剣は愛を語れず





  【9】



 呼ばれて部屋に来たカリンは、顔を上げた主の顔を見て、もう少しで声を上げるところだった。
 何があったのか、と聞く声も出なかった。
 カリンは今朝セイネリアに会っている。なのに、まるで数日会わない間に痩せたのかと思う程、彼の頬はこけ、目の周りが落ちくぼんでいるように見えた。
 その中で、肉食獣のような金茶色の瞳だけが、昏い怒りを燃やしている。
 長く彼に仕えてきたカリンでさえ体が竦む程、壮絶なその瞳に、彼女は主に礼をしたまま顔を上げる事が出来なかった。

「カリン」
「はい」

 セイネリアの声はだが穏やかだった。
 声だけなら欠片も感情を伺わせずに、まったく抑揚のないその声は事務的に言葉を紡ぐ。

「計画が変更になった、今晩決行だ。予定よりかなり人数が必要になったからな、そっちで使える奴を全員準備させろ、指揮は予定通りエルが取る。エルに連れて行く連中を渡したら、後は予定通り主要なとこへ話だけつけてこい……急ぎでだ、今夜中に全て終らせる」

 何故計画が変更されたのか、何故急に今夜なのか。思いはしても、カリンはその圧力に押されて、はい、としか答える事が出来なかった。
 だがそれでも、カリンは一つだけ、どうしても聞きたい事があった。そしてその返事さえ貰えれば、すべての疑問が消える事も分かっていた。

「シーグル様は、どう、されました?」

 セイネリアはすぐに返答しなかった。
 その間こそが、事態の深刻さを表していた。

「……今は眠っている。ラストとレストに、全て終わるまで眠らせるように言ってある」

 セイネリアの瞳は動かない。
 だがその顔は、こういう時にいつも彼が浮かべている完璧な無表情ではなかった。彼自身が自分の中の感情を抑えつける為に、無理矢理感情を殺している故の無表情である事が、カリンには分かってしまった。
 喉をごくりと鳴らして、カリンは聞く。

「何が、あったのですか?」

 ピクリと揺れた眉と、唇。
 セイネリアの無表情の仮面が僅かに綻びを見せる。
 だが彼はすぐにそれを消す為に瞳を閉じ、顔を片手で覆って息を吐いた。

「ヴィド卿がエスカリテ王子暗殺の犯人だという証拠を、シーグルが見た。それで口封じの材料として、ヴィド卿は自分の兵士共にシーグルを襲わせてその声を石にとった」

 セイネリアの表情は見えない。
 だが、こうして彼が顔を隠している時は、無表情の仮面を維持出来なくなっているという事だった。

「そう、シーグル様が言ったのですか?」
「まさか。眠ってるあいつから読ませたんだ」

 そしてそのまま、アルワナ神官の二人にシーグルを眠らせておくように言ってきたのだろう。
 つまり、眠らせたままにしておかなくてはならない程、シーグルの状態は酷いのだと。

「……行け、やる事は多いからな、急げ」

 カリンは今度こそ深く頭を下げて、部屋を出て行く。
 出て行く直前、ちらと部屋を振り向けば、セイネリアは、手に顔を隠したまま微動だにしていなかった。







 現、ヴィド家当主、ソーネイル・パラム・クラッセ・ロスティール・ヴィド。
 彼の人生において、彼は常に勝者であり、人を見下す立場の人間だった。
 旧貴族の中でも王家に準ずる、最高の血筋と富を兼ね揃えた名門中の名門に生まれた彼は、前当主の晩年にやっと生まれた男子という事もあって溺愛を受け、常に周りのものに傅かれて生きてきた。
 更には、彼がまだ幼少の頃に姉が現王に嫁ぐにいたって、誰もが彼の将来には富と栄光が約束されたものであるという事を疑わなかった。
 だがしかし、だからといって、彼が幼少時代から甘やかされてきたという訳でもない。
 既に高齢だった前当主の後継者として教育を急がされた分、ものごころついた時から遊ぶ間もなくただ勉強に明け暮れた、それは本人の努力の成果でもあったのだ。
 生まれ持った血筋、才能、本人の努力。それらの全てに自信があった男は、自分は今までもこれからも、常に勝者であると信じて疑っていなかった。

 そう、その夜までは。

「夜分遅く失礼いたします。ヴィド卿閣下」

 聞いた事もない男の声で目が覚めた彼は、目を開けた途端、自分のベッドの傍を取り囲む大勢の男達に驚いて、文字通り飛び起きた。

「私の名はエルラント・リッパー。弟の名はレイリース・リッパーと申します。もっとも、貴方はそんな名など聞いた事もないと思いますが。
 本来なら、もう少し後に別の形で貴方にお会いする予定だったのですが、貴方は愚かにも我が主を怒らせた、よって今日が名誉ある貴族としての貴方の最後の日となります」

 この男は何を言っているのだろう。警備の兵共は何をしているのだろう。
 そう思いながら、最小限に落とされたランプ台に照らされた部屋の中をよく見渡せば、ベッドを取り囲む大勢の男達の半数は彼の兵達である事に気がついた。
 ただし、目の前のエルラント・リッパーと名乗った男に彼は見覚えがなかった。青い髪に青い瞳の男は、その格好から明らかにアッテラ神官だというのは分かるが、それ以上思いつくものはない。
 だが、他の見覚えのない男達の姿を注意深くみている間に、彼は、その男達が彼の兵士の後ろについて兵士達を拘束している事と、その男達の姿の何処かに、必ず黒い剣と花のエンブレムがついているのに気がついた。
 それで彼はこの状況の意味を理解する。

「そうか……お前達は黒の剣傭兵団、か」

 青い髪のアッテラ神官が笑う。

「左様です。ならば、何故貴方が我が主の怒りを買ったのかはご理解出来た事でしょう」
「馬鹿なっ、こんな事をしでかしたらお前達も破滅だろう、セイネリア・クロッセスは気でも違ったのか?」

 セイネリアが、シルバスピナの跡取りを情人だと言っている噂は勿論ヴィド卿も知っていた。セイネリアの持つ黒の剣傭兵団がどれだけ周りから恐れられているか、それも頭には入っている。
 だがまさか、高々ごろつきの集団風情が、こんな身の程知らずな暴挙に出るなど彼にとってあり得ない事だった。

「残念ながら、別に気が違った程ではないな。もっとも、最初から狂っていると言われたら否定はしないが」

 その声で初めて、彼は、ベッドから遠い、部屋の出口近くに一人だけ離れて立っている男の存在に気がついた。
 薄闇の中に完全に埋もれる程全身黒一色の男が、ゆっくりと顔を上げ、ヴィド卿の顔を見る。
 ひ、とみっともなく上げた自分の悲鳴に、彼はあわてて口を手で抑えた。
 例え位置は離れていても、その格好の所為で闇の中に姿を半分とけ込ませていたとしても、その金茶色の瞳だけが、まるで魔物の瞳のように光ってヴィド卿を見据える。
 それだけで、彼は自分の人生が終わった事を理解した。
 彼が、生まれて初めて感じる、本物の恐怖がそこにあった。

「セイネリア・クロッセス……」

 震えながら呆然と呟く事しか彼には出来ない。

「それでは、たっぷりと貴方に相応しい罰をお受けくださいませ」

 青い髪の男は大仰に芝居がかったお辞儀をして、そしてベッドから一歩後ろへ下がる。
 それと同時に、彼のいるベッドへと押し出された男達は、全てが彼の兵達だった。
 彼の忠実なる部下である筈の兵達は、恐れと嫌悪の入り交じった顔で、じっと主であるヴィド卿の顔を見つめてくる。
 その視線の意味が分からなくて、彼はただ怯えるしかなかった。

「ほら、さっさとやれよ」
「そうそう、ちょんぎられたなくなきゃな」

 傭兵団のエンブレムをつけた男達が、兵達を後ろから蹴りながら笑い声をたて、何事かをはやしたてる。
 それにせかされるように、ベッドに倒れ込んだ兵の一人が、彼の上掛けを掴み、はぎ取るように引っ張った。

「なにをするっ、無礼者めっ、貴様は立場が分かっているのかっ」

 言っても兵達の表情はなにも変わらない。
 じっと見つめながら距離を縮めてくるその瞳に、彼はベッドの上で後ずさる。

「なにって。あんたがあの銀髪の坊やにやったのと同じ事さ。男としても貴族としても、相手のプライドを踏みにじるには確かにいい方法だよな。……ほら、ちゃんといい声で鳴いてくれよな、こっちはあんたの声入れる為に準備してるんだからさ」

 先程までとは別人のように口調を変えたアッテラ神官の声が告げる事を、彼は信じたくなかった。だから彼の兵士だった男達の顔を見て、現状を否定して首を振る事しか出来なかった。

「お前達、まさかそんな事はしないだろう。第一、私にそんな事したくもないだろう、なぁ?」

 既に、威厳を誇示する事さえ出来ず、彼は震えながら懇願するように彼の兵士達を見る。
 だが、複雑な顔をした兵士達は口元だけにひきつった笑みを浮かべてそれに返した。

「申し訳ございません。でももう、貴方は終わりなのです」

 兵士達をせかすように、殊更冷たく、粗野な言葉遣いで、青い髪のアッテラ神官が声を張り上げる。

「ほら、さっさと勃たせて、そのジジイのケツにつっこみな。勃たねぇとはいわねぇよな、てめぇら散々そいつの命令でヤってきて慣れてんだろ? ま、ここで勃たねぇような役立たずのブツならぶった切るだけだがなぁ」

 兵士達が一斉に身を震わせて悲鳴を上げる。
 傭兵団の男たちがそれに嘲笑を浴びせる。
 そうして、数人の兵士はとうとう思い切ってベッドに乗り上げ、彼の体を押さえつけてくる。
 次々と、豪奢なベッドは激しい音を立てて兵士達の足で踏みにじられて行く。
 皆が皆、恐怖にひきつった顔をして、彼に手を伸ばしてくる。

「やめろっ、聞こえんのか、やめろーーーーっ」

 彼がまともに言葉らしい言葉を言ったのは、それが最後だった。








 部屋を出ていこうとするセイネリアの姿を見て、エルは不満そうに顔を顰めて彼に言った。

「おい、何処行くんだよ」
「小汚いジジイが鳴く声なぞ聞く趣味はない」
「って、お前がやらせたんだろうがよ」

 エルは不満そうに唇を尖らせて、彼の主を睨んだ。
 とはいえ、睨んでもすぐに表情をゆるめて溜め息をつく事になるのだが。

「お前は、あれで満足か?」

 ふいに尋ねられて、エルはいつもどこかにやけている、と言われているその顔を沈ませて、唇に苦々しい笑みを浮かべた。

「……あぁ、そうだな。弟の仇であるあの男に、出来る限り最大の屈辱と絶望を味あわせて、惨めな死を……ってのがあんたとの契約だっけか。……そうだな、確かに望み通りさ、あの貴族の御大臣様は、プライドはズタズタ、しかも無様な自分の声が入った石は政敵の手に渡ってこれ以上ない恥辱に塗れるって訳だ。……まぁ、ひでぇって言葉しか出ない計画だと感心してるよ、ザマアミロだ。最後は、あの男が絶望の中自害するって筋書きだっけか……死ぬかね、あいつ」
「死ぬだろ。虐げられた事のない人間の心は簡単に折れる。おまけに奴には『自分の名誉を守る為』って御大層な言い訳まであるからな」
「は、立派な御貴族様だな」
「全くだ」

 一見、そんな二人のやりとりは、いつも傭兵団内で話している通りの軽口の言い合いのように見える。
 だが、軽口を返しているように見えるセイネリアの目が、笑うどころか未だにぞっとするような昏い怒りを燃やしているのを見て、エルは主から目を逸らして溜め息を漏らす。

「まー、計画が変更になったってぇのに、つくづくよく考えたよあんたは。このままあのジジイが自殺すりゃ、俺達は直接手を出さないまま目的を果たせる訳だ」

 あくまでも傭兵団の側では、ヴィド卿には手さえ触れていない。彼を絶望するような目に直接あわせたのは彼の兵士で、だからこそ兵士達はこの後解放されても絶対に口外しない、する余裕もない。そもそもこんなことをした段階で、彼らはこの後怒り狂って追っ手を向けるだろうヴィド卿から逃げるしか道がなくなっている。
 ヴィド卿が怒り狂って追っ手を差し向けるというのは傭兵団の方にも言える事だが、こちらにはあの石がある。更に、複数用意された石はヴィド卿の政敵達にも渡され、彼らはそれを使ってヴィド卿を脅すだろう。
 そうなればもう、あの男は終わりだ。
 いざとなったら好きな時に、石を何らかのカタチで公の場で使えばいい。その判断はエルに任されている。数段階にかけて、あの男を徹底的に貶める用意はされている。

 だが、おそらく。
 エルは自分がそこまでせず、今回の件だけで後は放置して終るだろうと思っていた。

「本当にいい気味だ……」

 青い瞳に憎しみを浮かべはしても、振り返ったベッドの上、醜くのたうつ男の姿を見たエルの瞳は遠くなる。
 今まさに復讐が果たされている仇のベッド見つめながらも、彼の呟く声にあるのは悲しみだけだった。

「……だがな、あの男がどうなったってあいつは戻らない。復讐が達成出来た時になって、やっと、そんな事に気づいちまうんだからな……」
「あぁ、確かにな」

 まさかそんな返事をセイネリアが返すと思わなかったエルは、今聞いた事が信じられなくて主の顔を凝視した。
 瞳を閉じて何かを考えているセイネリアの顔は、一見無表情といえる顔をしていたが、どこか苦しそうに見える。

「……あの坊や、そんなヤバイ状態なのか?」

 思わず聞いて、その直後にエルは聞いた事を後悔した。

「お前の言った通りだ、例えあのジジイを殺しても、既に起こった事実は無くならない」

 言った直後、歯を噛みしめて感情を押さえ込もうとしている彼の姿はあまりにも彼らしくなかった。エルがずっと従ってきた男の姿からは考えられなくて、重々しい息と共にエルは彼から視線をはずした。まるで見てはいけないものでも見た気分だった。

「こちらの始末は後はお前に任せる。俺はもう一つ仕事が残っているからな」

 それでも、まだどうにか普段のセイネリア・クロッセスとしての仮面をかろうじて被っていられるこの男に、エルは安堵する。

「まぁ、一通りやらせたらてきとに切り上げておくさ。あんな小汚い声なんかいつまでも聞いてられねーし」

 セイネリアはそれに手を軽く上げる事で返事を返すと、部屋を出て行く。
 エルは肩を竦めて、再びベッドの方に目をやる。
 部屋の中は、傭兵団の者達の嘲笑と、醜い男の悲鳴で満たされていた。





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復讐編その1。ってかこれ……引かれないかなとちょっと心配(==;;
ヴィド卿は大体50歳くらいかな。宮廷貴族らしくちょっと腹の出たおっさんです。
なのでこのシーンをちゃんと描写すると画面に謝る絵が出て来て、『お見苦しいところをお見せして大変申し訳ありません』な状態になってしまいますね(苦笑)


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