寄り添う心と離れる手




  【4】



 帰り道は、そこまで無茶な強行軍でもなかった。
 おそらくは体力が落ちているシーグルの為だとは思うが、セイネリアとしても目的を果たした後ではそこまで急ぐ必要がなかったからだろう。
 ところどころ休憩を入れて、夜はちゃんと野宿をする。少なくとも夕食時に、行きはどれだけ無茶をしたかをラタが笑って話せるくらいには帰りの行程には余裕があった。セイネリアは表情こそそんなに変えないものの終始機嫌が良く、そしてどんな時でも必ずシーグルの傍にいてシーグルが離れる事を許さなかった。なにせレザ男爵が好意で馬を交換してくれた事でシーグルはセイネリアと同じ馬に乗る事になったため、本気で離れている暇がないのだ。
 あんまりにもあからさまにベタベタされるとラタがいる手前気まずかったのだが、どうやらそれを気にしているのはシーグルだけのようらしく、セイネリアは言うまでもなく、ラタも全く気にする様子がなかった。それどころかラタは、シーグルの体をセイネリアがやたら丁寧に拭いているのを見ても顔色一つ変えず買い物に出かけ、朝は起こす時にセイネリアがしっかりシーグルを抱き込んでいても気にせずに朝食の準備をしてくれる。主の為に気がまわり、主のする事をまったく気にしないで仕事に徹する、いわゆる『良くできた部下』だとシーグルは感心したくらいだった。
 そうして、レザの館から国境の山脈までは、5日程でたどり着く事が出来た。
 それからの山越えも、レザのくれた馬が優秀だった事もあってそのまま連れて行けた為、日数的には3日半掛かったものの思った以上に早く越える事が出来た。
 山を越えればすぐ、クリュース領内に入る。
 強行軍とはいかなくてもここまで一気に来た事もあって、セイネリアが一度しっかりと休憩を取る事を告げてきた。だから山を下りてすぐそのまま街道に向かわずに山裾に広がる森へ行って、その中にある小屋に向かう事になった。
 ただし。

「俺は買い出しとか連絡とかいろいろありますので、近くの村に行ってきます」

 森へ入る手前でそう言ってラタは街道へ向かった為、、小屋へ向かうのはシーグルとセイネリアの二人だけという事になった。馬に乗っている時はまだしも、小屋について中に入り二人だけでいれば自然と体が身構えてしまうのは条件反射のようなものだが、セイネリアは気にせずに小屋をあけて中の埃を払い、外に積んである薪の束をもってきて暖炉に火を付けた。シーグルはその手馴れた様子に何も出来ず見ている事しか出来なかったが、見ている間に湯が沸かされて茶をいれられたと思うと、手招きされて暖炉前に座らされ、茶の入ったカップを渡された。

「火の番くらいはできるな」
「あぁ、お前は?」
「何かとってくる。肉は食えるか?」
「久しぶりだが、多分、少しなら」

 レザの屋敷では殆どケルンの実ばかりを食べていた為、肉は砦からアウグに向かう最中、たまにスープに入っているものを食べたのがおそらく最後だ。

「何か食いたいもの、と言ってもお前にはないか」

 言いながらセイネリアは苦笑すると、愛しそうにシーグルの頭を撫ぜてから立ち上がる。

「すぐ帰ってくる、ここから出るなよ」
「あぁ」

 そうして小屋にあった弓と矢を肩に担ぐと、彼は出て行ってしまった。

――あいつ、弓も使うのか。

 考えれば騎士にまでなっているならまず大抵使える筈だが、なんとなく弓というのは彼のイメージではなかった。だが彼の言い方だとかなり自信はありそうで、ならば結構そちらの腕もいいのかもしれない。シーグルはあまり弓は得意ではないが、セイネリアの力があればかなりの大弓でもひけそうな気はする。
 彼の弓を引く姿を見てみたいと思ったものの、行けば足手纏いにしかならない事は予想できた。だからシーグルは仕方なく、大人しく座ったまま茶を啜って火を眺めている事しか出来なかった。

――それにしても、そもそも全部あいつのイメージじゃないな。

 あのセイネリア・クロッセスが、他人のために小屋の掃除をして、暖炉に火をつけて、茶をいれてくれるなんて。それがやけに手際がいいのだから余計に違和感がある。
 シーグルだって貴族とはいえ冒険者をしていた訳だから、こういう場所での過ごし方とか、野宿の仕方とか、狩りをしてそれを捌く方法だとか、一応一通りはやれる事はやれる。ただ勿論それらは冒険者になってから教わった物であるし、他の者も気遣ってあまりシーグルにそういう事をさせなかったから、手際ははっきりいって良くないという自覚がある。

――あぁそういえば、あいつの手際が良くて驚いたのは初めてじゃないか。それに昔、樵みたいな事をしていたとか言っていた気がする。

 最初の頃、友人として彼と付き合っていた時には、セイネリアと二人で仕事を受けた事が何度かあった。その時にやはりいろいろと手際がいい彼に聞いたら、森の番人の弟子で、樵みたいな事をしていたと言っていたと思い出した。
 あの頃はセイネリアのことをただ憧れる強い男として、そして頼れる友人としてしか見ていなかった。一緒に戦って、嫌味の言い合いをして……楽しかったなとシーグルは思い出す。

――あいつと、ずっとあの頃のままだったら……今どうなっていたんだろう。

 普通にシルバスピナ卿となった自分のところに彼がちょくちょく遊びに来て……いろいろ相談にも乗ってくれたろうか、流石に一緒に仕事は出来なくても、やはり頼もしい友人として時には仕事を頼んだりしたのだろうか。
 その想像は楽しいものであったが、同時に虚しくもあった。
 そもそもあり得ない話をいくら想像したところで、現実には何も関係しない。
 それでもそうであったなら、どれ程気が楽だったか、考えが割り切れたか。何も切り捨てないで彼と笑って過ごせた日々なんて、ありえなさ過ぎるからこそ考えたくなる。
 赤い火がパチパチと音を立てて爆ぜる様子を見ながら、いつしかシーグルの意識は薄くなっていた。それはこのところずっとセイネリアが傍にいて一人でいる事がなく、一人になった途端ほっとしたというのもあったのかもしれない。彼といるのを心地よいと思いつつも、やはりシーグルの体は緊張してしまうのだ。それは多分、心に負い目があるから――……。

 ガタリ、と音がして、シーグルは目を見開いた。
 すぐに小屋の扉が開いて、黒い騎士が顔を出した。彼はシーグルと目が合うとふっと表情を和らげ、それで入り口にごろごろと何かの実を置いた。

「果物なら食えるな」
「あぁ」
「ならもう暫く待ってろ、川にいって獲物を捌いてくる。ついでに水も汲んでくる」

 それですぐに扉を閉めようとしたセイネリアに、急いでシーグルは言った。

「俺も手伝うか?」
「必要ないな、却って時間が掛かる」

 それは即答で、そうしてその言葉通りであった為、シーグルは黙ることしか出来なかった。ただ、その時にどうやら相当情けない顔をしていたらしく、セイネリアが声を出して笑いだした。琥珀の瞳を細めて、優しげに……これ以上なくセイネリア・クロッセスらしくなく彼は笑っていた。

「大人しく火を見ていろ。温まったら、ブーツと上着くらいは脱いでおけ」

 それはつまり、あとの事は全部彼がやってくれるという事でもある。騎士団の部下達やナレド、それに昨日までならラタがいろいろやってくれていたのにはあまり気にせず受け入れられたのに、彼に雑用全てをやらせてしまうと思うとどうにも気まずい。
 やっぱり、彼は自分の中では憧れなのだ、とシーグルは思う。
 彼のように強くあれればと思った事はもう多すぎて数えられない程だった。……そうして彼のように、なんのしがらみもなく『愛している』と言えれば……だがそれは考えただけですぐにシーグルは首を振った。

 彼が手に入れた強さも、その迷いない想いも、それ相応の犠牲を払って手に入れたものであり、それをただ憧れるのはおかしい。自分が何も捨てられないのはそれだけ沢山の大切なモノを手に入れているからでもある、それは人としては幸せなことだ。
 黒の剣――それを手にいれたことで彼が何を失ったのか。それは聞くべき事なのだろうかとシーグルは考える。彼の苦しみを、そうする事で少しは分かってやれるのだろうかと考えても……そうしたら戻れないという怖さがある。彼を選び、全てを捨てる覚悟が出来ないままでそれを聞いてはいけないと思う心の声があった。

「俺は、どうすればよいんだろうな」

 彼が迎えにきてくれて、嬉しかった。
 彼の腕の中が心地良かった。
 眠る彼を見ているだけで愛しいと感じた。

 彼を、愛している。

 答えが出ても、それを彼に伝える事には躊躇する。
 彼を求めるなら、全てを捨てなくてはならない。その覚悟がシーグルには出来ない。迷いがその言葉を飲み込ませる。
 だから、考える言葉は一つ、どうすればいいのか、と自分に問い掛ける事しか出来ない。
 自分の心の迷いのように、揺れる炎を見つめ、シーグルは考えた。





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 そんな訳で暫くは二人の小屋での生活をお楽しみ下さい。



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