古き者達への鎮魂歌




  【2】



 翌日、ついでにもう一晩泊まっていくならいろいろ案内をすると言ってくれたダスティーアン卿の申し出を断ってシーグル達は彼の屋敷をあとにした。
 行先は当然、昨夜聞いていたウロス山とクノスヴァ山の間にあるという『霧の谷』で、あの口調では実際にあるところなのかどうかも分からないが、なかったならなかったでそう報告するだけの話だ。

「しかし心が清い者、とか精霊が見惚れる程美しい者、なんてまさに隊長の為にある言葉じゃないですか。もしそれが本当なら隊長が谷に行けなくて誰がいけるっていうんですか!」

 道中にマニクがそう言ってきて、シーグルは思わず頭を抱える。
 グスとテスタが気づいて睨んだが、マニクには悪気がないから何故そういう目を向けられたのか分からないという顔をしていた。

 部下達が自分を慕ってくれるのは嬉しいが、褒められ過ぎるのはどうにも居心地の悪さを感じてしまって嬉しくない。シーグルとしては自分の欠点も嫌いな部分も分かっているから、あまりにも夢見るようにどこも欠点がない聖者みたいに祭り上げられると自分の自覚とのギャップで困るし、自分がそんな理想の人間でない事に居たたまれなくなるのだ。
 さすがに人生経験が長いグス達年長組はそんなシーグルの気持ちを察して褒めるにしても加減と場合を考えてくれるのだが、若い連中は崇拝するように褒めまくってくれるからいつも困る。
 悪気がないから怒る訳にもいかない、というのも更に問題だったりする。
 シーグルがそれでちょっと重い顔をしていれば、やっぱり察してくれたグスが馬を寄せて来て言ってきた。

「心が清い者や美しい者、なんてお伽噺の定番のフレーズじゃないですか。実際はたまたま運が良かったが大抵の場合の理由です。まぁ今回は、そもそも本当にその谷があるのかが問題ですが」
「……そうだな。ただ、谷があるかどうかに関しては少なくとも上ではある可能性が高いと判断したんだろう。なにせ証拠付きの証言者がいる訳だからな」

 情報を持ってきた冒険者が見せたという魔力ありの柘榴石は本物だったそうだから、噂の『霧の谷』かどうかは置いておいても、その鉱脈があるのは確かだと判断したのだろう。

「確かに。ただ、その情報を持ってきた冒険者の話もちょっと引っかかるんですよ。普通ならこっそり独占して甘い汁を吸ってから報告するでしょうから」

 それはシーグルも疑問に思った事だ。冒険者本人としては自分でそこの鉱脈を採掘する事は無理と判断したから事務所に情報提供した、という話だが、ならそこはどれだけ採掘が困難な場所なのだろうという話になる。

「それが出来そうにないからの情報提供だそうだ。つまり採掘か、もしくは行く事自体が難しい場所、というのがあり得る。それも含めて状況を確認してこいというのが上の命令だ」
「成程、例の噂とかを聞いた感じだと、そりゃ後者の可能性が高そうですな」
「あぁ、谷が存在するとして、一部の者しか谷に行った事がないという状況からすればそう考えていいだろうな。それならそれで、どうしていけないのか、というところを調査して報告しなくてはならない訳だ」
「それはまた……面倒ですな」
「まぁな。だが場所はすんなり教えて貰えたからまだいいさ」

 それには、確かに、とグスが言って二人して苦笑する。
 ダスティーアン卿の館がある領都バシクラズは栄えた街であるが、領境のある山方面は森と山ばかりでそれなりに整備された道はあるもの人はあまり住んでいない。いや、行きに使ったウロス山の南から迂回するルートの時は時折小さな集落や冒険者小屋などを見かけたが、今回の北へ迂回するルートの方では途中から一切民家を見なくなったし、人ともすれ違わなくなった。
 その所為もあって、割合砕けた会話をしながらのんびり歩いていた一行だったが、途中から妙に霧が立ち込めてきた事で警戒する事になる。

「『霧の谷』らしくなってきたんじゃないですか?」
「だな、さっきから道はどんどん下ってるしな、いよいよ谷かね」
「ばっか、『霧の谷』を見るには霧が晴れなきゃならねぇっていってたろ、霧があっちゃ困るんだよ」
「でもそりゃおかしくないか。霧がないときに見えたものを『霧の谷』って呼ぶのはさ」

 皆が言い合う中、一度最後尾にいっていた筈のグスが馬を走らせて聞いて来た。

「どうします隊長、このまま進みますか?」
「まだ視界が遮られるという程じゃないからな、とりあえず慎重に、少し歩かせる速度を落として進もう。ただ霧が更に濃くなるようだったら馬から降りてランプを付けたほうがいいだろうな」
「分かりました。それと、隊長はもう少し下がって隊の中央へ行ってください」
「……分かった」

 『自分の身を最優先』というのに慣れていないから了承までにどうしても考える間があいてしまうが、それでも今はこういう時の部下の気遣いは素直に聞くように努めている。自分の責任と、心配をかける人の事を考えれば、例え部下を全員失っても自分だけは助かるように――と言われているし、分かっているのだが、やはりそれを割り切れない自分も分かっていた。

――あぁ、分かってるんだ、俺の命は俺だけの問題ではないという事くらい。

 そこで思い浮かんでしまうのが、やはりあの男なのだからまた落ち込みたくなる。しっかりしないと、また彼に頼らざる得ない事になると自分で自分に言い聞かせる。
 ただ……どうにも自分はトラブルに巻き込まれやすい人間なのだと思うのは、こういう時で――。

「だめだっ、これじゃ危なくて前に進めない。とりあえず皆馬から降りてランプ付けろ」

 道の脇にある筈の木々が殆どみえなくなってきた辺りで、グスのその声が飛んで皆が馬から降りる。やがてほとんど白い靄の中になった視界の中で、ランプの明かりが灯りだす。シーグルも当然ランプを付けたが、実は一人だけ光の色が違う粉を使っていた。これはもしもの時、自分だけはすぐにわかるようにとのグスの提案だが、本当に大事にされているなと思う事でもあった。

「グス、無理はするな。危険そうなら一旦戻ってもいい」

 確か今、グスはテスタと共に先頭にいる筈だった。目だけならテスタはこの隊で一番いいし、元が狩人だから霧で辺りが見えにくくても前に進んでもいいかどうかの判断は任せていいだろう。だからこそグスもテスタを前に連れていったのだから。

「はい、分かっています。ただまだ完全に見えない訳ではないので――」

 そこで言葉が途切れて、シーグルは少し待ったものの聞き返した。

「どうしたグス、何かあったのか?」

 だが返事は聞こえない。霧はますます深くなっている。ただ前にも後ろにもランプの明かりが見えてはいるから、隊の皆とはぐれたという訳ではない筈だった。

「グス、返事をしろ」

 それでもやはり返事は返らない。

「皆いるのか? 点呼だ、各自声を上げてくれ」

 言いようのない不安に駆られてそう声を上げてみればやはり返事は返らず――シーグルは、不味い事態になった事を理解した。それでも未だにランプの明かりは見えている。思い切って一番近いランプの光に向かってみたが、どれだけ進んでも明かりが近づかない事でシーグルは足を止めた。だが足を止めても明かりが遠ざかっていくこともない。つまり、本物の明かりではないと考えていいだろう。

――いつからだ、いつから皆とはぐれていた?

 知らない内に転送されたか、もしくは幻術で違う道に誘導されたか。嘘の明かりが見える段階で幻術は確実に使われている筈だが、声が途中で途切れたということはそこで転送された可能性も高い。
 シーグルは冒険者支援石を取り出した。この石には一応方向を見るための機能として、石の裏を擦れば魔法都市クストノームのある方角が光る事になっている。だが擦ってみても石は全体が軽く光った後すぐにその光は消えた。この状態になる時は、周囲に魔力の強いものがあって方向が追えない時であるから――期待してはいなかったとはいえ、シーグルはため息をついた。

――何者かが意図的に誘導したのか、それとも単に例の石の鉱脈が近いからか。

 魔力含有量の高い柘榴石、それが大量にあるというなら支援石で方向が分からない事は十分あり得る。だが幻術が確実に使われているということは、それを行う何者かの意図が入っているという事でもある。

「……結局、どちらにしろ俺たちを離れさせようとする者がいる訳か」

――狙いは俺か、俺たちか。

 暫くは何か起こるか、もしくは誰か気付いて探しにくるかと思って立ち止まっていたシーグルだったが、かなり待っても何も起こらないならこのまま立ち止まっているべきではない。霧はまったく晴れそうにないし、相変わらずの幻術の明かりがちらちら揺れるのだけを眺めてシーグルは仕方なく歩きだした。
 だが、突然そこで引いていた馬がある方向に向かおうとしてシーグルは驚く。

「どうした?」

 止めれば大人しく止まるし、言う事を聞かない訳ではないから何かの術ではなさそうだが、馬の好きにさせてみればやはりある方向へ行きたがる。
 シーグルは一旦考えたが、馬に任せる事にした。
 どうせ視界は真っ白だしどちらへ行けばいいのかわからないなら、鼻がきくだろう馬に頼るのもありだろう。そうすれば馬はどんどん歩いて行って、シーグルはそれに連れられるように歩いていく。そうして、やがて……。

「霧が薄くなってきた、か?」

 白一色に染められていた風景のその先がうっすらと見えて来て、シーグルはほぅ、と軽く安堵の息を吐いた。更には進んだ先、現れた光景を見て、シーグルは今度は感嘆の息を漏らす事になった。

「あぁ、ここが……」

 思わず呟いてしまったが、見えたその風景だけでシーグルにはそこが『霧の谷』である事が分かった。
 霧は完全に晴れてはいなかったが、うっすらと靄を纏う谷は小さな沼があちこちに見える湿地帯が続いていて、周囲には水辺だけに生息する珍しい草や花が生えていた。もう少し近づいてみれば沼とはいっても水は澄んでいて、水面はまるで鏡のように周囲に生える草花を映していた。

「すごいな、ラークならここに何時間でもいそうだ。ただ、確かに美しいところだ、が……」

 ここに鉱脈なんてあるのだろうかと考えてから、あるのなら谷を挟んでいる両脇の切り立った崖の方だろうかとシーグルは思う。この位置からは薄いとはいえ霧の所為で見え辛いから近づいてみるかと思ったシーグルは、その前に持っていたランプを傍にあったランの身長程しかない小さな木に引っ掛けた。ランプ用の粉は十分余裕がある、こうしておけばもしかしたら皆が明かりを見つけてきてくれるかもしれない。
 そうしてランプを掛け終えて振り返れば、ここへ連れて来た馬はのんびりとその辺りで草を食んでいて、シーグルは呆れて笑う。

「なんだお前は、美味そうな草の匂いがしただけだったのか?」

 だがおかげでここに来れたのだから感謝をしてやるべきか。シーグルはそのまま馬には好きに食べさせておく事にして、沼の方へ向かってみた。

「飲めそう、だが」

 篭手を外し、手で掬ってみても水は綺麗で、このまま飲んでも問題はなさそうに思えた。ただ、これで気にせず飲んで何かあったら部下達にあわす顔がないので飲むのは止める。代わりに兜を取って改めて水を掬い、顔を洗った。水は冷たくて思った通り気持ちが良い。ただ――そこで妙な気配を感じて、シーグルは一旦動きを止め、警戒をまとって辺りに注意を向けた。

――何か、いるのか?

 馬が気にせず草を食んでいるところからして大丈夫だとは思うが、考えれば少なくとも幻術を使う何者か――人間とは限らないが――が何処かにいると思って間違いない。

「風が出て来たか――って」

 僅かな風を感じるのとほぼ同時に、足に何かを感じてシーグルは目を向ける。

「なんだ……水草、か?」

 水の中から生えている水草らしきものが、風が水面を揺らした所為か水が岸に押し寄せると一緒に寄せて来て靴に少し触れたらしい。
 シーグルは今度は立ち上がって辺りを見る。どうにも視線のようなもの、何者かの気配を感じて仕方がなかった。



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じわじわとシーグルがまた狙われてるっぽいってところで……。



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