戦いと犠牲が生むモノ




  【3】



「何故、ディグットとジャンデラから返事がないのだ」

 王の不機嫌極まりない声に、回りに立つ者達は皆首を竦める。……いや、皆というのは語弊がある、魔法使い達を除いてだ、とキールは謁見の間の高い天井を見上げて思った。
 今、王が言った二つの家の名が王の派兵依頼を無視する理由は、セイネリア・クロッセスが既に手を回しているからであるのをキールは知っている。あの男の頭のいいところは、味方になれと声を掛ける者は最小限にとどめておいて、後のどちらにつくかハッキリしない者達にはそのまま中立を続けろという文書を送っている事である。その為に、王への言い訳の作り方まで教えて――出来れば自分に被害なく、勝つ方に付きたいという者が大半の貴族達からすれば、セイネリアの言葉に従うのも当然だろう。
 決戦場所を首都からずっと南にしたのも、距離がある所為で周囲の領主達がのらりくらりと王の命令を躱しやすいからで、しかもこれだけ首都から離れれば王は怖くて一番自分の信頼できる部隊を前線には出せなくなる。なにせ首都は近くにリシェという爆弾を抱えている。元シルバスピナ領であるあの街がいつ暴動を起こすか、そしてそれにセニエティの民さえ賛同しそうな事を考えれば、とてもではないが一番使える部隊は自分の手元に置いておかずにはいられない。だから、戦場近くの領主達に派兵を依頼する事になるのだが……中立を決めている彼らは、上辺だけは臣下の礼を取るもののまったく動こうとはしない、という状態だった。

「おそれながら陛下、ディグットとジャンデラの兵はなくとも、首都の騎士団からの部隊とジャンドス砦、キーラン砦、それとコルデ家の兵だけで、寄せ集めの反乱軍相手なら十分かと存じます」

――まぁ、確かにそれで数は互角以上にはなるでしょうけど、それではマズイのでしょうねぇ。

 王と宮廷貴族達とのやりとりを聞きながら、キールは辺りを見回して、その役立たずが大半という面々のやる気のなさそうな顔を内心嘲笑う事しか出来なかった。

 王としては、兵力だけなら圧倒的でないと意味がないのだ。
 このクリュースの王としてその権威を見せつけるためにも、兵力だけは一目見て圧倒的だと思う差をつけなくてはならない。……例え圧倒していたとしても勝てないでしょうけど、とキールは思わず呟いてしまいそうになるが。
 彼らは知らない。例え敵がセイネリア・クロッセス一人だけだったとしても勝つ事は出来ない……あの男がそれだけの力を持っている事など。ここで彼らがどんな議論をしても対抗策などない事を。
 決まりきった未来に向かってただ騒ぐだけの彼らは、舞台上の喜劇役者のようだとキールは思う。シーグルを手元から失った時点で彼らは既に『詰んで』いる。それを知らず、上の視点から嘲られるだけの存在は滑稽であり、憐れでさえある。

「陛下、一つ提案がございます」

 喧々囂々(けんけんごうごう)と議論する貴族達の中で、キールはその言葉と共に一歩前に出た。

「何かあるのか?」

 それから、極自然に膝を付き、王に向かって頭を垂れながら、ただ淡々とした声で彼は告げた。

「見せかけの兵でよろしければ、私の幻術である程度はご用意出来ますが――」

 キールに課せられた第一の役目は、セイネリアが救い出すまでシーグルの生命を守る事、そしてそれが果たされた後は、出来るだけ速やかに不要となった者達を始末する為に手を回す事。
 魔法使い内の不穏分子も、リオロッツ王とその周囲の貴族達も、その役目を終えて『不要』となったと魔法ギルドは既に判断を下していた。セイネリアが王相手に反旗を翻した段階で魔法ギルドの目的は達している。
 ならば出来るだけ早く、最小限の被害で、この愚か者達には退場してもらわなくてはならないだろう。

 そう、あの、優し過ぎるかつての上司であった青年の為にも、出来るだけ犠牲を出さずこの戦いを終わらせる――それくらいしか今のキールに出来る事はない。自分を裏切り者と呼ばず信じていてくれた彼に、謝罪しても謝罪しきれないこの罪の償いにはそれくらいしか出来る事はなかった。








「うーぉぁう、おぉあう」

 まったく、不思議なものだ、とセイネリアは思っていた。
 籠の中に座り込んだ赤子の目がセイネリアをじっと見つめている。シーグルよりも少し薄い分明るい、けれどくっきりとした青色の瞳が真っ直ぐセイネリアを見上げて手をのばしてくる。たどたどしくのばした手を振って、小さく唸って、けれどこの赤子はこれだけ自分を凝視していても泣き出したりはしない。……赤子どころか子供といえば、目をあわせればまず泣く、というのがセイネリアに対しての普通の反応であるのに。
 シグネットは最初の時からセイネリアを見て泣かなかった。じっと見ていればあちこちにシーグルとの共通点を見つけられる赤子は、セイネリアをじっと見返しては何かを強請るように手を振ったり体を揺らしている。

「だっこして欲しいんだってさ」

 声に視線を向ければ、歳の割に子供じみた外見の神官が不機嫌そうに腕をくんでいた。

「なるほど。……だが悪いな、今はお前に触れるのはだめだといわれているんだ」

 声を上げながらも腕を振る赤子を見て、セイネリアは残念そうに笑ってやる。
 今、ロージェンティは貴族達との会議中で、セイネリアは席を外すように言われている。こうして、政治的な話の場はは引くという態度をとることによって、あくまで自分は軍事方面だけの担当である、という事を示しておくのは重要な意味があった。

「ロージェンティさんが触るなっていったのか?」
「あぁ、緊急時以外は、自分が見ている時だけしか触るのはだめだそうだ、聞いてないのか?」
「あぁ、聞いてないな」

 会議から追い出された後はシグネットを見ている、といえば、ロージェンティはシグネットに触るなという言葉とともに、見張り役としてこの神官を置いていった。それなのに聞いてないというのは指示する暇もなかったか、とセイネリアは思う。

「うぉうー」

 強請っても抱いてやらない所為か、不満そうな声を出して籠を揺らしながらシグネットは体を揺らす。少し拗ねたような顔はやはりシーグルに似ていて、彼もこれくらい素直に自分に強請ってくれればいいのだが、と思わず口元がほころんだ。

「シーグルに似てるだろ」
「あぁ、似ている」
「フェズが言うには、シーグルのガキん頃とそっくりだってさ」
「……だろうな」

 子供の頃のシーグルはいわゆるやんちゃな子供で、兄を引っ張って野山を走り回っていた、というのは最近シーグルから聞いた話だ。シーグルの場合はそこから強制的にそんな子供時代を終わらされてしまったが、この赤子はそのままやんちゃに育ちそうだ、と現在のこの赤子を取り巻く人間達を考えてセイネリアは思う。
 だがそこで、つい先ほどまでは笑っていた筈の神官の声が、うって変わって固い響きを纏って尋ねてくる。

「……なぁ、セイネリア……シーグルは、本当は生きてるんじゃないのか?」

 途端、部屋の中に緊張した空気が流れる。
 セイネリアは視線を赤子から変えた。じっと自分を見つめてくる神官――ウィアの顔を見て、軽く口元に笑みを浮かべたまま聞いてみる。

「どうしてそう思う」
「あんたが……みすみすシーグルが処刑されるのを黙って見ていたとは思えない」

――成程、やはり疑っていたか。

 この神官が見張りとして自分の傍にいる、と聞いて、セイネリアは予めシーグルには会議室前の警備につくように言って残してきた。自由に話せる席でシーグルを元の身内と出来るだけ会わせないようにするのはいつもの事だが、特にこの神官からの視線は妙にシーグルに向けられていて、更には自分を疑っているように思えたからだ。

「俺も万能じゃない、その時首都に行ける場所にいなかった、部下に指示は出していたがどうにも出来なかった……それだけだ」
「嘘だ」
「本当だ」

 声にも表情にも動揺など見せてはいない。そもそも動揺などしない。この手の状況で嘘を付くのも、それで平静を保ち切るのも、セイネリアにとっては慣れた事である。
 けれども神官は引かない。セイネリアを睨んだまま、更に声を荒くして言ってくる。

「嘘だね、他の事ならまだしも、あんたがシーグルの事に関してそんな致命的なミスをするなんてありえねぇ。どうにかしようとして失敗したならともかく、首都にいけなかったなんて言い訳はらしくなさすぎんぞ」
「そう言われてもな、事実は事実だ」
「嘘だっ、あんたは――……」

 そうして更に声を上げたウィアの声に、赤子の鳴き声が重なった。

「ぇあ”〜〜〜〜〜〜〜」

 そうすれば神官も焦って籠の中のシグネットを見る。

「うぇ、シグネット?! あー……ごめんごめん、お前を怒ってるんじゃなくってなぁ、ほらイイコだから〜。あーもうっ、ターネイさんもフェズもいない時に限ってな〜〜」

 赤子の脇に手を入れて持ち上げて揺らしてみるものの、シグネットは泣き止む気配を見せない。それで焦っているのを見下していたセイネリアが、上からひょいと赤子の体を持ち上げた。

「あの女には黙っていろよ、これも緊急事態だ」

 言って完全に胸に抱き上げると、赤子の泣き声はピタリと止んだ。
 ふうわりとミルクの匂いが漂って、柔らかすぎて軽すぎる体が腕の中に納まる。だがそこからシグネットは体を伸ばしてセイネリアにしがみつくと、その胸を登ろうとするかのように手を伸ばして肩の辺りを何度もたたいた。

「なんだ、もっと高いところがいいのか?」

 セイネリアが赤子を両手に持って高くに上げると、明らかに興奮した様子でシグネットは手足を動かす。小さな丸い青の瞳で辺りを不思議そうに見回して、時折口元に笑みを浮かべては腕を振り上げて声をあげる。いくら体を揺らして暴れていてもセイネリアの腕はまったく動かず、赤子は益々調子にのって回りを見回しながら体を揺らす。

「あ〜おぅ、ぅえぅっうっー」

 機嫌の良さそうな声ではしゃぐ赤子に、セイネリアも思わず笑う。先程まで思い切り顔を顰めて泣いていたのが嘘のように、赤子は楽しそうに腕の中できゃっきゃと騒いでいた。

「……なんであんたで泣き止むんだかな」

 不機嫌そうに神官が呟くのを、セイネリアはちらと見下ろした。

「お前は抱き上げながら苛ついて焦ってたからだろ、赤子というのは人の感情に敏感だ」
「あんたは平常心だったから泣き止んだってのかよ? なら赤子をあやすのは得意だっていうのか、あんたは」
「いや、普通、子供は俺を見ただけで泣くな」

 神官はそれには一度顔を顰めて、それからぷっと吹きだすように笑った。

「だよなぁ、シグネットが特別なだけか」
「あぁ、この子だけが特別なだけだ」

 言って高く上げていた赤子を、今度は胸に抱きしめてやる。
 未だ興奮している赤子はセイネリアの鎧を叩いて暴れていたが、背を撫でてやれば次第に大人しくなっていく。

「……ま、あんたが特別だって思ってるのが分かるから、シグネットも泣かないんだろうな」

 苦笑した神官はそれで黙ってしまい、セイネリアは会議が終わって廊下が騒がしくなるのを聞くまでシグネットを抱いていた。




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 次回はちゃんとシーグルも出てセイネリアといちゃつきます。



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