旅立ちと別れの歌




  【17】



 目が覚めたのはベッドの上……というか彼の腕の中で、いつもの――正確にはここにいた頃のいつも彼と一緒に寝ていた時のように、抱きこまれて彼の頭が少し上にある状態だった。そっと見上げればセイネリアの顔がある。先に起きた時はこうして彼の顔をじっと観察してしまう事も多くて、その男らしいシャープな顔のラインや彫(ほ)りの深い顔のつくりをうらやましいなどと思ってしまったものだったが、やっぱり……歳を取らなくなった彼の顔は前と少しも変りなくて、それが嬉しくもあり、悲しくもあった。
 そっと自分の体に触れたらある程度は拭いてくれたらしく、明らかに不快で耐えられないという状態ではなかった。ただそうなると思った以上長く気を失っていたのだというのが分かってしまって、シーグルとしてはちょっと自分に自信がなくなる。何やってるんだと思うと恥ずかしくて、思わず顔を上掛けの中に埋めた。
 抱き寄せられて、彼の胸に寄りかからせるような体勢だから、彼の胸の動きがよく分かる。自分ではかなり鍛えて筋肉も付いたと思っていたのに、彼と比べれば簡単にその自信が吹き飛んでしまうのだからそこは『敵わないな』と素直に思う。

――でも、ちゃんと俺は勝ったんだ。セイネリア・クロッセスに。

 そう考えれば口元が笑ってしまうのは止めようがなくて、シーグルは大人しく目を閉じた……のだが。

「本当は起きてるだろ」

 目を閉じたまま呟けば、彼の体が喉を震わす笑い声と一緒に小刻みに揺れる。
 それから頭に手を置かれて、髪の毛を指で梳かれて、鼻で髪の毛をかき分けられて匂いを嗅がれる。

「お前は狸寝入りが結構多いからな」

 言ってみれば更に彼は笑って、シーグルは目を開けて彼の顔を睨んだ。

「別にこのまま寝てもよかったんだがな」

 それでやっと彼は目を開けたのだが、その顔を見て一瞬、シーグルは声が出なかった。最強と恐れられた男の、獣の瞳と呼ばれた金茶色の瞳がそれはそれは幸せそうに細められてこちらを見ていたから、シーグルは正直なところ見とれてしまって呆けたようにその顔を見つめてしまった。
 そうすれば彼の顔は近づいてきて、額にキスをして小さく囁いてくれる。

「愛してる、シーグル」

 シーグルは思い切り自分の顔が熱くなったのを感じた。
 思わずまた上掛けの中に顔を隠せば、それが気に入らなかった彼に引きずり出される。それで仕方なく彼の胸に顔を押し付けて隠そうとしたら、彼は耳に軽く舌を入れてきてからそっと囁いてくるのだ。

「顔を見せろ、お前の顔が見たい」
「嫌だ」

 少しの間の後……急に背中に手を回されて抱きしめられたと思ったら、そのまま彼は起き上がって自分もそのせいで起き上がらされてしまった。
 上機嫌の彼とベッドの上で向かい合って座っている、なんて体勢になってしまえば気まずいなんてものではない。シーグルは赤い顔のままどうにか彼を睨み付けて、それでも彼はやけに嬉しそうにこちらを見つめている。

「お前、とんでもなく嬉しそうだぞ」

 悔し紛れにそういえば、彼は口角を益々上げて嬉しそうに微笑む。

「それは当然だ、とんでもなく嬉しいからな。どれだけ俺がお前に会いたくて、触れたくて……お前を感じたかったか、お前は分からないだろう」

 言いながらその顔が本当に辛そうにゆがむから、シーグルは思わずそっと彼から視線をずらしてしまった。

「俺だって、会いたかった、が……」

 それ以上は言いにくくて言葉は口の中に篭る。
 そうすればなんだからワザとらしいくらいの大きなため息をつかれて、シーグルはちらと彼の顔を見た。

「だったらさっさと帰ってくればよかったんだ、三年も待たすな」
「それはっ……目標が達成できてないのに帰れる訳がないだろ」
「なら一時的に、顔を見せにきてくれるくらいはしてよかったろ」
「……一度でも帰ってきたら、お前はもう離してくれなかったかもしれないだろ」

 呟けば、彼は苦笑する。

「まぁ、そうかもな」

 それを軽く言って、けれど直後にこちらの顔に手を伸ばして目の前まで引き寄せる。

「だが約束はしていたからな、ちゃんとまだ戻らなくてはならないなら離してやったぞ。見損なうな、俺は約束は破らない」

 言われれば、僅かに胸が痛みを訴える。

「俺は……約束を破った……ことになる」
「何故だ?」
「ずっとお前の傍にいるという約束を……破棄、させた」

 言えば彼はまた喉を揺らして笑って、それで瞼と頬にキスしてくる。

「ちゃんと帰ってくるという約束は果たしてくれたろ。それに、あれだけ文句のいいようがない筋を通しての破棄なら怒りようがない。それが……俺のためなら、怒るどころか感謝するだけだ」

 そのまま体も引き寄せられて、抱きしめられて、彼は肩に顔を埋めてくる。
 それから本当に、本当に幸せそうに呟いた。

「まったくお前は……こんな細い体でとうとう俺に勝ったんだからな。お前という存在が在る事、お前という存在に会えたことを……俺は、俺の人生の中で感謝する、お前は俺の希望そのものだ」

 その彼らしくない小さな声はあまりにも幸福そうで……だから思わず目からは涙が出てしまって、シーグルは自分からも彼の体を抱きしめた。
 耳元で彼が囁いてくる。

「愛してる」

 彼は顔を上げると、抱きしめていた片手を離し、シーグルの前髪を掻き揚げてから瞼にキスした。それからそっと涙を吸い取ってから唇同士を合わせる。シーグルも彼の体ではなくその頭を抱きしめるようにして自分からも彼を求めた。互いにキスを強請るように、何度も唇を合わせなおして、そのたびにこちらから彼を求めた。何度も何度もそうして相手を追いかけるようなキスをして――最後に、唇を離したセイネリアがまた髪を指でよけて涙を吸い取ってくれた。

「シーグル、一つ、提案がある」

 余韻にまだぼうっとする中、そうセイネリアがいってきたからシーグルは彼の顔をしっかり見た。セイネリアは笑う、嬉しそうに。

「また一緒に、冒険にいかないか?」
「セイネリア?」

 唐突なその発言に驚きはしたものの、冒険という言葉にシーグルの心はトクリと跳ねる。

「何も冒険者として仕事を受けるつもりもないから冒険者事務局のある範囲じゃなくてもいい、どこか遠い外国へ行ってみるのも面白いな。顔を隠さなくても済むし、一か所に長居しなければ不老を気にすることもないだろ。どこへ行こうと俺たち二人なら冒険者サービスなどなくてもどうにでもなる、そう思わないか?」

 シーグルは思い出す、彼が自分をだましていたとはいえ、ただの冒険者として一緒に仕事をしていた日々のことを。強くて、なんでもできて、自信に満ちた彼に憧れて、彼を追いかけて仕事をした数々の場面を。

「今度はちゃんと対等な相棒として、一緒に冒険者らしく冒険にいこう。契約がなくなった今、俺も、お前も自由だ。縛るモノは何もない」

 シーグルは目を見開く。今の今まで考え付かなかったが、契約を切ってセイネリアを自由にしたということは彼に言った通り自分も自由だという事で、しかもシルバスピナの名に縛られない今のシーグルは……本当に何も縛られるモノがないのだ。
 その事実に驚いて、なんだか急に心がふっと軽くなる。
 けれどその現実がすぐには実感できなくて、でも考えて、自分の馬鹿さ加減に笑ってしまってから、シーグルは一度彼から体を離し、黙って待っている彼と改めて目を合わせた。

「正直、すごい心惹かれる、が……ただ……その前にお願いがあるんだ」

 セイネリアはそれにも微笑んだまま、いってみろ、と言ってくる。

「お前との契約を破棄したから、もうお前を縛るモノはない。だが、もし願いを聞いてもらえるなら……シグネットが成人してちゃんと戴冠するまでは……このままあいつを見守ってやってくれないだろうか」

 あまりにも都合のいい話だというのは分かっている。だから断られても仕方ない。ただおそらくセイネリアは了承してくれるだろうと……そう思っていたから今回の計画を立てたという狡い計算がシーグルにあったのも確かだった。

「酷く都合のいい話をしているのは分かっている、だから断ってくれても構わない、だが……」
「お前は、本当に馬鹿だ」

 笑ってまで彼が言ったから、シーグルは彼の顔を見直した。セイネリアは笑っていた、彼『らしく』皮肉気に唇を吊り上げて。

「言っておくとな、本当は最初からお前は俺にお願いだと言うだけ良かったんだ。お前が願うなら、お前が何の代償を払わなくても俺はお前の願いをいつでも叶えてやった。お前の願いならさっさとあの王も始末してやったし、家の再興だって、家族の救出だって何だってやってやった。お前の為に俺に出来る事なら、何だってお前が願うだけで叶えてやったんだ」
「セイ……ネリア?」

 彼が微笑んでまた額にキスしてくる。

「それくらい愛されてる事をお前が気づかなかっただけだ。……いや、違うか」

 セイネリアの手が髪を梳く。前より長くなってしまった髪を撫で上げて耳に掛けてくれて、それから笑って言ってくる。

「お前がクソ真面目で大人しく俺を頼ってくれないから、俺は契約としてお前に持ち掛けなければならなかった」

 そうして彼がまた抱きしめてきたから、呆然としながらシーグルは笑った。本当に自分の馬鹿さ加減に呆れて、彼が自分を愛してるのが分かって、なんだかいろいろ馬鹿馬鹿しくなってシーグルとしては笑うしかなかった。

「はは……本当に馬鹿だな、俺も……お前も」
「あぁ、意地っ張りの馬鹿同士、お似合いだと思わないか?」
「かもな……」

 あぁもうどうにも笑ってしまう、今何が起こっても笑ってしまう――それなのに涙もまた出てきてシーグルは彼に抱き付いて顔を彼の肩に埋めた。
 セイネリアが髪を撫ぜながら、穏やかな声で言ってくる。

「安心しろ、最初から今すぐ行く気はない。俺たちには時間は飽きる程ある、シグネットが成人するまでの間など待つ内にも入らないさ」
「……すまない、セイネリア」

 謝ってばかりは悪いクセだと分かっていても、それにはやはり謝罪の言葉しか浮かばなくて、それに彼は少し喉を震わせて笑う。

「勘違いするな、シグネットを守る約束はお前との契約だけじゃないからな。……ただ、本当に成人するまででいいのか? あいつが王を降りるまででも……死を看取るまで待っていてやってもいいんだが」

 頭を撫ぜてくる彼の手の感触を追いながら、彼に抱き着いてその体温に安堵してシーグルは少し強い声で答えた。

「いや……成人まででいい。親としての義務はそこまでだし――それにその頃にはきっともう、あの子はお前に守ってもらう必要もなくなってるさ。きっとあの子は部下と国民に愛されて、愛して……絶対的な守護者などいなくても立派に王としての役目を果たせるだろう。……そう思うのは、親の欲目という奴かな」

 最後は照れ隠しに笑い声交じりにすれば、彼は尚も髪を撫ぜながら優しく呟いた。

「いや……俺もそう思う」

 シーグルは目を閉じて、頭を彼の肩に置いた。



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 とりあえず終着点は見えましたね。
 



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