平穏な日々と不穏な世界




  【4】



 首都セニエティの冬の夜は寒く、馬に乗ればそれの吐く息の白さが常に視界を掠める。
 そんな寒い外から首都の館へと帰ってきたシーグルは、屋敷に入った途端、部屋の奥から聞こえた騒がしい声にそれだけでどうしたのかと驚く事になった。
 ついでに、いつも通り迎えに出てきたロージェンティがシーグルのその様子にくすりと笑って、一緒にここまでついてきたリーメリとウルダも何か知っているのか軽く口元を緩ませた。何より、いつもなら真っ先に迎えに出てきて声を掛けてくる兄がいないのがおかしい。だがよく耳を澄ませば声が聞こえてくるから、シーグルは一つの結論を出すしかなかった。

「誰か来ているのか?」

 そうすれば、ロージェンティが返事と共に頷いて、シーグルはまず自室ではなく食堂の方に通される事になった。
 そうして、食堂に入ってすぐ、その姿を見たランが立ち上がってシーグルに深々と礼を返し、皆から口ぐちにお帰りなさいと言われて、やっとシーグルは事態をきちんと理解する事が出来た。

「今日、ターネイが買い物をしたのですけれど、荷物が思った以上に重くて困っていたところを、そちらのイーネス夫妻が通りかかって持ってきてくださったの。ですので、そのお礼に夕食に招待したのです……勝手に決めてしまって申し訳ありません」

 ロージェンティにそう説明されて、それで更に納得する。というか彼女のそういう気の回るとこはさすがだとシーグルは改めて思う。

「いや、そういう事なら俺からも礼をしたいからありがたい。……成程、賑やかなのはランの家族が来ていたからなのか」

 シーグルが笑えば、一度雑談がなくなって静かになっていた部屋の中にはまた声が響き出した。

「俺は着替えをしてくるから、皆は気にせず食べていてくれ。あぁ、ランにはまず酒か、貯蔵庫に行けば何かあるだろ」
「大丈夫です、分かっていますので持ってきていますよ」

 兄がくすくすと笑って言った事に頷いて、シーグルはその場を後にする。
 その時にまた深々と礼をしたランの横に、先ほどは小さすぎて見えていなかったランの息子、おそらく上の息子のメルセンが父親と同じく礼をしているのを見つけて、シーグルは思わず微笑んだ。





 着替えを済ませて食堂に戻ったシーグルは、今度は気にせず騒がしいままの風景を見て、自然とまた笑みが湧いた。

 黙々と飲んでいるランの横の席に座って、父親のマネをしてジュースだろうコップを飲み干している彼の息子のメルセン。下の息子のアルヴァンは母親の膝の上できょろきょろしていて、その母親はロージェンティと何かを話している。そこではターネイも一緒に話を聞いていて、フェゼントとラークは料理を指さしながら話していた。

 自分は黙って見ているだけでも、実は人々が賑やかに楽しそうにしている雰囲気は好きなシーグルとしては、口元に笑みを浮かべたまま、ロージェンティの隣の自分に用意されている席に着いた。
 けれども、座って彼女達の話が聞こえた途端、その笑みは口元から消える事になる。

「奥様、この機会にぜひ、男の子を授かる秘訣を聞くべきです」
「なぁに、男の子ぉ? そうね、この子達を授かった時は逆算するとやっぱり冬の休暇中かしらね。寒い日はやっぱり早く寝るし……」

 シーグルの料理を取りに行くターネイがこそっとロージェンティに耳打ちしていった言葉で、話の内容は一気にそちら方面の話になる。

――聞かなければ良かった。

 とそこで軽くシーグルは落ち込んで、助け船を求めてなんとなくランの方を見た。だが目が合ったのはメルセンの方で、少年は暫く驚いて、それから顔を真っ赤にして父親の腕を掴むとそこに自分の顔を押し付けた。

「おーやメルセン、隊長様に会ったら言いたい事があったんじゃなかったの?」

 目ざとく見ていたらしいランの奥方が言えば、少年はちらとシーグルを見た後、やはり顔をランの腕に押し付けた。その様子は前に彼の家に招待された時と変わらなくて、けれどもその時よりずっと大きくなった少年に、子供と言うのは成長が早いものだとシーグルは感心してしまう。

「お前達の息子は、前に見た時より随分大きくなったんだな」

 だからそう呟けば、ランが持っていたグラスを置いてシーグルの顔を見る。

「子供の成長は早いです。1,2年で平気で倍近くなる」
「そうねぇ、子供の事ばかりみてたら、気づくとこちらも歳を取っちゃってるのよねぇ」

 ランの言葉に奥方が続けて、皆が苦笑する。
 それから彼女はにっこりとシーグルに笑い掛けてくる。

「でも本当に隊長様はお綺麗なまま変わりませんね。まだお若いとはいえ前に見た時と全然変わっていなくて、どんなお手入れをしているのか教えてほしいくらい」
「え? いや、特に何も……」
「……失礼だぞ」

 急に自分に振られた内容にシーグルが驚けば、ランが彼女を諌める。

「シーグルはですね、いつもいつも規則正しい生活に小食、訓練と自分に厳しく過ごしていますからね、きっと体にも良いのでしょう。それに少し前までは年齢の割に大人びた顔をしていた方でしたから、逆にそこからあまり変わらないんだと思います」
「……そういうものなんだ?」

 フェゼントが言った言葉に少し驚いたようにシーグルが聞き返せば、優しい兄はにっこりと微笑んで返してくれる。

「はい、そういうものだとウィアが言っていました。若い時に年上に見えた方が、歳をとってくるとあまり変わらなくて若く見えるようになるのだと。……だから私ももう少し歳を重ねたら、貴方の兄らしく見えるようになるからって」

 そう答えられれば、それを良かったと肯定していいのか、それとも否定した方がいいのがシーグルは悩んで顔が僅かに強張る。ただ、兄が嬉しそうに言うのだから肯定したのほういいのだろう、多分……と考え込んでいると、末の弟の声が入ってくる。

「ウィアが言ったんなら信憑性は低いよね。あいつはさ、自分に都合のいい話ばっかり覚えてて話すんだからさっ」
「ラークっ、お客様の前で陰口はみっともないです」
「……ごめんなさい」

 そんなやりとりに苦笑しつつも、ラークの言う事に確かにそうだと思わない事もない。けれどウィアのそういう楽天的思考を、シーグルは馬鹿にするどころか結構尊敬していたりもする。自分はどうにも物事を悪い方へ考えてしまうクセがある、もう少しウィアのようにいい方に考えられたら、大切な人達に自分の所為で苦しい思いをさせずに済んだのではないかと思うのだ。
 シーグルも黙ってしまって、ラークもしゅんとしてしまった中、微妙になった場の空気を感じてフェゼントが突然立ち上がった。

「あ、そう言えばもうお酒がありませんね。すぐに新しい瓶を持ってきます」

 言うと即座に、ターネイが反応する。

「いいえ、フェゼント様はそのままで。それは私が」

 けれど彼女はそれで出ていこうとしてすぐ、足を止めて申し訳なさそうに振り返った。

「その……確か先ほどの瓶が、開いている箱の最後のもので……次は新しい箱を開けなくてはならないのですが……」

 彼女が言いづらそうにしている理由がすぐに分かって、今度はシーグルが席を立……とうとすれば、目立つランの大きな体が立ち上がって、即座に彼女の元へ歩いていく。

「力仕事なら俺が」

 ですから隊長はそのままで――というのを視線で念を押されるように見られてしまえば、シーグルは大人しく彼に任せるしかない。だからシーグルはそんな部下に、せめてその労の分の褒美のつもりで言ってやった。

「ラン、お前と奥方が飲みたい分、好きなだけ好きな瓶を持ってきていいぞ。確かもっと強い酒もあった筈だ」

 そうすれば今度は話を聞いていたラークが立ちあがる。

「あ、ターネイさん他のお酒の場所分からないでしょ。案内するよ」
「あぁ、ラーク様申し訳ありません、そうして頂けると助かります」

 そうしてランやターネイの後ろについていった弟に、ふとシーグルは違和感を感じた。そうして少し考えた後、彼らの姿が部屋からいなくなってからやっと、シーグルはそれが何なのかに気が付いた。

「ラークは、かなり身長が伸びたんだな」

 それを呟くように声に出してしまうと、やはり兄が微笑んで教えてくれる。

「そうですよ、もう私よりもウィアよりも高いんです。……それでウィアが最近ラークを見るたびに機嫌が悪くなるんですけどね」

――そうか、ラークももう子供じゃないんだな。

 考えれば彼ももう青年と言える歳だし、顔つきも前よりずっと大人っぽくなったと思う。シルバスピナの家に来た時はたくさんあった顔のそばかすも、何時の間にか殆ど見えなくなっていた。
 自分の事が忙しすぎて、考える事が多すぎて、自分の周りが全然見えていなかったのだとシーグルは思う。これではいつまでもラークに兄と呼んで貰えなくても当然だ。
 そうシーグルが考えていれば、隣から妻が呟くように言った声が聞こえてくる。

「本当にここは、旧貴族の家とは思えませんね。……食事中に、こんなにばたばたとしているなんて」
「いや、すまない、それは――」

 それに焦って謝ろうとしたシーグルは、彼女を見た途端、彼女がとても嬉しそうに笑ってこちらをみている事に気付いて口を閉じた。

「会話があって、笑顔があって。毎日とても楽しいです」

 それでシーグルもほっと安堵の笑みを彼女に返す。
 だが今度はそれに、思ってもいなかった方向から思ってもいなかった言葉が掛けられた。

「はぁ、やっぱり美男美女のご夫婦って見ているだけで目の保養ねぇ」

 ランの奥方がそう言った事で、その場にいたものが全員目を丸くして、そして声を上げて笑い出す。
 食卓を囲む人達は皆笑顔で、明るい声が部屋を満たす。寒い夜のそんな温かい風景はとても優しくて、心まで温かくて。シーグルは笑いながらも、こんな平和な日常がいつまでも続けばいいのにと思わずにはいられなかった。






「今日は、ありがとうございました」
「いや、礼を言うのはこちらの方だ。だが本当にいいのか? 馬車を出した方がいいんじゃないか?」
「いえ、大丈夫です」

 眠ってしまった下の息子を背負いながら言うランは、いくぞ、と小さく声を掛けて上の息子の手を引くと歩き出そうとする。
 だがメルセンはシーグルをちらと見た後父親を見上げて、立ち止まったまま歩き出そうとはしなかった。そこでランが息子の手を離せば、少年は思い切ったようにシーグルの正面を向いて背筋を伸ばし、父親がしていたような深い礼をした。

「隊長さま、俺っ、将来絶対騎士になって俺もあなたの下で働きます。絶対にあなたを守ります」

 それに面食らったシーグルだったが、すぐに顔に笑みを浮かべて、少し腰を落として彼の頭を撫でてやった。

「楽しみにしている、メルセン。だが、出来れば俺よりも、俺の子が生まれたらその子を守ってやって欲しい」

 すると少年は少し裏返った声で、はい、と思い切り大きく叫んでまた深く礼をする。
 その頭を今度はランが撫でた事で、メルセンは子どもらしい、けれどどこか誇らしげな笑みを浮かべて父親を見上げると、伸ばされたその手を両手でぎゅっと握った。

 そうして、ランの一家が帰ってゆく風景を眺めていると、やはり笑顔のロージェンティがそっとシーグルの傍に寄り添ってくる。それを見たシーグルもまた彼女に笑い掛けてやって、二人して彼らの姿が見えなくなるまでその場で見送った。





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ランの奥さんや息子達が前にシーグルあった時のお話は拍手お礼で書いてます。
本編ページのおまけの方にUP予定。


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