寄り添う心と離れる手




  【13】




 そのまま、シーグルはそこでセイネリアと別れた。
 ラタには全て話がいっているらしく、彼はシーグルにこれから一番近くの街、フォートナに行く事を告げると、主であるセイネリアに声を掛ける事もなく馬に荷物を括りつけて出発した。

 よく晴れたその日の風は穏やかで、春になったばかりののどかで美しい森の風景が視界を過ぎていく。心地よい風と澄んだ空気を感じながらも、シーグルの心は重く、心の奥で疼くような痛みは消えなかった。
 それでもきっと、彼はもっと辛いのだと――そう考えて、この心の痛みは持って行かなくてはならないのだと思う。
 セイネリアの事を考えれば考える程罪悪感と自己嫌悪に苛まれる。
 彼に抱かれたかったのは本当だ、彼を愛しているのも本当だ。けれど、その言葉で彼に無理矢理自分の出した条件を承知させた事を考えれば自己嫌悪しか感じない。色仕掛けで言うことを通すなどまるで娼婦だと思いながら、彼が拒まないだろう事を分かっていて彼に体を差し出した。

「後悔してるのか? マスターから離れたことを」

 出発してからずっと、今まで必要以上のことを話し掛けてこなかったラタが、途中でそう声を掛けてきた。

「後悔……というより自己嫌悪だ。あいつに対しての俺が……最低過ぎて。あいつが拒めない事を分かっていて、無理に俺の出した条件を了承させた」

 そう返したシーグルの言葉に、ラタは否定も肯定もする事はなかった。
 だが、そのまま無言で馬を歩かせ、森の出口が見えてきたところで、彼は一度馬を止めて振り返ると言ってきた。

「あの人はな、全部分かっててあんたの思惑を受け入れたと思うぞ。だから少なくとも騙したとか無理矢理どうこうしたっていうのは考えなくていい、結局こうしてあんたを手放したのもあの人の意思だって事だ」





 森を抜けて街道に出れば、そこから少し馬を急がせて丘を越える。
 そうして視界にフォートナの街が見えてきたところで、前を行くラタの馬は街道から逸れて街を目指さず傍の林へと入っていく。それに疑問を持ちながらも勿論シーグルもそれに続く。そこから割合すぐにシーグルの疑問は解ける事となった。

「おっそーーい」

 街道から見えないくらいに林の中へ入った辺りで二つの人影が声を掛けてきた。どちらも杖を持っている事から魔法使いである事が分かる。
 文句を言ったのはその内の一人、黒の剣傭兵団のエンブレムをつけた女魔法使いで、もしかしたらセイネリアが言っていたアリエラという人物だろうかとシーグルは思う。馬を降りるとすぐラタに文句を言いに寄っていった彼女を見ていれば、もう一人のグスくらいの年頃の魔法使いがシーグルの前にやってくる。

「貴方があのシルバスピナ卿ですか、私はラースリ、あの街で治療師をしております。我が師はウォルキア・ウッドと言えば、少しは安心して頂けますでしょうか」

 いかにも優し気な風貌の魔法使いに挨拶を返すと、ラタに話しかけていた女魔法使いもこちらにやってくる。

「私はアリエラよ。一応あの男の傭兵団所属って事になってるわ。……ふーん、あの男って意外に面食いだったのね」

 まじまじと見つめられるとなんとも居心地が悪いが、ラタがわざとらしく咳払いをすれば彼女は不機嫌そうにしながらも下がる。代わりに、落ち着いたラースリという魔法使いの方がシーグルに説明をしてくれる。

「いいですか、いろいろ考えたのですが……薬草を取りに森へ行った私がたまたま貴方を見つけて保護した、という事にさせて頂きます。その後、魔法ギルドの権限で貴方をリシェに送り届けた、という事に……」

 そこでアリエラがずいとまた前に出て来て話を切る。

「いーい、貴方はアウグの誰だか――無名の誰かに匿ってもらっていたの。春が来て逃がしてもらって山越えをした後、この街を目指してたところでこのおっさんに見つかったって事にして。魔法ギルドの方にもうそれで話が付いてるから。……本当は貴方が自力でこの街にきてすぐ冒険者事務局に駆け込んだっていう方が自然なんでしょうけど、それだと途中でへんな横やりが入って貴方の存在自体を有耶無耶にされる可能性があるから、まずは貴方が帰ってきたって事実を先に作って公表しちゃった方がいいのよ」
「へんな横槍?」

 何か嫌な予感がして聞き返せば、彼女はやはり不機嫌そうに言い放つ。

「その辺りの詳しい事は帰ってから奥さんなり部下さん達になりにじっくり聞けばいいわ。ともかく、貴方と貴方の家の立場は前よりも更に良くないって事は覚えておきなさいよ」

 不穏な予感を抱きながらも、それでもシーグルは彼女にそれ以上聞く気はなかった。彼女の言う通り、国の情勢的な問題であればロージェンティに聞くのが一番いいと思ったのもあったし――これ以上何かを聞いて、家に帰るという決心を鈍らせたくなかったというのもあった。






「会いたいなら、お前もあそこにいっても良かったんだが」

 セイネリアが言えば、馬上でその後ろに乗っていたソフィアは顔を左右に振った。

「いえ、私は……いいです。お会いしても、きっと何も言えませんし……ここからで十分見えます」

 だから今程、このクーアの術を使える事を感謝したことはない、と彼女は思う。離れていてもすぐ近くに、あのいつでも変わらぬ強い瞳の青年を見る事が出来る。ただ無事な彼の姿を見れるだけでソフィアには十分だった、それ以上を望む気はなかった。見ているだけで胸が一杯で、自然と目から涙まで零れてくる。

「そうだな、お前にはここからでもよく見えるか」

 らしくなく、どこか寂しそうに主である男が言った言葉に、思わずソフィアは問いかける。

「マスター、あのっ、私の視界をそちらにもっ」
「いやいい。今見れば……辛い、からな」

 どこまでも彼らしくないその言葉と声に、ソフィアは目を見開く。
 この人を越えた力を持つ筈の強い男が、どれだけあの青年を必要としているのかを実感する。

「マスター、すみません」
「何故お前が謝る」
「すみません……」
「謝って貰っても何も変わらん。お前が失敗したと思うなら次は失敗をするな。俺に対してお前がすべき事は謝罪の言葉を言う事ではなく、お前の仕事をする事だ」
「はい……」

 涙をぬぐって答えれば、僅かにセイネリアの気配が柔らかく変わる。

「今のお前の仕事は、俺の代わりにあいつが行くところを見て俺に伝える事だ。ちゃんと見ていろ」
「はい、ありがとうございます」

 ソフィアの千里眼の術による視界の中、やがて女魔法使いと共にシーグルの姿は消える。ソフィアには単独での長距離転送は出来ないが、魔法使いの転送路を使ってならリシェまでは一瞬の筈だった。
 最後まで彼を見届けてから、ソフィアは主に、彼が最後にこちらの方を向いて何を呟いていたのかを告げた。

「すまない、セイネリア――だ、そうです」
「ふん、謝るくらいなら……」

 そこで彼は言葉を止めてしまった為、ソフィアには主が何を言いたかったのかはわからなかった。

 ――そうしてその日の内に、死んだ筈のシルバスピナ卿が生還したというニュースは首都にまで伝わる事となった。






 春を迎えたアッシセグの街は、ここ最近ずっと穏やかな天気が続いていた。
 主の帰還というには重い表情で、カリンはセイネリアを出迎えた。
 彼が一人で帰ってきたという段階で全てを察してしまった彼女は、おかえりなさいませ、という言葉の後、彼に掛ける言葉を思いつかなかった。
 重い息と共に、どかりと音をさせて自分の椅子に座ったセイネリアを見て、彼の顔から全く表情がない事に気付く。それから彼は顔を下に向けて、唇だけを歪めると平坦な声で呟いた。

「全て予想通りなんだがな……今回は、応えた」

 言ってから彼は軽く喉を鳴らす。

「みっともなく足掻いて、思いつく限りの事をしてみたんだが……本当に……あいつは頑固で……強い」

 セイネリア・クロッセスが泣く事はない。けれど彼は泣きたい時に、こうして喉を震わせて嗤う。自分の無力さと愚かさを嘲笑う。
 顔を伏せている所為で、彼のあの誰をも圧倒する琥珀の瞳を見る事は出来ない。けれども普段なら強いあの瞳が、今ならその強さを失っているかもしれないという予感にカリンは胸を押さえる。

「ボス、私に出来る事がありますでしょうか?」

 愚かな問いだと思っても、カリンは言わずにはいられなかった。
 セイネリアは顔を上げない。けれども返された声はやはりどこにも感情はなかった。

「今はない。だが、その内にいろいろ頼む事になるだろう。……もういい、下がれ」
「はい」

 それで部屋を出て行こうとしたカリンだったが、セイネリアはそれを呼び止める。

「カリン」

 彼はまだ下を向いていた。
 表情の見えない中、それでもはっきりと彼は彼女に告げる。

「あいつは、俺を愛していると言ったんだ……だからもう、次は放す気はない。あいつの意志で俺の元に来れないというなら、あいつが俺の元にいる為の理由を作るしかないだろう」

 言い切ると、不穏な光を宿す琥珀の瞳を静かに上げて、セイネリア・クロッセスは確かに口元だけで笑った。
 カリンはその場で主に向けて頭を下げた。

「貴方の思うままに」




 END.
 >>>> 次のエピソードへ。

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 セイネリアさんは最後の宣言通り、あれこれ手を回してるので……本気で次は放しません。


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