吟遊詩人は記憶を歌う




  【2】




 新人を送ってから、急いでシーグルの執務室へ向かったシェルサとマニクは、どうにか部屋の明かりがまだあるウチに――シーグルが帰る前に、間に合うことが出来た。

「――……成る程、事情は分かった。だが恐らく問題は起こらないだろう。いくらほかにもやっている者がいるとはいっても、それを堂々と言える程の馬鹿ではないだろうしな」
「まったくですね」
「逆にもし何か言ってきたなら、こちらから抗議するくらいだ。どう考えてもおまえ達が正しい」

 シーグルのその言葉に満足そうにマニクは笑う。
 いくらいつでも完璧な甲冑姿のシーグルであっても、さすがに事務仕事の最中にまでその格好はあり得ない。すぐ終わるような書類整理程度でも、最低でも篭手周りと兜は外している筈だった。だからこちらへ直にくるということは、あの綺麗な顔を近くで絶対にみれるという事になる。いつもキールやグスが仕切っているから、無理矢理作ったような用件では部屋の中に通して貰えないが、今回は堂々と話があってきているのだ。
 だから、目の前の綺麗な顔がこちらを見て笑いかけてくれたのを、二人共に天にも昇る気持ちでみていたりした。

「それで、その、襲われた者の方は大丈夫だったのか?」

 唐突に聞かれて、シーグルに見とれていた二人は、慌てて背筋を伸ばした。

「あ、はい、手ぇ出す前に止めましたから全然無事です。こういうのがいるからよーく気をつけるんだぞとしつこくいって門まで送りましたから大丈夫だと思われます」

 聞いたシーグルの顔が明らかに安堵を浮かべる。

「そうか。それは良かった」

 その様子で、マニクは我ながら余計な事に気がついてしまった。

「隊長も……もしかして騎士になった時にそういう連中に声掛けられたりとか……あったん、で、しょうか」

 考えれば、シーグル程の容姿の新人がここへやってきたのなら、そういう連中が目をつけない筈はない。だが、そこへシェルサがすかさず肘で突付いてきた。

「隊長は貴族だぞ、貴族法があるし、そういう連中が手を出せる筈がないっ」

 怒って抗議するシェルサは、シーグルがそんな目に合ったなんてことを考える事さえ嫌なのだろう。
 だがシーグルの反応といえば苦々しい苦笑で、マニクは思わず顔を顰める。マニクだって、シーグルがそんな連中に何かされたなんて事は考えたくなかった、否定してくれることを期待しての言葉だった。

「ここに手続きに来た日に、その手の馬鹿に襲われそうになった。何も知らずについていった俺も馬鹿だったんだが」

 自嘲して呟くように話すシーグルに、マニクとシェルサはごくりと唾を飲み込むと、どちらともなく聞き返した。

「それで、どう、なったのですか?」

 真剣な様子の二人に気づいて、シーグルが一度目を見開いた後静かに笑う。

「誰かが石を投げてくれて、その隙に逃げられた。まぁ、殴られたりで多少は怪我をしたが、それだけで済んだ」

 二人ともが盛大に安堵の息を吐く。

「夢中で逃げたからな。姿を見れなかったから誰が助けてくれたのかは分からないが、もしまだ騎士団にいるんだったら礼は言いたいと思っている」

 気が抜けたように笑うマニクは、それに思わず付け足した。

「俺も、その人に礼を言いたい気分です」
「まったくです」

 二人の様子がおかしかったシーグルは、笑いながら彼らの顔をじっと見つめる。

「きっと、お前達が今回助けた人物も、俺と同じく感謝してるだろう。ありがとう、俺からも礼を言う」

 それで舞い上がった二人は、浮かれ過ぎて後のやりとりも覚えておらず、ただ夢心地のまま部屋を後にした。






「本当に貴方は、あちこちで襲われてるんですねぇ」

 二人がいた間はあえて口を挟んでこなかったキールは、彼らが出ていった後に盛大にため息をつきながらそう言った。

「あの頃はそうでもなかったんだが……」
「えーえまぁ、今とくらべりゃマシではあったんでしょうねぇ」

 そう返されれば、シーグルの反論は口の中に消える。
 実際、まだ子供に見えるような頃は、手を出してくるのはいわゆる雑魚ばかりだったので、こちらの外見で油断してくれるのもあって、襲われても簡単にどうにかすることが出来た。本気でまずいという事態にまでなったのは、その時と、後もう一回くらいしかない。
 ただし、そうやってどうにか助かっていたのも、セイネリアに会うまでの事だったが。

「まぁつまり、貴方の人生はあの男と会って変わったという事ですかねぇ」

 頭の中身を読んだようにキールがそう呟いたので、シーグルは苦笑するしかなくなる。
 そこから急に立ち上がって近づいてきたキールは、目が合った時、彼にしては珍しい真顔をしていた。

「あの男に会っていなかったならばと、思いますか?」

 聞かれたのは、昔なら確実に肯定した言葉だった。
 トクリと、胸の鼓動が鳴った音が聞こえた気がした。

 実は少し前、シーグルは知らない旅の吟遊詩人に同じ事を聞かれていた。
 その時のやり取りのことをまるで見ていたように聞いてきたキールの言葉に、シーグルは内心かなり驚いた。じっと睨みつけてくるキールの視線に、シーグルは少し困ったように苦い顔をする事しか出来ない。
 確かに、彼にさえ会わなければ自分の人生は狂わなかったとそう思い、彼本人にもそう言った記憶がシーグルにはある。

 けれども、本当にそうなのだろうか。

 彼と会わなければ問題は起きず、自分は平穏にただ決められた役目を果たす事だけを考えていられたのだろうか。こうして、兄と和解し、部下達と笑う日々を、なんの苦しみもなく手に入れられていたのだろうか。
 それは、誰にも分からない。起こらなかった未来が見える者はいない。――結局、件の詩人にも聞かれたその問いに、答えを返す事は出来なかった。

 セイネリアが、憎かった。

 自分を騙し、何の弁護の余地もなく、ただ勝手な欲だけで自分を踏みにじった男が憎かった。けれども、今、彼を憎いのかと聞かれれば、シーグルには分からないとしか答えられない。
 誰も傷つけられない筈だった最強の男は、シーグルの為に深く傷ついて、それでもシーグルがシーグルでいられる事を願って、尚自らが傷つくことを選んだ。
 愛していると、その言葉だけが彼の真実だと、シーグルは気づかなかった。いや、気づきたくなかったのだ。
 確かに、セイネリアに出会ったせいで、シーグルはたくさんの厄災に巻き込まれる事になった。けれども、今こうして笑っていられるのもまた、セイネリアがいたからこそだと言うことも分かっている。

「分からない。分からないが――俺は、答えを出さなければならないんだ」

 そうして、彼に会わなければならない。
 目を閉じたシーグルのその横顔を、キールは苦い顔で見ていた。





 翌日、未だに昨日の気分のまま浮かれて訓練場へと向かったシェルサは、まだ誰も来ていないその風景に、満足げににんまりと笑みを浮かべた。このところ、朝の訓練の一番乗りを目指している彼は、今日もその目標が達成された事に気分が良かった。
 しかも今日は、そのせいで予想外の大幸運にも見回れる事になる。
 
「なんだシェルサ、随分早いな」
「え、あ、隊長っ、おはようございますっ」

 こんな時間に彼に会えるなんて、想定外の、シェルサにしてみればありえない程特別の幸運である。昨日の今日でこの報われぶりは、俺はもうすぐ死ぬのかもしれないと頭の中で思う程だった。

「今日は、き、休日でもないのに、隊長がこの時間にいるのは、め、珍しいですね」

 感激のあまりどもってしまえば、兜を被ったままのシーグルは、口元だけに困ったような笑みを浮かべた。

「実は今朝は寝坊をしたんだ。そのせいで、朝出かける程の時間がなくて、その分早くこちらに来てしまう事にしたんだが……まさかもう人がいるとは思わなかった。熱心だな」

 さすがのシェルサも、悪気なくさらっといったそのシーグルの言葉には顔がひきつる。

「寝坊、ですか……」

 普段どれだけ早起きしているんですか、とか、ちゃんと寝てますか、とか、言いたい事がいろいろ浮かんだが、それらはぐっと飲み込んで、シェルサはただため息をつくだけにとどめた。
 シーグルはすでに剣を構えて振ろうとしているところだったので、余計な事は考えずに、暫く彼はその姿を堪能する事にする。
 シーグルは綺麗だ。
 もちろん顔やその姿については言うまでもなく、普段のなにげない所作から姿勢までが全部綺麗で、特にこうして剣を振っているその姿は、あの麗しい顔が見えていないのに一番綺麗だとシェルサは思う。
 彼の剣は速さの剣だが、それが単純なるパワーから生まれるものではなく、出来るだけ無駄を省いて効率的に、正確に動いているからこそ、あの完成された姿になっている。しかも、ただ基本に忠実に正確に動いているだけでなく、実践からくる緩急をつけた動作には、感心を通りこして感嘆の息しか出ない。
 いくらがんばっても彼に追いつけるとは思えないが、出来るだけ近くに行きたいとシェルサは思う。ただ、どれだけ強くても彼は更に上を目指しているから、いつまでたっても距離が縮まる気はしないが。
 これだけ綺麗な人なのに、これで心まで綺麗なのだから、まさに神様に特別に愛された特別の人であるのは間違いない。
 彼が今の彼である事を、シェルサは神様に感謝せずにはいられない。そんな彼の部下になって傍にいられる事は、シェルサにとって間違いなく一生で一番の幸運だと思っている。

「シェルサ、見ているだけじゃ早起きした意味がないだろう。よければ久しぶりに相手をしてほしいんだが」

 軽く汗を拭ったシーグルがそう言ってきたことで、シェルサは驚いて背筋を伸ばし、目を潤ませる程感動して声を張り上げた。

「は、はいっ、ぜひお願いしますっ」

 その声が、ひっくり返って妙に高くなっていた為にシーグルが笑う。それにまたシェルサも感動して、張り切りすぎて最初の一本は酷い動きになってしまった、というオチがついてしまう事になった。




 

 太陽がほぼ真上のあたりに来た頃、午前中の訓練が終わる。
 この時間騎士団内にいる連中は、隊によって時間差をつけて昼食に入り、次の隊がくる前に終わらせて出ていかなければならない事になっている。
 だから食事中におしゃべりなどしている余裕は殆どなく、食後から午後の訓練までの休憩時間が、主に隊員同士の雑談時間となっていた。

「ってか、今朝隊長と二人っきりで訓練とか、どんだけラッキーなんだよお前」

 昨日のラッキー仲間(?)であるマニクが羨ましそうにひじで小突いてきても、シェルサは微妙に口元をにやけさせたまま黙っていた。

「ってか俺からしたら、お前ら二人揃って抜け駆けしたなって感じなんだけどな」

セリスクは不機嫌そうに呟きながら、シャリシャリとリンゴをかじる音をさせていた。

「だからソレやったろ。機嫌なおせって」
「これで誤魔化せるか馬鹿。まぁ、日記に書いといてやるからな。恨み込めて」
「てか、それ暗すぎるだろ、お前」

 あぁそれはマニクのお詫びの品だったのかと、シェルサは同室の二人のやりとりを聞いて思う。彼ら二人は同期でここに入ってきて、宿舎でも同室ということでいつでも仲がいい。ちなみにセリスクは隊の中で一番文字書きが上手く、普段から毎日日記をつけていることで有名である。彼いわく、将来この日記を編集して、シーグルの騎士団での活動記録みたいな本を出す、という事らしい。それは勿論、シーグルが歴史に名を残すような人物になる、という事がセリスクの頭の中で決まっているからであるが、いわずもがな、シェルサの頭の中でもそれはとっくの昔に決定事項だった。

「しかしまだ、そういう習慣ってのが残ってたんだなぁ」
「まったくな。俺はお師匠さんから、絶対に人少ない時間に一人でいくなって言われてたからそういう被害はなかったけどさ」
「いやお前なら大丈夫だ、顔的に」
「るせぇよ」

 二人の会話に入っていけず、シェルサはただ聞いている事しか出来ない。元々あまり話す事は得意でもないため、こういうテンポのいい会話をされるとただの聞き役になるのが常だった。

「ま、でも隊長はあの容姿だからなぁ。襲った連中は、見ただけで貴族様とかそういうの考えずに手ぇだしちゃったんだろうなぁ」

 だがそのマニクの呟きには、即答で二人分の声が返る。

「襲われてない、襲われそうになっただけだ、マニク」
「まさか隊長がっ、そんな奴らの餌食に??」

 マニクを睨みつけたシェルサの気迫に、その本人だけではなく、セリスクも驚く。

「襲われそうになったとこで、助けが入って無事だった、だろ」
「あ、あぁ、そうだな」

 シェルサとしては、あの綺麗な人が、あんな連中に汚されるなんて事は考えたくもない。
 シェルサのその様子を見て、顔をひきつらせたマニクは話を変える事にしたらく、わざとらしく思いついたように手を叩いてみせた。

「そ、そーだ。隊長を助けたってのは誰なんだろうな。4年くらい前の話だそうだからもう団にはいない可能性も高いけど、でも隊長の性格からしたらお礼言いたいだろうなぁ」

 騎士になる条件の一つに、騎士たるにふさわしい装備が揃えられる者、という項目があるのだが、これは一定期間騎士団勤めをすれば免除される事になっている。その為、こうして騎士団にいる若手の大体はその免除の為にいる者達で、そういう連中は義務期間が終わればさっさと騎士団を辞めてしまう事が多い。多少条件によって義務期間は変わるが、おおよそ3年ちょいくらいな為、シーグルが騎士になった当初にいた人物ならもう辞めている可能性の方が高いと言えた。

「それでも、探してみるのはありかもだな。その本人がいなくても、もしかしたら手ぇ出した連中の方が見つかるかもだし。そっちは恐らく守備隊とか警護部隊の連中だろうし、まだいる可能性が高いだろ、そっちから聞けるかもだ」

 セリスクが言った言葉でマニクもやる気になったらしく、そうだな、と彼は乗り気な返事を返した。
 そして勿論シェルサは、ぐっと拳を握りしめて宣言する。

「よし、探そう。隊長もきっと気になっているに違いないっ」




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やっとシーグルが出てきました。で、吟遊詩人さんの話もちらっとね。
若手君達は今回こういう意味での活躍(?)をする事になります。



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