愚かさと間違いの代わりに




  【4】



 空は僅かに裾に赤を纏い、雲が灰色になり始める。
 時間は夕方、今朝シーグルが先に帰った後、セイネリアもロージェンティに挨拶をしてすぐ、昼前には将軍府へと帰って来ていた。もとから今日は早く帰るつもりだった為、別に予定が狂った訳ではない。なにせ今日はセイネリアの元へ、夕方から客人が来る事になっていたのだから。

「よう、ポンコツ」
「……言うじゃないか」

 入ってきた途端に機嫌よく、わざわざクリュース語でそう嫌味を言われて、セイネリアは口元を皮肉気に歪めた。

「ポンコツだろ、今の貴様は。最初に会った時からすれば覇気も圧力もないに等しい。あの時のふらふらだった貴様の方が偉そうな仮面などつけてる今の何百倍も凄みがあったぞ」

 どうやら嫌味を言うために最初の言葉だけわざわざクリュース語を覚えてきたらしい男は、以降は流石に連れている部下の通訳を通してになる。アウグの貴族にして自称アウグ最強の男、レザ男爵はやけに機嫌よく客人用のソファに座るとセイネリアを正面から見て笑ってみせた。

 彼が今回ここへ来たのは一応お忍び扱いで、セニエティにきたついでにただ友人として寄っただけという事になっていた。正式な訪問になると城での歓迎会食やら挨拶回りやらをしなくてはならなくなるからそういう事になっただけで、勿論ロージェンティに連絡だけはいっている。
 国交が始まり、アウグ人も冒険者になる事が可能となった今、真っ先に冒険者になって部下を引き連れてクリュースにやってきたレザ男爵がこの街に来たのは、早い話、仕事を受けるためであった。依頼人とのやりとりの為に一泊だけ部下共々泊めろとセイネリアのもとにきた、という訳である。

「なら俺に勝てるとでも?」

 やたらとにやにやしている男にセイネリアが試しにそう聞いてみても、彼の笑みは変わらなかった。

「まぁ実際戦ったら勝てないのだろうな。だがそれでも今のポンコツのお前は怖くないんだよ。なんていうかな……中身がない」

 それにセイネリアは表情を変えないまま、背もたれに体重を預けると足を組んだ。そうすればレザはソファの上で胡坐をかいて腕を組んでみせる。勿論顔はにやにやと楽しそうなまま上機嫌でこちらを見てくる。

「やけに楽しそうだな」

 だからセイネリアがそう言えば、レザは嫌味な程にかりと歯を見せて笑った。

「おう、貴様がポンコツになってあいつに愛想を尽かれるのは大歓迎だ。俺にはいいことしかないからな」
「残念だが、それでもあいつが貴様を選ぶ事はない」
「そんな自信があるなら会わせてもいいだろう、男の嫉妬は醜いぞ」

 明らかに煽った口調だが、セイネリアにはそれに乗る気はなかった。

「別に嫉妬という訳じゃない、あいつはある事件に巻き込まれたばかりで体調が戻っていないだけだ。その状況でお前のようにやかましい男に会わせられない」

 実際、今日の城行きでシーグルに問題がなさそうなら彼に会う気があるか聞くつもりであった為、その言葉は嘘という訳ではなかった。だがレザの方は邪推したらしく、にやにやと微妙な笑みを浮かべたままだ。

「……まぁ、そういう事にしておいてもいいがな。聞けば今朝はお前と出掛けたそうじゃないか、絶対安静で動けないというのじゃなきゃ挨拶くらいは構わんだろ。いくら俺だって病人相手に吼えたりはしない」
「だめだ」
「……あれだな、本当は貴様既にあいつに愛想尽かされてお前自体が会いたくないとか言われてるんじゃないか?」

 彼の希望的な予想としていっただろう言葉だろうが、遠くもないところが面白いところだと他人事にようにセイネリアは思う。ただそれを彼に言ってやる気などある筈がない。

「煽っても無駄だ、それにどういう状況だろうが、貴様が何を言おうが、あいつが貴様を選ばないのは変わらない」

 セイネリアがそう言えば、レザは笑顔のままで目だけでこちらを睨んで来た。

「さぁどうだろうな、今の貴様の傍にいるより俺の傍の方がずっとあいつを幸せにしてやれる」
「随分、断定的に言う」

 セイネリアはそこで初めて軽く笑った。だがアウグの勇者とも呼ばれた男も笑みを少しも崩さない。

「いいか、いくら見た目は綺麗で細っこくて……壊さないように大事に仕舞いたくなったとしてもだ、あれは深窓の姫君じゃない、あの性格は真っ直ぐすぎるくらいに根っからの戦士だ。許せないものは意地でも突っぱねて、自分の決めた道を全力で進み、己の力で目標を勝ち取る。そういうのに生きる喜びを感じるタイプだろ」
「それを俺が知らないとでも?」
「なら分かるだろ、そういう辛気臭い臭いをぷんぷんさせた今の貴様をあいつがどう思うかも」

 それにまたにかりと満面の笑顔で返されれば、セイネリアも僅かに眉を寄せた。
 もしシーグルが自分をどれだけ嫌って憎んだとしても、彼は自分から離れる事はない、とセイネリアは断言出来る。愛する家族の為に誓いを立てた今、彼が自分を裏切る事はその性格的にあり得ない、それだけは確定している。だからこそセイネリアは嫌われても憎まれても構わないと思えるのだ。例え二度と彼に触れられなくても……共に生きてくれるのならその程度の苦しみは耐えられる。……その筈だった。

「ったく、さっさと愛想尽かされてあいつに捨てられろ、ポンコツめ。そうしたら堂々と俺が貰っていってやる」

 だからその言葉に特別何かを感じる事もない。気楽な男だとその程度で、勝手に言っていればいいと思うくらいだ。ただ、レザの根拠のない自信が何処からくるのだと考えれば少し興味も湧いて、セイネリアは試しにこの男に聞いてみる事にした。

「それでも貴様にあいつが付いていく事はない。……だがそれでもし、あいつが俺を見限ったとしたらお前はどう言ってあいつを連れていく気だ?」

 それは本当にただの興味が向いた程度の疑問だった。はっきり拒絶され、無理に抱いて吐かれる程嫌がられたくせに、それでも自信満々にそんな事を言える男に対して湧いた疑問程度の質問だった。

「そんなの当然、俺と冒険にいくぞ、だ」

 聞いた途端、思わずセイネリアは無表情を張り付けていたその顔を一瞬崩した。琥珀の瞳を我知らず軽く見開いたくらい、その言葉は少なからずセイネリアを驚かせた。完全に予想していなかった男のその答えは、セイネリアの思考の中に波紋を投げかけた。
 レザ男爵は得意げに腕を組んだままふんぞり返る。

「そもそも貴様はなんの為に俺がクリュースに来たと思ってる。そりゃ冒険者となったのは我が国の兵士達の為に率先して見本を示す為でもあるがな、冒険だぞ、冒険っ。見知らぬ土地をこの腕一つに頼って冒険するなど考えるだけで血が騒ぐだろ、仕事として全力で冒険出来るなんて最高じゃないか。あいつもあぁ見えてそういうのにわくわくするタイプだと思うがな」

 冒険……といって思い出すのは、かつて友人のふりをして彼と共に冒険者として仕事をしていた時の事だった。自分に対して憎まれ口ばかり叩いていた彼だが、新しいモノを見て知った時の彼はいつも心から楽しそうで、生き生きとしていて……だから、あの時の自分でさえ、そんな彼を壊すのを勿体ないと思ったのだ。

「冒険か……成程な」

 自嘲と共に呟けば、レザ男爵は更に得意げに胡坐をかいたままの腿の上に両手を置いて身を乗り出しぎみにして言ってくる。

「お前のように無気力な上に頭でっかちになった奴はな、根本の単純な部分が分ってないんだ。相手を口説く時はな、最初に気持ちを伝えて押して押して……それでもだめなら相手にとってどれだけ魅力的な誘いを重ねるかだろ。お前はあいつが何が好きで何をしたがってるか考えた事があるか?」

 得意げに言うレザに言いたいだけ言わせたものの、セイネリアは無機質な声で、だが口元だけを歪めて言う。

「残念だが、それでもあいつはお前と行こうとはしないだろうよ」
「……本当にお前はむかつく男だな」

 そこで顔を顰めたレザを見て口元の笑みを深くしたものの、セイネリアは頭の中で言葉を続けた。
 たしかにシーグルはレザと行くとは言わないだろう。だが、心は惹かれる、縛るものがなければその誘いに乗りたいと願う程には、それはシーグルにとって魅力的な誘いに聞こえるだろう。きっと彼は、レザの誘いに楽しそうだと感じるだろう。
 そこまで考えたセイネリアは、唇に自嘲を込めたままレザに向き直った。

「貴様なら、何があってもあいつを見る目が変わらないと信用して教えておく……」

 レザには既にセイネリアが魔剣の主であり、その所為で不死である事は伝えてあった。だがまだシーグルの事までは教えていない、別にそれは伝える必要のない事でもあるから言う気もなかった――けれど、何故か今、セイネリアはこの男には言っておこうと思った。
 それは少なくとも……今の自分よりは、シーグルの望みをこの男の方が分っている、と思った所為かもしれない。

 セイネリアの話を聞いたレザは、それでもその豪快な笑みを消す事なく、ただ次に来た時にシーグルが元気だったら息子も会わせたいとだけ言い、セイネリアもそれには了承を返した。



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 レザさん久しぶりの登場。
 



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