憎しみの剣が鈍る時





  【8】




 セイネリアは、テーブルの上に置いてあった皮袋を手に取ると、それをシーグルに向けて投げた。咄嗟に、シーグルはそれを受け取る。
 促されて袋の中身を見たシーグルは、顔色を変えてセイネリアの顔を睨んだ。

「どういう事だ」

 皮袋の中に入っていたのは、化け物の物と思われる大きな爪と牙。
 それが何から取ったもので、どういう意味なのか、シーグルに分からない筈はなかった。

「お前も気になっていたんだろ。お前の仕事だ。
 流石に4日も事務局に連絡なく放置して置く訳にはいかないだろうからな、こちらで始末しておいた」

 淡々と、感情もなく事務的に話すセイネリアに、シーグルは、瞳に怒りを浮かべて立ち上がる。

「なら何故、これを俺に渡す。お前が始末したなら、お前が持っていけばいい」

 だが、怒りに語尾を震わせるシーグルとは対照的に、セイネリアは表情一つ変える事もなく、シーグルの顔さえ見ない。
 シーグルの言葉に、彼はまた先程見せた、表情もなく底の見えない瞳で、不気味な程抑揚のない声で答えた。

「そんなものの評価や報酬を俺が欲しいと思うか。お前と友達ごっこをしてた時と今は違う」
「だがっ」

 セイネリアにとっては、確かにこの仕事分の評価や報酬などなんの意味もない事はシーグルにだって分かっている。けれども、人がやった仕事を自分の物として受け取る事など、シーグルには出来る筈がなかった。
 尚も引き下がろうとしないシーグルに、セイネリアの瞳がゆっくりと向けられる。
 何の表情も浮かべていないその瞳は、有無を言わせぬ圧力があった。

「お前が仕事を完遂出来なかったのはこちらの所為ではある、だからお前がそれを受け取る権利は十分ある。ぐだぐだ言わずにそれを持っていけ、それとも……」

 じっと見つめてくるセイネリアの瞳に、シーグルはごくりと喉を鳴らす。
 彼が次に何をいうのか、それを半ば予想して覚悟する。

「お前が、俺に、代わりにその仕事分の報酬を払うか?」

 予想通りの言葉に、シーグルはきつく自分の腕を掴んだ。
 勿論、彼の言う報酬は金ではないだろう。
 シーグルには、自分が出せるもので、セイネリアが受け取るだろうモノは一つしか思い浮かばなかった。
 セイネリアは、シーグルに手を伸ばすと、その頬を撫ぜて、唇だけで嗤う。

「お前が、このまま黙って袋を持って帰るか、それともその体で報酬を払って持ち帰るか、俺はどちらも強要しない、お前次第だ」

 シーグルは震えそうになる唇を必死に抑え、ゆっくり、はっきりと答えた。

「俺は、お前に借りを作る気はない」

 セイネリアが目を細める。
 それは、嘲りでもなく、苛立ちでもなく。あえていうなら憐れむような感情を瞳に乗せて、彼はシーグルの頬を撫ぜていた手を顎に移動させる。そのまま、顎を掴んでシーグルの顔を引き寄せ、その唇に自らの唇を重ねた。
 シーグルは目を閉じる。
 大人しくセイネリアの舌を受け入れて、薄く口を開く。
 浅い口付けはすぐに深くなり、唾液を絡ませて水音を漏らす。
 やがて、両手で逃げられないように顔を固定されて、深く、何度も口腔内を探られて、シーグルの眉間に皺が寄る。

 唇を離したセイネリアは、一瞬だけ、何処か苦しそうにシーグルの顔を見つめた。

「馬鹿な奴だ」

 苦しくなった息を整えて、それから目を開いたシーグルは、そのセイネリアの表情を見る事はなかった。
 シーグルが彼を見た時、セイネリアは既に立ち上がって背を向けていた。

「来い、流石にここでそのまま抱かれたくはないだろう」

 シーグルは唇の震えを抑えるように歯をきつく噛み締めると、彼の背を追った。









 今はまだ、朝と言える時間。
 だが、連れて来られた部屋は窓があってもあまり大きいものではなく、外の明るさの割りには少し薄暗い印象を受ける。
 それが、少しだけシーグルを安堵させた。
 明るい日差しの中で抱かれるというのは出来れば避けたかった。いっその事、暗闇の中で何も見ずに終わらせられればと思う。
 重い音をさせて、部屋の扉が閉まる。
 部屋の扉はシーグル自身が閉めた。閉まる音と共に、心へ無理矢理覚悟を捻じ込む。もう、逃げる事は出来ないと。
 扉を閉めると更に明るさの落ちた室内は、あまり使われていないのか殆ど家具らしい家具はなく、普段からここに誰かがいるという生活感らしきものを感じさせなかった。部屋の隅にある大きめのベッドだけが存在を主張していて、これからする事をまざまざとシーグルに実感させた。
 ベッドの傍まで歩いていったセイネリアが、そこで黒いマントを外す。
 そんな動作にさえびくりと体が震えて、シーグルは掌を固く握り締めた。
 シーグルの反応に気付いたセイネリアが、自らの鎧を外しながら振り返る。

「ここに何をしに来たか分かっているんだろう? お前も脱げ、貴族様らしく従者がいないと脱げないという訳でもあるまい」
「ああ……」

 返事を返しはしたものの、すぐに行動に起こさないシーグルに、セイネリアが冗談じみた、揶揄う時特有の口調で言葉を続ける。

「それとも、しーちゃんは脱がして貰いたいのかな?」

 シーグルは瞬間頬を染め、それからセイネリアの顔を睨んでごくりと喉を鳴らした。

「……自分で、脱ぐ」

 セイネリアは唇だけに薄く笑みを浮かべて、シーグルから視線を外す。
 シーグルは後ろを向いたセイネリアの背をじっと見ながら、自分の装備を外して行く。
 鎧を脱ぐ事はまだ抵抗が少ない、けれど、脱げば肌が現れる鎧下や下着になるとどうしても手が止まりそうになるのは抑えようがない。
 そんな中、シーグルの視界の中ではセイネリアが鎧下を脱ぎ、その見事に鍛えられた理想的な戦士の背筋が姿を表した。
 光の少ない室内で、美しい筋肉の隆起にそってはっきりと陰影を浮かび上がらせる背中は、筋肉という鎧を纏ったそれ自体が芸術品だった。ただ実用だけを目指して作りこまれた体には無駄がなく、筋力をつける為に作った体とは違って筋肉はぎりぎりまで殺ぎ落とされ、必要以上に重く体を覆う事はない。
 思えば、こんなにハッキリと、彼の体をちゃんと見たのは初めてだったかもしれない。
 外で無理矢理犯される事が多かったのもあり、彼が脱いで自分を抱いた事は一度だけだった。その時は彼の体を見る余裕などなかったから勿論意識する事もなかった。それ以前に、こうして自らの了承の元で行為に至るのは初めてだった。
 誰よりも強い男は、その強さに見合った体を持っている。
 思わず、シーグルはそれに見蕩れた。
 自分ではどれだけ望んでも得られなかった強い体。重すぎず、軽すぎず、戦士として最高の能力を発揮するに適した体は、まさにシーグルの求めた理想だった。
 祖父を落胆させ、自分の望みを裏切った貧弱なこの体を考えると、心が羨望と妬みに覆い尽くされそうになる。
 そうして、考えたくない現実を突き付けられるのだ。
 自分では、この男には決して勝てないと。
 この体は、この男に組み敷かれるしかないのだと。
 考えた途端、くやしさで零れそうになる涙を必死に押し留めて、シーグルはセイネリアから目を逸らした。

 それでも、心だけは屈さない。

 シーグルがこの男に対して、唯一、まだ抗えるのはそれだけだった。それだけは、征服者であるこの男に明け渡す訳にはいかなかった。

 ――そうだ、いくら堕ちようが、体など元から自分のものではない。

 シルバスピナを名乗った時から、体は家の為にある、自分のものではなくなった。
 これはあの家の道具だ、どこまで堕ちようと最低限の役割を果たせればそれだけでいい。それしか必要とされていない。

 シーグルは出来るだけ、もうそれ以上は考えないようにして服を脱いだ。
 顔を上げた先では、全裸になったセイネリアが近づいてくる。
 じっと見つめてくるその琥珀の瞳をみたくなくて、シーグルは目を閉じた。

 最初に、触れてきたのは手。
 セイネリアの大きく、皮の硬い手がシーグルの頬に触れて、そこから顎を掴んで顔を上げさせられる。それから触れた唇は、覚悟に体を竦ませたのに反してすぐ離れ、代わりに力強い腕が背へと回される。
 何をするのかと驚いたシーグルが目を開ければ、屈んだセイネリアがシーグルの足を救い上げ、抵抗する間もなく抱き上げられた。

「何をするっ」

 顔を赤くしてシーグルが睨むが、セイネリアは表情を変えなかった。

「お前がそんなに離れたところにいるのが悪い。この方が手っ取り早くお前を運べる」

 確かに、シーグルはベッドに近寄りたくなくて離れた位置にいた。
 だが言われたなら自分でベッドに乗るくらいの覚悟は出来ていた。こんな女のように抱きかかえられるより、命令されたほうがまだマシだと思う。
 何の苦もなく簡単に体を抱え上げ軽々と運ぶセイネリアを見ていると、いくら彼が規格外に力があるからだとは思っても、余計に自分の貧弱な体が惨めに思えてくる。

「……そんなに、俺は軽いか」

 だから思わず呟いてしまえば、セイネリアはちらと腕の中のシーグルに視線を落とし、表情を変えないままに答える。

「軽いな。だが安心しろ、骨の所為で同じ程度の体格の女よりは重い。毎日のミルクの成果じゃないか?」

 それはこちらを揶揄う為の言葉なのか、まさか本当に安心させる為にいった事とは思えなくて、シーグルは自嘲じみた笑みで細い自分の体を見つめるしかない。

「お前にとってはたいした違いはないだろうがな」
「……そうだな、抱き心地は女と違って悪いが」
「当然だ、俺の体は女のように柔らかくない」
「確かにな」

 皮肉るように話すシーグルに、セイネリアは表情を変えず、シーグル本人の顔さえ見ずに答えると、ベッドの上にその体をゆっくりと下ろした。

「確かに、柔らかくはない。骨と筋肉だけで出来たお前の体は、細くて、硬くて、世辞にもいい抱き心地とは言えん」

 少しだけ唇に笑みを乗せたセイネリアの表情は、気の所為かどこか柔らかく見えた。

「ならっ……」

 そんな体を抱こうとなどするな、と言おうとすれば、セイネリアの顔から笑みが消える。

「それでも、俺はお前だから抱くんだ」

 言いながら、セイネリアはシーグルの瞳を覗き込むようにして顔を見る。
 強張った顔で見返すシーグルを表情もなく見つめて、セイネリアの手がシーグルの頬を撫ぜ、視線を外せないようにその顔を固定させる。
 だが、じっと見つめてくる琥珀色の瞳を、やはり耐えられなかったシーグルは彼の本心を読み取る前に目を閉じた。
 だから自嘲の笑みを浮かべたのは、今度はセイネリアの方だった。
 ただ、浮かべたのは一瞬の事で、彼はすぐにまた顔から表情そのものを消すと、シーグルに口付けた。




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一週間お待たせして寸止めというか、ここで終りです、すいません。次回はセイネリア×シーグルでエロ回です。


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