絶望と失望の火




  【5】



 目を閉じて、膝を抱いて、暗闇の中にシーグルは浮かんでいた。
 生まれて来なければ良かった――子供の頃から、それを考えた事がない訳じゃない。
 本当は、自分がいなければ御爺様は折れて父親に謝ってくれたんじゃないかと、子供の頃に考えては苦しくて、胸が痛くて一人ぼっちのベッドの中で泣いた事もある。それでもシーグルには家族に愛された記憶があった、父親が強くなりなさいといってくれた目標があったからそれを否定出来た。例え自分の所為でよくない事態になっていたとしても、いつかそれを自分の力でどうにかすればいいのだと思えた。

 けれど、いくらがんばっても取り戻せないモノはある。

 死んだ人間は生き返りはしない、それはどれだけ謝っても悔いても変わらない。彼らの死を無駄にしない為、彼らの望みを叶えよう――なんて考えても、取り戻せないものは取り戻せないのだ。

 シーグルは考える。自分がいなければ、自分さえいなければ、こんな事は起こらなかったと――けれど、そう考えて自分を閉ざしていく彼に語り掛ける声があった。

『いいえ。いいえ、アルスオード様、俺は貴方のおかげで救われました。俺は貴方がいたから幸せでした』

 暗闇の中へ光が差す。
 目を開けてそれを見れば、優しくて努力家の純朴な青年が微笑んでいた。それが誰か分かった途端、シーグルは彼に謝っていた。

――すまない、ナレド。すまない、すまない。

『何をおっしゃるんです、貴方に会えなかったら俺はただの孤児として、世界を恨み、金持ちを妬み、希望も目標もないようなスラムによくいるごろつき程度にしかなれなかったでしょう。貴方に会えたから俺はとても幸せでした。貴方という目標があったから苦しい生活でも希望を持てました、貴方の傍でたくさん楽しい思いも出来ました。そうして最後に貴方を助ける為に役に立ててこれ以上幸せな人生はありません』

 ナレドは笑っていた。それは心からの笑みで、そうして間違いなく自分の傍でいつも見ていた彼の笑顔だった。

『もし……俺の為だと思ってくださるなら、貴方は生きて下さい、幸せになってください。そして出来れば、俺のように貧しい者も希望を持てる国にしてくださると嬉しいです』

 シーグルは眩しい彼の姿を目を細めて見つめた。そうして立ちあがって彼に向かって手を伸ばせば……その手は彼ではなく別の手に掴まれた。

『帰ってきなさい、皆君を待っているよ』

 それが自分の持つ魔剣の魔法使いだと理解した途端、シーグルの意識は現実へと浮かび上がった。

 気づいた途端、ずっしりと感じる体の重みに思わずよろけたシーグルは、驚いた瞳で自分を見つめる周りの視線に一瞬身構えて、それから彼らが良く知る人間である事に安堵し……そうして今自分が彼らに拘束されている事に気付いて顔を強張らせた。

――彼らは本当に本物か?

 エル、ネデ、ソフィア、ロスクァール、レスト、ラダー、アリエラ、アルタリア、更にはキールまで……見えるのは自分を必死で探しているだろう人物達に間違いない。だが本当に彼らが助けにきたのか、暗示でそう見えているだけではないのか……本物なら何故自分をこんな風に押さえつけているのか……混乱したシーグルは思わず暴れて叫んだ、離せ、と。
 そうすれば思いの他あっさりと拘束は解けて、シーグルは彼らの手から逃げる事が出来た。

「なぁ、レイリース、お前なのか? ……本物なのか? なぁちゃんと本物だよな?」

 けれど、泣きそうな声でそう言ってくるエルの声で、シーグルは逃げたがる体を抑えて振り向いた。彼の瞳は真っ赤で、本気で少し泣いていた。

「シーグル様、シーグル様ですよね?」

 訴えるように見つめてくるソフィアにも、シーグルは自分の体が一瞬逃げてしまいそうになるのを押さえられなかった――だが。

『大丈夫だ、よく見てごらん、彼らはちゃんと本物だよ』

 頭に聞こえた声にシーグルは答えた。本物の剣の魔法使いなら、こんな意識がある状態で話しかけてくる訳がない。今は満月に近い訳でも傍にセイネリアがいる訳でもない、ありえない、と。

『君を通してノーディランという私の名前を聞く事が出来たから、私も自分自身を思い出す事が出来たんだ。だから――今はこうして剣の魔力がなくても意識を保って君に話しかける事が出来る……それに、奴を抑えておく事もね』

――それは、どういう事だ?

『今の君の中には奴がいる。その証拠に奴の記憶が君に流れ込んでしまっている――その意味を知りたければ君が知りたかった魔法使いの秘密を考えてごらん、今の君は答えを知っている筈だ』

――魔法使いの秘密?

 それは捕まってすぐサテラという魔法使いが言っていたこの国の三十月神教の事だろうか――そこまで考えたシーグルは、その答えが即座に頭の中に思い浮かんで、途端、意識せず体から力が抜けて膝をついていた。

「おい、レイリースっ」
「シーグル様っ」

 彼らの声が遠く聞こえる程、その内容に驚いたシーグルは暫くの間何も言えずただ目を見開いたまま何もない空間を見つめて、それから首の力が抜けるようにがくりと下を向くと手を床に付いた。

「おいっ、本当に大丈夫なのか? てめぇ、嘘を言ってるんじゃねぇだろうな」
「少なくとも嘘を言ってはいない、ただ私にも今の彼が本当に本物なのか断言はできないな」
「んだとぉっ、ならどういう状況なんだよっ、さっきからあれは偽物だ、あれは違うって言ってるだけで全然説明しやがらねぇじゃないかっ」
「それは仕方ない、人間の中に直接別の人間の魂が入るなんて前例がないからな、実際どうなのかは彼が本物なら彼自身に聞くのがいいと思うがね」

 やっとあまりの衝撃から思考が止まっていたシーグルの頭が動きだす。そうして、今の自分の状況を理解する。なにせ頭の中にこの事態を引き起こした本人の記憶があるのだから誰かに聞く必要もない。

 そう、今のシーグルの中に別の人間の記憶と意識があるのが分る。自分の身体を欲しいと言っていた通りあの魔法使いサテラが自分の中にいるのが感覚で理解出来た。

「……エル、確かに今の俺は本物だ。口で言って信じて貰えるかはわからないが。……だから、俺が説明する」

 顔を上げてエルを見れば、彼がつっかかっていっているのは魔法使いリトラート、つまりサテラの協力者だったのに裏切られて拘束された筈の魔法使いだった。エル達の言動から彼らも自分の状況を分っているらしい事を考えれば、この魔法使いが事情を説明したのだろうと予想出来る。
 シーグルはずっしりと重く感じる体でどうにか立ち上がると、出来るだけ背筋を伸ばして彼らに向きなおった。








 今度は本当に正気らしい彼に向かってエルは尋ねた。

「……つまり、今はどういう状態なんだ」

 そうすれば、疲労の色が濃いシーグルがそれでも背筋を伸ばして答えた。

「簡単に言えば、今、俺の中に今回の件の首謀者である魔法使いの魂が入っているという事だ」

 エルはごくりとつばを飲んだ。ならやはり――先ほどのシーグルが、魔法使いの言っていた通り本物のシーグルではなかったという事になる。

 ここでシーグルを見つけて最初に彼が目覚めた時、そこにいる、キールの映像で見た敵だと思われる魔法使いが現れてエル達に言ったのだ、今のその青年はシーグルではないと。エルは訳が分らなかったが、とりあえず逃げようとしたシーグルを捕まえて、キールがその魔法使いと話しだして……それで今度はキールまでもがシーグルをとりあえず拘束しておくように言い出した。
 ……まぁ、その後いろいろあって拘束したシーグルにキールが何か術を唱えようとした途端、シーグルの体から急に力が抜けて倒れかけ、次に目を覚ましたら別人のように怯えた顔で『離せ』と叫んで逃げたという訳だった。

「……でも、今はお前なんだろ? なら、大丈夫なんだ……よな?」
「いや、大丈夫とはいえない」
「どういう事だ?」
「俺が正気を取り戻した所為で今は俺でいられるが、俺の意識が薄れた時はサテラが現れるかもしれない」
「それは……どうすりゃいいんだ?」

 少なくとも今のシーグルが本物で今の状態が正常であるなら、この状態を維持出来るのなら問題がない事になる。ならどうにかする手段があるのではないか……というエルの望みはシーグル自身によって否定される事になる。

「とりあえずは俺を拘束してもらうしかない。術を使えないように口も封じてくれ。……後は魔法ギルドに連れて行ってくれれば……もしかしたら、どうにかする方法が……」
「どうにかする方法があるのか? なぁ、大丈夫なんだよな?」
「それは……」

 望みを持って聞き返した言葉ではあったが、苦しそうな彼の様子からして明確な解決策はないといういうのがエルには分ってしまった。だが分ってしまって尚、聞き返さずにはいられなかった。

「魔法ギルドの連中なら、少なくとも奴を封じて出てこないようにする……くらいの事は出来んだろ?」
「いいえぇ、ギルドでもすぐにはぁどうこう出来ませんねぇ……残念ながら」

 言ってやってきたのはキールで、エルはこの事態にものんびり話す魔法使いを睨んだ。

「ならマスターだ、とにかくマスターのとこつれていけばなんとか出来んじゃねぇのか?」
「そうですねぇ、確かにあの男ならぁ魔法が効かないですからシーグル様を見張る役としてはこれ以上なく適任でしょうねぇ……四六時中あの男が見張っているという前提ならぁ、暫くの間は一見普通に今まで通りの生活を送れる……とは思います、が……」
「そんなのマスターは言えば喜んでやるだろ、それでレイリースを救えるならさ」

 だが、エルの望みを断ち切るように、キールは首を振ってきっぱりと否定した。

「いいぃえ。『暫くは』『一見』と言ったじゃないですか。いいですかぁ、そもそも別の人間の意志が頭の中に同居すれば、元の人間がいつまでも正気を保っていられるものじゃありません。例えばですねぇ、人間は眠らずにはいられない、そして現状ではシーグル様の意識が眠ればサテラという魔法使いがシーグル様の体を乗っ取る事が出来る訳です。その時の行動自体はぁセイネリア・クロッセスが押さえつけておけばいいとしても、寝なければ体が疲弊していきます。そうすれば体の持ち主として直に繋がっているシーグル様の精神も疲弊していくのですよ。ですがぁ外から入っているだけのサテラは疲弊しない、そんな状況が続けばどうなるかはわかりますかぁ?」

 エルは自分がみっともない程狼狽えている事を分っていた。キールの言葉を受けてシーグルの顔を見れば、彼は申し訳なさそうに瞳を伏せた。

「おそらく魔法ギルドへ行けば、シーグル様の疲弊を押さえる為、シーグル様を時の氷室(ひむろ)に保存しようとするでしょうが……あの男がそれを許すかどうか」
「なんだよその時の氷室ってのは」
「時間が止まった空間の事ですよ、解決方法が見つかるまでシーグル様を時の止まった空間に保存しておけば少なくともシーグル様の精神も体も疲弊するのは免れます。ただ……解決策が見つかるまで何年……いえ何十年とただ保存される可能性があるのですけどね」
「なんだよそれ、そもそもマスターがそんな事認める訳ねぇだろっ」

 エルがいくら騒いだところでどうにもならない事など分かっている。けれど何か出来る手段があるなら、少しでもどうにか出来る事があるならどうにかしたかった。状況が状況だけに自分でどうこう判別できない以上魔法使いに聞かざるえないのに、その魔法使いがろくな打開策もないくせに落ち着いているのが更にエルを苛立たせているのもある。
 だが、そんなところに見てもいなかった方向から更に落ち着いた声が掛けられたことでエルはそちらへ顔を向けた。

「ではもし、サテラを彼の体から追い出す手段があったらどうするかね?」

 普段ならどう考えても信用出来ない相手の話など聞きもしないところだが、状況が状況だけにエルは相手に向き直った。

「そんな方法があるのか?」

 そこにいたのは本来なら敵の筈の魔法使いで、エルが睨んでも相手は動揺も見せずその表情は読めなかった。

「勿論リスクは大きい。ただ、ここにこれだけの人間が揃っているなら出来ない事じゃない。勿論、君自身にも働いて貰う」
「俺は……俺が出来る事でこいつをどうにか出来るならなんだってやってやる、だがリスクってのはどういう事だ?」

 エルの答えに魔法使いリトラートは、いいだろう、と呟いて笑った。
 敵の筈なのにシーグルの現状をこちらに教えたりと、この魔法使いの意図がエルには分からない。だが、少なくとも出てきた時の口調からすれば、今シーグルの中に入っているという魔法使いとは敵対に近い立場らしいとエルは思う。それなら内容によっては信用出来ない話じゃない。それに自分が直接何か出来るというなら、エルには願ってもない事だった。
 だが魔法使いはそこでくるりとエルからシーグルに視線を移すと、なんでもない事にようにあっさりとこう言った。

「方法は単純だ、君が一度死ねばいい」



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 まぁ面子的にこれから何するかはわかります……ね。
 



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