憎しみの剣が鈍る時





  【7】




 紫の髪の男が歩けば、屈強な男達が道を開ける。
 飄々とした風貌で、いかにも魔術師等の研究者らしいのんびりとした歩き方、決して強そうには見えない彼だが、その姿を見ると、途端に戦士らしいガタイのいい連中が驚いたように礼をして道を開けていく。
 つまり、このサーフェスという男は、この傭兵団の中でも皆から一目置かれる存在なのだろう。
 前を歩く紫髪の自称医者の魔法使いを見下ろして、シーグルはそう頭の中で結論を出す。
 道を空けた彼らは、サーフェスに礼をした後、今度は必ず好奇の目でシーグルを見る。部外者に対しては仕様がないとは思うものの居心地のいいものではなく、先程からずっとその視線に晒されているシーグルは、慣れてはいるものの嫌になってきていた。

「まぁ、西館に入るまでは仕方ないと思ってよ」

 シーグルの苛立ちを予想してか、振り返ったサーフェスが笑いながら言う。

「……だって、部屋でマスターに会うのは嫌なんでしょ?」

 それにはシーグルもただ肯定を返すしかない。
 建物を出れば好奇の目達は大分なくなるものの、それでも鍛錬中の者達の多くは傍を通ればこちらに視線を向ける。ただし、彼らも暇ではない分、そんなにじっといつまでも見ていないだけ楽ではあった。

 完全に本調子、とはいかないものの、普通の病み上がり程度には体調が回復したシーグルは、カリンからそろそろ解放する条件として、セイネリアに会う事を約束させられた。

 但し、あの部屋で彼と二人で会うという状況だけは嫌だと言ったのはシーグルだった。

 セイネリアはそれをあっさりと承諾し、傭兵団の敷地内ではあるが屋外ならばどうだと提示してきた。更に、話が聞こえる程傍ではないが、すぐ近くに他の人間もいる状態で、という条件までつけてきたら、今度はシーグルが了承しない訳にはいかなかった。

 訓練場のような場所を抜ければ、敷地内を仕切るような高い塀に当たる。そこから塀沿いに暫く歩けば人二人分の幅しかない小さな門があって、サーフェスは迷う事なくそれをくぐる。
 続いてシーグルも門をくぐれば、入ってすぐ、門の脇に、まるで自分達を待っていたかのような少女の姿を見つけた。

「君は……」

 記憶を辿るように呟けば、少女はシーグルにぺこりとお辞儀をする。

「あの……ありがとうございました」

 彼女は、ウィアを攫い、シーグルを犯した連中の仲間だったクーア神官の少女だった。それに気付いたシーグルだったが、礼を言われる理由が分からず困惑する。

「何故、俺に礼など……」
「貴方が、止めてくれたおかげで私はここにいます」

 表情に乏しいながらも、頬を紅潮させて懸命に言う少女をみて、シーグルもあの時彼女を殺すなと言った事を思い出した。
 ただし、あの時は既に気を失う直前のような状態で、シーグルも相当に意識が朦朧としていた。それでも、剣を抜いた男がその剣を収めたところを見て、安堵と共に意識を手放した覚えがあった。
 シーグルは僅かに口元に笑みを浮かべる。
 少女の様子は、少なくとも前に会った時よりは表情が明るく、血色も良さそうだった。しかも自分に礼を言ってくるのなら、ここでの暮らしは少女にとって良いものなのだろうと思う。

「そうか……良かった、ここで君は良い暮らしを出来ているんだな」
「はい、仕事をさせて貰いながら、やりたい事をさせてもらってます」
「仕事?」
「はい、術を使って、侵入者を知覚する仕事を……」

 そこへ、黙って会話を見ていただけだったサーフェスが口を挟む。

「その門から先のこっちは、傭兵団のふつーの連中は入ってきちゃいけないとこでね、彼女はその監視係りってとこだね。だから僕達がここへ来てすぐに彼女がいた訳さ。クーアの千里眼の力はこういう仕事をするにはとても優秀だ」

 シーグルが視線を医者の男から少女に移せば、彼女はこくりと頷く。

「ここから先は情報屋の連中の為の場所になるんだよ。表に顔を知られる訳にはいかない連中ばかりだから、普通の団員連中は出入り禁止となってる。あんたも聞いた事あるだろ、セイネリアの裏稼業。こっから先は、そっちのお仕事専門のやつらばっかりって訳さ」

 セイネリアの裏稼業、で眉を顰めたシーグルを見て、サーフェスは紫の瞳を面白がるように細めた。

「でもあの人は頭いいからね、裏稼業っていっても、直接法に触れるような仕事はしない。本当に内容はあくまで情報屋さ。……ただね、情報ってのは使い方によっては武力以上に強力な力を持つ訳さ」

 そこまで話したサーフェスは、そこで少女の少し抗議するような視線に気付く。
 彼は眼鏡の鼻押さえを軽く指で掻くと、子供が怒られた時のような表情をして、大仰に肩を竦めて見せた。

「まぁ、これ以上詳しく聞きたいならマスター本人に聞くといいよ。僕の権限じゃどこまで言っていいのか分からないしね。
 それじゃ、僕はここまで。別口の用件があるからね。後は彼女がマスターのところまで案内してくれるよ」

 言って、ひらひらと手を振ると、彼は鼻歌を鳴らしながら、機嫌の良さそうな足取りですぐ傍にある建物の中へ入っていく。
 シーグルはそれを見送った後、一歩下がった場所でじっとこちらを見つめていた少女に向き直った。
 少女は僅かに微笑み、促すようにシーグルの前へ出て歩き出す。
 それについて歩きながら、ふと、シーグルは思い出したように聞いて見た。

「そういえば、君の名前を聞いてもいいだろうか」

 少女は足を止めて振り返る。

「ソフィアといいます。シーグル様」

 彼女は、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべていた。









 西館、と呼ばれる敷地内に来てすぐにある建物横を抜ければ、見事な庭が現れる。
 広い敷地内は人が通れる小道に区切られ、その合間には花や様々な植物が植えられている。奥には薔薇園といっても差し支えない程に色取り取りの薔薇が咲き誇り、先程までの傭兵団の庭の訓練場といった雰囲気と比べれば、うって変わって貴族の別荘のような趣があった。
 その庭の華やかさには少し面食らって、予め説明を受けていなければ、ここが裏稼業の者達専用の場所とは思いもつかなかっただろうとシーグルは思う。

「マスターはあそこにいます」

 少女が指指したのは薔薇園の方に見える東屋(あずまや)の屋根で、彼女は言うとすぐ、シーグルに礼をして道を開けるように後ろへと下がる。
 つまり、ここからは一人で行けという事かと思って、シーグルは少女の指定した場所を目指して歩き出した。

 薔薇のアーチをくぐって中に入れば、薔薇に両脇を飾られるように小道が続いていて、その先には目的の東屋が見える。そして、そこには確かに見間違う筈もない黒い人影が居た。
 彼の姿を見て、シーグルは反射的に足を止める。
 だが、すぐに思い直して歩き出せば、次第に彼との距離が縮まり、シーグルの体に緊張が走る。
 セイネリアは、姿が見えた時からずっと、その琥珀の瞳をシーグルへと向けていた。

「まぁ、お前も座れ」

 シーグルが東屋の中に足を踏み入れた途端、セイネリアはそう言って寛ぐように自分は椅子に背を凭せ掛けた。
 シーグルはセイネリアから少し離れた椅子に向かい、一瞬だけ彼から目を離す。
 そこへ。

「―――ッ」

 振り向いたシーグルが、右腰から短剣を抜く。
 剣と剣があわさる、金属の、硬い響き。
 音を殆どさせない程素早くシーグルに近づいたセイネリアが、剣を受けたシーグルを見て口元に笑みを作る。

「まぁ、反応はほぼ戻っているか」

 速さを重視したのか、セイネリアが持っているのも短剣で、だからこそシーグルも長剣を抜く余裕はないと判断した。
 短剣同士が刃を合わせ、十字鍔で剣の滑りを止めて互いに押し合う。
 だが、緊張した時間はそこで終わり、セイネリアは力押しでその短剣をシーグルの体毎弾くと、くるりと背を向けて元の椅子に向かった。
 シーグルはすぐに体勢を立て直して構え直したものの、完全に戦う気を無くしたセイネリアを見て、持っていた短剣を腰に戻す。

「反応はまぁいいが、体は少し遅れたな、流石に鈍ったか」

 椅子に深く座ったセイネリアが、足を組みながら言う。

「4日も寝るだけの生活を強要されたからな」

 シーグルもまた、最初に座ろうとしていた椅子に今度こそ腰掛けると、不機嫌を隠そうともせずにセイネリアを睨んだ。

「確かにな」

 その視線を正面から受け取って、セイネリアは口元だけで笑う。

「とりあえず及第点というところか」

 何時も通りの、こちらを揶揄うような口調はそのままで、セイネリアはテーブルに肘を立てて置いた手の上に顎を乗せて、じっとシーグルの顔を見てくる。
 まるで、友人として付き合っていた時のように。

「俺を、試したのか?」

 聞けばセイネリアは、体勢はそのままで、短くそれを肯定する。
 その彼の視線に耐えられなくなったのはシーグルの方だった。
 シーグルは目を逸らすように下を向くと、一度唇をぎゅっと引き結んでからゆっくりと口を開いた。

「世話になった。……確かに、あのまま戦っていたのでは俺は無事仕事を済ませる事は出来なかった、だから、礼は言う」

 それにはすかさずセイネリアが答える。

「それには及ばんさ、ここに置いてやった分の駄賃は先払いしてもらったからな」

 それが、ここに連れてくる前に無理矢理抱いた事だと理解したシーグルは、歯を噛み締めて顔に朱を浮かべた。
 その様子を、らしくない穏やかな目でセイネリアが見ていた事を、シーグル自身は気付きはしなかったが。

「ともかく、約束だ、お前に会ったのだから俺を解放してくれるんだな」
「ああ」

 だが、それを聞いてすぐ立ち上がろうとしたシーグルを、セイネリアが止める。

「まぁ待て、まだ話がある。ただの報告程度だがな」

 胡散臭げにセイネリアの顔を見てから、一度浮かせた腰を下ろして、シーグルはまた彼に向き直る。
 セイネリアがテーブルの上で手を組んだ。

「前に、お前を襲った奴等がどうなったか、興味はないか?」
「どうなったんだ?」

 あまり気が乗らない顔をしながらも聞き返したシーグルに、セイネリアは僅かに笑みを浮かべた。

「死んだぞ、3人共な」
「……まさか、お前が?」
「俺が殺すならあの時殺しているだろ」

 言葉を詰まらせたシーグルに、セイネリアはただ事務的な声でその先を続けた。

「俺がやったのは、奴等の依頼主の方を少し脅した程度だな。こちらに対して負い目がある部分を隠す為に、始末させたのはその依頼主だろう」
「それが、お前のやり方か」

 強く、睨みつけてくるシーグルの青い瞳に、セイネリアは一度収めていた笑みをまた浮かべる。

「そうだ。あいつ等の件で、依頼主だった方の奴に貸しと弱味を作ってやった、俺は敵をただ殺すような事はしない、利用出来る分は利用する」

 シーグルは歯を噛み締めてセイネリアをただ見つめる。
 セイネリアは顔から笑みを消す。

「汚い、と思うか。……俺は必要ならどんな汚い手でも使う。殺すべき時なら人殺しもする。ただ、戦場以外では余程の理由がないと殺す気はない、代わりに死ぬ以上の苦しみと、生き残るチャンスをやる。死んだ方がマシという状態を生き延びたのなら、そいつには生きるだけの価値があるんだろうよ」

 呟くような声と、何処か遠い瞳からは、シーグルにはセイネリアの真意は掴めない。
 ただ、その瞳の中に底の見えない昏い影を見つけて、シーグルはぞっと背筋を震わせた。
 東屋を取り囲む、薔薇達の濃厚な匂いが鼻をつく。
 この匂いを不快に感じるのは、まだ、体調が悪い所為だとシーグルは思う。
 セイネリアの低い、感情のない声が、東屋の丸いドーム状の屋根に響いた。

「依頼主の方は、お前を攫うまでが依頼内容だった。だが、失敗した所為で奴等の一人が怪我を負ったろ、その所為でそいつはそいつに恨みがある人間に殺された。その復讐代わりに、連中はお前を攫うだけでなく犯した。おまけに直接俺を脅そうとまでした。依頼主にとっては、自分がそこまでさせた訳ではないと、俺に示さなくてはならなくなった」

 淡々とただ話すセイネリアの瞳には、何の感情も表れてはいない。
 今のセイネリアは、シーグルの知らない顔をしていた。
 騙して友人の振りをしていた時も、揶揄っては自分を犯していた時も、シーグルはこんな顔をしているセイネリアを見た事がなかった。

 シーグルが黙っていると、その表情に不安や困惑が見て取れたのか、セイネリアはいつも通りの皮肉めいた笑みを唇に乗せる。

「心配するな、あともう一つ話したらお前を解放してやる」

 だがその顔は、本当に何時も通りの彼の笑みを浮かべているのか。
 何故だか、シーグルは違和感を感じてならない。
 セイネリア、という人物に関して、シーグルの中にあるイメージと何処かブレがある。
 そんな気がして仕方なかった。



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やっとシーグルとセイネリアが対面……ってとこでちょっと分割、すいません。


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