古き者達への鎮魂歌




  【3】



「警戒はするに越したことはないな」
 谷の美しい風景に少し気が緩んでいた自分を叱咤して、シーグルは改めて装備を直すと気を引き締めた。幻術を使う、つまり相手が魔法を使うのならこの魔法鍛冶の装備をしっかりつけているだけでも向うからすればやり辛い筈だった。
 そうすれば、今度はトトトっと何かの足音を聞いて、シーグルは剣に手を掛けてそちらを振り向いた。

「シカ、か」

 それもおそらくはまだ子供の。崖下の辺りはすこし森っぽくなっているからそこから来たのか、小さなシカらしき動物の姿が見えてシーグルは剣から手を離す。シカはこちらを全く警戒していないのか、シーグルのすぐ横を通り過ぎると水面に口を付けた。

「水を飲みにきたのか」

 谷には広い湿地帯が広がってはいるが、崖の下周辺の土地は緑が多く、森のような場所があれば動物はいて当然だろう。
 シーグルがシカに声を掛ければシカはじっと見つめて来て、フンフン、と鼻を近づけてきてはこちらの匂いを嗅ぎだした。

「人が滅多にこないせいか、まったく警戒しないんだな」

 大人しく黙って臭いをかがせていたシーグルだったが、のんびりそんな事を言っていたら急にシカが前足を上げてこちらの体にその足をついて後ろ足だけで立ち上がった。いくら子供とはいえ、シカに伸びあがられるとシーグルの身長に近くなる。しかも驚いて後ろに下がった拍子に何かに足が引っかかってそのままシーグルは後ろへ倒れてしまった。

「ちょっと……やめ……」

 シカは倒れても構わずシーグルの匂いを懸命に嗅いでいて、首元や顔の辺りに鼻をつけてくる。どうも立ち上がったのはこちらの顔の匂いが気になった所為かと思ったシーグルだったが、倒れた拍子に兜が少し緩んでしまっていたらしく、鹿が鼻で兜を押して外そうとするに至って流石に焦った。

「だめだ、これは……おいっ……て、うわ、やめろっ」

 更にはシカは兜からシーグルの顔が出てくるに至って、その顔を舌を出して舐めだしたのだ。

「やめ……やめろっ」

 しかも舐めてくる勢いが半端ではなく、シーグルはシカを傷つけないように押しのけようとするが、胸の上に足を置かれると無理矢理起き上がるだけでも大変である。
 けれど、ふいにピィっと長い口笛が響いて、シカが舐めるのを止めた。

「ほらお前、抜け駆けはだめだって約束したろ」

 声から逃げるようにシカはシーグルから離れると森のほうへ向かって走っていってしまう。
 シーグルが起き上がって声がした方を見てみれば、そこには杖を持った人間、つまり魔法使いがいた。シーグルは急いで起き上がると剣に手を置く。なにせここにいる魔法使いとなれば、確率的に幻術を使ってシーグルを隊の連中から引き離そうとした犯人である可能性が高い。

「まぁ、俺を警戒するのは正解だが、剣を向けるのは不正解、ってところかな」

 言いながら人の悪そうな笑みを浮かべた魔法使いは、シーグルに近づいてきた。

「何者だ?」

 シーグルが聞けば魔法使いは足を止めた。

「ん? 俺か? 見ての通りの魔法使いだが」
「ここにいる段階でただの『魔法使い』じゃないと思うが」
「はは、魔法使いなんてただ者じゃないのばかりだろ。まぁでもちゃんと教えてやるよ、なにせ長い付き合いになるだろうからな」
「何が――」

 だがシーグルは言葉を最後まで言う事が出来なかった。
 言った直後に地面から木の根か蔓のようなものが何本も現れて、シーグルに向かってきたからだ。

「貴様、植物魔法使いか」

 こういう事が出来るのは植物系の魔法使いだという事くらいはシーグルだって知っている。だからそう叫んだのだが、魔法使いはその場から一歩も動かず腕を組んでこちらをただ見ているだけだった。

「残念ながら不正解だ。そいつは別に俺が魔法で操ってる訳じゃない」

 シーグルが植物と格闘する姿をのんびり見ながら、魔法使いはあくびをする。
 忌々しく思っても、現状シーグルは抗議の声を出す暇もなくなっていた。
 シーグルを襲ったソレが植物であるのは確実だった。蔓というには枝のように分岐していたり硬さもあるからそうと言い切れないが、動きは蔓のようなしなやかさがあって油断すればシーグルの体に絡んで巻き付いてこようとしてくる。

「くそっ」

 それでも剣で切る事は出来るから巻き付かれそうになる度それを切ってはいるがキリがない。蔓は次から次へと増えてシーグルを押さえつけようとしている。どう見ても多勢に無勢という状態だが、辛うじて凌げているのは蔓はあくまでこちらに巻き付いてこようとしてくるだけでこちらを攻撃してくる気がないからだろう。
 おそらくは、怪我をさせずにただ拘束したいとそれが目的なのだろうが――流石に最初は蔓を切ればいいと言えた状況も、一度に複数の蔓が絡まってこようとすればそう簡単な話ではなくなってくる。

「この、切れろっ」

 シーグルもそれを分かっていて剣の勢いを出来るだけつけていたのだが、流石に4本、一度に来た蔓を全部切る事は出来なかった。
 最初は左腕に一本だけ、締め付けるような強さではないが動きが鈍れば次々絡んで来て完全に左腕は動かなくなる。
 その段階で両手剣はロクに使いものにならない。
 シーグルは剣から手を離してすぐに短剣を抜いたが、その間に右腕も巻き取られ、両足も巻き取られる。あとはもう抵抗のしようもなくがちがちに拘束されて、シーグルは逃げる事を諦めるしかなくなった。

「結構がんばったな、見た目によらず強いじゃないか」

 完全に拘束されたのを見てからやってきた魔法使いは、身動きも出来ず睨む事しか出来ないシーグルの顔を見るとまた笑った。

「どういうつもりだ?」
「……どういうつもりって、あんたを拘束したいだけなんだけどな」
「だから何のためにだっ」

 シーグルが怒鳴れば、魔法使いはくすくす笑って顔を近づけると、ペロリとシーグルの頬を舐めた。

「本当に美味いな。……さて、目的以前にさ、俺が何者か教えてやろうと思うんだけど、聞いとかなくていいのか?」
「……話せ」

 忌々し気に睨みながらもそう答えたシーグルにまたクスクス笑って、魔法使いはシーグルの頬を撫ぜながら話しだした。

「まず、あんたは結構魔法使いについて知ってるみたいだからさ、俺が見た目通りの歳の人間じゃないってのは分かってるんだろ?」
「あぁ」

 魔法使いが見た目通りの年齢ではないというのは割と常識ではあるが、それにしてもこの魔法使いの見た目は若すぎた。へたをするとシーグルよりも下に見える外見は、杖を持った正式な魔法使いの年齢とすればまずありえないだろう。

「魔法使いがこうして若さを保つ方法は大きく分ければ二つしかない。つまり、自分の魔力を使うか、他者から力を貰うかだ。そして後者の場合は更に二通り、他人から生命力を吸って魔女と呼ばれるか……何か大量の魔力を持ったものと自分の命を繋げるか、になる。俺は後者の後者という訳だ」

 他人から生命力を吸う、という事ならよく知っている――魔女エルマに殺された干からびた死体を思い出してシーグルは顔を顰めた。だが魔力を持ったものと自分の命を繋げる、というのは聞いた事がない。ただそれと、今の状況の繋がりが想像出来なくてシーグルは尋ねた。

「それで、俺を拘束する理由はなんだ」
「余裕がないな、まぁもう少し話を聞けよ。……そういう訳で俺はとあるモノと命を繋げてこうし生きながらえてきたんだが……さすがにそれもそろそろ魔力の底が見えてきた」

 そこまで聞いて、シーグルの顔色が変わる。

「うん、わかったみたいだな。あんたが何故そんな魔力を垂れ流していられるのかなんて知らないし聞く気もない。だがあんたは魔力の塊で、あんたから汗や唾液、髪の毛一本でさえもらえば魔力になる」

 シーグルの中にはセイネリアを通して黒の剣の魔力が流れ込んできている――それで魔法使いに狙われた事は少なくないが、少しおかしい事もあった。

「今は満月ではない筈だ」
「満月? あぁ確かに今でこれくらいなら満月ならさぞすごいんだろうな。まぁ正直今の状態では、俺じゃ確かにあんたの魔力をそう簡単に取り入れる事は出来ない」

 キールには満月に気を付けろと言われている。その理由は満月になると黒の剣からやってくる魔力がシーグルから溢れる程膨れ上がるからだそうで、だから逆に満月周辺でなければそこまで警戒しなくていいと思っていたのだが。
 魔法使いはにっこりと笑うと、シーグルにまた顔を近づけてきた。そうして、目の前にきてから一言。

「……けどな、出来るモノもいるのさ」

 言ってから、唇を塞がれる。
 一瞬驚いたシーグルだったが、舌を入れてきたら噛んでやろうと身構えた瞬間、急に体から力が抜けて視界がぼやけた。おそらくこれは……エルマにキスされた時みたいに生気を吸われているのだと、理解した時にはもう手遅れだった。

「ウ……ン、ン、ゥ……」

 ガクンと力が抜けたところで舌が入ってきて、口腔内を荒らされる。しかも魔法使いの手が拘束する蔓の上から体を撫でてきて、鎧の上の時はまだよかったものの股間にまで触れてくる。

「グ、ン……ウゥ……グっ」

 唸って逃げようとしてもそれも長くは続かない。舌を絡められて唾液を吸われて……やがて抵抗に喉を鳴らす事さえできなくなり、シーグルの意識は暗く沈んでいった。

「さて、これで俺も魔女の仲間入りか。……しかしマズイな、本当に美味すぎて吸い過ぎるとこだった」

 魔法使いが唇を離せば、外見も内の魔力も綺麗過ぎる青年は、あの奇跡のように青い瞳を閉じてぐったりと意識を失っていた。
 その頬を撫ぜて、魔法使いは苦笑する。

「悪いな」



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次回こそエロに入れるかな。



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