微笑みとぬくもりを交わして




  【11】



 アルスオード・シルバスピナの処刑された日。最初は国中のリパ神殿の鐘が鳴らされ、自然と中央広場に集まった人々が花を置くだけだったそれは、今では国中から大勢の人間が集まる首都の行事の一つになってしまっていた。とはいえ、国としては正式にアルスオード・シルバスピナを弔うのはその後にある鎮魂祭ということになっていて、そちらはリオロッツを倒したあの戦いでの戦死者を弔う祭りでもあるため華美さとは無縁でも盛大に行われる事になっていた。
 そういう前提がある為、公式の国の行事ではないこの日の広場に王家の人間が姿を現す事はない。その代わり城は今日一日、まるで喪に服すように正面門を閉ざして客人の出入りを禁止し、王家に関わる者達は静かに城に篭る日となっていた。最初はロージェンティが鐘の音を聞きたくなくて窓を閉めさせた事から始まったそれは、去年からは正式にこの日の城の過ごし方として決定された。
 だからセイネリアも今日は緊急の用件がない限りは城へ行かなくてもいい事になっていた。とはいえ、シーグルの提案で出掛ける仕事がない分書類の処理を徹底的にやる事になって、結局暇などという言葉とはまったく無縁の状態になってしまったのだが。
 カリンやエルもそれに合わせて事務仕事に追われていた所為で、夕食はどうするべきかと、警備兵の一人が恐らく誰かに頼まれたのだろう緊張しながら恐る恐る聞いて来た時にやっと夜になった事に気付いたくらいだった。

「そんな時間か、ならメシにするか」

 セイネリアがそう言えば、エルとカリンは当然のように部屋から出て行こうとする。シーグルがそれを引き留めようとはしていたが、彼らがさっさと出ていってしまえば諦めて、いつもと同じにセッティングされた彼の席に座った。

 夕飯の場合は、シーグルにも少しづつより分けた料理皿が追加される。セイネリアの前に置かれた料理皿と比べれば量は5分の1程だが、それでも最近品数だけはセイネリアとほぼ同じくらい置かれていた。勿論、シーグルが皿を空にすれば、すかさずもう少し食べないかと聞いてみる事もセイネリアは忘れない。

 その所為か、この頃は食べ終わって机の上が片されると、シーグルがなんだか恨むように睨み付けてくるのがいつもの事になってしまった。

「どうかしたのか?」

 理由は分かっているが聞いてしまうのは、それに答えるシーグルの困ったような後悔したような、それでいてこちらを責めるような拗ねた顔が見たいからだ。

「……食べ過ぎた」

 だからセイネリアは彼に嫌味のように笑って言ってやる。

「それは良かった」
「よくない、苦しい。お前があれこれ食ってみろと勧めてくるからだぞ」
「お前の場合、食えたのなら手放しでめでたい事だろ? 別に食いたくなかったのなら断ればいいじゃないか」

 そういえばぐっと言葉に詰まる彼のその顔が見れたのが楽しくて、セイネリアもまた笑ってしまう。だが立ち上がって彼をどう構ってやろうと考えたセイネリアは、自分も今日は少しばかり食べ過ぎたかと自覚した。
 考えれば、今日の午後はまったく動いていなかったから、いつもと同じ量を食べれば多すぎにはなるか――そう思ったセイネリアは、だから不機嫌そうなシーグルに聞いてみる事にした。

「ならシーグル、風呂の用意が出来るまで少し腹ごなしに屋上にいかないか。軽く一勝負付き合え」

 言って壁に掛けておいた剣を取れば、不機嫌だったシーグルの顔が途端喜色を浮かべる。
 だからセイネリアも笑って、彼の剣も壁からおろすと投げてやった。









 屋上に付く見張りの者は基本的に傭兵団時代の情報屋所属の者ばかりな為、シーグルもセイネリアも素顔でいる事が出来る。とはいえ、実践的に考えれば完全装備でやる事に意味もあるし、そもそもセイネリアとシーグルが屋上で勝負するのは大抵時間がない時だからすぐに戻れる恰好という事で素顔でやる事は実はあまりなかった。
 ただその日は、その後にはもう仕事がないという事もあって流石に甲冑は着たままだが二人共顔を晒して、長く居れば冷えてしまう夜風に当たりながら剣を交わす事になった。
 セイネリアが自分を抑える事を止めてから殆ど彼と離れる時間がないといえるようになった事で、こうして合間の一勝負程度として彼とは割合頻繁に剣を合せるようになった。
 ただ、暗示魔法の後遺症で苦しんだ時にまた相当に体力を落としてしまったシーグルは未だに彼自身が納得できるところまで体が戻っていないらしく、こちらに勝てない以前に思う通りに動かない体に舌うちをする事が多かった。
 元から細いシーグルの場合、筋力や体力をつけるのは相当の努力が必要なのに対して放置すれば落ちるのは早いらしい。だから彼はどれだけ忙しい時でもかならず最低限の鍛錬をしようとして、そうなればこれだけ共にいるセイネリアがそれに付きあうのは必然となる。最近は彼が言いだす前に、こちらから声を掛ける事も多かった。

「待たせると悪いからな、一本だ……その代わり全力でこい」
「分った」

 その返事の声から既に彼の集中が始まっているのが分る。
 意識を剣と身体の感覚だけに向けて、真っ直ぐ彼の瞳がこちらを睨んでくる。暗い夜の中では黒にさえ見える濃い青色は、光を受けた部分だけ青く光って浮かび上がる。
 ここまで自分を正面から見据えられる彼の瞳の強さが愛しくて、それをいつまでも見ていたくて、見惚れかけて構えるのを忘れそうになるのもいつもの事だ。
 だが、彼が動くのを見れば体が思うより先にその剣を受けるのもいつもの事だった。

 どこまでが自分で身に付けた技能で、どこからが剣の中の騎士のものなのか。既に感覚がほぼ一体化してしまった為、それを判別する事はセイネリアには出来なかった。相手の剣がくれば即座にそれが何処へくるか分かる。相手の足の踏み込む場所、力の入れ加減、それまでの体勢でどう対処すればいいのか頭で理解するより先に体が反応している。
 だから何の予想違いもなく手に返ってくる手ごたえはただつまらないものでしかなく、剣を受ける内に相手の剣から諦めが伝わってくれば剣を合せている事さえ苦痛に感じる事がある。黒の剣の主になってからセイネリアにとっての勝負などそれだけしかなく、死ねさえしない体では命のやり取りも意味のないものになった。
 だが、それでもシーグルの剣を受けるのはセイネリアにとって楽しい事だった。
 確かに彼であっても自分にとって予想外だと言える程の事はまずないが、それでもその剣には最後まで気持ちが入っている。一振り一振りにこちらを押しきろう、届かせてやろうという気迫が篭っていて、予想外はなくとも想定以上に剣が伸びてくることはある、予想よりも速いと驚く事がある。少なくとも確実に前より強くなっているというそれが分るのは剣を受けていて何より楽しかった。
 彼は諦めない。
 本気でいつか自分に届くと信じて気力を切らない。
 そうして諦めない限り……いつかその剣が本当に自分に届くかもしれないと、セイネリアでさえ信じたくなる。

 きっと、そうして諦めず向かってくる彼を見ていたいと思った時には自分は彼を愛していた。
 何度も負かして、揶揄って、それでも向かってくるその姿に心が熱を覚えた時には彼を愛していた。その強い姿をたまらなく愛しいと感じていた。

 彼を壊す事を恐れて一度彼と距離を置いた後は、彼と直接剣を合せる事もなくなっていた。それでも多分、もしこうして正面から彼の剣を受けていればもう少し早く気付けたかもしれない、とセイネリアは思う。

 彼の瞳と同じ、真っ直ぐな剣がセイネリアの剣を躱(かわ)して伸びてくる。
 ぶれもしない、迷いもない、ただ真っ直ぐにこちらを狙う剣を愛し気に見つめて、だがセイネリアは一歩踏み込むと同時にそれを紙一重で避け、鎧の上から彼の体を蹴った。
 辺りに響く金属の音が勝敗を知らせる。
 鎧が床を叩く音と、それから僅かに聞こえる彼の悔しそうな声にセイネリアは苦笑して、転がる彼に手を伸ばした。

「大分戻ったじゃないか」
「いや……まだ踏み込みが甘い」

 負けた後の彼はいつも悔しそうで、憮然としながら立ち上がったその顔をついだきよせてしまいたくなって困る。ただ今この状態でベタベタすると彼が本気で怒り出す事を知っている為、セイネリアもこの時ばかりは抑えるようにしていた。

「やはり足が戻り難いか。怪我の後遺症もあるんじゃないか?」
「もう大丈夫だとは思うんだが」
「術で治したのならともかく、アウグで治した時は時間が掛かっているからな、一度じっくりエルに見て貰え。言えば喜んでやるだろ」
「それは……まぁ。だが多少怪我の影響があったとしてもその分周囲に筋力を付ければいいだけだ。結局は俺の怠惰だな」

 それで彼は一度息を付くと、張り詰めさせていた気を緩める。
 彼の表情が変わったのを見て、セイネリアも笑みを浮かべて彼の汗で張り付いた額の髪を散らしてやった。

「怠惰とは違うだろ、仕事をこなしている段階で鍛えてる暇がないだけなんだからな」
「まぁな、だが体にとっては怠惰は怠惰だ」
「お前は真面目過ぎる、俺としては暇さえあれば鍛錬するお前のクセはもう少し抑えてもらいたいんだが」
「ならせめて事務仕事は減らしてくれ」
「……まぁ、考えておく。でないと俺も溜り過ぎる」

 そうすれば彼はかっと顔を赤くしてこちらを睨んでくる。

「俺は出来るだけ付き合ってるだろ、まだ不満なのかお前はっ」

 怒る彼の顔もやはり愛しいから、払った前髪の分現れた彼の額にキスをして、それに彼が気を取られている内に足に腕を入れて抱き上げる。自分で歩ける、といういつも通りの文句は綺麗に聞き流して、セイネリアはシーグルを抱きあげたまま屋上を後にした。

 二人が去った途端屋上にいた見張りの者は顔を見合わせて、それからシーグルに向けて、がんばれよ、と笑いながら呟くのもまたいつもの事だった。



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 セイネリアの溺愛ぶりをお楽しみください(==
 



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