運命と決断の岐路




  【10】



 それから暫くの間、蛮族達がこちらに打って出てくる事はなかった。
 不気味な程静かに、ノウムネズ砦にいる筈の蛮族達は沈黙を守り、ただ日だけが過ぎていった。
 前の戦闘から6日が経った日、クリュースの陣に周辺砦からの槍騎兵隊の増援が到着し、すぐにそれぞれの隊の責任者は作戦会議に集められた。総指揮官であるフスキスト卿は万全の準備が出来た事を強調し、今度はこちらから打って出る事を主張した。元々が砦奪還の為の軍である事を考えればそれは反論する事ではなく、槍騎兵隊の再編成と調整が終わる3日後に砦への攻撃が開始される事がそこで決まった。

「シルバスピナ卿、貴方はそれでよろしいですかな?」

 何か納得できずにいたのが顔に出てしまっていたのか、フスキスト卿はわざと騎士団の地位としては下になるシーグルに向けてそう丁寧に聞いて来た。どうやら、この間の戦闘でシーグルがアウグの指揮官と戦った後、一般兵達や、バッセム卿等の自領の兵士を率いてきた貴族達がやけにシーグルの事を持ち上げている……というか、必要以上に褒め称えて騒ぐ為、フスキスト卿周辺の騎士団の者達からはよく思われていない事は感じていた。

「はい、私は作戦本部の決定に従うだけです」

 言えばフスキスト卿は、口元を明らかに皮肉げに歪める。

「そうですな。ぜひ次は、こちらの指示に従ってご自分の仕事のみをして頂きたいものです」

 それは暗に前回のシーグルの行動が命令違反である事を言っているのだが、それについてはシーグルも弁明する気はない。ただ一応、敵にアウグの部隊がいる――その指揮官の名前を確定してきたという功績に免じて命令違反の件は不問にするという事は決められていたので、あからさまに嫌味に反応する事もしなかった。

――まぁ、憎まれるのは仕方ないだろう。

 それでも、出来るだけたくさんの兵が生きて帰る事が出来る為なら構わない。出来ればそれなりの功績を上げて騎士団での発言力を上げたいとは思っていても、それは兵達の命より重視する事ではない。
 嫌味程度で済むのなら、まだ安いものだとシーグルは自分に言い聞かせた。
 





 自分の天幕に帰ってきたシーグルには、意外な人物が待っていた。
 キールがにこにこと笑ってお茶を勧めている小柄な少年兵は、シーグルの姿を見た途端、飛び上がる勢いで立ち上がって深々と頭を下げた。

「あのっ、失礼しておりますっ、いえっ、その……すいません、勝手にこんなところに」

 焦って謝る事しか出来ない『彼女』に、シーグルは軽く微笑んで返した。

「大丈夫だ、君が謝る必要なんかない。それよりも君には話を聞きたかったんだ、丁度良かった」
「そぉ〜おですよぉ、謝る必要なんかないですってぇ」

 やけに楽しそうにそういうキールを軽く睨む。なにせ彼女がこの隊にいたのを知っていて黙っていたという事は、彼はほぼ確実に共犯だろうからだ。
 ただこの場合、彼にどうこういうより彼女に聞いたほうが手っ取り早いだろうと、シーグルは彼女に座るように言って、自分も出された椅子に座った。

「さて、わざわざ来てくれたという事は、事情を話してくれる気があると思っていいのだろうか」
「はい」

 最初に会った時は本当にまだ子供にしか見えなかった少女は、その時に比べてすっかり大人っぽくなり、ぴんと背を伸ばしてシーグルの顔を見つめてくる。

「シーグル様を助ける為に、今回、マスターは団から数人をこちらに送り込んでいます」
 それはフユの言葉からも予想出来ていた事であった。実際前に、セイネリアはシーグルの仕事に二人の部下を出していたことがある。

「だが、何も君が来なくても」

 まだ若すぎる少女が戦場にいる事はやはりどうしてもシーグルには納得できない。
 そうすれば彼女はくすりと軽く笑う。短く切りそろえられた髪を揺らして笑う彼女は幼く見えて、初めて会った後、傭兵団で再び見かけた少女の姿を思い出させた。

「大丈夫です、私はクーア神官ですから、いざとなったらいつでも逃げられます。それにカリンさんにちゃんと武器の使い方も習いました。……ですから、貴方のお役に立てると思って、私は自分で志願したんです」

 確かに、転送でも千里眼の能力でもどちらかの力を持つクーア神官は、戦においていれば頼りになる存在だ。ただクーア神官は希少な為、失う事を避けてそうそうに神殿側で神官を戦に出してはくれない。彼女のようなフリーのクーア神官でもなければ、安全な作戦本部付きに数人いるのが関の山だ。

「私ともう一人はシーグル様の隊に所属させて貰う為、今は一時的に別の傭兵団に入っています。後数人、黒の剣傭兵団所属のままの者は別の隊にいます」
「もう一人?」

 聞けば彼女は頷いて、笑顔だったその表情を引き締めた。

「はい、もう一人は弓手です。……矢の先に私の力を込めた魔石をつけて飛ばして貰うと、断魔石の結界を越した先が見る事が出来るのです」
「そんな事が……」

 今回、敵に取られた砦を奪還するのに厄介なところは、もともとのノウムネズ砦に断魔石が設置されていたという事があった。遠見が出来る者が砦の外見を見て確認する事は出来ても、断魔石のせいで魔法による内部の確認が出来ない。建物や柵を通過してみる事が出来る千里眼の能力が使えないのだ。

「断魔石は砦の周囲に埋め込まれています。ですから効果範囲を超えた中に入ってしまえば、その中を見る事が出来ます」

 彼女の言葉に、我知らずシーグルの声にも興奮が混じる。

「それはすごいな、なら今、君たちはノウムネズ砦の中を見る事が出来るのか?」

 彼女は益々表情を強張らせて、ゆっくりと頷いた。それを見たシーグルは、それによって彼女が何かこちらにとって良くないモノを見てしまったのだと予想する。

「はい、さすがに昼は目立つので、夜に矢を放って中を見てみました」
「それで、状況は?」
「砦の中にはまだ続々と人が入ってきていました。どうやら敵の増援は皆夜にやってきて中に入っているらしいです。それに、砦の後方にもかなりの数の部隊がいます」
「数は分かるか?」
「さぁ、そこまでは。ですが次に戦う時はこの間の倍近くにはなると思った方がいいです」

 シーグルはそこで口を閉ざし、目を細める。
 敵の数が想定の倍となれば、騎士団上層部が立てた計画そのものの見直しが必要となる。否、問題は敵の数ではない。たとえ敵の数が倍だとしても、最初からそのつもりで計画を立てているならまだどうにかなる。問題は、楽勝だと油断しきっているこちらの体勢そのものだった。

「すぐにそれをフスキスト卿に」

 今のまま砦を攻める訳にはいかないと、シーグルは立ち上がる……だが。

「それはだめです。何故シーグル様がそんな情報を手に入れたのかと追及されます。また、立場が悪くなってしまいます」

 シーグルはそれで立ち上がり掛けた体を止める。彼女の言う言葉の意味を考えて、歯を食いしばるとまた座った。

「ですから、それはこちらに任せてください。次の戦いが始まる前に、兵士たちの間に噂として流れるように致します。向うに増援が来ている事と、断魔石の噂を流すつもりです」
「それは……たしかに有効だとは思うが……ただ、逆効果になる可能性もある」
「はい、兵士たちの不安を煽るだけになるかもしれません」
「それでも、何も知らないよりはマシ、か」

 シーグルが考え込めば、彼女ははっきり、自信のある口調で言い切った。

「マスターはそう判断しました。崩れた後、兵達が冷静さを取り戻すのには前情報があった方がいいと。後は、上が油断し過ぎないように効果がある筈だと」

 シーグルは黒い騎士の姿を頭に描いて、その顔を苦笑にゆがめた。

「そうか、あいつがそう言ったのならそうなのだろう。ならその件はそちらに任せる」
「はい」

 クーア神官の少女は、思い切り元気よく返事をした。だが、それから暫くして突然下を向いてしまう。シーグルがどうしたのかと彼女の顔を覗きこもうとすれば、彼女は少しだけ顔を上げて、そうっと見上げるようにシーグルを見た。

「ソフィア?」

 名を呼べば、少女の体はびくりと震える。
 クリュース軍の規則的に、成人していない女性は戦場には連れていけないというものがある。成人していても女性の場合は、騎士や魔法使い、神官といった正規の資格を持っているか、上級冒険者しか許されていない。だから彼女は男のふりをしている、シーグルを助ける為に……もしかしたら、髪が短いのもその為に切ったのかもしれないとシーグルは思った。

「すまない、俺の所為で君をこんなところに……」

 思わず言ってしまえば、少女はぶんぶんと激しく顔を左右に振った。

「違います。貴方の所為ではありません、私が自分でそうしたいと思ったんです。それに元々私は貴方に助けて貰いました、私が貴方に礼を言っても、貴方が私に謝る理由なんてありません。私は、貴方の役に立てる事が嬉しいからここに来たのです」

 笑顔の中、涙を流してまでそう言われれば、シーグルは困惑しつつも彼女に礼を言う事しか出来ない。

「ありがとう、ソフィア」

 そうすれば彼女は顔をはっきり上げて、シーグルの顔を正面から見つめてくる。

「……最後に、約束してください。もし、敵に囲まれたりして逃げ場がなくなった場合は、他の方を顧みずに、私に任せてくださると」

 彼女の声は震えていた。シーグルは一瞬、彼女の言いたい事が分からなくて、だがその後に理解して表情を強張らせた。

「私なら、どんなに囲まれていても一瞬で貴方を別の場所に送り届ける事ができます。私は、その為にここにいるのです」

 それに、すんなり『分かった』と返す事はシーグルには出来なかった。いざとなったら部下を捨てて、自分だけは逃がしてくれるという彼女に『頼む』とは言えなかった。

 結局、最後まで彼女の言葉に返事を返せなかったシーグルだったが、彼女が天幕を出ていった後、傍にやってきたキールが言った言葉には本音を漏らした。

「貴方の部下さん達なら、あの娘が言った言葉を聞いたら喜んで、皆揃って『よろしく頼む』と頭を下げたと思いますよ」
「だろうな」

 シーグルもそれは分かっていた。分かっていても尚、それを了承は出来なかった。

「出来れば最後までその手段は使いたくない。いざとなったらいつでも逃げられるとは思いたくないんだ」

 それにキールは心底呆れたように肩を竦めると、ため息と共にこちらに聞こえるように呟いた。

「まぁったくぅ〜それこそ立てもしないような状況にでもならない限り、貴方は大人しく転送されてなんかくれないんでしょうねぇ」

 その時、その言葉が起こり得る未来を暗示していたという事は、流石に過去を見れる魔法使いも予想をしてはいなかった。




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いわゆる最後の手段、緊急脱出用キャラとしてのソフィアさん(==;;そういう理由なので、彼女だけは出来るだけシーグルの傍にいられるようにいろいろ裏工作されてます。


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