謀略と絶たれた未来




  【5】



 それから半年程は、表面上はただ平穏に時間が過ぎた。
 シーグルは前と変わらず騎士団で忙しい日々を過ごしながらも、前より早く家に帰って、妻や子供との時間を多く持てるようにしていた。
 ウィアは相変わらず、シルバスピナの首都の館と自分の家を往復する生活をしていたが、最近兄がなかなか家に帰って来ない事に気付いていた。
 セイネリアは王の行動を把握する為、そしてそれに対する周囲の反応を把握する為、裏の情報屋連中をクリュース各地に飛ばして情報を集めていた、そして――。

「それは、まずいですね」

 アッシセグにある黒の剣傭兵団、何時でも遅くまで明かりのついたセイネリアの執務室。
 その言葉をケーサラー神官でもある吟遊詩人が呟いたのは、セイネリアの元に一つの報告が入った時だった。

 その報告自体は、王が直接何かをしたというものではなかった。シーグルやその関係者に何かが起こったというものでもない。
 旧貴族の一つ、ウーネッグ家の当主が亡くなったという報告で、その葬儀にシーグルが出かけたというだけの話だ。

「お前には何か見えたのか?」

 ケーサラー神官としての彼の能力は、基本は物や場所そのものの記憶を『見る』事である。だが、彼はたまに、見えたものからいくつかの未来予知が見える事がある。

「正式な後継者が死亡した事によって、現在ウーネッグ家の跡取となっているのは、まだたった5歳の子供、しかも女の子です。直系の男子がいないから仕方ないとはいえ、故ウーネッグ卿が自分の娘である母親の方ではなく、孫のその子を跡取に指名したのにはある思惑があるのですよ。恐らく、遺言の内容はシーグル様にも伝えられる事でしょう」

 そこまで詩人が言った事で、セイネリアもその先に気付く。

「成程、シーグルの子と婚約させるつもりだったのか」
「えぇ、故ウーネッグ卿は騎士という事に拘った昔ながらの旧貴族でしたから。騎士でない娘婿に貴族位を渡したくなかったんでしょう。だから期待していた男児の孫が死んだ時、シルバスピナ家と婚姻関係を結び、実質貴族位と領地ををシルバスピナ家に譲渡する事を考えた。故ウーネッグ卿は、それはもうシーグル様を気に入ってましたからね」

 詩人らしく歌うように紡がれる言葉を聞きながら、セイネリアの口元は皮肉げにゆがむ。

「あいつにとっては迷惑な話だな」
「ですが……故人の最後の頼みとなれば、シーグル様は断れないでしょうね」
「そうだな」

 恐らく、ウーネッグ卿の遺言には、シーグルへ孫の婚約の申し出と同時に、その孫娘自身を保護してやって欲しいという事が書いてあるのだろう。婚約までは即答できなくても、孫娘の保護に関してはシーグルは間違いなく受ける。また厄介事を引き受けるのかと思う反面、彼が確実に立場をはっきりさせなくてはいけない状況に追い込まれていく事にある種の期待をセイネリアはしていた。

「多分、故ウーネッグ卿は、そうすれば鎧を紛失してしまったシルバスピナ家に、ウーネッグ家の鎧を譲る事が出来るとも考えたんでしょう。旧貴族として未だに騎士である事に拘るシルバスピナ家には、旧貴族の象徴である魔法鍛冶の鎧を着ていて欲しかったんじゃないですか。どうしても自分の鎧を、自分が認められるような騎士に譲りたかった、という……老騎士の願いとですね」
「旧貴族の鎧、か……」

 まったく老人というのは、と鼻で笑ってから、セイネリアは傍にいて話を聞いているだけのカリンの方を見て言う。

「フユの方に少し人手をやろう。そろそろあいつだけでは手が回らなくなってくるだろうからな」

 それにカリンが目礼で了承の返事を返せば、詩人はトレードマークとも言える幅広の帽子のつばを下げて、目元を隠し呟いた。

「この事がトリガーとなるかもしれません。ウーネッグ家がシルバスピナ家に取り込まれてこれ以上シーグル様の力が強くなるなんて事態、きっと王には耐えられないでしょうから」

 セイネリアの口元が、そこで皮肉でも自嘲でもなく笑みを作る。
 琥珀の瞳に昏い喜びを灯して、黒い騎士は感情のない声を返す。

「動くか」
「えぇ、恐らく」
「なら……俺は今度こそあいつを捕まえよう」









 周辺諸国からも一目置かれる大国であるクリュース、その国教の主神リパの総本山である首都の大神殿には、その規模と格式に相応しく大勢の神官達が所属していた。
 秋になったセニエティには、その神官達が皆忙しく動き回る、一年で一番忙しい時期が今年もやってこようとしていた。

「えー、ウォールト様、明日から聖夜祭が終わるまではここは閉じますので、それまではオルウェードン神官の手伝いに回って頂けますか?」
「はい、分かりました」

 ここ大神殿の書庫を管理するネイリ神官の言葉に、青年は素直に了承の返事を返した。一応『様』をつけて呼ばれる事が多いものの、今の彼には重いかつての地位はない。ただの修道士として、他の者と同じように割り当てられた仕事をして慎ましやかな日々を送る生活をしていた。
 それでも彼には不満などなかった。
 それどころか、書庫管理の手伝いとして本に囲まれる生活は彼にとっては楽しい事であったし、なによりも命の危険を感じなくて済む事は彼にとって幸せな事であった。元王子として、他の修道士からは距離を取られる為友人と言えるものは少ないが、それでも日がな一日中本に囲まれ、のんびりと余計な事を考えなくていい生活は天国だとさえ彼には思えた。

「聖夜祭、か……」

 最後の本を積み上げて、彼は思わず呟く。
 二年前の聖夜祭の日、彼は自分の屋敷から逃げた。
 シルバスピナ卿に助けを求めて、その協力でここへ来る事が出来た。
 だから彼は、いまでもその恩は忘れていない。あの若くとも誰よりも立派な騎士の青年に、彼はずっと感謝していた。
 風の噂でシルバスピナ卿が戦死したと聞いた時には本当に悲しかったものだが、その後無事生還したとの話を聞いた時には思わず感謝の祈りをリパに捧げた。
 今でも毎日、あの青年が無事であるようにと、彼は寝る前にリパに祈っていた。感謝のしるしとしてはそれくらいしか彼には出来なかったから。







 北の大国クリュース、その首都で一年で一番の大きな祭りとなれば、その数週間前から街の空気が浮かれ出すのは仕方ない。純粋に祭りの準備で忙しく行き交う商人や職人達は勿論、仕事が増えた今とばかりに押し掛けてくる冒険者達で街の人口は日々膨れあがっていた。
 聖夜祭といえば、例年、シーグルは部下な筈の自分の文官の魔法使いにそれはそれはしつこく警告を受ける事になる。

「いいですかシーグル様、絶っっっ対に一人で出歩いたりしないように。それと人通りのない場所へ行ってもいけません、いくら弱そうでも親切そうでも困ってそうでも知らない人についていってはいけませんよ」

 やれやれまるで子供への注意ではないか、とは毎回思うところだが、過去何度かそれで痛い目にあっている段階で、シーグルに反論したり抗議する権利はない。

「分かってる、聖夜祭の間はいつも以上に気をつける」
「ホントに分かってらしてるならいいんですけどねぇ……ナレド君」
「え? あ、はいっ」

 キールとシーグルのやりとりを見てくすくす笑っていたナレドは、急に自分に話を振られて大急ぎで姿勢をただした。

「いいですかぁ、貴方はシーグル様が何か危ないとこにいこうとしたら止める係ですからねぇ。もしくは、何かあったらすぐ知らせることぉです」
「はい、分かってます」

 聖夜祭の時期なら、シーグルに何かあった場合は相手は魔法使いの可能性が高い。そうでなくても少しでも魔法的な何かを感じた場合はまずキールを呼ぶこととなっている。ナレドもシーグルと同様に隊の者とキールの呼び出し石を持たせているが、彼が言うところではキールの石だけは別にしてすぐ出せる場所に持っているらしい。

「まったくお前も毎年毎年……心配性だな」

 心配性、というか祭りが近づくに連れてピリピリと神経をとがらせている彼に、シーグルは思わずそう言ってしまう。

「なぁに言ってるんです。こういうことに心配していられる内が幸せなんですよぉ。去年と違ってですね」

 それを言われるとシーグルはなにもいえなくなる。去年の聖夜祭の時期、シーグルはアウグにいた。その頃の彼らがどんな気持ちで過ごしていたのかは、少しづつだが聞いている。例年なら忙しくとも楽しい祭りの空気の中、シーグルを知る者、そしてシルバスピナの領民は、沈んだ日々を送るしかなかったと。

「すまない」

 だからやはりシーグルは謝る事しか出来ない。

「謝るくらいなら、ちゃぁぁぁんと気を付けて皆に心配をかけない事ぉ、ですよぉ。いつもいってますけどねぇ」

 キールにわざとらしく芝居がかったように諭されて、シーグルは笑った。
 それを見ていた、隊の他の面々も笑う。
 今、こうして笑える事をシーグルは幸せだと思った。

「隊長、第2隊が帰ってきたそうです」

 シェルサが使いから帰ってきてそう告げた事で、待機中として座っていた面々は立ち上がる。

「あぁすぐ行く、皆も準備していてくれ」

 いいながらシーグルが歩き出せば、それにランが付いてくる。隊の中でもシーグルの護衛役である彼は、ノウムネズ砦の戦闘で二度も自分を止められなかった事に相当の責任を感じていたらしい。一度目は無理矢理自分が行ってしまったせいだし、二度目に至っては彼は傍にいなかったのだからまったく彼のせいではないのだが、それでも責任感の強い彼は酷く落ち込んで、シーグルが帰るまでは酒を絶っていたと、奥方からこの間の首都の屋敷に招待した席で聞いた。聞けば、それで他の者達も酒を絶っていたらしく、酔って口の滑りがよくなっていたマニクが言ったのだ。

「ランが飲まないのに俺達が飲む訳にはいかないでしょう」

 それでシーグルが謝れば、焦ってグスがフォローをしてくれた。

「何言ってるんですか、だからこそ、今日の酒はとんでもなく美味いんです」
「そうです、俺は生まれてこの方こんなに美味い酒は飲んだことないです」
「今こうして笑って美味い酒が飲めてる、それだけでいいじゃないですか」

 次々に他の者もそれに続いて、皆でまた笑う事になった。
 その風景を見るだけで、自分は本当に良い部下に恵まれたと思うと同時に、彼らに迷惑をかけて心配ばかりさせている自分を思い知った。もっと自分の行動に慎重にならなくてはとの思いをシーグルは強くする事になった。

 祭の準備に沸くセニエティの街を、時に人混みをかき分け、時に喧嘩の仲裁に入り、そうしてシーグル達の隊は忙しくもにぎやかに見回りを続けた。
 シーグルには領主としての仕事もある為、祭が始まれば騎士団には殆ど顔を出せなくなるのは仕方なく、それに残念がる隊員達を宥めるのも恒例行事のようなものだった。
 そうして実際の祭期間に入れば、領主が帰ってきたという事で、首都へ行く前にリシェによってシーグルに挨拶をしていきたいという申し出が多くあり、シーグルは本気で忙しさに目が回るような日々を過ごす事になった。始まる前は、首都に行った時くらい出来るだけ隊に顔を出していこうと考えていたのが、そんな暇どころかそれを思い出す暇さえなく、結局隊の者と次に会ったのは祭が終わった二日後――祭の後もリシェに客が滞在していたので――の騎士団での事だった。当然、部下達には泣きつかれる勢いで責められたのは言うまでもない。

 ともかく、そうして領主としての仕事に忙殺されたのもあってか一人でいる暇などある筈もなく、魔法使い絡みのトラブルも起こらずに、ただ忙しいだけで無事その年の聖夜祭は終了したのだった。




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 日付が一気に半年進みました。そろそろ事件が……。



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