平穏な日々と不穏な世界




  【5】



「それじゃ伯父さん、お元気で」
「おぉ、久しぶりにテレイズ坊の顔を見れて良かった、お前もいろいろ大変だと思うが元気でやんだぞ」
「本当にねぇ、こんな立派になってねぇ」

 村の人間全員出て来てるんじゃないか、という勢いで兄の見送りをするその様子を見れば、当然だがウィアとしては面白くない。リパ大神官様の見送りとしては当たり前の光景なのかもしれないが、ウィアにとって二重の意味で面白くない事があるのだ。

 ウィアと共に里帰りをしたテレイズだったが、忙しい兄は僅か3日程ですぐ首都へ帰るという事で、ウィアだけが村に残される事となった。まぁ、そこまでは良かったの、だが。

『んじゃ俺も帰るっ』
『あぁウィア、帰りの馬車はタダキ神官が一緒だからお前が乗る場所はないんだ。お前は春までゆっくり伯父さんとこにいればいい』
『はぁ? なんだよそれ』
『ついでにタダキ神官の代わりに神殿の仕事をお前が手伝う事。伯父さん達には言ってあるからサボろうとしても無駄だからね』

 にっこりと、有無を言わさぬ兄の笑顔に、ウィアがそれ以上抗議する事は不可能だった。タダキ神官というのは冬支度の忙しい間村に追加派遣された神官のことで、彼がいるからこそ今回ウィアが冬入り前にいかなくてもどうにかなるだろうと言うことにもなったのだ。
 つまるところ、彼の代わりに残れという事なら、ウィアはこれから神殿のお仕事として、老人が多い村の貴重な若い働き手として雑用をいろいろしなければならないという訳だ――しかも春までずっと。これでウィアの機嫌がよくなる筈はなかった。

「んっとに、弟を何だと思ってんだあのクソ兄貴が」

 愚痴をこぼしてみたところでそれが兄に届く筈もない。いや、届いたとしても、ウィアに何もいい事は起こらないどころか怒られるだけなのだが。
 村人総出の広場の中馬車が走り出す様を、ウィアは恨みがましく睨みつけながら見送る事しか出来なかった。

 その一方、人々に見送られた馬車の中では、つい先ほどまで村人達に笑顔で応えていた空気を一変させて、難しい顔をしている二人の神官がいた。

「それじゃ、報告を聞こうか」

 テレイズが言えば、リパ神官としては割合いい体格のタダキ神官が頭を下げる。

「はい、やはり付近の砦関係者は皆ピリピリしていますね。冬の間なのに、明らかにおかしいです」
「まさかとは思うが、蛮族どもがこの時期でも何か怪しい動きを見せているのか?」
「いえ、そういう話は聞きませんが……」
「何かあるのか?」
「何か、といいますか、去年は蛮族どもで村や砦を襲おうとしてくる者が皆無で、ただ頻繁に偵察に来た者の姿は見たと」

 それにはテレイズが眉を寄せて考え込む。
 今回、冬入りの支度に応援要員としてこのタダキ神官を村に送ったのは国境付近の様子を詳しく調べさせる為で、テレイズが直接村まで行ったのはタダキ神官の迎えを兼ねて報告を聞くためもあるが、付近の村のリパ神殿にある作業記録を見に行く為でもあった。

「成る程、確かにおかしいな。それについてはもう少し調べてあるんだろう、聞こうか」
「はい……」

 首都へ向かう馬車の中、不穏な会話は続いた。






 温暖な南の港町アッシセグの春は、気付けばいつの間にか来ている、というのがここへきてから毎年思う事だとカリンは思う。
 だが今年は、春の使者ならぬ春と共に団に帰ってきた人物の所為で、団の上層部には気候とは真逆の緊迫した空気が流れていた。

「どうやらアウグは相当にクリュース対策、つまり魔法対策に力を入れているようです。大量の断魔石を買い込んだり、魔法についてもかなり研究しているようです」
「研究?」
「前は、アウグ国内で強い魔力が現れた子供が生まれると、神殿引き渡しの上公開処分されていたのですが、現在はその前に王直下の研究機関がひそかに連れて行くようです」
「成程、さすがに平和ボケしたクリュースの上と違って向うは優秀じゃないか」

 そういって喉を震わせるセイネリアの口元は確かに笑みを浮かべているものの、その瞳が相当に怒りを溜めているのを見ればカリンでさえも目が自然と彼から逃げる。一つを聞けばいくつものその先が読めるこの男なら、この情報で分かる事に怒りが湧くのも当然だろう。

「最初に当たる連中は、ほぼ確実に壊滅するだろうな」

 それはカリンでさえ読める。クリュース兵、特に正規兵の最大の弱点は極端な打たれ弱さにあると言えた。今まで他国にない魔法の力で守られ、常に絶対的に優位な状況でしか戦った事のない脆弱な兵達は、自分たちが過信していたモノが一つでも破られれば動揺してすぐ崩れる。その時、指示を与えるべき指揮官は自分が助かる事しか考えられない無能で、立て直すどころか撤退指示さえ満足に出す事が出来ない可能性さえある。

「あいつはおそらく、増援部隊の一陣というところだろう。その時点ではまだ上の連中にとっては、蛮族どもよりくだらない宮廷謀略劇の方が重要な頃か……」

 その先を言わずに、セイネリアの口は忌々し気に皮肉めいた笑みの形をとる。
 クリュースの上層部が危機感を抱いて本腰を入れるのは、少なくともその増援の一陣が壊滅してからやっとだろう。貴族だのに拘らず、とにかくまともにどうにか出来そうな者に指揮を任せだすのはそれ以降だ。冒険者を大々的に募るのも二陣三陣以降になる。
 それでは、あの青年には間に合わない――カリンはそこまで考えたろう主の事を考えて掌を握り締めた。

「しっかし、いくらアウグが協力してやってるとしても、蛮族共へ折角集めた貴重な断魔石をそんなに大量に渡してやるかね。あれが数個ある程度じゃ、戦場で役に立つとも思えねぇがね」

 エルの思う事ももっともだとはカリンも思う。
 断魔石は名前の通り魔法を遮断する鉱石で、石のサイズにもよるが石から一定周囲の魔法を遮断する。ただ補足するならば、その効果は魔法を無効化するというのではなくあくまで魔力の流れを遮断する事な為、既に発動して効果が出ているものの効力が切れる訳ではない。だから事前に分かっていればある程度の対策はとれる筈だった。
 ただし、石はクリュース国内でも高価なものである為、通常は貴族の屋敷や神殿の周囲等に千里眼対策で設置する程度でしか使用されていない代物だ。『他国は魔法を使わない』というのが前提のクリュース騎士団が、それを軍事利用する事など考えた事もなければ、例え使うと知らせてもエルのように考えて馬鹿にするだけだろう。

「そうでもない、専用の部隊を作ってそいつらにだけに持たせるか、地面に設置したところに誘い込むか……少なくても使いようはいくらでもある。ようは効果的なタイミングで『魔法が効かない』と相手に思い込ませられればいいだけだ。弱い兵はそれだけで動揺して、その動揺が広がって敗走になる」

 その時、原因が断魔石だと分かっていれば対応はすぐに取れる。もしくは多少の兵を失っても、本当に魔法が効かないのかを確かめる冷静な頭が指揮官にあれば立て直しも出来るだろう。そう、例えば、指揮官がシーグル本人であればおそらく――。

「いっそ戦場に着いた途端、あの坊や以上の役職連中を全部敵側の暗殺者のふりして殺したらいいんじゃね?」

 今度のエルのセリフは表情を見れば冗談なのは分かっているが、そうしたい気持ちなのは皆共通だ。

「それくらいならいっそ……俺が直接行った方がいいだろ」

 セイネリアも口調だけは冗談のようにそう言う。
 セイネリア本人が戦場にいるなら、例えどんな状況になっても戦況を変える事が出来る――だがそれが出来ない事は、カリン以下、ここにいるエルと、報告しているラタも分かっている事だった。
 今現在、セイネリアとシーグルにつながりがあることを上に見せてはいけない。セイネリアを理由に、シルバスピナ家が追い詰められるような事態には出来ない。ましてやこの時期、戦場で規格外のセイネリアの力を見せつけて、宮廷のセイネリアに対する警戒を余計強める事も出来ればしたくない。
 だから当然、今のシルバスピナ家が置かれている微妙な状況の中、もしシーグル以上の役職連中がこぞって暗殺などされたら、例え蛮族を退けた英雄として凱旋したとしても、シーグルが何かしらの疑いを掛けられる事は確定だろう。

「安全な場所で権力者ごっこをやってる連中の事になど、構いたくもないんだがな……」

 セイネリアが呟けば、報告の後はずっとエルとセイネリアのやりとりを聞いているだけだったラタが、じっと主の瞳を見つめて口を開いた。

「ならいっそ貴方がその位置に立てば、そんな煩わしい事など何も考えなくて良くなるのではないのですか?」






 冬が終わって春がくれば、人々の表情は自然と明るくなる。雪解けと共に、森や山へ向かう者達も増え、冒険者事務局の前は冬場の倍はいるだろう人間で連日ごった返す。通りすがりにそんな風景を懐かしい思いで見ていたシーグルは、ふと馬上から視線を落とし、傍にいたリーメリとウルダに聞いてみた。

「そういえばお前達も、冒険者として仕事をしていた時期はあるのか?」

 唐突に聞かれて驚いたのか、前を歩いていたウルダが振り向いて見上げてきた。

「あー……俺はほぼやってないですね」
「そうか……」

 ウルダのように裕福な出の者の場合は、冒険者登録はしていても実際の仕事はした事がないという事も珍しくはない。だが、それに少し残念そうに返したシーグルをちらと見て、こちらは馬の横にいたリーメリが口を開いた。

「俺は、騎士になる前に暫くやってました」
「騎士になる前からというと、かなり若い時からじゃないか?」

 自分でも声が明らかに嬉しそうになったことを自覚しつつシーグルがリーメリの方を向けば、いつもむすっとした顔をしている金髪の部下は少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らした。

「若いっても16です。半分、家出の勢いで家を出たので、意地でも自分で稼いで生活してやるって仕事探しましたよ」

 するとそこでいつの間にか傍にきていたウルダが、すかさずリーメリの肩を引き寄せた。

「こいつ親父さんと仲悪くて、ザナタグ神殿の学校終った後すぐ家を出たそうなんですよ」
「初耳だな」
「親父さんのいかにも商人って考え方が嫌でしょっちゅう口答えしてたから、本格的に仕事出来る歳になった時即家を出たそうです」
「ウルダっ、あんまりべらべら必要以上に喋るなっ」

 真っ赤になってリーメリが掴み掛かっていけば、ウルダは焦って逃げようとする。とはいえ彼も今が仕事中で逃げては不味いと思ったらしく、そこで素直にリーメリに殴られる事にしたらしい。

「ってぇ……お前、本当に凶暴だな」
「お前がいつも一言二言三言多いからだ、青臭い頃の事を暴露されたら誰でも怒るに決まってるだろ。俺だってな、今は親父のことも……一応ある程度納得してるし、ちゃんとたまに家にも顔出すようになってるんだ」

 それを聞いたシーグルは思わず破顔してリーメリを見る。

「そうか、お父上とはもう和解しているんだな」

 その顔があまりにも嬉しそうだった所為か、ウルダとリーメリは二人とも目を丸くしてシーグルを見てから、何か気まずそうに目を逸らした。シーグルも直後に微妙な空気を感じて、手で口元を押さえると姿勢を正した。
 そうすれば、事情を察してくれたらしいウルダが笑い掛けてくる。

「そういえば、アルスオード様がお父上と最後に会われたのは何歳の頃でしたか?」

 それでリーメリもシーグルの事情を理解したのか、僅かに顔を顰めた。

「4つの時にこちらへ来て、それきりだったな。次に会ったのは父の葬儀の時だから……」

 出来るだけ声が暗くならないように努めたものの、それは失敗に終わったらしく、リーメリが申し訳なさそうに目を伏せた。

「お父上を、恨んでおいでですか?」

 だが唐突にウルダにそう聞かれて、シーグルは目を僅かに見開き、そして考える。

「いや……あぁそうだな、恨んだ時もあったが、今は恨んでいない」

 するとウルダはうんうんと頷いてみせながら、妙に顔をしかめて芝居がかった動作で腕を組んでみせた。

「つまり、アルスオード様も天国のお父上と和解なされたという事ですね、それは良かった」

 その台詞にはシーグルは驚くどころか目を丸くして、とっさに言葉を返せなかった。
 だが、後ろでずっと話を聞いていたろうナレドがそこでぷっと吹き出すと、言った本人のウルダが笑いだして、次にリーメリが笑いだし、そしてシーグルも声を出して笑ってしまった。

「少なくとも今、俺はたくさんの、信頼出来て、俺を助けてくれる人達に囲まれて幸せだ。この地位にいる事に不安を感じる事も多いが、それ以上に感謝する事も多い。だから、父にも感謝している」

 そのシーグルの言葉には、今度は少しばかり調子に乗ったらしいウルダが明らかに冗談だとわかるように言ってくる。

「でも先ほどは、気楽な冒険者時代は良かったな、という顔で事務局の方をみていましたよ」

 それにはシーグルも苦笑くらいしか返せない。あの頃はただ強くなる事だけを考えられて、仕事として敵を倒す事は自分がすべき事として迷う必要などなにもなかった。それに、親と別れてから初めて出来た友達や仲間と共に戦うという事を純粋に楽しんでいられた。だから確かに、そんな時期を懐かしく、事務局に集まる彼らに羨望の眼差しを向けてしまっていたかもしれない。
 とはいえ、そんな楽しい時期も、結局はそこまで長く続くものでもなかったのだが。
 思い出した男の影に眉を寄せて、シーグルは頭からその姿を振り切るように軽く首を振った。

「そうだな、そう思った事は否定しない……が、その当時は当時でいろいろあったからな。その時その時で、楽しい事も辛い事もあるのは当然だ」

 そう、あの時が良かった、こうすれば良かった、なんて事は考えても意味がない。なにせ、終わった事は覆らないのだ。だから重要なのは今がどうかであって、これからどう選択していけばよりよくなるかだ。
 それが、自分だけではなく、歳をとるにつれて多くの人の運命をも巻き込むようになってしまった分、その重さが怖いだけだった。間違った選択をすれば不幸になる多くの人をわかっているだけに、一歩を踏み出すのに必要な覚悟が大きくなった。何かを選ぶ為に他方を切り捨てなければいけない事ばかりになって、迷う事が増えた。

 それでも、選んでしまったら引き返せない。過去は変えられないのだから前を向くしかない。





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シーグルの日常の後ろでセイネリアさんはいろいろ手を回してる最中です。



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