絶望と失望の火




  【6】



 途端、言葉の内容にその魔法使い以外の全員が絶句する。誰もが驚きに固まる中、魔法使いの冷静過ぎる声だけがシーグルに向けて続けられた。

「魂というのは容れ物が壊れれば死ぬ。生物なら容れ物の生命活動が停止すれば魂が体から追い出されて死となる。そしてここからは賭けになるが、体と対になっている本人の魂より、仮宿として入っているだけのサテラの魂の方が早く追い出される筈だ」
「つまり、シーグルを一度殺して、サテラの魂が抜け次第蘇生させるって事か……」

 やっと魔法使いの話が読めたエルが呟くように言えば、魔法使いはまた視線をエルとその周囲の者に向けた。

「そうだ、元リパの大神官がいるなら可能だろ? 魔法使い連中はサテラの魔力が消えれば分かる、アルワナ神官なら魂が体から離れるのも分かる筈だ、離れ次第蘇生に移ればいい。最悪そちらで失敗してもアルワナの反魂の術で蘇生を試みるという保険もある」

 何が保険だ、と心で悪態をつきつつも、内容自体を理解出来た段階でエルは考えた―ーその案に乗るなら、問題は蘇生の成功率だろう。

「確かリパの蘇生術が成功する確率は、遺体の損傷具合と、死んでからの時間で大きく変わる。アッテラ神官なら、体が無傷なまま『殺す』事だけが出来るんじゃないかね」

 成程、自分に出来る事ってのはそれかと、エルは嫌な汗が背筋に落ちていくのを感じていた。
 そもそも、アッテラの治癒術は術を受ける本人に受け入れて貰ってその体本来の機能を使って治すという仕組みである。神官は本人の肉体本来の自然治癒能力を強力に活性化させているだけだ。だから理論的には本人が受け入れてさえくればその体の機能もある程度自由に扱う事が出来る。
 つまり、心臓を止めて問答無用に『殺す』事も可能だった。
 ただし通常それはもう助からない人間にこれ以上痛みを与えない為に使うものだ、それ以外に使えばただの人殺しだとアッテラ神官なら教えられている事だった。
 エルは考える。
 リパの蘇生術は、単純に言えば肉体を治して生き返らせる術である。だから魂が体から離れてしまえば手遅れで、そこで無理に蘇生術を使っても魂のない人間が出来上がるだけである。つまり成功するには魂が体から離れる前に術を使う事――その為死んでからの時間が一番重要とされていて、ついで重要なのは遺体の損傷具合だが、治す手間がなければない程早く術は完成するのだから当然だ。
 対してアルワナの反魂術は、魂が体から離れた後、その魂を体に呼び戻す為のものだ。それを考えれば確かにリパの蘇生術が失敗した場合の保険と考えられるが、こちらが成功するのに重要なのはその魂が神官の呼び掛けに答えるかどうかで、それは一般的にどれだけ地上に『想い』を残しているかどうかだと言われている。リパの蘇生術以上に賭けの要素が高く成功率は低いのだ。

「エル、そして皆、頼めるだろうか?」

 そう、ハッキリと冷静なシーグルの声が聞こえて、エルは急いで彼に詰め寄った。

「待てよっ、どんなに最高の条件を揃えたって蘇生の成功率は100%にはならねぇんだぞ。しかも向うの魂のが先に離れる事だって確実じゃねぇっ、向うの魂が離れるのを待ってるうちにお前が先に離れたら術は100%失敗するんだぞ」

 サテラとかいう魔法使いの方が先に離れるというのは現状では本当にただの賭けだ。エルとしては本気でシーグルが死ぬ可能性があるならとてもではないがとれる手段ではないという思いが強かった。
 だが、シーグルはあくまでも落ち着いた声でエルに笑い掛けて言ってきた。

「エル、大丈夫だ。今、俺がこうしてサテラを押さえて正気でいられるのは、俺と契約で繋がっている別の魔法使いがサテラを抑えてくれているというのもあるんだ。その彼も俺の魂が離れないように協力してくれると言っている、だから、大丈夫だ」

 その魔法使いの事が本当なのかエルには分からない。契約している、なんていうのも初耳だ。そもそもただ自分を安心させる為だけの嘘なのかもしれないとさえ思う。それでも、彼が望むのならエルはそれに全力で協力したいと思う、けれどそう思うと同時に、失敗した場合の事を考えると了承の言葉がどうしても出せなかった……だから。

「だが……いやだめだ、せめてマスターに相談してからにすべきだ」

 それは傭兵団におけるエルの立場としては当然の言葉ではあった。だがそれをシーグルは強い声で否定した。

「いやエル、セイネリアには相談しない。あいつに言ったら絶対に反対するに決まっている」
「そりゃだって……」

 エルも本当は分かっていた。セイネリアに聞けばその答えはNOだろうと。たとえ1%でも彼が助からない可能性があるなら、あの男がそれに了承などする筈がない。だからこそエルもセイネリアの名が出てしまったのだ。いくらシーグルの気のすむようにさせてやりたいと思っていても、やはり心の奥で自分は決断を逃げてしまおうとしていた。

「エル……俺は、弱っていく俺をいつまで持つのかと怯えながらじっと見張っているあいつなんてみたくない。おかしくなっていく俺を見て、あいつの方がおかしくなっていく姿なんてもっとみたくない。どちらにしろこのままでは俺は遅かれ早かれおかしくなっていく、それならまだ俺の精神が正常な内……サテラの影響が出てない間に実行したほうがいいんだ。時間が経てば経つ程俺自身が持たなくなって成功する可能性は低くなっていく。……なら、やるなら今しかない」

 シーグルの予想はおそらく合っているだろうとエルは思う。彼のいう通り、このままの彼を連れ帰れば、セイネリアは彼がいつまで正気でいられるかに怯えながら毎日を過ごす事になるだろう。彼が大事過ぎるあの男なら、一度彼を殺すなんて手段は絶対に取れない。エルだって怖い、彼を失ったらなんて考えたくもない程怖い。けれどもエルは、彼を信じて、彼の意志を通してやりたいとも思うのだ、だから……。

「……失敗したらマスターに殺されるどこじゃ済まねぇな」

 そう笑って、覚悟して、エルはシーグルの肩を掴んだ。

「いいか、お前がそうしたいっていうなら協力してやる、やるが……絶対に自分の身体にしがみついて馬鹿魔法使いより先に逝くんじゃねぇぞ、必ず帰ってこい」









 床の上に寝て、片手をキールが、もう片手をエルが押さえつけている。それから足をラダーが押さえつけていて、脇からはロスクァールとレストがしゃがみこんで此方を覗き込んでいた。

「それじゃ……いいか?」

 エルの声が固い。だからシーグルは彼に笑い掛けた。

「あぁ、いつでもいい。……ただその前に、もし失敗しても皆の所為ではないとあいつに手紙でも残して置いたほうがいいだろうか?」

 言えば兄という事になっているアッテラ神官は、少しだけ目を丸くして、それから苦笑した。

「ばっか、必要ねぇよ。ンなモンあったってマスターは納得しねぇし……俺達もそれでお咎めなしになったって嬉しかねー。そもそも失敗したらなんて考えンな。絶対……成功するって事だけ考えとけ」
「あぁ、確かにそうだな」

 無理矢理笑みを浮かべたようなエルの顔に再び笑い掛けて、それからシーグルは目を閉じた。意識を自分の内に向ければ、自分の中の片隅にサテラの意志を感じる。剣の魔法使いのお蔭で今はまだ直接意識が流れ込んでくる事はないが、彼がこれからやろうとしている事に焦って辞めさせたがっている事は分かる。

――貴様がセイネリアに会う事はない、その前に行くべきところへ逝け。

 シーグルの体を乗っ取ってその魂と体を人質とすればセイネリアを操る事が出来る、と魔法使いサテラは考えていた。黒の剣の魔力を受け、その剣の主を下僕のように扱う……さすがに愚かな魔法使いが考える程簡単にそれは実現しないだろうが、セイネリアはシーグルの命が掛かれば途端に『彼らしく』なくなる。少しでも自分を失う恐れがある事ならば、一歩を踏み出せなくなる。
 その結果……最悪、彼に自分を殺してくれとシーグルが言わなくてはならなくなる未来が見えるくらい、最悪の結果しか予想できなかった。

『生きねばならないという君の意志に掛かっている』

 今回の事を成功させるために一番必要なものはそれだと魔剣の魔法使いに聞いたからこそ、シーグルは決断した。
 何があっても死なないと、生きてやると、その意志をしっかり確かめる。失敗すれば全てが終わる、シーグルの愛する者達が全てが不幸になる……そんな事にはさせない。それだけの覚悟と決心がなければきっと……このまま彼と共に長い時を生きていてもいつか必ず自分は耐えられなくなる。

「じゃぁいくぞレイリース、いつもみたく俺の力を感じて……そのままお前の心臓に導いてくれ」

 胸にエルの手が置かれたのを感じて、シーグルは意識をそこへ集中した。
 けれども一瞬、セイネリアの顔が頭に浮かんで、シーグルの集中が乱れた。
 同時に、頭の中に声が聞こえた。

『死ぬかもしれない、このまま二度と目覚めないかもしれないぞ』

 聞こえた声はサテラのものだった。
 途端、ぞくりと、背筋を駆けあがってくる寒気と共に、不安が心に襲い掛かってくる。もしシーグルが死んだなら――絶望だけを抱えてセイネリアはいつまで続くか分からない時間を一人で生きるのだろうか。いや、過激派の魔法使いの当初の狙い通り、狂って、剣に心を奪われて力を使い切るまで暴走するのだろうか。全てを破壊し尽くして、絶望の中あの男は狂い暴れるのだろうか……剣の力が全て解放されるまで。
 直前になって怖くなる、もし自分が死んだらとその事を考えてエルの術に同調できない。
 魔剣の魔法使いが抑えていて尚サテラの声が聞こえた事という事は、サテラが強く呼び掛けたというだけではなく、自分自身が不安を感じ彼の声を聞いてしまったからなのだろう。

「いいかレイリース、もし例の魔法使いがお前から離れなかったとしても、限界だって時間が来たらロスクァールに術を使ってもらう。だから最悪でもお前が死ぬ事だけはない、最悪は現状のままなだけだ、だから安心してやれる事を試してみるくらいのつもりでいればいいんだからな」

 自分の意識が彼に同調しないのが分かったのか、エルが笑う気配と共にそう言ってくれた。けれどもこちらの胸に置いた手は僅かに震えていて、彼も失敗を恐れてそれでも協力してくれようとしているのが分った。なにせ100%の成功はあり得ない、と言っていたのは彼なのだ、絶対に大丈夫があり得ない言葉だと分かっていて彼はそう言ってくれたのだろう。
 目を開けば自分を見下ろしている人々は皆強張った顔で、それでも自分の為に笑ってくれていた。それに泣いてしまいそうになれば、落ち着いた瞳で見下ろすキールと目が合った。

「貴方は貴方を大切だと思う人の為に生きねばなりません、そうでしょう?」

 穏やかに言ったその言葉に覚えがあったシーグルは、少しだけ驚いて彼の顔を見た。いつでもマイペースな魔法使いは、そこでにこりと優しく笑う。

「我が子にそう言ったのですからねぇ、ご自身が守らなくてはなりませんよぉ」

 だからシーグルも笑った。

「あぁ、確かにそうだな」

 そうしてシーグルは再び目を閉じると、今度は胸の上にあるエルの掌に意識を集中した。






 それは完全にセイネリアの為に作られた罠だった。
 そしてここは恐らくヴィド家の屋敷の中のままで間違いない、とセイネリアは判断していた。理由の一つは壁紙や床の木材がヴィド家の屋敷と同じ物を使っているからだが、決定的な理由はある場所で一瞬だけ自分を探す使用人達の姿を見たからだ。声を掛けようとする前にその姿は消えたし、向うもセイネリアに気付かなかった事から大体ここがどうなっているかも理解できた。

 おそらく――魔法使いはセイネリアをおびき出す為のエサとしてリーズガンを保護した。
 そしてリーズガンがここに来た事で彼のもとをたびたび訪れ、ここの住人達が気づかないよう内密に屋敷内を改造していたのだ。それはつまり、部屋や廊下の繋がりを物理的に変更してから魔法の転送や幻術の仕掛けで元と同じ場所に出るようにしておくというやり方で、普通の人間なら変わった事に気付かないという訳だ。
 だが、魔法の効かないセイネリアには魔法の仕掛けは動作しない。
 自動転送で部屋を繋げる前提になっているから、物理的には行き止まりになっているところが多い。クリュース城と同じで魔法転送があって初めて普通に移動できるつくりであるから転送が使えないとこの中から出る事は出来ない。実際、歩き回ってみてそれを理解したセイネリアは、だから方針を少し変えた。

 今、セイネリアの手のあるのは黒の剣でも普段使いの剣でもない。禍々しい派手な斧刃がついたハルバードと呼ばれるタイプの武器で、物理的な攻撃に関しては一番使えるセイネリアの持つ魔槍だった。
 魔槍を一振りすれば、それだけで壁に大きな亀裂が出来てその周囲が割れて落ちる。そこから更に一振り、二振りすれば壁には完全に穴が空いて隣の部屋へ行く事が出来る。物理的にしか行けないなら壊せばいいと、当初予定では黒の剣で全てを一気にふっ飛ばして外に出るつもりだったが、館の住人を巻き込む可能性がある事が分かった今、それは出来なくなった。ならば壁を一つ一つ壊していくしかないが、それを黒の剣でやると効率が悪すぎる上にセイネリア自身への精神的負担が大きい。だからこの魔槍を呼んで壁を破壊して進む事にしたのだが……それはそれで時間が掛かるのは避けられない事ではあった。

「やってくれるじゃないか……魔法使いでも特に頭がいいというだけある」

 今また壁を壊して、その先がどこにも通じていない部屋なのを確認してセイネリアは舌打ちをする。
 過激派の首謀者である魔法使いについては金髪の魔法使いから聞いていた――魔力自体は低く、魔法使いになれるぎりぎり程度しか保持していないが、その使い方を徹底的に研究して工夫することで魔力以上の効果がある彼だけの術を作った男だという。
 セイネリアでさえ何度も裏をかかかれた、おそらく彼のやる事を読めない最大の原因は魔法に関する知識がセイネリアに足りない所為というのが大きいのだろう。あとは、シーグルの無事を優先するあまり、セイネリア自身が消極的な対策しかとれない所為か。

「またハズレだが……この先もいけるな」

 そうして壊した先に現れた部屋がまたただのどこへもいけない四方を壁に囲まれただけの部屋だったのを見て、セイネリアはその部屋の壁に向かって魔槍を振り上げようとした……のだが。

「――何?」

 槍を握り締めたその左手、指の根本が光る。
 それが何を指すか一瞬で理解したセイネリアは、槍を床へ落すと急いで左手のグローブを外した。
 グローブを外せば、青白い炎が視界を占める程に膨れ上がる。
 そうしてその眩しさに目を細めながらも、セイネリアは炎の中心にあるものを確かに見た。
 炎に包まれ、既に少しづつ崩れていこうとしているソレ。

 シーグルの命と繋がる『知らせの指輪』が燃えていた。




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 とうとう指輪が……。
 



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