愚かさと間違いの代わりに




  【7】



 外が薄暗くなってからシーグルが目を覚ませば、ベッドから遠いランプ台には暗めに火が灯っていて部屋が暗闇にならないように配慮してくれたのだとすぐ理解する。ベッド傍の椅子にはホーリーが座っていて、彼女はシーグルが起き上がるのを見るとすぐに立って近づいてきた。

「すまない、俺が寝ている間ずっとそこにいてくれたん……だろうか?」

 聞けば彼女はにこりと笑って、ベッドの脇にある水さしからグラスに水を入れると差し出してきた。

「ありがとう……その、あのランプを付けてくれたのも貴女……だろうか」

 やはり彼女はまたにこりと笑って頷くと、水を持っているシーグルに今度は薬の入った瓶を差し出した。

「栄養剤、だろうか?」

 彼女は笑うと同時にこくりと頷く。つまり水も薬を飲めという事で渡してくれたのだろう。シーグルは少し考えた後、その小さな小瓶の中身を全て口に入れると思い切って水で流し込んだ。
 苦い薬は軽く咳き込む程だったが、これだけ強烈な味がしていたくらいの方が今は飲みやすかった。ぼやけた味だとあの時銜えた男達の吐き出した精液を思い出して吐き気がしてしまうのだ。

「本当に迷惑を掛けてしまった。お蔭で眠れて助かった」

 それにも彼女はにこりと笑ってくれて、シーグルは今度は軽く背伸びをしてベッドから降りた。それをすかさずホーリーに止められそうになって、シーグルは少し困ったように頭を掻くことになる。

「いや……その、さすがに何時までも寝ている訳にはいかない、だろう、し」

 言っても彼女は睨み付けて来て顔を左右に振る。正直にいうと薬の効果が切れたしく、身体は寝る前以上に怠くて睡眠を欲してはいてもここから眠れる気がしない。だから参ったという感想しか湧かないのだが、シーグルの性格上無理矢理彼女を押し退ける事など出来る訳もなかった。
 さてどうしようと考えたシーグルだったが、部屋に大きなノックの音が響いた事ですかさず彼女の脇をするりと抜けた。

「多分ドクターだろう、アウドを連れてきたのかもしれない。俺が出るから大丈夫だ」

 そう言ってドアに向かったシーグルだったが、聞こえてきた声に足が止まる。

「シーグル、俺だ」

 それは紛れもなくセイネリアの声で、シーグルは驚きのあまり咄嗟に何も言えなくて黙ってしまった。
 そうすれば今度はドアノブがガチリと鳴って、再びセイネリアの声が聞こえてくる。

「ドアの前にいるんだろ、開けろ」

 セイネリアの声に抑揚はないが、怒っているのは分かる。だからシーグルは胸を手で押さえて出来るだけ声を落ち着かせてから答えた。

「だめだ……今は、お前の顔を見たくない」
「命令だ、開けろ」

 セイネリアの声がいつも以上に低い。

「嫌だ、どうしても」
「今回はこちらもどうしても、だ。……開けろ、シーグル」
「嫌だ」

 そうすれば彼は一度ドアから手を離して何も言ってこなくなる。
 諦めてくれたのかと思いながらもじっとドアを凝視して外の気配を伺っていたシーグルは、次にドン、とすごい音がしてドアが跳ね上がったのを見て後ろに一歩引いた。そうすればもう一度ドン、という音と共に木製のドアが膨れ上がるように跳ねてしなり、耐えられずにどこかがバキリと鳴ってドアが傾きながら開いた。
 当然だが開いたそこにはセイネリアの姿があって、ドア前にいたシーグルは彼と目が合う。呆然と彼を見あげる事しか出来ないシーグルを確認すると、彼は部屋の中に入って来た。

「なんだその顔は、何があった」

 それでやっと我に返ったシーグルは、逆にその彼を睨み付けた。

「お前には関係ない、いつものように食えないだけだ」

 セイネリアの顔は仮面に隠れて見えはしなかったが、その琥珀の瞳だけは怒りを映してシーグルを睨み付けていた。

「いつも通りの食えない程度でそこまでになるかっ、前に顔を見た時からたった4日だぞ、何をしたらそうなるんだ」
「何もしてないさ、これくらいなら今までにもあった」
「なら原因を言え、ここに居てお前がそんな事になるのは許さん」
「許さない? 何をだ、お前は俺を見ていなかったクセに」

 シーグルは部屋の奥に逃げようとする、だがその前にセイネリアが腕を掴む。

「離せっ」
「だめだ……」

 シーグルが彼の顔を睨むと、仮面から見える琥珀の瞳に先ほどまであった怒りは消えていた。

「だめだ、お前は……そんなお前を俺に放っておけと言うのか?」

 怒りの代わりに不安を瞳に映して、セイネリアは辛そうにシーグルを見ていた。
 その様子を見ていたら、シーグルは自分の方が怒りがこみ上げてくるのが分かった。

「今更っ、お前に心配なんかされたくないっ、勝手に絶望して、何も見えなくなって俺さえ見えなくなったお前なんかに今更言う事なんかあるものかっ」

 シーグルは怒っていた、目の前のこの男の傷ついたという瞳に怒りが湧いて仕方がなかった。けれども怒れば怒るだけ悲しくもなって、何故か目が熱くなって涙がこみ上がってくる。

「そうだ……なにが大切だ、何が俺を失うのが怖いだ……結局お前は自分しか見えていないんだ。なんでも自分の中で帰結して、勝手に結論を出して勝手に絶望して俺の声を聞こうともしない、俺を見ようともしない、それでただ共にいてくれなんて……俺はお前の孤独を慰めるだけの人形じゃない、ただ守られていたいんじゃない……俺の事を見ていないから俺の事が分からない、そんな奴に何もいう事なんか……ない」

 瞳からとうとう涙が落ちてくる。それは悲しいから……いや違う、悔しいからだとシーグルは思う。

「自分の絶望に一杯一杯になって、俺の事も見ないで……俺がどんな想いでいたのかも知らないで今更……お前になんか助けて貰いたくない、貴様なんかいらな……っい、お前の望み通り憎んでやっ……る、くそ……」

 口から嗚咽が漏れてしまえばもうそれ以上は言葉にできなくなる。
 腕は掴まれて逃げられないものの、彼の顔から顔を背けて、シーグルは歯を食いしばった。
 そうすれば腕が引かれて、シーグルはセイネリアに体毎引き寄せられる。そのまま抱きしめられれば、緊張に強張っていた体は彼に身を委ねたがって力が入らなくなる。そんな自分の体の反応が悔しくて、シーグルは歯を噛みしめたまま嗚咽を漏らした。

「はな……せ、離せ……離せ、お前なんか」

 このまま彼に抱かれていればきっと彼に縋ってしまう、それが分っているからこそシーグルは彼の腕から逃れようと体を捩って暴れようとした。だが、弱った体では力が入らず、逃げるどころかその体を押し退けて隙間を作る事さえ出来なかった。ぴったりと体が密着してしまえば彼の匂いとその体温が更にしっかりと感じられる。それが嬉しくて、そう思う事が悔しかった。
 シーグルが暴れるのを諦めて動かなくなれば、抱きしめているセイネリアの頭がこちらに覆いかぶさるように頭の横に下りてくる。

「あぁ……そうだ俺が悪い、確かに俺は恐れるあまりお前を見ていなかった、すまない」

 耳元で彼の声を聞けば益々体は彼に縋りたがる。今自分が抱える恐怖と狂気を彼なら救ってくれると体は期待する。
 けれど、そこで彼にそのまま縋る事はシーグル自身が許せなかった。だから出来る限りの抵抗をする。例え無駄だと分かっていても、精一杯彼から離れようとする。
 そんなシーグルを益々強く抱きしめて、セイネリアが顔をすりつけてきながら更に言ってくる。

「俺が悪い、いくらでも謝る、お前の気が済むまで。……だから、お前を助ける為に俺が出来る事を言ってくれ」

 強く抱きしめられればその体温と気配に身体が悦びを感じる。確かに彼だと、彼の腕の中なのだと思えば体に安堵が広がる。全てを委ねて、彼に縋ってしまいたいと心の弱い部分が言ってくる。

 本当は、ずっと彼を呼んでいた。
 一人で眠れないベッドの中で、周りすべてから敵意を感じて、責められて、自分さえいなければと頭に声が響いていた時、ずっと彼に縋りたかった。そうすればきっと楽になれると本当は分かっていた。
 だけれど、それは傷ついて絶望している彼には言えなくて。
 だけれど、そんな子供の頃のままの弱い自分を彼に見せたくなくて。
 だけれど、本当はずっと心で叫んでいた、助けてくれ、セイネリアと。

「お前は……いつも勝手でっ、いつもお前しか選べないようにしてから俺に選べという……それなのにっ、理由も話さず勝手に不安になって……やっと全部話したかと思えば一方的に話して終わりでっ……いつもいつも自分勝手で、自分しか見えてないっ……今の俺にはお前しかいないのに、俺を信じもしないっ……お前なんか……」
「あぁ、すまない……すまない、シーグル。だから、頼むからお前がしてほしい事を言ってくれ」

 セイネリアの腕が自分の身体を抱き締める、頭に掛かる手が髪の毛を撫ぜてくる。目からは涙が止まらなくて、押し付けられた彼の胸の服を温かく濡らしていく。シーグルはとうとう縋るように彼の服をきつく握って、自ら顔を彼の胸に擦りつけた。

「……今は……このまま……こうして、てくれ……」

 やっとそれだけを呟くと、シーグルは彼の腕に身を委ねて意識を沈ませた。



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 このセイネリアさん思いっきり狼狽えてます。
 



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