寄り添う心と離れる手




  【12】




 明るい光を感じて目を開けて……そこに、自分を見つめる彼の顔がある、というシチュエーションはここにきて3度目だな、とシーグルは思う。
 そうしてまた、これが最後である事を心に言い聞かせた。

「朝だな」

 呟けば、彼の顔が苦し気に歪む。
 誰よりも強く、何物をも恐れない男が、酷く辛そうに自分を見つめる。

「――あぁ、朝だ」

 それを分かっているからこそ、彼の声は不自然な程に感情がまったくのっていない。
 代わりに見つめる瞳だけでシーグルに訴えてくる。
 だがやがて、彼は諦めたように視線を外すと体を離した。

「ラタがアリエラを連れて来るまでにはまだ時間がある。俺は川に行って水を浴びてくるが、お前はどうする? 体を拭くなら湯を沸かしてやるが」
「俺も水を浴びにいこう。その方が早い」

 言いながら起き上がろうとすれば先に立っていたセイネリアが手を出してきて、シーグルはその手を取って立ち上がる。立ち上がったシーグルを暫くじっと見つめていたものの、すぐに背を向けたセイネリアは小屋のドアを開けた。
 春とはいっても、まだこの時期は朝となれば少し肌寒い。外から入り込んできた空気は中の気温より低くて、普通ならこれで川で水浴びはしないだろうと思える。

「まだ川の水は冷たいが、大丈夫か?」

 そう聞いてきた彼の、朝日に照らされた見事な背筋に包まれた背中を見つめて、シーグルは苦笑する。

「目が覚めるだろ、丁度いい」

 そうだ、目が覚める。幸せな、幸せだった彼の腕の中から目を覚まして、現実へと戻る為に丁度いい。そう思ってシーグルは彼の背中を追いかけた。








 軽くスープだけの朝食を食べた後、セイネリアが言っていた通りラタが小屋にやってきた。
 彼の表情は機嫌がいいものではなく、シーグルを見た途端にため息をついたが、主であるセイネリアが無表情を崩さなかった事でその時は何も言ってはこなかった。ただ、セイネリアを残して先に外へ出た後に、彼は馬の準備をするシーグルに話しかけてきた。

「やっぱり帰るのか。俺は、あんたがこのままマスターと来てくれたらと思ってたんだがな」

 考えればセイネリアがいる時は、彼はこうして前に仕事をした時のような気さくな言葉遣いで話しかけてくる事がなかったとシーグルは気づく。本当に、傭兵団の部下というより騎士の従者のようなきっちりとした男だ。前に感じた、彼が本当は元は貴族騎士として訓練を受けた者ではないかという思いは、それで余計に強くなった。

「俺は、自分の責任を捨てられない」

 言えば、ラタは肩を竦めながらもシーグルの顔をじっと見つめてくる。

「あぁ、そうだろうとマスターも言ってたさ。だがな、あの人はあんたを必要としてる……それを、忘れないでくれ。いいか、あんたは何があっても無事でいなくちゃならない」

 彼はセイネリア・クロッセスの部下である事に誇りを持ち、主の為にあろうとしている。
 彼の過去がどうあれ、今の彼はセイネリアの部下であるという事に満足し、自ら従っているのは確実だろう。
 彼だけでなく、セイネリアの直下の部下達は、あの絶対的な男の部下である事を誇りとし、あの強い男の一部として動くことを悦びとしている。そんな彼らだからこそわかっている、セイネリアにとってシーグルという存在がどれほどの意味を持つのかという事を。だから彼らは主の為に、シーグルの無事を願う。

――俺は、彼らの願いも背負わなくてはならない。

 セイネリアを拒むのなら、自分を必ず守らなくてはならない。
 それは前からの彼との約束だ。けれども自分は、何度それを破ってきたのだろうと思う。

 本当に、ここで帰る事が正しい選択なのだろうか。
 自分が帰るよりセイネリアの元に居て、彼の力を借りて影ながら家を守った方が全て上手くいくのではないか――そんな思いが頭をよぎる。

「シーグルっ」

 そこで、小屋の中からセイネリアに呼ばれた事で、シーグルは思考に沈んでいた意識を引き上げた。急いで小屋に行けばセイネリアがマントを投げて寄越してきて、シーグルはそれを咄嗟に受け取った。

「アウグから逃げてきたというのは隠さなくていいが、レザと繋がるようなものは持っていかない方がいい。そのマントは置いていけ、どう見ても貴族の持ち物だ」
「あぁ――そうだな、忘れていた」

 言われれば、レザの元からずっと着てきた毛皮のついたフードつきのマントをクセのようにまた着ていた事に気付き、シーグルは慌ててそれを脱いだ。
 代わりに、セイネリアから渡された冒険者としては一般的な冬用のマントを羽織る。

「ただ、高価なものだから捨てるのは勿体ないな」

 脱いだマントをたたみながら言えば、セイネリアが部屋の隅を指差した。

「ならここに置いておけ、またここを使う事になったら誰かが使うだろ」
「そうだな、大事に使って貰えればいいが」

 シーグルは指示された部屋の隅、寝具やらが置いてある場所にそのマントも置いた。

「それは心配しなくていい。ここは結界が張ってある、特定の者以外は入ってこれない、馬鹿がそれに触れる事はないさ」
「あぁ……そうか……」

 それで誰もくる事がなかったのかとシーグルは思う。
 山や森の中にぽつんとある小屋は、冒険者達が休めるように誰でも使っていい共用の物として建てられているものが多い。だからここもそういう物の一つだと思っていたのだが――確かにそういう物だったなら、二人でいる事を望んだセイネリアが使う訳はないなと思う。そもそも誰がくるか分からない状況なら、一日中裸で抱き合っているのはあり得ないだろう。

「ここはな……お前を探す為に建てた」

 言われて振り向けば、セイネリアは口元に苦笑を浮かべてこちらを見ていた。

「お前の手がかりを探して、かたっぱしから蛮族共のところへ行って調べた。その時にな、待機する場所として使ったんだ」

 それで彼が本当にあの戦いの後、ずっと自分を探していたのだとシーグルは思い知る。
 どんな思いで、彼はここにいたのだろうとそう思った直後、満月の時に感じた彼の気配を思い出す。苦しそうに自分を呼ぶ彼の声を思い出す。

――だめだ。

 このまま彼の顔を見ていたら、自分は彼に別れを告げられなくなる。
 そう思ったシーグルは彼に背を向けて、すぐに小屋を出て行こうとした。
 けれども、その前にセイネリアが動く。それを気配だけで察してシーグルが一歩を踏み出すのを躊躇したその一瞬の隙に、後ろから抱きしめられた。

「シーグル」

 彼の顔が首元に埋められる、耳元で苦しそうな彼の声が聞こえる。
 抱きしめてくる腕は決して強いものではないのに、シーグルの足は止まってしまった。

「いくな、俺と共にこい」

 あぁだめだ、と反射的に思っても、シーグルには彼を振りきって出て行く事が出来なかった。
 それでも、帰らなくてはならないと、それだけを自分に言い聞かせて口を開く。

「だめ、だ……セイネリア、離して、くれ」

 言っても、体は動かない。

「例えば……」

 セイネリアが呟く。恐ろしく感情の抜けた声が、耳の中に彼の吐息と共に聞こえてくる。

「例えば……俺が、みっともなくお前の足に縋って、行かないでくれと泣き喚いたら、お前は俺といてくれるか?」
「――やめてくれ、そんなお前が見たい訳じゃない」

 即答で返しても、それが冗談ではないというのが分かる分声が震える。

「ならどうすればお前は俺を選ぶ、俺と共にいてくれる」

 少し掠れた淡々とした声はだからこそ彼の本心そのままで、聞いてしまえば前に進めなくなる。

「だめだセイネリア――全てをお前にやるのは一日だけの約束だ」
「お前は、俺との約束を何度も破ったじゃないか。その度に俺がどんな思いでいたか分かるか」

 泣きそうな声で言うシーグルの声に重ねて、セイネリアはただ抑揚のない声を返す。

「だめだセイネリア――離して、くれ」

 とうとう耐え切れず、シーグルの瞳から涙が落ちた。
 歩きだすことも出来ず、振り向いて彼の顔を見る事も出来ず、ただ嗚咽を漏らすシーグルの背から、やがてセイネリアの体温が離れていく。
 シーグルは離れた彼の気配を追うかのように自らの肩を自分で抱いて、その場に立ちすくんだまま動けなかった。
 離れた場所から、セイネリアの声が響く。

「行くのなら行け。だがお前を放してやるのはこれが最後だ……忘れるな」

 それでシーグルの足の呪縛が解ける。だから彼の言葉の意味を理解するよりまず、シーグルは一歩踏み出した足の勢いのまま小屋の外へと逃げるように走った。




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 別れのシーンでした。今回のセイネリアさんは最後まで足掻きます。
 次回、後処理的な内容でこのエピソードは最後となります。


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