〜、いつも頭ではちゃんとわかっているんですよぉ、立場的には、自分がどうするのが正しいかなんていうのはねぇ。だってちゃんとソレ用の教育を受けてきているんですからねぇ。……ただぁ〜貴方の性格上、人に任すのが慣れなくて、自分の身内認定したものには必要以上に情を掛けてしまう、本当に困ったものです」
「困ったもの、か」
「えぇそうです。もう貴方は一介の冒険者でもなければ、ご兄弟の為にご自分を捨ててもいい立場ではないんですからねぇ〜」

 軽いやり取りの中、さらりと言われた言葉に、シーグルの顔が強張る。

「やはり俺は、まだ自覚が足りないか」
「えぇ、もう少ぉし、人を使う立場の人間、というのをちゃぁんと自覚して下さい。少なくとも、シルバスピナ卿と呼ばれるまでには、ねぇ?」

 シーグルはじっとキールの顔を見つめた。
 笑顔を崩さないで見返してくるキールの瞳は、だが実際は笑っていないとシーグルは思う。
 どこか抜けた話し方をする彼は、その実、相当裏に何かがある人物だった。少なくとも、魔法使い、と呼ばれるに相応しく、見た目通りの年齢ではないのは確実だろうとシーグルは思っている。そして、書類上は貴族院からの指名でこの位置にいる事になっているものの、実際は特定の意図がある、何かの意志に従っているだろう事も。

「忠告として、肝に銘じておく」
「えぇ、そうして下さい」

 そのやりとりの後、二人は再び仕事に戻る。
 けれども、顔を上げたキールは、書類に集中するシーグルの顔を見て、苦笑いをしつつ呟いた。

「とはいっても、貴方はそう簡単に割り切ってくれない方ですからね。だからこっちで、どうにかしなくちゃならなくなる。本当に、困ったものです」

 殆ど声にしていない呟きが、シーグルに聞こえる筈はない。
 やがて、ふと視線に気づいたシーグルが顔を上げて目があっても、真面目過ぎる青年は一度軽く眉を寄せただけで、キールの笑顔にため息をついて仕事に戻った。




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ロウさんあっさり負けました(==
次回は、後期組の他の連中の話しをちらっと。



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