喜びと後悔の狭間で




  【8】



 春と言っても、夜の風は昼のそれよりも少し肌寒い。……とはいえそれもこの街からすればというだけで、首都ではまだ昼間でもこの程度の気温だろうとセイネリアは考える。

「本当に、にぎやかな方ですね」

 笑いながらカリンが言った言葉に、セイネリアは、そうだな、とだけ返して窓の外を眺める。開け放たれた窓から入る風を感じながら、雲一つない夜空に映える銀色の月を見つめる。

「あれがなければもっとつき合い易いんだが」
「まぁあぁいうのはエルに任せておけばいいでしょう」
「そうするさ、どうやらあいつらは相当気があうらしい」

 今ネデは、傭兵団の連中と一緒に月見酒とやらで宴会中だった。本当にこの街の連中のお祭り騒ぎ好きには呆れるが、さすがにセイネリアもそこまでつきあう気はないので宴会騒ぎの接待役はエルに任せた。
 性格的に気があうというのと、普段は基本的にエルが領主の館との連絡役をやっているのもあって、彼ら二人は相当に仲がいい。だからセイネリアは気がねなく、こうして話が終わるといつもエルにネデを押しつけていた。
 なにせ、普段から宴会騒ぎはあまり好きではない上に、今はとてもではないがそんな気分にはなれなかった。

「それでカリン、用件は何だ?」

 聞けば彼女は、僅かに逡巡の気配を返す。それだけでセイネリアには『彼』に関する何かを彼女が報告に来たのだと分かってしまった。

「あいつの事か」

 だからこちらから聞き返せば、カリンは素直に頭を下げて言う。

「はい、シーグル様の騎士団復帰が決まったそうです」
「そうか」
「思った以上に早かったですね」
「王にとってはシーグルが首都にいた方が都合がいいからな。あいつがリシェに篭っていた方が手を出し難い。さっさと復帰はさせるだろうさ」
「そうですか……」

 セイネリアの今の状況を一番に分かっているだろう彼女は、シーグルのことを口に出す時は、まるで腫れ物にふれるように慎重に様子を伺ってくる。部下にこんな顔をさせている時点で我ながら情けないと思うものの、今更彼女を前にして取り繕う意味もない。

「あいつは日常に帰ったつもりだろうが――いつまでそうしていられるか」

 呟きながらふと自分の手を見ると、彼の命と繋がる指輪に目が行き、口元が自然と歪む。
 その手を握り締めても何も掴めない事に、胸の奥がじくじくと疼く。
 どれだけ平静を装っていても、時折感情が揺れるのは抑えられない。思考で感情を抑えても、気が緩めばすぐに強い感情が全身を満たしていく。
 その度に、彼と繋がる指輪をみてやりきれない思いにため息を付くことを何度しただろうか。

――今度こそ、離したくなかった。

 なにも掴めない空っぽの手を広げて、その中に彼の感触を思い出してセイネリアは考える。
 思いつく限りの手で彼を引きとめた。行くなと追い縋ってもみた。未練がましく、みっともなく、なりふり構わず……それで彼が自分の腕に留まってくれるならと。
 それでも彼は行くだろうと、感情と切り離された理性はそう結論を出していた。そしてまた厄介な事に、そう結論を出すだろう彼だからこそ愛しいのだと感情のどこかで納得する部分もあった。だから実際、彼を手放す覚悟はできてはいた。だが……。

「覚悟など、なんの役にも立たないな」

 セイネリアが呟けば、カリンが動いたのを気配で感じる。
 彼女はそっとこちらの横にひざまずき、じっとセイネリアの顔を見上げていた。思わずセイネリアは苦笑する。

「俺は自分が思っていたより、女々しくて、臆病な人間だったという事だ。感情というのがこれ程までに手におえないものとは思わなかった」

 自分から離れる事を選択する、そんな彼だからこそ愛している。
 けれど愛しいから、怖いから手離したくないというのは酷い矛盾だとセイネリアは思う。
 だから自嘲を込めてそう言えば、彼女はその長い髪と同じ闇色の瞳をまっすぐ向けたまま答える。

「人ならば心に弱い部分があるのは当然です。ですがその弱さを知っているからこそ強く在るためにどうすればいいかが分かるのです。それに、恐れる心があるからこそ、安堵や喜びを感じられるのです」
「――確かに、その通りだな」

 セイネリアは呟いて目を閉じた。
 確かに、彼を愛する前は心が満たされる事はなかった。あれだけの幸福感を感じる事はなかった。どれだけ自分が弱くなったと思っても、以前の自分に戻りたいとは思わない。空っぽの心を満たしてくれたこの感情を、知らなかったあの頃に戻りたくはない。

 ずっとセイネリアは、自分が生きている意味を探していた。自分という存在に意味を見いだせなくて、凍えきった心に確かな熱を感じたくて足掻いていた。
 それが、愛しているというその言葉一つで――そう彼に囁く度に、自分の心が確かな熱に包まれる事を実感できた。自分が自分の意志で生きている事を確信する事が出来た。彼を望む自分の心が『生きている』事を実感できた。

「だからシーグル。俺は何があってもお前を連れて行く」

 もう……決めている、と呟いた言葉はカリンに聞こえたのか、彼女は固く握りしめたセイネリアの手に、何も言わずそっと口づけてきた。







 リシェの街は花に包まれていた。
 その日は、領主の生還と跡取であるシグネットの誕生を祝う為、街には宴の席が設けられ、人々には食事や酒が振舞われていた。ただ顔見せの為に領主一家が人前に顔を出すというイベントはあるものの、そこまで派手にしたくはなかったというシーグルの思惑もあって、大げさなパレードや飾りなどといったものは予定していなかった。ところが街の者達は、自分達の喜びを示す為に自主的に、季節がいい事もあって競って花で家の周りを飾り付け、おかげでリシェの街は色とりどりの花達に彩られ、香(かぐわ)しい匂いに包まれていた。

「人気者だなぁ、領主様っ」

 茶化してそんな事を言ってきたウィアを見て、シーグルはその顔に疲れた様子を隠す事もせず苦笑した。

「有難いが……あまり派手にしたくはなかったんだがな」

 なにせ王はシーグルをよく思っていない。その理由が、シーグルをヴィド派だと思っているという事と、シーグル自体に人気がある所為だという事なら、人々に盛大に祝われているこの状況は王にとって面白くないものに違いない。ただ勿論、喜んでくれる街の人々の気持ちは純粋に嬉しいし、そんな彼らが自らしてくれている事に文句をつけて彼らの気持ちを否定するようなマネは出来る筈がない。
 だから人々の笑顔を嬉しく思う反面、王をヘタに刺激していないといいのだが、とシーグルは祈る事しか出来なかった。

「シーグル、ウーネッグ卿がいらっしゃいましたよ」

 急いだ様子でやってきた兄にそう言われて、バルコニーの手すりに少しぐったりと寄り掛かっていたシーグルは姿勢を正した。

「ではウィア、後は頼む」
「おうよ、お疲れさん」

 派手な式典のようなものにしたくなかった手前、正式に招待状を出して賓客をもてなす……という事はせず、世話になった者、友人と言える者にだけ今回の知らせを出し、彼らには『自主的に』顔を見に来てもらう、という形式をとっていた。
 だから客がくる度にシーグルはきっちりとまずは客の相手をし、シグネットの機嫌を伺いながらも彼らに息子を紹介していた。
 一通りの話が終われば、後は客用に用意した宴の席に案内して離れてもいいのだが、なにせ思った以上に訪問客は多い為、シーグルは殆ど休む間もなくひたすら次々とくる客の相手をしなくてはならなかった。

「ウーネッグ卿、遠いところをわざわざありがとうございます」
「いやいや、貴方の元気な顔をどうしても見たかったのです、どうか気にする事ないよう。……それに少々お話したい事もありましたしな」
「話、ですか? 分かりました、ですがまずは長旅で疲れた体を休ませて下さい、どうぞこちらへ」

 杖をついて歩くウーネッグ卿を案内しながらも、シーグルは多少驚きと共にこの老貴族を見ていた。
 ウーネッグ家は、いつでも国の式典などの席で隣となる事もあってか、昔からシルバスピナ家とは深い付き合いがある。彼自身もちゃんとした騎士だったという事もあって祖父とは友人と言える仲でもある彼は、祖父と同じく高齢ながらもいつでも背筋はすっきりと伸びていて、若い貴族達のだらしなさを事あるごとに嘆いていた。だからこそシーグルの事をとても可愛いがってくれたというのがあるのだが、その彼が急に歳を取ったかのように杖をついてゆっくりと歩く姿には、驚きというよりもシーグルはショックを隠せなかった。
 とはいえ、何があったのかとヘタに聞ける訳もなく、ともかく他の客と同様、休憩用の部屋に案内して妻をまず紹介し、一息ついてから息子のシグネットの部屋に老貴族を案内した。彼は幼い赤子を見ると本当に嬉しそうに微笑んで、けれどもその瞳から涙を流しているのにシーグルは気づいてしまった。
 そして、急に覇気がなくなったような彼の様子と、その彼の涙の理由は、個室に戻ってシーグルと二人きりになった時に、彼自身から聞かされる事となった。

「実はお話というのがですな、先日、私の孫が死にましてな……」

 そこから始まる話は、セイネリアに言われていた王に関する忠告を思い出す、不穏な未来を予想するには十分な内容であった。

 ウーネッグ家の現当主は未だにこの老貴族本人で、彼には息子がいなかったことがその理由であった。ただ彼には娘が3人いて、長女が結婚して待望の男子を生んだ事でその子が次期ウーネッグ卿となる事が決まっていた。だからその子が成人するまではという事で、この老貴族がそのままウーネッグ家当主の座を守っていた訳である。
 その孫が死んだ事で、ウーネッグ家の跡取り問題がまた宙に浮いてしまった。死因は落馬だが、何故馬がいきなり暴れて乗っていた少年を振り落としたのか原因は掴めていないという。
 やっと授かった跡取の男子をウーネッグ卿がそれはそれは可愛いがっていたというのは有名な話であるし、そんな事があったなら彼が失意のあまりこんな事になってしまったのも分かる。

「申し訳ありません、そんな時にこんな席にお呼びしてしまって」
「いやいや、元気な貴方のご子息を見れて良かったです。すっかり気力を失っていた私も、それで少し元気が出ました」
「そう言って頂けると嬉しいのですが」

 彼に対してどう接すればいいのか分からないシーグルだったが、ウーネッグ卿はそこで急真剣に、睨むような勢いでこちらを見て言ってきた。

「シルバスピナ卿、いいですか、貴方ご自身と、貴方のご子息、身の回りには十分気をつけてください。どうにもこのところ旧貴族の家、特に貴族院役員の関係者回りでは不審な事故が増えています。跡取が急死したという話は我が家だけではありません」

 シーグルはそれに感謝の言葉を告げ、心配する老貴族に気を付ける事を約束してから、思わず歯を噛みしめた。セイネリアの忠告を思い出して、王が本当に恐怖政治を行おうとしているのだという事を実感する。

 老貴族を祖父の部屋に案内し、別れた後も、シーグルはその事ばかりを考えていた。祝いに来てくれる人達にこんな顔をしてはいけないと思いながらも、簡単に頭を切り替えられる事も出来ずに困るしかなかった。
 だが、次に来た客人は、幸い、というべきかある程度本音をそのまま告げてもいい人物で、シーグルはある意味安堵する事になった。

「チュリアン卿、まさか貴方が来てくれるとは思わなかった。砦の方は大丈夫なのですか?」

 彼の顔を見た途端、自分でもほっとしたのをシーグルは自覚していた。
 ずっと貴族の客人相手ばかりだった為、貴族というより騎士として話せるというだけでも肩の力が抜けて気が楽になる。

「あぁ、今日はフィダンド様が一緒なので転送です。……その、ですので本当に身一つで来てしまったのですが……申し訳ない、祝いの品は後日必ずっ」

 立派な体躯をやはり縮こませて、チュリアン卿はその場で頭を下げた。
 本当にこの騎士団の勇者には、会うたびにまず謝られている気がすると、思わずシーグルは笑ってしまった。

「本当に何もいりません、お会いできただけで嬉しいです。貴方にはどうしても礼がいいたかった、ノウムネズ砦では援軍で駆けつけて下さって本当にありがとうございます」

 敗走するしかなかったクリュース軍を救ってくれたのが彼だという事は、グスやナレドから聞いていた。だから手紙での礼は既にしていたのだが、それでもこうして彼に直接気持ちを伝えたかったというのがある。

「それでも、少し遅かったです。もうすこし早ければ、貴方が敵地で過ごす必要などなかったでしょうに」
「それは、こうして今ここにいる事で貴方が気にする必要はまったくありません。私は、私が無茶をした事で部下達を失うところでした。貴方が来てくれなかったなら確実にそうなっていたと部下から聞きました。ですから、どれだけ感謝してもしきれない思いです」

 それは嘘偽りのない真実で、だからこそ彼にはこうして直接感謝の言葉を言いたかった。シーグルが頭を下げようとすれば、チュリアン卿は目を剥いて驚いた。

「いやいやっ、貴方が頭を下げないで下さいっ……あーその、そう言って頂けると嬉しいのですが……実は今日来たのは、少々相談というかお話がありまして……」

 途端、表情が険しくなった彼の顔を見て、シーグルも表情を引き締めた。




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 そんな訳で、シーグル生還に湧く中、いろいろ裏では進行中ぽいです。



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