運命と決断の岐路




  【15】



「あーあ、こりゃもう使いものにならないんじゃね」

 言いながら、男の一人が地面にうつ伏せに倒れたままのシーグルの頭を揺らした。けれど、その手が銀の髪を掴んで顔を上げさせるに至って、男は薄ら笑みを浮かべていたその顔をひきつらせる事になった。
 深い色の、冷たく、鋭い青の瞳が男の瞳を強く見据える。頬を土で汚し、唇の端から血を流していても尚、壮絶に美しい青年の瞳が、恐怖を一時の快楽に変えて逃げていた男の瞳を睨みつける。
 
「馬鹿者共が……何故、そんな簡単に諦める」

 その気迫に、男の体は固まって身動き一つとれなくなった。
 シーグルは髪を持っているその男の手を払って離させると、自分の腕で体を支えて自ら顔を男達に向けた。

「蛮族共が攻めて来ても必ず死ぬ訳じゃない、だがここで俺に何かあったら間違いなくお前達は処刑される。まさか魔法使いがいるのにバレないと思っている訳じゃないんだろ?」

 それには、動けないまま固まってしまった男の代わりに、最初にシーグルを犯したリーダー格の男が答えた。

「はん、どうせ死ぬなら蛮族共になぶり殺されるよりあっさり処刑されちまった方が楽さ。その前に、お高く止まった貴族様に復讐も出来たんだからな」

 けれどそれには力強く鋭い叱咤の声が返る。その声に込められた気迫は、明らかに男達を圧倒した。

「なにが復讐だっ、そんな事でお前達は残された生きる可能性を全部捨てるのかっ」

 男達は口を閉じたままなにも返せない。それどころか、大半の者はシーグルの強い瞳を見ていられなくて目を逸らし、後ろめたさに自然と体をちぢこませる。

「俺達に……まだ、生き残れる可能性なんて……」

 弱々しい声が小さく呟けば、叫んだ事で軽く咳をしながらも、シーグルがやはり強い声でそれに答えた。

「ある。援軍は来ないと決まった訳じゃない。援軍が来なくても、落ち着いて動けば魔法の守りがある我が軍の場合撤退はそう難しい事じゃない。騎士団支部のあるウロスまでいけば、戦力的にも十分対処出来るようになる。そもそも、現状は上層部が敵の戦力を見誤った事と蛮族を嘗めていた所為で起こった事だ、普通に戦力を整えれば恐れるような敵ではない」

 実際のところ、シーグルとしてもここまで断定するのははったりも込みではあった。それでも今は、まず彼らの意識を変える事が必要だった。撤退にしても交戦にしても、自軍の兵が負け犬気分では最悪の結果になることは目に見えている。

「だから、生き残りたいなら考えろ。どうすれば少しでも自分が生き残る確率が上がるか。……今お前達がやっていることは逆にその可能性を潰しているだけだ、それでは助かるものも助かる筈がない」

 男達の顔に浮かんだ動揺が明らかに大きくなる。
 だがそれと同時に、絶望だけがあった彼らの顔に僅かな希望が浮かび上がったのも見てとれた。それは不安と共にではあったのものの、多少はマトモに考える事が出来るようになっていれば十分だった。

「……たとえば、俺でウサを晴らして喜ぶのはいいが、俺が動けない状態で次にこの間のアウグの連中が来た時、誰があの時の男を止めるんだ? 俺の代わりにお前達が奴を止めてくれるのか? どうせ死ぬ気なんだ、大物と戦って死ねば後で賞賛されるかもしれないぞ」

 言った途端、見て分かる程に男達の顔から血の気が失せる。
 もし彼らが直接見ていなかったとしても、あの戦闘後、兵士たちの間ではアウグの名とその指揮官らしき男がどれほど恐ろしかったかは噂になっていた。噂に躍らされて絶望していた彼らなら、あの男の噂を知らない筈がない。
 そのシーグルの考えは当たっていたらしく、男達の青ざめた顔は更に動揺を露わにする。自分たちが考えなしにしてしまった事にどうしようかと狼狽え、リーダー格らしい男にチラチラと不安な視線を投げる。
 皆の視線を受けた男の方もその顔は蒼白で、先ほどまでの調子に乗って酔っていたような様子は欠片も残っていなかった。それでもまだ、どうにか自分の立場に気付いた男は、虚勢を張って声を張り上げた。

「けっ……ま、まぁ、命乞いにしちゃ無様だが、そこまで言うならどうにかしてもらおうじゃねぇか。確かにアンタは純粋に戦力としちゃ使えるからな」

――無様なのは貴様らだろ。

 男達に見えないように僅かにシーグルは唇を歪めたが、当の連中はもうシーグルを見る余裕もない。

「今回はこれくらいで許してやる、いいか、やっぱりどうにもならなかったら、次は許してやらねぇからな」

 それには本気で、声を上げて笑ってしまいそうだった。そうして実際シーグルは、彼らの気配が完全に消えてから笑い声を上げてしまった。

――何が次はないだ、次がないのは本来ならお前達だ。

 焦ってどうにか虚勢を張って逃げる事しか出来なかった男は、もう正確な状況判断も出来なかったのだろう。なにせここでシーグルがこの件をフスキスト卿を通して貴族院に言ったなら、彼らは問答無用で処刑されるしかない。その前にここをこっそり逃げ出すくらいの気力があるなら、そもそもあんなにあっさり生き残る事を諦めていないだろう。

 シーグルは笑う。声を張り上げて笑う。あの男達の愚かさと、自分の無様な姿と、そうして今こうしている状況の全てが笑えた。裸のまま地面に仰向けに転がったまま、動く気力さえ湧かずにただ笑いだけが混み上がってくる。

 だが、そうして笑っていれば、人の気配が近づいてくるのを感じてシーグルは笑みを収めた。その気配に少なくとも敵意を感じなかったのもあって、シーグルはその体勢のまま顔だけを相手に向けた。

 そこにいたのは、赤い髪と赤い瞳の――見覚えがあるセイネリアの部下の剣士だった。

「見ていたのか?」

 名をクリムゾンと言っていた赤い髪の男は、シーグルをただ感情のない目で見ていた。

「あぁ」

 彼は以前、シーグルが自分の身も守れないのにセイネリアのモノにならない事に苛立っていた。だからこんな姿を見ればさぞ憤慨していた事だろうとシーグルは思う。それとももしかして、彼は犯されているシーグルを見て嘲笑っていたのかもしれない。
 それでも、ここに彼がいたというならそれはセイネリアの命令なのだろう。おそらくはシーグルを助ける為に、もし殺されそうな状況にまでになったら出てくるつもりで彼は見ていたのだろう。

「奴らを、捕まえておくか?」

 感情のない声で聞いてきた赤い髪の男に、シーグルはすぐに返した。

「いや、その必要はない」
「なら後で、探して突き出すか?」
「いい、別に彼らをどうこうする気はない」
「お前をこんな目に合わせたのに?」
「今は、一兵でも戦力を減らしたくはないからな」

 そこで彼は何故か黙る。そうして、シーグルが夜空を見ながら今後を考えるだけの時間が経ってから、やっとのことでまた口を開いた。

「何故助けなかった、とは言わないのか?」

 それには、シーグルは少しだけ驚いた。
 それだけなく、彼は落ちていたマントをシーグルの上に投げてくれた。
 例えセイネリアの命で自分を守れといわれていても、彼は自分を良く思っていない。シーグルはそう思っていたから、彼なら命にまで関わる問題でなければ手を出してこなくて当然だと思っていた。

「この状況は俺自身の油断と軽率な行動が招いた結果だ、助けが必要な状況に陥った事がそもそも悪い」

 言いながら無理矢理シーグルは体を起こそうとした。だが腰に力が入った途端、下肢に走る痛みにシーグルはその場で固まった。

「無理をするな、それでマトモに動ける訳がない」
「それでも……言ったからには、動いてやるさ」

 そうして再びシーグルは起き上がろうとしたが、さすがにこれで上半身を起き上がらせる事が出来たとしても、そこから立ち上がって歩く事は無理だと判断するしかなかった。だから、まだ近くに立ったままでいる赤い髪の剣士に声を掛けた。

「頼みを聞いてもらえるなら、人を呼んで来てもらいたいんだが」

 クリムゾンはそれでこちらのすぐ傍まで歩いてくると、声をよく聞く為に屈む。

「お前の部下か?」
「いや……リパの治癒部隊の方に、クルスという金髪の準神官がいるんだ、手が空いているようなら呼んで来てもらいたい」
「分かった」

 そうしてすぐに彼は姿を消す。
 その見事な姿の消し方で、彼もまたヴィンサンロアの信徒なのかもしれないとシーグルは思った。考えれば、聞いた話では暗殺者等の裏家業の人間にはヴィンサンロア信徒が多く、彼の所作をみればそれは不思議な事ではないと思う。もしかしたら、他にセイネリアの元にいるフユやカリンもヴィンサンロア信徒かもしれない。基本的にヴィンサンロアの信徒は滅多に術を使う事はないため、そういう意味でも彼らは当てはまっている気がした。
 何も考えずにいれば痛みに気が遠くなっていきそうで、だからシーグルはとりとめもなくそんな事を考える。その所為もあってか目的の人物をクリムゾンが連れてきた時にも、シーグルは彼に気を失っているところを見せずに済んだ。




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実は見ていたクリムゾン(==。ちなみにシーグル、痛みで冷静に考えられる程頭回ってないです。なんで、理論より気迫で追い払った感じですね。



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