弔いの鐘と秘密の欠片




  【5】



 冬仕様になった城の中というのは驚く程に暖かい。
 勿論外に面している廊下などはそこまでではないが、それでも城全体に魔法の膜のようなものが張ってあるとかで、雪やら風が入ってくる事はないのだからすごいものだと感心する。
 と、いう訳で、上着なんか全部脱いで薄着で平気で過ごせる部屋の中、ウィアは赤子と睨み合いをしている最中だった。

「あぅだばばばばばっ」

 子供用ベッドの上で囲いに手をついて立っているシグネットは、まるで何かを訴えるようにウィアに向けて空いている方の手を伸ばす。

「あばばばばばばば」

 難しい顔で睨んだままウィアもそう答えてやれば、シグネットはさらに興奮して足踏みをしながら返してくる。

「おぅあ、ぁだだっ」

 シグネットは最近何かにつかまりながら歩く事が出来るようになって、床に下ろすと動き回ってあちこちでぶつかったり転んだりする為、ロージェンティかターネイがいないときは大抵この囲いつき子供用ベッドの上に乗せられているのだった。

「うぁだだっ」

 ウィアがやっぱり頷きながらそう答えれば、今度は横にいたフェゼントからつっこみというか疑問の声が掛かった。

「……ウィア、シグネットの言いたい事が分かるんですか?」
「いや、全ッ然」

 真面目な顔で即答すれば、周囲にいた者達からぶっと吹きだすような笑い声が上がった。

「なぁんだ、ウィアは知能が赤ん坊と同じくらいだから話が分かるのかと思ったよ」
「なぁんだとぉー」

 ……まぁ、約一名だけは、笑う代わりにいつも通りの嫌味を返してきた訳だが。

「二人とも、いつまで子供みたいな喧嘩をしてるんですか。今はまだいいですけど、シグネットが大きくなったら見本にならなくてはならないのですから、もっとちゃんと自覚して下さい」

 ここでフェゼントに二人して怒られるのもいつもの事……ではあるのだが、子供の見本になれと言われると流石に気まずくて、思わずウィアはラークと顔を見合わせて苦笑いを交わしてしまう。しかもそれを見ていたシグネットが、まるでフェゼントのマネをするようにウィアとラークに向けて手を振りながら言ってくるのだ。

「あうぁばばばばばばっ」

 途端にまた笑い声が部屋に響く。

「家庭教師殿、早速陛下にお叱りの言葉を頂いたようですな」
「家庭教師殿、今から生徒に叱られるようではこの先大変そうですな」
「いやぁ、流石陛下は聡明でいらっしゃる、ですね、センセ」

 護衛官、という名の元シーグルの部下達が一斉にウィアに向かって笑いながら言ってくる。こういう場合、王様の直の身内であるラークより自分の方が気楽に馬鹿にしやすいのは仕方ない。ついでにいえばこちらの方がラークより年長者なのだから、ここでこちらがまずやり玉が上がるのも仕方ない……とは思うのだが。

「るっせぇ、お前ら家庭教師って言いたいだけだろっ。悪かったな、俺が先生様なんかでよっ」

 キレて反論すればフェゼントに肩を叩かれて、振り向けば彼は笑顔で、けれども声は少し低くて、一語一語韻を踏むように言ってくるのだ。

「ウィア、ここでだけは一応今まで通りでいいお許しを頂いてますけど、流石に汚すぎる言葉遣いはだめです。あまりにひどいようならテレイズさんにいいつけますよ?」
「あーと、えーと……申し訳ありません」

 そこでまた笑い声がどっと上がる。

「フェゼント様は家庭教師殿の更に先生役、という感じですなぁ」

 そうすればフェゼントはそこで少し気まずそうに笑いながら、言い難そうというか恥ずかしそうに言ってくる。

「その……私も一応、陛下に剣を教える事になって、います。いえそのっ、騎士とは言っても皆さんよりもずっとずっと弱いのですが、摂政殿下が王という立場なら私の剣の方がいいだろうという事で……最初の手ほどきまでは私が……」

 恥ずかしそうに声を籠もらせたフェゼントに、シーグルの部下だったグスという中年騎士が顎をなでながら呟いた。

「それは確かに……そう、かもしれませんな」

 フェゼントの剣は一言でいえば『敵を倒す』剣ではなく、『身を守る』もしくは『助けがくるまで持ちこたえる』ような剣と言える。敵を倒せない守りだけの剣ではないのだが、積極的に自分から攻撃をせず、敵の攻撃を受け流したり、その力を利用して反撃するという戦い方である。それを知って実際の動きを見たロージェンティが感心して、是非とフェゼントに頼んだのだ。

「フェゼント様の剣の師匠はファンレーン様だとか。あのお人の戦い方なら、確かに将来シグネット様には有用ではないかと思われます」

 金髪に長い髪の、見る度にこいつもモテるんだろうなと思ってしまう顔のリーメリが言えば、フェゼントが慌てて言葉を付け足した。

「えぇ、ですから陛下が大きくなられて私ではお相手が務まらなくなったらファンレーン様が直に鍛えて下さるそうです」

 それにはまた笑い声が起こるが、その中で顔を顰めて、リーメリの隣にいたウルダが少し芝居がかった真面目な顔で言ってくる。

「私としては陛下にはそこまでお強くなられないほうが嬉しいのですが。……なにせお父上のように強すぎると自分から敵に向かって行ってしまいますので」

 そうすれば、テスタといういかにも軽そうなやっぱりおっさんと言える歳の騎士が、隣にいたグスの肩に手を掛けながら押し退けるように前にでてくる。……ちなみにこの二人は元シーグルの隊の一員だが、彼らは護衛官としては基本は部屋の外の警備がメインで、日替わりで二人づつ、シグネットに直接つく役目を担当する事になっていた。今日はたまたまこの年長2人組が担当だったという訳である。

「まったく……アルスオード様はヘタに強すぎましたからなぁ、腕に自信がおありなせいで自ら単騎でも部下を助けに行ってしまうようなお人でした」

 それにはまた笑い声が起こるものの、それは途中から次第に小さくなっていき、同時に皆の表情までもが沈んでいく。
 だから笑い声が収まれば皆口を噤んでしまって部屋はしんと静まり返る。その重い空気に気まずさを感じたウィアが口を開きかけた時、それより少し早く、やはり話題を変えようとしたのかウルダが口を開いた。

「そういえば……あの、セイネリア・クロッセスの傍にいるいつも鎧の騎士ですが」

 途端、あ、まずい、とウィアは思う。

「彼の剣はアルスオード様に教えて貰ったものだそうです」

 そうすればすぐ、元部下の二人が食いついた。

「そりゃぁ一体どういう事なんだ?」
「あの人からそんな話は聞いたことないが」

 話題的には冷や冷やしたものの、内容が思っていた方向ではなかったので一旦ウィアはほっと胸をなで下ろした。

「どうやら彼がノウムネズの戦いの後、アウグでアルスオード様を匿っていたらしいです。その時にアルスオード様から剣の指南を受けたとか」

 なるほどね、と思いつつもウィアは考える、それは言っているだけで証拠はないんだろ、と。疑っている分、どうにも斜に構えて聞いてしまうウィアだったが、他の者たちは皆、その話を真剣に聞いていた。

「彼は、ヴィド卿の策略で貴族殺しの汚名を着せられ、アウグに逃げて傭兵をしていたらしいです。そこでノウムネズの戦いにアウグ側で参加して……怪我をしたアルスオード様を見つけて自分の同僚として連れ帰り、手当をしてくれたのだとか。それから、怪我が治ったアルスオード様と共にクリュースまで帰ってきたという事です」

 そこまで聞いて、グスが思いついたように聞き返した。

「それならもしかして、あの人が『告白』を拒絶したのは……」
「えぇ、彼が罪人としてこの国で追われていた所為でしょうね。恩人である彼の名を出さない為だったのでしょう」

 聞けばグスは瞼を片手で覆い、震える声で呟いた。

「そっかぁ……そっか、らしいなぁ」

――あぁ本当に、どこまでもシーグルらしい話だよ。

 目を赤くするシーグルの元部下達を見ながら、ウィアは複雑な気持ちで考える。
 確かにシーグルがその状況となった場合、彼の行動としてそうするだろうと思える話ではある。つじつまも合うし文句をつけるところはないが……やはりウィアはどうにもひっかかりを覚えてしまうのだ。どこが、とは言えないが、直感で感じたあの甲冑の男がシーグルではないかという可能性を捨てきれない。

「ウィア、どうかしましたか?」

 フェゼントに声を掛けられて、ウィアははっと気づくと顔の筋肉を緩めた。

「あぁいや、どうにも胡散臭い奴だよなーって。だってほら、顔隠してる段階で本当にその人物か分からない訳だろ。実はそのシーグルを助けた奴本人じゃなくてその話を聞いたそいつの知人で、本人のふりして近づいたんじゃ、とかさ」

 ウィアとしては、どうしてもあの人物の話を聞けば表情に疑っているのがでてしまうのは仕方ないので、いっそ別の方向に疑っていることにしてしまおうと思ったのだが。

「……なるほど」

 とやけに真剣にグスが考え込みだしたので、ほっとしつつもちょっとどしようかとも思う。出来ればもうちょっとさらっと流されるのがウィアの希望だったので。

「まぁ、どっちにしろ素性の真偽はどうあれ、あの男が側においてる以上はヤバイ事企んでるような人間じゃないとは思うがね」
「まぁ……確かにな」

 相方に言われてグスもそれで納得してくれたようで、それでこの話は終わりだと思ったのだが。

「ただ、確かにあんたの心配も分かる、それとなくあの人物の事は注意しておくにこしたことはないな」

 そう金髪の男――リーメリが言った事で、ウィアは相づちを打ちながらもその笑顔をひきつらせるしかなかった。
 あんまりあいつを注意して観察されても困るんだけど……とそこでは言えなかったが、その内リーメリとウルダの二人だけには、あれがシーグルではないかという話をしておくのもありだなとも考える。シルバスピナ家におけるシーグルの直下の部下である彼らなら、あれがもしシーグルだったとしても彼の事情を考えて直情的な行動にはでないだろう。特にウルダは単純明快な騎士らしくなくいろいろ機転の利く考え方をするから、相談するのはいいかもしれない。

「ぉあぁぅだっ」

 そこで唐突にこの部屋の本当の主人が大きな声をあげた事でその話はここまでになる。

「あぁぁごめんなシグネット、はいはい、次は何したいのかなー」

 急いでウィアがシグネットの方に顔を向ければ、赤子はウィアに向けてぶんぶんと元気よく手を振る。

「うぁだっ」
「うん、なんかやっぱりウィアが叱られてる気がする」

 るせぇ、と心の中でいいつつも赤子に当たるのは違うと分かっているので、ウィアも黙ってシグネットに手を伸ばした。




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 ウィア達周りのお話でした。



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