夕暮れと夜の間の闇




  【2】



「ウィアに言ってもこっちの深刻さなんて分からないだろうし、にーさんには余計な心配掛けたくないし……うん、結局は自分で決めるしかないとは思うんだけどさ」

 はあぁぁ、と長く大きなため息をついて、ラークは机につっぷした。
 ラークの悩みは一つ、魔法使いになるかどうか。正直、魔法使い見習いをしてはいるもののラークは自分が魔法使いになるなんて考えた事がなかった。保持魔力はさほど高くもないし、そもそも医者になる為に弟子入りしただけで魔法使いになれるなんてこれっぽちも思っていなかった。見習いから魔法使いになれるのはごく一部の才能あるものだけだと言われていたし、なら自分は無理だなと最初から諦めるというか目標にしていなかったのだ。
 だから魔法使いになるという事がどういうモノかもあまりちゃんと考えてなかった。当然、覚悟なんてできてる訳がない。
 魔法使いになる事は人でなくなるという事。なんて話は知らない、聞いてない。一般人が知ってはいけない知識を得る事が出来る。……勿論、どれだけ信用出来る人間でもそれを魔法使い以外に話してはいけない。デメリットだらけでいいことなんてないくらいの話だが、手に入れられる知識というのはそれだけの縛りが必要なくらい重要な世界の秘密だという。ついでに言えばラークの場合はさらに別の理由もある。

『アルスオード・シルバスピナ――お前の兄の死の真相や、セイネリア・クロッセスの正体もわかる』

 魔法使いであること、の説明の最後にそう師である魔法使いは言った。

『でもその真相がわかったとしても、フェゼントにーさんに言ってはいけないんですよね』
『そうだ』
『それじゃ意味ないです』

 あいつの死の真相についてラークが知りたいというのはすべてフェゼントの為だ。兄に教えられない段階でそんなモノを知る必要なんかない。

『なら受けなければいい。お前が思うようにしなさい、俺は強制しない。だがお前は魔法使いにならざるえなくなるかもしれない。だから、今後の行動には気をつけなさい』

 その意味は正直よく分からない。師が理由をはっきり言わないのは魔法使いの秘密というヤツにひっかかるからなのだろうが、なんとももやもやして気持ち悪い。
 魔法使いにならざるえない、というのはどういう事だろうと何度も考えてみたが答えなどでる筈もなく。いっそリシェの領主になったら魔法使いになれと言われる事はないだろうかと考えてもみたが、いくら兄の為とはいえその程度の気持ちで決めていいことではないのは承知している。

「特例の方って……なんなんだよ」

 今のラークでは勿論魔法使いの試験に合格出来る能力はない。師の話では試験が除外される特例の方だという話だが、その特例に関してもなんやかんやでぼかされてしまった。

「あーもう、人生を決める大事な選択だって分かってるけどさぁ」

 師匠は『自分で決めろ』の一点張りだし、兄は兄でシルバスピナ卿になるかどうかで悩んでいるところだしと相談出来る状況ではない。だから一人で悩む以外に選択肢はなくて、このところラークは一人になる為にこっそり城を抜け出しては酒場で考え込んでいた。……酒でも飲めば少しは思い切りもよくなれるか、なんて安易な考えもあったのだが、なによりもまずは誰かに悩んでいる姿を見られてへたな横やりが入ったり兄に言われたりしない為だ。
 後は実際きてみたら、完全な他人が騒いでいる様を観察しているとなんだか気分が落ち着いて冷静になれる、というのもあった。

「ここ、少しいいかね?」

 頬杖をつきながらぼうっと周りを眺めていたラークは、気配に気づくより先に声を掛けられて驚いてテーブルに目を戻した。
 そうすれば向かいの席にはこちらの返事を待たずにひょろっとした男が座ったところで、ラークは一瞬むかついたもののすぐに思い直して了承の返事を返した。

――この人、魔法使いだ。

 こういう場所に魔法使いがいる事は少し珍しい。なにせ彼らは人の多い場所が苦手という者が多いからだ。だからこそ向こうもわざわざこちらの席にきたのだろうが、相手が魔法使いというならちょっと話してみてもいいかとラークには思えた。こういう相談なら、へたな身内よりもう会うこともないような他人の方が逆に気楽に話しやすくもあると思ったのだ。

「貴方は魔法使い……ですよね?」

 それでも一応確認で聞いてみれば、魔法使いの割にはあまり気むずかしくはなさそうな男はにこりと笑って答えてくれた。

「あぁそうだ。君はまだ見習い、かな」
「……はい、そうです」

 魔法使いらしいローブを着ていても杖はしまえるような小さいものだからやはりどう見ても魔法使いには見えないだろうな、と我ながらラークは納得する。ただ向こうの魔法使いも杖は目に見える場所に持っていなくて、少しラークは疑問に思った。

「あぁ、魔法使いの割に杖が見えない、とか思ったのかな?」
「え? あ、えぇその……まぁ、ちょっと不思議で」

 考えを見透かされたように言われればいくら魔法使い相手と構えていてもぎょっとする。魔法使いはにこりと笑うと、腰に括りつけてあった袋に手を入れて小さな棒――彼の杖を出してくれた。

「小さいだろ、実はちょっとした事で杖を壊してしまってね。これは急ごしらえの仮の杖なんだよ」
「ええぇぇっ」

 ラークが驚くのも無理はない。いくら偉い魔法使いでも、杖がないとまともに魔法など使えるものではないのだ。
 術には本来長い術の詠唱と魔法陣が必要で、けれどそれらは少しでも乱れるとまともに発動しないため、予め杖に仕込んでおいてキーワードを唱えて術を発動出来るようにする――というのが魔法使いの使う魔法の原理だ。だから杖は魔法使いの命とも言えるシロモノで壊すなんてありえない。壊れても破片をくっつけて新しい杖に術の移し替えが終わるまでは持たせるくらいだ、それが出来ない程の破壊なんてただごとではない。というか、術がまともに使えない仮杖なんかの状態で外を出歩けるこの魔法使いの神経が一番理解出来ない、とラークは思った。

「まぁ、そりゃ驚くだろうな。ただ今のところ術は一つだけ使えればどうにかなるから、暫くは仕方ないとこでね」
「……はぁ、そう、なんですか」
「それより君は、私が魔法使いだったら聞きたい事があったんじゃないのかね?」
「え? あぁ、はい、そう……ですが、どうしてこう、俺の言いたい事が分かるんですか」

 まだ納得出来ない部分もあるものの、それよりさっきからこちらの先手を取られるように話し掛けてくる方が気味が悪くて、ラークはいっそはっきり聞いてみる事にした。……実は読心術が使える、なんて言われたらこれ以上話すのは止めたほうがいいからだ。

「ん? あぁなに、杖の事を言ってるのかな。それなら私が魔法使いといった時の君の目線が何かを探しているのを見て分かったし、聞きたい事っていうのはね……そりゃ君の顔を見れば分かる、何か悩み事なのかね?」

 それでやっとラークは少しほっとした。確かにウィアからも『お前って何言いたいかすぐ顔に出るだろ』と言われた事もある。

「いやその……魔法使いになる覚悟というか、魔法使いになるって事はどういう事なのかなって、何故魔法使いになろうと決めたのか聞きたいなと思いまして」

 これくらいなら聞いても大丈夫だろう、と一応は自分の立場も考えて尋ねてみれば、魔法使いは少し考えた素振りの後、穏やかな表情で話してくれた。

「そうだなぁ、私はとにかく知識が欲しかったよ。魔法使いになる事で得られる世界の秘密が知りたかった。あとは元々魔力的に魔法使いになれると思われてはいなかったからね、その所為もあって逆になってやるって思いも強かったかな」
「なった後は……やっぱり、変わりましたか? 考え方とか、ものの見方とか」
「それは変わったさ。知識は……そうだね……あぁそうだ、クリュース国外の小さな村からこのセニエティにやってきた感覚に近いかな。今まで夜は暗くて火のランプだけしかないのが当たり前だったのに、粉の火でいつでも好きなだけ部屋を明るく出来る、とかね」

 あぁ成程、と少しラークは納得すると同時にこの魔法使いの言い方に感心した。ぼかしたような言い方しかしてくれなかった師匠よりも分かり易いし実感できる。

「つまり、魔法を知らない国の人間が魔法を使える生活を知った……くらいの知識が手に入るって事ですか?」
「あぁ、それくらいの世界が変わる知識といっていいだろうね。それとそのくらい便利な魔法ギルドから授かる力もある」
「そう、なんですか……」

 魔法使いなら手に入る力、というのは確かにメリットだ。ラークが知っているところでは魔力を見る事が出来る力くらいだが、他にもまだあるのだろう。

「なら最後に、実際貴方は魔法使いになった時、周りの人達との関わりとかも……やっぱり変わったんでしょうか」

 聞けばずっと笑顔だった魔法使いの顔が一瞬真顔になって、暫くして彼は自嘲気味に唇を歪めた。

「そうだな、変わったといえば変わったかな。なにせ見習いだった頃の自分を子供のように思えるくらい自分が変わるのだからね、直後は……つい昨日まで一緒に笑い合っていた人間が、まるで子供の頃の知り合いというか……暫くあっていない昔の知人のように感じたかな。暫く会っていない間に大きく考え方が違ってしまって遠くなってしまった、そんな感じかね」

 考えれば確かにそれはそうだとラークは思う。知らなかった知識をたくさん手に入れるという事は、まるで子供が一気に大人になったようなものなのかもしれない。魔法使いになる事で一気に考え方が変われば、確かに親しい人間と心の壁のような隔たりが出来てしまうのだろう。

「あぁ、そう、なんですね……」

 考え込みながらもそう答えれば、自分が沈み込んでしまったのが分かったのか魔法使いは今度は明るい声で話しかけてきた。

「だがね、変わらないといえば変わらないとも言える。魔法使いになる前もなった後も、本当に親しい人間なら向うからこちらへの態度は変わらないだろ。だから自分がちゃんと彼らを大事だって思って前のように接しようとすればきっと彼らとの関係は変わらない。全ては自分自身がどう在ろうとするかさ。……まぁそれにそもそもだ、魔法使いになって後悔している者はまずいないし、君の師匠様も魔法使いだからってそれを悔いていたり辛そうだったりはしないだろ?」
「あ、はい……そうですね」

 思い出せば途端にラークの顔も明るくなる。確かに魔法使いになる事でいろいろ背負い込むモノはあるのだろうが、少なくともラークの知る魔法使いで魔法使いになった事を愚痴ったり忌々しく思っているような人間はいなかった。結局は自分がどうありたいかと言う事と、どう振舞うかに掛かっているという事だろう。

「さて、折角の酒だ、相談はこれくらいにしてもっと面白い話をしてあげようか。実は私は空間系の魔法使いなんだがね、一般的に空間系というと転送だろうが……」

 そこから始まった魔法使いの話は魔法使い見習いとしてとても興味深い話だったため、ラークはすっかり話に引き込まれて聞き入ってしまった。特に先ほど言っていた通り、彼は魔力自体は然程強くないのに使い方を工夫することで魔法使いにまでなれたという事で、その工夫の仕方や考え方は特にラークを夢中にさせた。



---------------------------------------------


 ラークの話が思った以上に長くなってしまった……。
 



Back   Next


Menu   Top