微笑みとぬくもりを交わして




  【13】



 それでまた唇を重ねれば、今度は背に彼の腕が回されてきた。分かりやすい、彼の了承の証。参った事に、こうして彼の腕を感じると本気で体が止められなくなる。条件反射だなと自分で自分に笑ってしまうが、それがとんでもない幸福感を伴うから抗いようがない。

 愛してる。

 思わずそう声に出しそうになってセイネリアは口を閉じる。飲み込んだ言葉の代わりに彼に口づけてその体を手でまさぐる。

「う……ん」

 鼻から抜ける彼の声が僅かに耳に届く。甘くはあっても女のように甘ったるくないその声は、きっと冷静に聞けば少し苦しそうにさえ聞こえるのだろう。けれども自分にとってはどんな女の誘う声より甘く聞こえて、それで理性が働かなくなるのだから可笑しい話だとセイネリアは我ながら思う。
 身体よりも心が満たされる……そんな肉体でのつながり方があるなんて考えた事がなかった。それがどれほど幸せな事かなど知らなかった。そしてそれを失う事がどれほど怖いかなど想像さえ出来なかった。
 人を愛して愛される喜びと失う恐さを知って、今やっと自分は人間になれたのだと実感出来る。

「ふ……はぁっ」

 貪りたいだけ彼の唇を貪れば、唇を合わせ直す度に彼は大きく息を吸う。白い彼の貌が僅かに赤く染まって、青い澄んだ瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「苦しいのか?」

 だから笑ってそう聞いてしまえば、半分閉じられていた瞳が急に開かれてこちらを睨んでくる。

「ば……苦しいに決まってるっ、お前のキスはしつこすぎるんだ」

 セイネリアは自然と笑い声を上げてしまって、彼の額に触れるだけのキスを落した。

「本気で苦しかったら止めろ、頭を殴っても髪をひっぱってでもな」
「……そんな余裕があるか」

 小さい声で呟くように言って睨んでくる彼の瞳が愛しくて、ただそれで怒ったのか彼はそっぽを向いてしまって、それが少々セイネリア的にはつまらなかった。だから横を向いた所為で目の前にある彼のその耳朶にしゃぶりついて、わざと水音を鳴らしながら耳の中に息を吹きかけてやる。

「やめっ……お前なぁっ」

 くすぐったいのか肩を上げて逃げようとする彼の耳に尚も吸い付けば、さすがに怒った彼の足が上がって膝でこちらを蹴りつけてくる。セイネリアとしてはそれを避ける事も出来たがあえて腹で受けてやって、蹴られた直後、腹を抱えて彼の上に倒れ込んだ。

「セイネリア?」

 それで怒っていた彼の声が心配そうに変わるのだから、全く彼は優し過ぎる、とセイネリアは笑う。笑ったまま顔を彼の肩の上に埋めて、彼の匂いを鼻一杯に吸い込む。そうすれば理由もなく益々笑えてしまって、セイネリアはとうとう喉を鳴らして笑ってしまった。ついでに彼の首筋や耳に何度か吸い付いてやれば、またシーグルが声を上げて暴れ出した。

「何を笑ってるんだお前はっ、騙したなっ、やめろ……くすぐった、い」

 そんな声を聞いたらもう声が押さえられなくて、今度は口を開けて思い切り笑い声が出てしまう。

「だから笑うなっ、気味が悪いぞっ」

 彼は怒っている。怒っているがそれは本気であって本気じゃない。

「お前は……俺が不死身だと分かってるだろ」

 なのに彼が一瞬心配した事がおかしくて、だが嬉しくて――それを幸せだと感じてしまったから笑えて仕方なかった。シーグルは言われると不機嫌そうに顔を顰めたが、それでもあの強い瞳でじっとこちらを見つめて言ってくるのだ。

「だが痛みは感じるんだろ、なら少しは心配……する」

 彼が自分を気にしてくれるというのが嬉しくて、胸が温かく……熱くなっていく。セイネリアは一度上げていた顔をまたシーグルの肩に埋めた。

「体の痛みなど何でもないさ、例え腹を裂かれようと、胸を潰されようと、死ぬだけの痛みでも――お前が死んだと思った時の心の痛みに比べれば何でもない」

 呟くように言えば、シーグルは黙る。
 かつて師であった森の番人の男はよく自分にそう言っていた。その言葉の意味は今ならよくわかる。理解し、同意出来る。心を満たし、溢れるこの感情の為なら身体的な痛みなどいくらでも耐えられる、それを失う痛みに比べればまったく怖くなどない。

――あぁだめだな、抑えないと。

 感情が昂ぶりすぎている、このまま彼を抱いたら理性がまともに働くか自信がない。そう、考えてセイネリアは一度体を離そうとした。だが、それより先にシーグルの腕が伸びてこちらを抱きしめてくる。しっかりとした彼の腕が背を抱いてくる。

「安心しろ、簡単に俺は死なない。ちゃんと自分の身を守る事を優先する。お前が暴走したら殺してでも止める、今度はちゃんと約束する」

 子供に言い聞かせるような優しい声で、あやすように背中をぽんぽんと叩かれてしまえばセイネリアはまた別の意味で笑えてしまって体の力を抜いた。その体勢のまま目を閉じて、彼の気配と匂いを感じて、その体温を体全体で感じる。そうしている事が酷く幸せで、ずっとこうしていたいと願う程に心地よかった。

 そこで、ふいに耳元から子守唄が聞こえてくる。

 セイネリアは目を開いた。
 それは子供の頃、母親がよく歌ってくれた子守歌と同じ歌で、セイネリアはゆっくりと少しだけ上体を持ち上げてシーグルの顔を見た。見おろすと少し恥ずかしそうに彼は口を閉じてしまって歌はそこで途絶えてしまったが、その歌を歌っているのが間違いなく彼だと分ってセイネリアは笑う。

「……お前が歌っていたのか」

 呟くように聞けば、彼の顔が少しだけ赤く染まる。

「お前があんまりにもガキみたいな行動をするから思わず、だ」
「あぁそうだな、ガキ……ガキか、確かにお前の前だと俺はガキかもしれん」

 それがおかしくて、セイネリアはまた喉を揺らして笑ってしまう。
 幸せすぎて、心が一つの言葉で一杯になる。
 愛してる――声に出せないから心の中だけで呟いて、笑ったついでに彼の両頬にキスを落す。

「……確かに、恐い、なんて言うくらいだからな、ガキに違いない」
「自分で言うな、セイネリア・クロッセスの名が泣くぞ」
「構わん、今更だ。お前に対してならどこまでもポンコツになると言ったろ」
「開き直ったな」
「あぁ、お前に虚勢を張って隠しても仕方ない」

 そうして再び唇を合わせれば、背中にある彼の腕は更に自分を抱きよせてくれて、セイネリアはまた飽きる事なく彼の唇とその口腔内の感触を貪った。



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 次回はH。
 



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