愛しさと悔しさの不協和音




  【2】




 夕暮れ時の騎士団訓練場。
 やっと冬より少し日が長くなったとはいえ、訓練が終わったこの時間はもう既に薄暗い。それでもロウは、今日はシーグルに会いに行く気にもなれず、一人、目立たない隅の方で剣を振っていた。
 朝、シーグルとアウドの勝負を見て、一時は思い切り下まで落ち込んだロウだったが、昨日散々落ち込んだ後というのもあってか、今日の訓練が終わる頃には大分持ち直していた。

――ともかく、俺は少し己惚れていたのかもしれない。

 騎士団内で、シーグルと一番いい勝負が出来るのは自分だと、それで少し天狗になっていた気がする。だからこそ、アウドが自分よりもいい勝負をしたのが、自分的にはショックだったのだとロウは思った。
 そう考えれば、ロウは自分がシーグルに追いつけなくて当然だとも思う。アルセットが言っていた、真剣さが足りないというのもあっているのだろう。なら自分に出来る事は――こうして、シーグル以上に訓練するしかない。

 だが、夢中で剣を振っていたロウは、集中するあまり、他人が近づいてくる気配に気が付けなかった。
 だから彼が相手に気付いたのは、その本人が声を掛けてきてからだった。

「なかなか、精が出るな」

 ロウはそれで驚いて、びくりと肩を上げて剣を落としそうになった。

「だ、だ、だ……」

 反射的に『誰だ』と言おうとしたものの、けれどもすぐにその必要がなくなって、複雑そうに顔を顰め、相手を睨む。

「邪魔してすまなかったな、俺の名はアウド・ローシェ。今までは第7予備隊の後期組所属だったんだが、今日付で前期組所属になった。今朝は自己紹介する暇もなかったから、まぁ、よろしくな」

 にかっと笑って手を出されれば、ロウも大人しく手を出して握手をせざる得なくなる。

「ロウ・アズーリア・セルファン、こちらこそよろしく……」

 年上なのだから、初対面でこの言い方は相当失礼なのだが、相手は気にしていないようだった。
 ロウは、内心ちょっとライバル視しかけているその人物の姿をじっくりと観察してみた。
 体付きは、上も横もロウより一回り大きく、近くで見ると圧倒されるものがある。それ以上に腕や腿の太さは相当に違って、見ただけで力では勝てないと思えるくらいだ。顔にも細かい傷があったりして、年齢のせいもあるだろうが、勝てそうにないと思ってしまうのは、やはり経験の差なんだろうな、なんて事さえ考える。
 彼は、にこにことやたらと笑顔でロウと握手を交わすと、唐突に背中に背負っていた盾をおろし出した。

「さて、実はお前さんがシルバスピナ隊長と一番いい勝負をするって聞いてな、そんならぜひ相手をしてもらいたいと思ったんだが」

 笑顔で言われたその言葉は、ロウの心の傷を抉る。
 失礼だという自覚はあっても、声が相当いらだつのは仕方なかった。

「……生憎だが、あんた程いい勝負は出来ないですよ。俺じゃまだ全ッ然シーグルの相手になれてない」

 それでもアウドの笑顔は崩れない。

「いやぁ、俺も全然あの人にゃ適わない。あぁ、今日のを見て言ってンなら、隊長は俺相手に手加減してたからいい勝負に見えただけだ」
「嘘言うな、少なくとも、あれだけシーグルが本気出してたのは俺は見たことないぞ」

 その発言に噛みつくように即返せば、アウドは困ったように頬を掻く。

「んー……手加減というか、わざと俺の弱点を突かないで、まともにやりあってくれただけなんだがな」

 それはおそらく、悪いという足の事だろうか。
 言われれば確かに多少思うところはあったものの、シーグルの真面目さを考えれば、それは仕方なだろうとロウは思う。というより、そんなシーグルが好きだからこそ、ロウは胸を張って答えてやる。

「シーグルはそりゃ、きっとそういう卑怯なのが嫌なんだ」

 だがそれは、アウドの軽い笑い声で遮られる。

「いやいやいや、それは卑怯とは言わんさ、それはあの人もわかってる。何せ俺らは戦争の為に戦う力を鍛えてるんだ、命のやり取りの中で、敵が弱点だからって加減してくれる筈がねぇ。それが分かってるから俺だってそれを補えるように鍛えてる。……ただ流石にな、隊長クラスの相手なら、俺の右足の鈍さを突かれりゃ勝負はあっさり終わりだよ」
「なら、なんで……」

 言われてから確かにそうだと思うあたり、ロウが人相手の戦場を経験した事がない故でもある。
 それを自覚してちょっと落ち込んだロウの顔を見て、アウドは笑うのを止めて、代わりに眉を寄せて苦笑した。

「まぁ今回に限ってはだ、俺が十分に実力があるってのをわざと隊の連中に見せて、俺が仲間として認められるようにしてくれたってとこだな。実際、『アウドは足が悪いが、それを補えるだけの腕がある』って言って、今朝の手合せが始まった。だからわざと、俺が戦いやすいやり方で付き合ってくれたんだよ。いい勝負に見えて当然だ」

 それでもロウには、まだ心の中にもやもやと残るものがある。
 今朝のシーグルとアウドの戦いを思い出し、自分との時にはなかった緊迫感というか、互いの気迫のぶつかり合いというか、あの時感じた空気を考えれば、どうしても心が重くなってしまう。もしかしたらそれは、嫉妬なのかもしれなかった。

「……それでも、今はお前と剣を合わせる気にはなんねぇ。悪いがもうちょっと……」

 だからロウは、話を終わらせる為に、彼にそう言って立ち去ろうとした。

「んじゃ、俺があの人を抱いたことがあるって言ったらどうする?」

 ぼそりと、先ほどまでの人の良さそうな声から一変した昏い響きの声に、アウドに背を向けていたロウは足を止めた。

「あの人って……シーグル、をか?」

 振り返れば、声の通り、彼のその表情にももう先程のような軽い笑みはなく、ぞっとするような昏い目でロウを嘲笑うかのように見ていた。

「あぁ、嫌がるあの人を無理矢理犯した事がある。それも一回じゃない」
「き、さまっ……」

 反射的に剣を抜きかけて、けれどそれをどうにか制して瞬間的に血の上った頭を落ち着かせると、ロウはアウドを睨み付けた。

「シーグルはその事を知ってるのか? お前があいつの事犯したって……」

 この男は、それを隠してシーグルに近づき、再びシーグルを犯そうとしているのだろうか。それなら、どうにかして止めなくてはならない。
 けれど、それに返された返事は、ロウの頭に混乱を招いただけだった。

「勿論知ってる。知ってて、俺に前期に移動しろって言ってくれた」
「どういう事なんだ、何で……」
「そこは……俺に勝ったら教えてやるってのはどうだ?」
「何?」

 ロウは考える。けれど考えはまとまらない。
 シーグルがそれを知っていて、そういう男だと分かっていて、なのに何故隊に置いているのか。しかも後期にいたのを前期にこいと言ったなら、もっと近くにいていいと言ったのも同じだ。
 考えれば考える程、ロウとしては否定したい答えしか出て来なくて、結論を出す前に頭が思考を放棄する。

「どうする? 知りたくないのか?」

 ロウは、ぶるぶるっと、そこで激しく頭を左右に振った。
 そう、考えても仕方ない。答えが欲しいなら、受けるしかないのだ。

「分かった、相手してやる」
「そうこなきゃ」

 アウドはそこで、また人の良さそうな笑みを浮かべた。






 日はほぼ完全に地平へとその姿を隠し、空の裾を僅かに照らすだけに過ぎなくなる時間。それでもまだ夜になりきっていない今は、かろうじて相手の姿を見る事は出来た。
 とはいえ、ここまでくれば真っ暗にまでなるのも時間の問題で、だから、手合わせは普段の1セット3本ではなく、1本のみという事になった。

「俺はこの装備でいいか? 悪いが足やってから長剣はほぼ使ってなくてな、ハンデがほしい訳じゃないから、出来ればそっちも同じ得物でって言いたいとこなんだが……」
「準備してる時間はないし、俺もこのままでいい。一番慣れてはいるしな」

 確かにシーグルのような甲冑を着ていない分、このままだと防御手段のないロウ側が不利ではある。だが、ロウにはこの薄暗い中だからこそ、相手よりも優位な点があった。
 ロウの家は代々狩人で、ロウ自身子供の時から父親の狩りに付いていっていた為、目の良さに関しては自信があった。ロウが若手で一番の腕と言われている理由も、この目の良さのせいであるところが大きい。そして、森に生活する狩人の仕事は明るい時ばかりではないから、勿論、常人よりもずっと夜目が利く。更にいえば、例え完全な暗闇であっても、動くものであれば気配を追える。

 距離を取って向き合い、剣を構える。
 互いに声を上げれば、それが開始の合図だった。

 足が悪いせいか、やはりアウドは一気に近づいてはこなくて、必然的に斬りかかっていくのはロウ側からになる。だが、一見重そうに見える彼の動作は、彼の間合いに入ってからは別物のように速くなり、出した剣はことごとく盾で弾かれる。しかも盾は受けるだけでなく押し込んでくるため、調子に乗ってつっこめば体毎ふっ飛ばされそうになる。
 だからへたに強く踏み込めなくて、ロウの攻撃はどうしても消極的にならざる得ない。そして1対1の戦いにおいては、一度守りに回ってしまうと、再び攻勢に戻すのは厳しくなる。
 こうなってくると、こちらが防御しか出来ない間、向こうは防御を固めつつ攻撃出来る分、装備の差が大きく響く。更にこちらは相手の剣を受けている間も、盾で殴られる事だって考慮しなくてはならない。
 だからロウは、一度大きく距離をとって体勢を整え、しきり直す事にした。

――相手の弱点をつかない、なんて余裕はやっぱないか。

 甘い、というよりも勝った時に自分的にケチがつくのが嫌で、出来るなら彼の悪い足をついた戦い方はしたくはなかった。けれど、それは無理だろうなという思いも最初からあった。
 ロウは動きを切り替える。
 叩いては引き、位置を変えてまた叩く。
 一撃受ける度に対処する方向を変えねばならないアウドは、その度に動かなくてはならなくなる。そしてやはり、足を動かす程に体勢を変える場合、彼の動作は僅かに遅れる。
 そのタイミングなら、確実にロウの剣の方が速く届く。
 何度か繰り返せば、アウドの対応速度は更に遅れていく。だからそこで、ロウは深く踏み込んで、アウドに一撃を入れようとした。
 薄闇の中、アウドの顔はまだロウの方向にさえ向いていなかった。だからロウは、その時勝利を確信した。鋭い突きは、少なくとも彼の顔の前にまで届くはずだった。
 けれども、目前のアウドの体は急激に深く沈み、気づいた時には腹に衝撃が走る。
 よろけて腹を押さえ、咳込んでから、どうにか顔を上げたロウが見たのは、目前に向けられた相手の剣だった。



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ロウとアウドのやりとりとか、むさいだけで終ってしまってすいません。
アウドが手合わせしようと言ってきた意図は次回に。



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