剣は愛を語れず





  【10】




「まだいたのか?」

 部屋を出てすぐ、扉の横に立っていた白い髪の少年がセイネリアの視界に入る。

「終わったの?」

 顔を上げた少年の顔はどこか不安そうで、セイネリアは眉を寄せる。
 今回、寝ているヴィド卿から、シーグルを襲った兵士達の居場所や、声を入れた石の位置などを読ませる為に双子のアルワナ神官の一人をつれてきていたが、それが終わった時点で帰るように指示を出しておいた筈だった。

「まだだ。だがお前の仕事はもう終わったと言ったろう、何故まだ帰っていない? ……あいつを寝かせておくのにレスト一人だと負担も大きいだろうしな」

 少年はそれに首を振る。

「今夜一晩くらいはレストだけでも大丈夫だよ。それよりマスターは何処へ行くの?」
「俺はもう一つ仕事が残っている」
「魔女の事?」

 セイネリアは苦笑する。
 魔女の件は、どうせ自分がどうにかするしかないと思っていた為、他の者には言っていない。だが、シーグルの意識を読ませて、事の真相を全て知っているこの少年には隠しようがなかった。

「そうだ、どうやら本人は逃げずに待っているようだしな」
「大丈夫? マスター。あの魔女は魔法ギルドの古くからいる連中の一人だよ。見た目通りの年齢じゃない、もう人間じゃない、化け物と一緒だ」

 あぁ、この子供は自分を心配しているのか、とセイネリアは思う。
 今までのセイネリアなら、だからどうだと思う事も無く無視をしたであろうが、今の彼は他人を心配するという感覚が理解出来ていた。
 だから、その少年の頭に手を置いて言ってやる。

「大丈夫だ、俺に魔法は効かない。お前も知っているだろう?」

 少年はこくりと頷く。
 この双子に初めてあったのは、彼らがずっと閉じこめられていた神殿から逃げて、逃げ込んだ西区の一角で片端から力を使って周りの者を眠らせて逃げ回っていた時だった。力の使いすぎでふらふらになっている双子達に、どれだけ術を使っても眠らないセイネリアが近づいて、彼らの事情を聞いてやったのだ。
 頭を撫でてやれば、少年の顔が嬉しそうに綻ぶのをみて、ふと、彼は気づいた。
 この少年が今、自分を見上げたその瞳の感覚には見覚えがある事を。それが、シーグルが、セイネリアに向かって、お前は強い、と言った瞳とよく似ているという事を。
 赤ん坊の頃から司祭となるべく育てられた双子は、親を知らない。その彼らがセイネリアの事をまるで父親のように慕っている事は、西館の連中、そして彼自身も知っている事だった。
 つまり――思いついた事に、セイネリアは顔を歪ませる。
 つまり、シーグルが自分に向けていた瞳もまた、父親を見る瞳だったのだと。

「まったく、本当に子供すぎる、あいつは……」

 セイネリアは、閉じた瞼の上を手で覆い、苦い笑みを唇に乗せた。








 名門中の名門、ヴィド家の屋敷は広く、保守の為に主の部屋の周囲には、彼の侍女と護衛兵以外は入ってこれない。多くの使用人達の部屋は別館で、だからこそ護衛兵さえどうにかすれば、関係のない者に気づかれる事もなく事が進められた。
 魔女は、屋敷の中の、客人を呼んでパーティをする広間の一番奥、主人用の豪奢な椅子に座って待っていた。

「わざわざ、待っているとは馬鹿な女だな」
「あら、だって貴方に用事があったんですもの。セイネリア・クロッセス、黒の剣の主である貴方に」

 強大すぎる魔力を持つ黒い剣の主となった時から、セイネリアには一切の魔法による術が効かない。そして、剣の魔力を使えば、理論的にはどんな魔法も使える。……ただし、それには使いたい魔法の使い方を分かっていれば、という条件がつくのだが。
 剣にも魔法にも頼る気がないセイネリアは、だがその条件を分かっていても、魔法の使い方を覚える気はなかった。
 だが、魔法を知らなくても有り余る剣の力をその身に受けている分、魔法の気配は感知する事が出来る。
 おかげで、隠れもせずに、自分の場所を誇示するが如く魔力を出していた女の位置をすぐに見つける事が出来た。

「早速だけど、私はね、貴方と取引がしたいの」

 わざわざ待っていたのだから大方の予想はついていたが、それでも魔女の浅はかさに皮肉めいた笑みがセイネリアの口元に湧く。
 実際のところ、その手の魔法使いからの誘いは、この剣を手に入れた時から言われ慣れている。そして悉く、それらをセイネリアは無視するか、しつこい連中はそれを後悔するような目に合わせてきていた。

「お前の望みは剣の力か」
「そうよ」

 女は目を光らせて椅子から立ち上がる。

「ねぇ、私と手を組みましょうよ。折角その剣の主なのに、貴方はその剣の事を知らない。魔剣の秘密を知る魔法使いのサポートは、魔法とは無縁だった貴方には必須といってもいい筈よ」

 うっとりと、夢見るような瞳で話しながら、女はセイネリアに向かって歩いてくる。

「貴女は何も知らないからその剣の力を使いこなせないだけ。私がその力の引き出し方を教えれば、貴方に手に入れられないものなどなくなるわ。富も権力も思うまま、世界の王になるのだって簡単、若いまま死なない体にする事だって可能よ」

 恍惚として妄想に耽る女の顔を、セイネリアの琥珀の瞳が冷ややかに見下ろす。けれども彼は唇だけに笑みを浮かべたまま、喉で笑い声を上げ出した。
 そのセイネリアの様子を見た女も、その笑みの意味を取り違えて笑う。

 だが。

「望みか……俺の欲しいものが本気でそれで全て手に入るというのか、お前は」

 セイネリアの言葉に、女の笑みが引き攣る。

「貴方は知らないだけよ、その剣の力を。強力な魔法とかそんな言葉で終るようなレベルじゃないの、それこそ普通の人間には想像もつかないような力なのよ」

 まだ女は自分の計画の成功を信じている。
 だがそれでも少しだけ表情に必死さが現れた女を、瞳だけは冷たく見下ろしたまま、口元だけでセイネリアは嘲笑する。

「分かっていないのはお前の方だな。お前は本気で、剣の主である俺が何も知らないと思っているのか?」

 セイネリアの反応は女の予定外だったのだろう、既に女の顔から余裕は消えていた。
 だがそれよりも、セイネリアのそのセリフこそが彼女にとって一番予想外だったのだろう、女の瞳が大きく見開かれて、信じられないものでも見るかのように黒い騎士の顔を凝視する。

「何、貴方、まさか分かっていて剣の力を使っていないの?」

 セイネリアは笑う、声を上げて。

「嘘よ、だって、それだけの力、手に入れたのに何の野心も持たないなんて、貴方何を考えてるの?」

 この女には理解出来ない、きっとどれだけ考えても、いつまで経っても。例えセイネリアが説明をしたとしても、この女が理解出来る筈がない。
 だからセイネリアは、この女を笑う事しか出来ない。女の価値観の基準で考えた計画が成功するなどという妄想、愚か過ぎて嘲笑う以外に思いつかない。

 明らかに自分が馬鹿にされているのだと分かった女は、驚愕と屈辱に顔を顰めて考えこんでいたが、やがて、何かを思いついたように表情を変える。
 セイネリアの目の前で、女の顔に余裕が戻る。彼女はゆっくり目を細めて行くと、赤い唇を大きくつり上げて口を開いた。

「ねぇ、貴方の大事なシーグルは、今どうしてる?」

 セイネリアの笑い声が止まる。
 女は、嬉しそうに最初の時の自信を取り戻した艶やかな笑みを顔に浮かべる。

「貴方の大事なお姫様、あの綺麗な坊やは、もう、壊れちゃったかしら。泣きながら男達にもみくちゃにされてる彼は、最高に素敵で可哀想だったわよ」

 セイネリアは黙ったまま、一言も声を発さずにただ冷たく女を見下ろす。
 普通の者であればそれだけで恐怖に動けなくなるだろうその視線に、だが半ば魔物と化した女魔法使いは笑みを崩さなかった。
 逆に女はそのセイネリアの反応を見て声を上げて笑うと、今度は唐突にその笑みを収めて、セイネリアの顔を見つめる。
 女は殊更ゆっくりと、セイネリアの反応を見ながら赤すぎる唇を開く。

「ねぇ、あの坊やを元に戻したい? ……なら私がその望みを叶えてあげる。なぁに、簡単な事なのよ、忘れさせちゃえばいいんだから。彼に起こった嫌な記憶を全部消しちゃうの、無かった事にしちゃうの。記憶になければ、何も起らなかったのと同じ。暗示の応用でね、その剣の力をちょっと貸して貰えれば、絶対に解けないくらい強力な記憶操作が出来るわ。特に嫌な事っていうのは本人も忘れたがるから、思い出さないように強く暗示する事は結構簡単なのよ」

 女の言葉に、セイネリアの瞳が僅かに揺れる。
 セイネリアの傍まで近づいてきた女は、まったく動こうとしない黒い騎士に豊満なその体を押しつけると、媚びを売るようにしなを作って男の顔に手をのばした。

「そのついでにね、ちょっとだけ暗示を追加して、貴方を愛するようにしましょうか? 貴方は彼が欲しいのでしょう? 簡単よ、それで彼は身も心も貴方のものになるわ。その剣の欠片にも満たない力で、そんな事はあっさり出来ちゃうのよ」

 セイネリアの頬に、蝙蝠の刺青がある女の白い手が触れる。
 うっとりと妖艶な笑みを浮かべた女が、口付けるように顔を近付けてくる。
 だが、黒い篭手をつけた大きな手が、女の華奢な白い手首を掴む。女がそれに驚いた直後、その手に力が入り、女は醜い悲鳴をあげた。
 女の腕の骨を折った感触と共に、セイネリアはそれを投げ捨て、そのまま手を腰に回して漆黒の剣を抜き、女に剣の切っ先を向ける。

「あいつの心を無理矢理ねじ曲げて、それで手に入れられるようなモノを俺が欲しいと思うのか。馬鹿にしてくれる、俺が欲しいのはそんなあいつじゃない」

 自分の計画が成功すると信じて疑わなかった女の顔が、剣を見て失敗を自覚する。砕かれた手の痛みさえ忘れて、殺気を漲らせる黒い騎士の姿を見上げる。

「どうする気? 私を殺しても何にもならないわ。それより私と手を組んだ方が、貴方の得るものは大きい筈よ。頭がいい貴方なら、理論的に考えて何が一番益がある方法か分かるでしょ? シーグルを助けたくはないの? あの坊やを欲しくはないの?」

 明らかに瞳に恐怖を浮かべた女の顔を、セイネリアは冷たい怒りを宿した琥珀の瞳で見下ろす。
 怯えた女の顔に剣を向けたまま、口元だけに嘲笑の笑みを浮かべて女に告げる。

「本当にお前は分かっていない。これ以上の話は無意味だ。……あぁ、そういえば、お前は確か、魔力でその姿を保っているんだったな。本当の歳はいくつだ、魔女?」

 女はセイネリアの問いの意味を理解出来ず、何も言わずに目を大きく見開く。それとほぼ同時に、蝙蝠の入れ墨がある女の手の手首から先が床へぼとりと落ちた。
 女の手を落としてすぐさま、セイネリアは、黒の剣を落ちた彼女の手の中の蝙蝠の入れ墨に突き刺す。
 そこから上る金色の光。直後にそれは黒い刀身の中に吸い込まれて行く。

 女は悲鳴を上げる。

 それは、彼女が腕の骨を折られた時の比ではなく、狂気じみた、耳をふさぎたくなる程の不快で大きな音だった。

「嫌っ、いやああああっっ、だめよ、だめえぇええぇええ」

 狂ったように叫ぶ女の声は、だが次第に掠れ、力を失って行く。若く美しかった女の肌が、急激に乾いて行くのと同時に。

「いやぁ……ぁぁ……せめ、て……」

 カラリと、女が持っていた筈の杖が床に転がる。
 一瞬で艶やかに黒かった彼女の髪は白く染まり、彼女の肌はガサガサに乾き、萎れ、皺だらけになる。
 皺だらけの顔の中、瞳だけが生気を残して懇願するようにセイネリアを見上げた。

「殺すなら、そのまま、殺し、て、くれれば……」

 言いながら、伸ばされた手は骨と皮だけになり、それもすぐに力を失って地面に落ちる。
 やがて、もう叫ぶ事も出来なくなった魔女であったものは、地面へと崩れ落ち動かなくなる。

「貴様には死んでも分からんだろう。長い生にしがみつく魔法使いになぞ……な」

 セイネリアは知る事は無かったが、転がる屍の顔は、シーグルが見た、かつて魔女が生気を吸って殺した屍の顔とよく似ていた。



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なんだか冒険もののファンタジー小説らしい、魔女の最後のシーンでした(==。


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