憎しみの剣が鈍る時
※この文中には性的表現が含まれています。読む場合は了解の上でお願いいたします。




  【9】



 生ぬるい他人の体温が舌に触れる。
 相手の舌で絡めとられるのが嫌で思わず唇を離しそうになれば、一瞬だけ入った外気が唾液を冷やして、舌に冷たい液体の感触を伝える。更には、その時に溢れたものが唇から零れ、耳元にまで伝って行く。

 逃げたい、けれど、逃げられない。逃げる訳にはいかない。

 セイネリアの手はシーグルの顔を押さえてはいない。頭の少し上に手ついて、顔だけを近付けて口付けているだけだった。けれど、ベッドに寝た状態では逃げ道がある訳はなく、顔を横に向けようとしてもすぐにセイネリアの唇が追ってくる。
 唇同士の隙間さえ許さないように、何度も唇だけで噛み付くように合わせ直され、その度に彼の舌が深く進入してくる。逃げようと縮こまっていた舌も強引に絡め取られ、ぬるぬると粘膜同士を擦れ合わせるように舐めとられる。
 抵抗を諦めてされるがままにしていれば、息が苦しい所為か意識が薄くなってきて、体にも力が入らなくなってくる。
 けれど、それで意識を飛ばしそうになっていたシーグルは、体に触れてくる手の感触に、肌を震わせると同時に目を見開いた。

「んう……」

 セイネリアの手が、シーグルの肌を撫ぜる。
 硬い皮膚の感触が、柔らかい肌の上を、そっと、触れるか触れないかのぎりぎり程度の位置で撫ぜていく。相手の体温が体を撫ぜていくようなそんな感覚がもどかしくもくすぐったく、けれどもそれが時折敏感すぎる位置を掠めれば、意識せず肌がびくりと跳ねた。
 その反応が伝わったのか、セイネリアの手は周辺をゆっくりと撫ぜながら、弄ぶように時折感じるその場所に触れてはすぐに離す。それを繰り返す。
 何度もそんな事をされると、強い刺激を受けた訳でもないのにその場所が熱を強くしていって、鈍い疼きが下半身に溜まっていく。
 体の感覚に意識を持っていかれそうになりながらも、口の中は未だに相手に翻弄されたままで離してはもらえない。
 肌を震わせて声が漏れそうになれば、僅かに唇に隙間が開いて唾液がぴちゃりと濡れた音をさせて溢れた。
 唇から耳元に掛けては既に溢れた唾液を気にする事もない程に濡れていて、暖かい流れが髪の付け根に溜まっていく。
 それでもまだ、セイネリアは唇を離してはくれない。
 苦しげに眉を寄せるシーグルの視界の中では、セイネリアの黒い髪が揺れ、彼の琥珀色の瞳がぼんやりと見える。その瞳が映す感情がはっきりと見える前に、シーグルはきつく目を瞑った。

 セイネリアの手が胸を撫ぜる。赤い尖りの周辺を執拗に撫ぜて、指で硬くなった中心を軽く弾く。わき腹を撫ぜて、内股を撫ぜ、一瞬だけシーグルの性器に触れていく。
 強い力ではなく、ほんの僅かだけ足を広げられ、内股や腿を軽く掴んでは離す。
 ウエストのラインをなぞられて、そこから尻朶を掴まれる。
 そのどれもが、直接そのものへの刺激は最小限にしておいて、これからされる行為を連想させるだけに留まっていた。
 けれども、自分の体がはっきりと熱を溜めていっている事がシーグルには分かる。
 体がそれ以上の刺激を望んでいるのさえ自覚する。
 口腔内はお互いの舌で相手の舌を押し返しているような状態で、だらだらと頬を伝って行く唾液の感触を気にする余裕はもうなかった。ぬる、と相手の舌がこちらに押し込まれるたびに、ちゅ、と音をさせて、溢れすぎて溜まった髪の付け根の唾液が、頭を揺らすたびにやはり濡れた音を立てる。意識せず、鼻から高い音が抜ける。

 シーグルにはどこにも逃げ場がない。

 やがて、体を撫ぜていた手が離れ、そう思えばすぐにセイネリアがベッドの上に乗り上げてくる音がして、落とされる影と共に、その筋肉に覆われた体が自分の体を覆い隠すように被さってくる。
 相手の体重がずしりと体に圧し掛かり、苦しさと同時に、完全に動けない事を実感する。
 肌と肌が密着し、相手の体温に体が覆われる。
 じっとりと汗ばんだ感触や、軽く身じろぎした筋肉の動きさえ分かってしまって、その生生しさはシーグルの心を更に追い詰めていく。
 唇は未だに唾液の音をさせたまま、セイネリアの唇に覆われている。もう、口腔内の感覚さえ分からなくなってきていた。
 荒々しく口内を犯してきているのかと思えば、優しく舌に触れる、丁寧に唇を合わせてくる。手は優しい程の丁寧さで体を柔らかく撫ぜ、ゆっくりとした快感をシーグルの中に生んでいく。

 いい加減にしてくれ、止めてくれ、シーグルは心の中で何度も叫んだ。

 愛しそうに、優しく触れてくる手なんていらない。
 宥めるように絡まってくる舌なんて嫌だ。
 この男に触れられる事で体が熱を持ってきている事なんて、実感したくなかった。
 抱かれるならせめて、奪うだけ奪って犯せばいい。勝てる筈がないこの男に組み敷かれて犯されて、征服される……まだ、その方が良かった。勝てない自分の力の弱さと未熟さを責めるだけで済むのだから。

 セイネリアが体を動かして、互いの性器同士が触れ合う。
 すっかり熱を持って存在を主張している互いのそれを実感して、シーグルは悲鳴を上げる代わりに目を開いた。

 セイネリアの瞳が細められている。
 伏せられた瞼、長い睫毛が薄く開いた瞳に影を落としている。
 感情に揺れる金茶色の瞳が浮かべるのはまるで、愛しい、者への……。

 シーグルの心の何処かに亀裂が入った。
 腹のそこから競りあがってくるのは、恐怖、だった。

 シーグルは叫んだ。

 言葉にもならず、ただ悲鳴のように声を上げた。
 夢中で暴れて、セイネリアの体を引き剥がそうとした。
 心を覆い尽くそうする恐怖に抗うように、狂人のように暴れた。

 勿論、セイネリアにとってはそのシーグルを押さえ込むだけなら然程苦にするものではなかった。
 だが、シーグルの様子がおかしい事はさすがにセイネリアにも分かった。
 見開かれた青い瞳が焦点を結んでいないのも、彼の体が小刻みに震えているのも分かって、セイネリアは彼から顔を離し、体も浮かせてやってその顔を見下ろした。
 セイネリアが離れた事を分かったシーグルが、叫ぶのを止め、呆けたように宙を見つめ、荒い息を吐く。唇は震え、歯さえ震えているのか、ガチガチと音を鳴らしている。
 暫くの間はセイネリアにとってさえ、シーグルに何が起こったのか理解出来なかった。
 だが、少しづつ震えの収まっていったシーグルが正気を取り戻し、セイネリアの姿を見る。
 その瞳の中には強い憎悪が浮かんでいた。

「……どういう、つもりだ」

 セイネリアには、彼の言葉の意図がつかめなかった。

「何の、つもりだ。俺を抱くなら、勝手に突っ込んで犯せばいい。足を開けと言うなら開く、腰を振れと言われれば振ってやるさ。こんな……普通の……恋人でも抱くような抱き方をしてみせて……そんなに、俺を嬲って楽しいのか、お前は」

 セイネリアは眉を寄せる。
 そして、おぼろげながら、シーグルが取り乱した原因を理解する。

「つまり、抱くなら乱暴に犯されたほうがいいのか、お前は」
「その方が、マシだ」

 シーグルの瞳が浮かべるのは、憎しみと、恐怖だった。
 憎しみはまだしも、彼が何に恐怖しているのか、セイネリアにはきっぱりと断定出来る程には分からない。自分の体が感じていくその過程が怖いのかと、その程度の予想しか出来なかった。憎むべき相手に抱かれているのに感じていく事が怖いのかと。
 だから、セイネリアの口に浮かぶ笑みは、本当はセイネリア本人に向けられたものだった。

「ふん、人の事をヘンタイだといっておいて、お前の方がとんだヘンタイだな。痛い方がいいのか、お前は」
「少なくとも、お前相手ならな」
「いいだろう、そのくらいは望みを聞いてやる」

 どこまでも自分を拒絶する彼の青い瞳に、セイネリアの感情が軋む。
 何があっても手に入れられない事など分かっていた筈なのに、まさかこんなにも苦しいと感じるなど予想もしていなかった。

 ――何を期待していた、何が欲しかった。

 自分の中でちりちりと燻る感情に呼びかけても分からない。
 少しでも欲しいと思った者は、今まで、奪って犯せばそれだけでよかった。それ以上どうしたいとは思わなかった。相手がどう思おうと、どうなろうと、そんな事はどうでもよかった。そんな事で感情が揺れる事などなかった。

 弱くなった。

 そう、自覚するしかない。
 恐怖していた事が現実になる気分というのはこういうものなのかと、セイネリアは自分を嗤う事しか出来なかった。

 シーグルはセイネリアを睨む。
 青い瞳に憎しみを込めて。
 どこまでいっても、この夜と夜明けの境目の空のように澄んだ深い青色は、自分を憎しみ拒絶し続ける。

 セイネリアは、シーグルの足を掴んで、大きく開いて固定した。
 シーグルは歯を噛み締めて顔を逸らし、その屈辱に耐える。
 開いた状態で手を離せば、シーグルは一瞬足を閉じかけて、そしてそのままで止めた。それにセイネリアは嗤う。

「そうだ、自分で足を開くといったのだからそのままでいろ。望み通り犯してやる」

 そうして、腰を上げさせ、尻を開いて猛った自分の欲望を彼に押し付ける。

「がっ……うぁ……」

 慣らしも、濡らしてもいないそこは、彼の心のように拒絶して受け入れようとはしない。しかも痛みの所為か強張った体はさらに受け入れにくくする。
 セイネリアは舌打ちをして、一旦押し込めていたそれを離し、シーグルの口に自分の手の指を突っ込んだ。

「噛むなよ、舐めろ。痛いのがいいとはいっても、また当分歩けないのは困るだろ」

 言いながらセイネリアは、彼の口内の唾液を集めるように、指を押し込んで柔らかく暖かい粘膜を掻き回す。シーグルは苦しそうに唸りながらも、やがて舌でその指を舐め始める。
 口の中を掻き、十分指に唾液が絡まったのを確認して、セイネリアは指を引き抜くと今度はそれを彼の尻に持っていく。
 濡れた感触にシーグルがびくりと震えたのが分かったが、迷いなく指を後孔へと一気に三本押し込んだ。

「うぅっ」

 唸る声と共に、シーグルの足が僅かに閉じる。
 それをわざと強くベッドに押し付けて、先程より更に開かせてから、セイネリアは中に入れた指を彼の中に出し入れさせる。

「つ、うぅっ」

 裂けてはいないものの、固く閉じたその場所の感触は、彼が相当に苦しいだろう事は予想出来る。だがセイネリアは顔から表情を消して、ただ事務的に指での抽送を続け奥を引っ掻いた。
 唾液に濡れて光る指が、彼の中へ埋まっては現れる。その指の動きが、まるで別の生き物が彼の尻で蠢いているかのように見える。
 指に感じる感覚は暖かく、けれども進入を拒んで押し出そうと柔らかい肉壁が締め付けてくるから、それを掻き分けるように指で中を擦った。
 その度に、シーグルは目を閉じたまま歯を噛み締めて、唸りながら肩をびくびくと跳ね上げる。
 一度は萎えた彼の欲望も、少しだけまた反応を見せてきていた。

「耐えたところで、体が感じている事まで拒絶は出来ないだろ」
「うる、さい」

 今の状態では声を出したくないだろうに、それでもわざわざそんな言葉を返してくる彼がおかしい。
 未だ中は固く強張って拒絶をしてはいるものの、十分に濡らした事だけは確認して、セイネリアは指を抜くと、再び自分の性器を彼に押し付けた。
 今度は、止める事なく強引に貫く。

「ぐ、う……がぁっ」

 痛みに喉を鳴らしたシーグルは、腕に血管さえ浮かせてシーツを掴んでいる。
 それを見下ろして、セイネリアは更に奥まで彼の中に埋め込むと、彼の体を押さえつけ、一度引き抜いてまた深く埋める。

「は……、ぐ、うぁ」

 どうにかして喘ぎにならないようにはしているものの、強張って開いたシーグルの唇からは苦しそうに声が漏れる。
 貫いては引き、段々とその速度を上げていけば、力なく揺れる彼の顔にも少し朱が入り始め、苦しそうな呻き声の中にも高い音が混じりだす。

「一度知った快感を、体はそう簡単に忘れたりはしない。感じるんだろ、シーグル」

 固く目を瞑っていたシーグルの瞳が、薄く開いてセイネリアを見る。

「貴様の、所為、だ……」

 セイネリアの唇には再び笑みが浮かんだ。
 だが、セイネリア本人にさえ、それが何を笑っているのかわからなかった。
 腰を強く深く押し付け、彼の奥を抉りながら、睨むシーグルの頬を優しく手でなぞる。

「あぁ、俺の所為だ。俺が抱いて、お前は男を知った。この体は男に抱かれる事を快感だと感じるようになった。分かるかシーグル、触れてもいないのに、突っ込まれているだけでお前のものはこんなになる」

 頬を撫ぜる手のように、声だけは優しく囁くように。
 唇に笑みを浮かべたまま、セイネリアの手がシーグル頬を離し、彼の雄を掴む。
 抽送を止めずにそれを扱いてやれば、簡単に彼の体はびくびくと痙攣し、中は強く締め付けてくる。セイネリアは自分ももっていかれそうなその快感に顔を僅かに顰めると、彼の先端の窪みを引っ掻くように強く擦って、同時に奥を突き上げた。

「や、だ、やめ……」

 彼の弱々しい呟きと共に、手の中のものが達する。
 悔しさと絶望に涙をただ流す彼の顔を見て、セイネリアは自分の心もまた痛みを覚えている事を自覚していた。

「もう、手遅れだ。お前は戻れない」

 ――そして、俺も。

 手をどろどろに汚した彼のものを、今度は軽く爪さえ立てて先端の未だ液を零しているところを擦る。
 そうして、びくんと跳ねるように腰を折り曲げたシーグルに覆い被さりながら、セイネリアは再び彼の深くを突き上げる。
 乱暴に、自分の欲をただぶつける為だけに。
 肉同士がぶつかりあう激しい音に、手の中と結合部から聞こえる水音が、空気の潰れる音を含んでぐじゅりと淫猥に響く。
 感じすぎた体の所為で耐える事も限界なのか、唾液を溢れさせながら口を大きく開けて、声を殺しきれずに悲鳴を上げるシーグル。
 細い体は抽送の動きに合わせてびくびくと跳ね、助けを求めるように腕が伸ばされる。
 見開いた瞳は、涙を流し、目の前のセイネリアではなく宙を凝視していた。
 それを許さず、セイネリアはシーグルの顔に顔を近づけて、彼の瞳に無理矢理映る。
 伸ばされた腕をベッドに押さえつけて、吐息が触れる程目の前で彼に言う。

「足を開いて、腰を振れ、やると言ったならやってみせろ、声を出せ、喘いでみろ、お前が望んだ事だ」

 シーグルの瞳に正気が戻る。
 憎しみに瞳を燃やして、セイネリアを睨む。

「う、あ、あぁっ」

 突き上げる動きに、彼が喉を逸らして声を上げる。

「っあっ、ぐ、う、う、あぁ」

 高い声を上げて、足を開いたまま腰をうねらせるシーグル。
 だが、その声は、喘ぎというよりも嗚咽と悲鳴が混じったともいうもので、睨んだままの深い青の瞳からは、止め処なく涙が溢れていた。

「お前から俺に体を差し出したんだ、ちゃんと俺を愉しませろ」

 より乱暴に、より強く、深く、セイネリアはシーグルを突き上げる。
 その度に体を跳ね上げて身を捩るシーグルの姿を琥珀の瞳に納め、掠れた悲鳴の中の熱を聞く。体はただ自分の欲を満たす為だけに彼を扱い、どれだけの悲鳴も拒絶も無視をして、ただ中を擦り上げる。
 シーグルの瞳にはセイネリアが映ってはいるものの、意識が飛びかけたその中には彼の感情は映ってはいない。

 こうして抱いていたところで、シーグルは決してセイネリアの本心を見ようとなどしない。

 セイネリアは瞳を閉じる。
 それから、握り潰しそうな勢いでシーグルの腕を掴み、体を押さえつけ、その中へ精を吐き出した。

「ふ、う……うぅ」

 体の感触に顔を顰めたシーグルの瞳に意志が戻り、涙に濡れたままセイネリアを睨む。
 セイネリアは、体とは逆にすっかり冷え切った感情のまま、冷ややかな瞳でその彼を見下ろす。
 青い瞳は、瞼に隠れそうになりながらも、セイネリアの顔だけを映していた。

「お前……さえ、いなければ。お前に会わなければ……こんな事に……」

 セイネリアは、シーグルを再び突き上げる。
 すぐに彼は言葉を出せなくなる。
 もう声を出せる状態を越したのか、奥に届く度に上がるのは声というよりも荒い吐息だけだった。
 ただし、息を飲むようなその吐息は熱く、甘くセイネリアの耳に響く。

「あぁ……そうだな。お前さえいなければ、か」

 強く揺らせば、シーグルがまた、掠れて音にならない悲鳴を上げて目を見開く。
 出来るだけ乱暴に、出来るだけ彼が痛みを感じるように、足を押さえつけ目一杯に開かせて深くを抉る。
 流石に限界を迎えているのか、シーグルの瞳からは意識が抜け落ちてくる。
 ただ貫けば反応する人形のように、びくびくと体を痙攣させてセイネリアを受け入れている。セイネリアの動きにつられるように腰を揺らし、喉を曝して、熱い吐息と共に彼もやがて自分のものを爆ぜさせる。
 その締め付けの直後、二度目にセイネリアが彼の中へ放った時には、シーグルは完全に意識を飛ばし、気を失ってしまっていた。
 意識を手放した事でやっと苦しみから解放されたかのように、目を瞑るシーグルの顔は穏やかに見えた。
 けれど、押さえつけた所為で白い肌のあちこちには痣が浮かび、荒い息を吐きながら唾液と汗に塗(まみ)れた顔は、見ているだけで心の奥に痛みを生んだ。
 我知らず、セイネリアは歯を噛み締める。

「全くだな、シーグル。お前がいなければ……」

 安堵するように、目を閉じて眠るシーグルに手を伸ばす。
 騎士のくせに細い首を撫ぜて、そのままその首を掴もうとする。

 ……けれど、出来ない。

 首に手をかけても、その手に力を入れる事は出来ない。
 母親を殺した時のように、迷いなくその首を締める事は出来なかった。

 彼が生きていたところで、セイネリアが望むカタチで彼を手に入れる事は叶わない。
 殺さないなら、後は壊すしか彼を手に入れる手段はない。
 けれど、それさえもが出来ない事をセイネリアは分かっている。

 首に回していた手を離し、その手で今度は彼の頬を撫ぜる。
 子供じみた寝顔は、何度も見てきたものだった。
 彼がセイネリアの傍にあってセイネリアを憎まないのは、こうして眠っている時だけだった。

「俺が、憎いか」

 嫌われている事も憎まれている事も、既に分かっていた事だった。
 けれども、彼が示す絶対的な拒絶は、分かっていて尚セイネリアの心を抉った。

「俺は……」

 愛している、と続けようとした言葉は止まる。
 前ならば面と向かって言う事が出来た言葉は、それが真実となった今では眠っている彼にさえ告げられない。
 どこまで弱く、臆病になったのかと、セイネリアは自分で自分を嘲笑う事しか出来ない。余りにも自分らしくなさすぎて、自らに向かって『誰だ』と問いたくなる。

 自分という人間の生きる意味と価値を、作る事だけがセイネリアの積み重ねてきた事だった。虫ケラにも劣る意味のない人間に、より高い価値を確立する為にセイネリアは生きて来た。
 けれど、今まで只管掴み取ってきたそれらよりも、今、強く望むものがセイネリアにはある。自分の持つ全てを壊してさえ、渇望する強い感情がある。
 だがそれは、決して満たされぬものである事もセイネリアは分かっている。
 この感情の行き着く先が、何も得られぬまま、ただ壊し尽くすだけだという事を分かっている。

「お前さえいなければ。……だが、お前だけだ」

 セイネリアは、眠るシーグルに再び口付ける。
 拒む事のない唇を貪り、彼の口腔内の熱を味わう。
 静かに離した唇は、自嘲の笑みを浮かべたまま愛しそうに眠る彼の名を呟き、そして、最強と呼ばれた男はその背に苦しみを抱えたままベッドを離れた。





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セイネリアさんどんだけキスしてるんよ、というのがつっこみどころ。ほら、普段だとシーグル噛むからね……この時とばかりに……。


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