夕暮れと夜の間の闇




  【3】



 アウグとクリュース、長年敵国として認識してきた両国は、その接点となる国境の港町ウィズロンを通してのみ行き来を可能とする――その取り決めはクリュース内の新政府が発足した時から決まってはいたが、その為の法や施設を作り、実際に国交が始まるには一年を要した。
 記念式典が行われ、ウィズロンに作られたアウグ側の門が開いてから国交は可能となる。その為その日が迫った数日前からウィズロンはアウグへと行く者や式典目当ての者でごった返していて、アウグ側の門の外もクリュースへ入ろうとする人の列が既に長く続いているらしい。但し式典当日、門が開いてすぐに相手国へ行けるのは事前に手続きが終わっている者だけである。禁止事項や注意事項が多い為、今のところ審査はかなり厳しくて、クリュース側では自分の属している領地の領主の承認とウィズロンの監督官の承認が必要となっていた。冒険者登録を使ってある程度検査を飛ばせるクリュース側でさえそうなのだからアウグ側ではもっと手続きが面倒だと思うのだが、それでもそれだけの多くの人間が国交が開かれるのを待っているというのは感動せずにはいられない。

「そのおかげで、ラタはここ数日ずっとサインのしっぱなしで疲れたと言っていたがな」

 セイネリアの言葉には、それはそうだろう、と思いつつ同情してしまったが。それでも彼は、きっとその仕事を喜んでやっているのだろうともシーグルは思う。かつての祖国と、今の居場所を繋ぐ役目なら――しかもそれがかつて失くした家の名を背負ってなら、その役目は誇らしいものだろうと思う。

「らた、いないの?」
「あぁ、ウィズロンにいる。式典には出るぞ、疲れた顔をしてるだろうがな」
「たいへん?」
「あぁ、大変なんだ」

 幼い少年王を膝に乗せて楽しそうに話しているセイネリア、というのには微笑ましいというより違和感がありすぎて怖くもあるが、それでも嬉しそうなシグネットを見ていればシーグルもまた嬉しくなる。今この馬車にはセイネリアとシーグルとシグネットの三人が乗っていて、その回りを護衛官とカリンやフユと言った元傭兵団の面々が守っている。すぐ後ろの馬車はウィアとヴィセント、ラークが乗っていて、ロージェンティはもう少し後方の馬車にファンレーンやターネイと共にいた。
 当初予定では、ウィズロンでの式典はセイネリアだけが出席する事になっていてシグネットやロージェンティは行く予定ではなかった。だが、アウグ側に国王が来るという事になってこちらも国王が出席しない訳にはいかなくなってしまった為、こうしてシグネットとロージェンティもウィズロンへ向かう事になったのだ。
 シグネットが母親とではなくセイネリアと一緒なのは、ロージェンティがいうところ『その方が安全でしょう』という事らしい。フェゼントはリシェの方で用事があるとかで代わりにラークが来ているのだが、行く前からウィアと早々に何か揉めていたらしいのが少々不安ではあった。ただヴィセントが仲裁役でいるし、何かあったら二人は結構気が合うようだから大丈夫だとはシーグルも思っていたが。

 首都からウィズロンはそこまで遠い訳でもなく、海岸へ出てからずっと北上すれば着く。それでも馬車で行けば2日の行程であるから途中の野営準備も考えれば大がかりな移動になるのは仕方ない。本当なら転送で行きたいところではあるのだが、警備の人数も込めて一気に転送が出来ない以上、こうして陸路を行くのが一番安全で、結局高い身分の者の移動は馬車になるというのがお約束だ。……セイネリアのようにいくら身分が高くなっても警備を無視出来る、という場合なら別なのは言うまでもないが。

「しょーぐん、しょーぐん、あれうみー?」

 窓の外の風景を指さしてシグネットが言えば、セイネリアは、あまり大きな声を出すなといいながらもそれを肯定する。馬車の窓には特殊なカーテンが掛かっていて、外から中は見えないが中から外は昼間であれば透けて見えるのだ。だからどの馬車にシグネットが乗っているかは外から見えないのだが、声を出せばその意味がなくなる。

「……ごめんなさい」
「別に怒っている訳じゃない、ただはしゃぐのはほどほどにしておけ、でないと膝から降ろすぞ」
「うん、わかった」

 シグネットはセイネリアを大好きだからそう言われれば大人しくなる。そもそも大好きだからこそ、馬車移動でセイネリアにずっと構って貰えてうれしくてはしゃいでいたのもあるのだろう。
 自分で見て話せるようになってからは初めての遠出な上、大好きなセイネリアとずっと一緒という状況に、この歳の子供にはしゃぐなという方が酷ではある。リシェでさえ折角行っても港まで行けないのだから海を見るのも初めての体験だろうし、目の高さを飛んでいく海鳥達や、横切っていく動物の姿など、子供には楽しくて堪らない事だらけだろう。
 それでも、幼くして自分の立場をある程度理解している子供は大人しくセイネリアの膝に座って窓の外を眺め、時折控えめに黒い騎士を見あげて話しかけるくらいに落ち着いた態度を取る。ただ、はしゃぐのは止めたものの時折足はぶらぶらと動かされていて、まるで犬の尻尾のようだとシーグルは笑みが押さえられなかった。






 空は晴れて、見えるのは海と岩と緑のコントラストが映える、いくら見ていても飽きない風景。まさに世界の美しさを賛美して歌いたくなるそんな状況にとてもではないが心躍る気分になれないとは自分も不幸な事だ、と馬車の中、トレードマークの黒いつば広帽子のそのつばを指で弾きながら彼は思った。
 彼は吟遊詩人、そしてケーサラーの神官でもあった。ケーサラーは記憶と記録の神であり、その神殿魔法と言えば並外れた記憶術というのが有名ではある。ただそれだけではなくモノの記憶を読むという能力が神官にはあって、それはモノの記憶を辿ってそれが見た過去を知る事が出来る能力であるのだが……彼の場合、その応用として稀に現れる『未来』を見る事が出来る能力者でもあった。
 勿論、未来を見れるといっても予言的なものではなく、過去を見ているうちに頭が突然そこから導き出される『未来』を見せてしまうというものであるから、確定された『将来起こる事』が分るのとはちょっと違う。彼自身仕組みなど分からないが、恐らくモノの記憶の断片が集まって『起こる可能性が高い何か』が分かった時にふと、形になって頭の中に下りてくるのではないかと思っている。なにせ『未来』が見えるとはいっても事は未来に限定せず、過去をみている最中に『こちらの選択をしていたら起こっていた別の今』というのが見えるのだから、やはり予知などとは違って単なる『可能性の高いその先』の予想でしかないのだろうと彼自身思っていた。
 ただ的中率はそれなりに高いから、『見えた』時は一応それに備えはする。まず大抵自分の事ではなく誰かの事をモノの記憶で追っている時に『見える』から、その人物になんとなく助言したり忠告したりするのだ。……まぁ、ただの吟遊詩人のざれ事など、まず大抵相手にされないが。ケーサラー神官にたまにその手の能力者が現れるというのは一般には知られていない事ではあるので、それも仕方ない事ではある。

 ただ、今の主は彼のその忠告をちゃんと能力的に『ただの予想』だと分かっていて尚信用してくれて、それに備える為に少しでも何か役に立てればと言ったのを受けてこうして自分を同行させてくた。

「……信用される、というのも辛いものですね」

 ずっと考え込んでいた所為か、思わず思った事を口に出してしまえば、すかさずそれに声が返って詩人は少し驚く事になる。

「そうですねぇ〜いざ信用されてしまうとぉですね、信用されないという役回りは楽だったのだなと思ったりもしますねぇ」

 声に顔を向ければのんびりと本を読んでいる魔法使いがいて、詩人は照れくさそうに笑ってみせるしかなかった。この馬車には自分だけではなくこの魔法使いもいる事を、どうやらあまりにも考え込んでいたせいで、そして魔法使いが静かだったせいで忘れてしまっていたらしい。

「聞かれてしまいましたか、いやお恥ずかしい。でも貴方のおっしゃる通りです、いざ信用されると責任感といいますか、どうにかしなくてはという気持ちですとか、どうとも気負ってしまうものだと痛感しています」

 そう言えば魔法使いは本を一度閉じてそのしまりのない、というべきかのんびりとした表情の顔をこちらに向けてくる。

「えぇぇ、そぉですね、分かります」

 やけに感情をこめて同意してくれるその様を見れば、彼も自分と似たような経験があるのかもしれないと詩人は思う。考えれば魔法使いというのも一般人からは胡散臭い連中だと思われているのだから似た経験があってもおかしくはない。

 今まで詩人はたとえ未来が見えたとしても、それを忠告したりはしても自分自身がそれをどうにかしたいと思った事などなかった。見える未来はあくまでただのビジョンであって所詮他人事だ。見えた物語の登場人物に興味は沸いてもただの傍観者である自分には関係ない、だから当然その物語をどうこうしたいと思った事はなかった。

 けれども、この式典に向かう馬車からシーグルが連れ出されてアウグ兵や魔法使いに追われる姿が見えた途端、彼はまず思った――シーグルを殺させてはならない、と。

 出来れば事が起こる前に防げないか、最悪起こってしまったなら助けられないか、彼は何度も見えた『未来』の記憶を思い出しては考えた。それでも結局具体的にどうすればいいのかはわからず、ただもし途中で何か見えたらすぐに主に伝えられるように同行させてほしいと、見えた未来を主であるセイネリア・クロッセスに告げる時に言ったのだ。

 ケーサラーの神官として、未来が見える者として、シーグルの存在は今この世界にとって大きな鍵である事は確実だと言える。あの青年がどうなるかで、セイネリア・クロッセスの運命は決まる、この世界の動向は決まる。
 あの青年が死んだらすべてが悪い方向に行くという事だけは未来が見えなくても断言する事が出来た。だから……。

「信用されてしまったから、今まで見ていただけの事をどうにかしようと思ったのですが……出来る事が分からなくて不安、なんでしょうね」

 魔法使いはそれにもゆるい笑みで答えてくれる。

「そうですねぇ〜お気持ちはわかりますよぉ〜今まではどうにかしようなんて思わなかったのにぃどうにかしたいと思った途端、自分に何が出来るか分からなくなるんですよねぇ〜」
「失礼ですが、貴方もそんな経験がおありですか?」
「ん〜そぉですねぇ〜現在進行形、というところでしょうかねぇ」

 そうして笑った魔法使いの顔は、今までで一番楽しそうではあった。






 太陽はかなり低くまで下りてきていて、空の色が茜色に染まり掛けてくれば、そろそろ今夜の野営地であるホルセー平原が見えてくる。先程先行部隊が走っていく音が馬車から聞こえたからもうすぐだとは思っていたが、思ったよりも早かったなと馬車の中でウィアは思った。

「やーっと馬車を降りられるかー」

 狭い中でも背伸びをすれば、向かいに座っていたヴィセントが本を見たままため息を付く。

「降りるだけなら休憩の度にウィアは降りてたでしょ」
「いやそりゃただの一時休憩だろ。後は新鮮な空気補給。やっぱさーちゃーんと体伸ばしてぶっ倒れてほっとしたいだろ」
「……さっきの休憩で地面に大の字になって寝そべってたじゃない」
「だーかーらー、それもちょっとだけだろ、こうゆーっくりごろごろとだなぁ」
「文句が多いなぁ、小さい分他の人より窮屈じゃないんだから少しは我慢しなきゃ」
「それとこれとは別だろっ、こういう狭いとこにずっといるのが嫌なんだよっ」
「えー、でも陛下以外なら馬車乗ってる中でウィアが一番楽な筈だよね、そう思わないラーク」
「え? あ……あぁそうだよっ、ウィアは本当に我がままで何時まで経ってもガキ臭いなぁ」

 ヴィセントがラークに話を振ったのは、彼がずっと外を見て黙っていたからだろう。何か思いつめているのは前からだし、どうしたものかとは思っていたが、いつも通りに話に乗ってくれるならウィアとしても話がしやすい。

「へっ、ガキにガキって言われる筋合いはないな」

 だが、いつもなら言い合いになるこのやりとりに、この日のラークの返しは違っていた。彼はそこでため息をつくと、すぐに言い返さずにまた窓の方に視線を向けた。

「……まぁ、ウィアみたいにガキのやりとりしてられる内はいいよね。本当に子供のままでいられなくなったらそんな事言ってられなくなるから」

 流石にその言い方にはちょっと驚いたものの、ウィアは尚も絡む事にした。

「なんだその『俺はもう大人になっちゃったから』って態度は。ふふーん、お前がこんとこやたらと余裕ぶってるのはとうとうどっかのおねーさんで初体験してきたって事か?」
「ちょっ……なんでもかんでもそういう方向に話持っていかないでよ。ほんっとにウィアって下品っていうか発想がただのすけべ親父だよね」

 もちろんそれが違うと分かっていて(こういう事にウィアは鼻が利く)聞いたのだが、こうして茶化して相手を乗せて、それでラークがついつい口を滑らせたりしないかという思惑もあったりする。

「ばっか、大人の男になる為にはそこは超重要事項だぞ。まだのクセにこの俺に向かって大人ぶろうなんて10年は早いなっ」
「あーつまりあれだね、ウィアは『こうなっちゃいけません』っていう悪い大人の見本な訳だね。あーはいはい、そういう意味で大人だって言えば大人だよね、ウィアは。神学生時代からかなーり遊び歩いてたみたいだし」
「ってぇそんなん誰に聞いたんだよっ」
「あ、それ僕」
「ヴィセント〜」

 というやりとりが盛り上がっている(?)中、馬車が止まってそれと同時に会話も止まる。

「着いたのかな?」
「着いたんじゃない?」

 と互いに顔を見合わせて外の様子に耳をすませば、飛び交う護衛兵達への伝令の声でどうやら今夜の野営地に着いたらしいというのは分かる。

「着いたならさっさと降りようぜ、どーせ俺らはそこまで重要人物じゃないしいいだろっ」
「でもウィアっ、呼ばれるまでは乗ってたほうが……」

 というヴィセントの止める声も聞かずさっさと馬車から降りてしまえば、気付いた兵の一人が驚いて駆け寄ってくる。もちろん注意は受けたものの立場的に兵がウィア相手に怒れる訳もなくて、へたに歩き回らないから外に出て天幕の準備が出来るのを待つ事を無理に了承させてしまった。
 ちなみにヴィセントはランプ台がきっちり設置されて本が読める馬車に乗ったまま降りてはこなくて、ラークは……ウィアに続いて降りてはいたものの、その目は何故かずっとシグネットが乗っているセイネリアの馬車に向けられていた。
 だからウィアはもしかして、セイネリアの側近の事をラークも疑っているのかもしれないとそう思ったが……そうではなかった事を後で知る事になる。



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 事前準備の話が多すぎですね……。
 



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