寄り添う心と離れる手




  【2】



「それで、ここからレザの屋敷まではどれくらいかかる?」

 ラタと顔を合わせた途端、そう言ってきた主にラタは顔を引き攣らせた。

「馬でも最短で三日は掛かりますよ。途中、検問を迂回するとなれば恐らくもっと」

 言っている間に、セイネリアは既にラタが連れてきた馬に乗ろうとしていた。だからラタは慌ててセイネリアの傍に駆け寄る。

「マスター、この近くに小屋があります。誰もいない事は確認済みです。まずは一度休憩を取られたらいかがでしょう?」
「必要ない」
「いえでも……食事とか、は……」
「途中の休憩で携帯食を食べる」
「まだまだこれからかかるのですから、その前に一度休んだ方がいいと」
「俺には必要がない」

 言って既に馬を歩かせようとしている主を見れば、ラタも引き下がって馬に乗るしかなくなる。
 内心で『化け物だな』と思いながらも、主がいいというならここで自分が弱音を吐く訳にはいかなかった。

――この分じゃ、馬を休ませる時間以外は夜も休む間なしだろうな。

 そして当然のように、そのラタの考えは現実のものとなった。
 それから三日後、正確にには二日半後、レザ所有の森が見えた時には、ラタは疲労困憊の状態ながらも内心で嘘だろうと思ったくらいだ。
 そもそもアウグの各領地間には必ず検問の兵がいて、それを誤魔化す為の迂回ルートをラタは使うつもりでいた。だからラタの見積もりではレザの館へつくには四、五日は掛かる予定で、道中いろいろと下調べをしておいたのだ。
 ところがセイネリアは、ここで一時的に姿を見えなくするというアイテムを持ってきて使ってくれた。だから検問を迂回せずにそのまま通ってこれたのだが、おかげで全て最短ルートを使用して、休憩も最低限でこれ以上ない強行軍でここまで来る事になってしまった。場所が敵地であるから、途中変えの馬を用意まで出来なかったという事情があって馬をもたせる為の休憩とペース調整は必須だったが、もし用意出来ていたら走り通しで休憩さえなかったんじゃないかと思ってラタは内心ぞっとした。
 ラタは改めて、主である男の馬鹿げた体力というか気力というか、その人間離れした身体能力に驚くしかなかった。

「さて、正面からこいというなら、このまま堂々と入っていけばいいんだな?」

 言ってセイネリアが躊躇もせずに森の道へ入って行こうとするのを、ラタは慌てて追いかける。たしかにこの男ならいざという時にもそうそうに恐れるような物はないとはいえ、こういう時は形式を守って部下を先に行かせるのが普段の彼であった。それさえ無視をするというのは、それだけ一刻も早くという事なのだろう。

――本当に、あの坊やの事となると別人だな。

 これで無事シーグルがセイネリア元に戻るのであれば、クリムゾンの死は無駄にはならないだろうとラタは思う。
 別に彼の死に関してなんら憤りに思うようなものはないものの、彼とは同室でずっと仕事では組む事が多かった為、彼が能力的にどれくらい使える人間であるかは分かっていた。だから味方として失うのは惜しい人物であるくらいは思っていたし、同じ男に仕える部下として、死ぬのなら満足できる死に方であれば良かったとは思わずにはいられなかった。同室としては決して仲は良くなかったものの、その程度の『情』はラタだって感じていた。
 彼が死ぬ事でシーグルを救えたなら、それはセイネリア・クロッセスの心を救ったと言ってもいい。
 だから、どれくらい彼がこの黒い騎士の事を崇拝し、その為に生きたいと願っていたかを考えれば、彼はこれ以上なく満足して死ねただろうと思える。そう、思いたかった。

「マスター、そこの道を曲がってください。更に奥へ行く道の先は女達の館になりますので。シーグル様はそちらにはいないと思います」

 考え事をしていた所為で道が見えた途端慌ててラタがそう声を上げると、前を行くセイネリアは言われた通りの道に入る。
 そうしてそこから間もなく見えた館の前で、二人は馬を降りた。
 彼らが屋敷の前で馬を止めると、即座に見張りらしき若い青年が駆け寄ってくる。

「何者だ」

 それには急いでラタが前に出て、言葉が分からない主の代わりに答えた。

「『返して欲しければ本人が来い。正面からくる度胸があるなら招待してやる』と言われたから来た、とレザ男爵に言って貰いたいんだが」

 青年は不審そうに表情を険しくしたものの、一応は武器を収めて、ここで待つように言うと屋敷の中へ入っていった。その間に他にも武器をもった青年が二人現れて、主に取り継ぎに行っている者の代わりにこちらを見張る。

「面倒だ、場所が分かっているなら入ればいい」

 どこまで本気か分からないが、後ろからそう呟く主の声を聞いてラタはぞっとする。

「強行突破は断られてからにしてください。招待してくれるというなら招待して貰いましょう」

 それに『分かっている』と声が返ってきた段階で、まだこの人もそのくらいの冷静さはある訳だと安心する。それでももしここでこの男一人だったら、見張りを無視して勝手に中に入っていきそうだと思ったが。
 そうしてその場で待たされて間もなく、割と早くに、最初にこちらを取り次いだ青年が走って帰ってきた。

「申し訳ありません。我が父が会うそうです、どうぞこちらへ」

 父という言葉だけでいろいろ察したラタは、セイネリアをちらと振り向いて青年についていく。黒い騎士も無言で付いてくるものの、彼の機嫌が相当にマズイ事を分かっている段階で後ろにその気配を感じるのが正直恐ろしかった。重苦し過ぎる空気に、すれ違う青年達の正体でも説明してみようかと一瞬思ったが、そんな事を説明した日にはここでシーグルがどんな目にあっているかも想像出来てしまうだろう。だから結局、ラタは黙って背に冷や汗をかきながらもただ歩くことしか出来なかった。
 そうしてついて行った先、彼らが通されたのは見るからに客間と分かる場所で、ラタは少しだけ安堵する。どうやら招待すると言った事は本当らしい、と。部屋を見回している間にここへ案内をしてくれた青年がお辞儀をして部屋を出て行った段階で、こちらをそこまで警戒している訳でもないかと思う。

「すんなり返してくれるでしょうかね」

 静かになった部屋で呟けば、黒い騎士は長椅子に腰かけて不機嫌そうに足を組んでいた。

「すんなりは無理だろうな。まぁ返してくれるどころか、まずはすんなり会わせもしないだろ」

 ラタはそれに、はは、と引き攣った笑みを返した。こういう時のこの男の読みはまず大抵当たる。そしてもし、彼の我慢が利く内にシーグルを返して貰えなかった場合、どんな事態になるか考えるだけで胃が痛くなってくる。

「バウステン・デク・レザ、か。本当にそいつが噂通りに強い人物なら、納得させればいい訳だろうな」
「納得って、何を?」
「俺がそいつより強いという事を。奴の言伝とやらから考えれば、その手の男だというのが分かる」
「……出来れば俺は、穏便に済ませたいと思ってるんですが」
「それは、向うがどれくらい利口かによるな」

 こんなやりとりを堂々と出来るのは、どうせ言葉が分からないだろうというのもある。とはいえ実際この男なら、外の見張りが聞いて文句を言って来たとしても気にしないのだろうとは思うが。
 それから、廊下からこちらに向かう足音が近づいてきたのが分って、ラタはすぐに前髪をくしゃくしゃと混ぜて目元を出来るだけ隠した。レザとは直接の面識はない筈だが、ラタ個人の事情で、アウグの貴族には極力顔を見せない方がいいからだった。

――これが、レザ男爵か。

 入ってきた人物を見て、まず最初にラタが思ったのは『確かにアウグ軍内では勇者とか戦神とか言われるだけはある』という事だった。体躯は素晴らしく、背はセイネリアより僅かにひくくはあるがその分横と厚みがあり、戦場で彼に前に立たれたら一般兵ならまず体が竦むだろうと思わせるものがあった。眼光も鋭く、その所作にも隙はない。ラタはノウムネズ砦の戦いで彼の指揮下にいたが、傭兵風情が彼の姿をしっかり見れる程の傍にいられるわけがなく、ちゃんと見たのはこれが初めてであった。
 レザは部屋に入って来てからずっと、自分ではなくセイネリアを見ていた。
 ラタは背後を振り向かなかったが、恐らくセイネリアもこの男を見ている。
 だから入ってきてこちらに近付く前にレザは足を止め、おそらくはセイネリアを見たまま暫く動かなかった。

「待たせて申し訳ない。我が名はバウステン・デク・レザ、ここの主だ。其方の名を聞いてもいいだろうか?」

 ふと、口元に笑みを浮かべて視線を外してから、レザ男爵はそう言いながら今度はラタを見てきた。

「我が主の名はセイネリア・クロッセス……です」

 するとレザは瞳に何処か剣呑な光を宿しながら、少し顎をさすって考えてみせた。

「その名は聞いた事がある。雑族の奴らがやけに恐れていた……なるほど、彼がそうなのか」

 一人で納得したように呟いて口元を歪めるレザは、部屋の中にまで入ってくると肘掛のある椅子に座った。

「長旅を強行軍でさぞ疲れたろう。馬の方も限界に近かったそうだぞ、まずはゆっくり休んでくれ、我が名にかけて一通りのもてなしは約束しよう」

 ラタ個人としてはそれはとてもありがたい話ではあるが、向こうの出方に微妙な違和感も感じる。とはいえそれを主に伝えると、予想通りの答えが返ってきた。

「必要ない、すぐにシーグルを返せと言え」

 まぁそうだろうなと思いつつ、それをレザに伝える。だが、そこでの返事は予想外で、ラタは主に聞くまでもなく抗議することになった。

「……さて、シーグルとは誰の事だろう?」
「とぼけないで頂きたい。我々が探している者のことです」
「ほう、探している、というと?」
「男爵ご自身が、この間の遠征で連れ帰った青年の事です。シル……いえ、ソウ・ゾ・デタンと名乗っているかと思われますが」

 咄嗟にシルバスピナ卿と言いそうになったものの、どうにかすぐに気づいてそれは抑える。部屋の外には他の人間がいるのだ、ここでヘタにその名を出すのは相手の立場的にマズイとラタは判断した。……『シーグル』というのは対外的に使う名ではないため、恐らく大丈夫だろう、と先ほどの発言はそう思うしかなかったが。

「……生憎、そんな名の者はここにはいないが」

 そのわざとらしい返事に、思わずラタはカッとなる。
 そっちの立場を考えて言ってやったのだという思いがある分、このふざけた返答にはどう返すべきかと考えて……それでもすぐに自分を抑えて、ちらと後ろの主を見た。
 今のところは落ち着いて待っているだけに見えるが、その実この男としては相当に苛立っているだろう事はラタには分かっていた。主が抑えているのに自分がキレては従者失格だと言い聞かせて、ラタはレザ男爵に向き直った。

「貴方がこちらに言われた『探し人』です。返して欲しければ来いと言われたのは男爵ご自身ではないですか」

 どうにか冷静になるように努めてラタが言えば、ゆったりと椅子の上で姿勢を崩した男はセイネリアを見ながら言ってくる。

「そうだな、こちらにいる客人がそちらの『探し人』であるなら返そうと思ったのだが、そうであるか確証がないものでな。違った場合には客人を会わせる訳にはいかない為、こちらも慎重にならざる得ないのだ」

 ラタは内心うんざりしながらも、主にその事を伝えた。

「ならその客人に俺の名を言えばいい」

 それをそのまま伝えたところで、レザ男爵が答える。

「ならば本当にそちらが『セイネリア・クロッセス』であると証明して貰わねば」

 これにはラタもどうすべきか考える。クリュース国内の話であれば冒険者支援石で簡単に解決する問題なのだが、他国でそれが通じる訳がない。
 仕方なくラタはレザ男爵に聞く、証明にはどうすればいいのか、と。





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 次回、セイネリアとシーグルの再会。



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