喜びと後悔の狭間で




  【7】



 温暖なアッシセグの街の春は、花の香りと共にやってくる。特に黒の剣傭兵団のある高台の近くには果樹園もあって、そこから風に乗って花びらと共に花の匂いがやってくる。
 首都に居た頃にはなかったのどかな外の風景を眺めて、セイネリアの手には昼間から酒の入ったグラスがあった。

「――まぁやっぱり、こっちじゃ現王リオロッツの評判は良くないな」

 物騒な事をさらりと言ったのはこの街の領主であるネデで、彼は毎年この頃になると花見だといってセイネリアの元にくるのが恒例となっていた。どうやらこの時期、花を見ながら昼間から酒を交わすのがこの街の風習らしく、たしかに傭兵団の客室の窓からは高台にある果樹園の花が咲いている風景がよく見える。
 とはいえこれは、彼がここへきても誰にも疑問に思われない理由を作っておく、というものでもあった。そしてこの二人が会うなら当然、会話は気楽な酒の席のただの雑談話では終らない。

「まだ実質の『被害』が出てる訳じゃないんだろ?」
「あぁそりゃな。だが現王になってから、首都からの通達やら提出しろって調査書類がやたらくるようになった。今は返事を返しゃ済むような話ばっかだからまだいいがな、それを元に何をするつもりなんだって皆警戒してる」
「確かに王にとってはまだ準備期間ではあるんだろうな」
「あぁ、だから何やってくるか不気味でな。それに元々こっち側の気質的に、細々指示されるのは嫌がられる」
「ファサンの人間は大雑把だからな」
「おおらか、と言って貰いたいがね。――まぁ、冗談はおいといて、王がそんな調子だからな、南部の領主連中は前より連絡を取り合うようになってるよ。王側の出方によっては……どうなるか」

 元はファサンという国に属していた南部の領主達は、北部の領主達と違ってクリュースという国や王に対しての忠誠心はほぼないと言っても構わない。だからこうしてクリュースに属していても、王の臣下という感覚はほぼなく、この国に属している事に旨みがあるから言う事をきいている、という感覚が強かった。
 だからこそ、セイネリアは首都からこちらに移ったというのもある。

「そもそも南部の領主連中で連絡を取り合ってるという段階で、王が騒いでくるかもしれんぞ」

 というか、もうしばらくすれば確実に何か言ってくるようになるだろうとセイネリアは予想している。

「まだヘタには騒げないだろうな。ここでつついて南部が一斉に反旗を翻す、という展開は回避したいだろ」

 それも間違っていない。だからそれを警戒して、最近南部の騎士団支部にまで王直属の親衛隊員が配置されるようになった。

「そうだな、まだ今は、な」
「確かに『まだ今は』なんだろうな」

 王の準備が出来て、何か領主たちが反発するような事を言い出せば、いきなり内乱が勃発する可能性もある。というかその辺りは、どこまでこちらの領主たちが我慢できるかそれ次第だろう。

「……実はな、これはまだ通達だけだが……首都にも魔法学校を作るそうだ。そこで今後、各領主の子息達は一定期間必ず首都で学ぶ事って法を作るとさ。まぁ、それが強制になったら状況によっては反発する連中が出てくるだろうな」

 セイネリアは、それに皮肉げに口元を歪めた。

「ていのいい人質か」

 まぁそれ自体は珍しい手ではない。地方領主がヘタな事をしないように、その身内を君主が預かって置くというのは他国でもよく使われているお約束とも言える手である。現在それがクリュースの場合強制となっていないのは、そうしなくても大体領主の子どもは首都かクストノームで学ぶ事が通例化しているからで、へたに法律化した方が反発して子供を首都に出さないと言い出す領主が現れると思われた。

「そういう訳だ。ま、それが実行されたら必ず一悶着起こるだろうな」
「それが発端となって、王が強硬手段に出れば後は雪崩式に内乱かもな」

 セイネリアが軽く喉を震わせて笑う。別に楽しい訳ではないが、王がどの段階で化けの皮を剥がすかが見物だなとは思う。

「元ファサンの連中は基本的に、命令を押し付ければ反発する、っていうのを王がどこまで分かってるかだな」
「分かってないだろ」

 セイネリアが笑いながら即答すれば、ネデは思い切り顔を顰める。

「で、結局、あんたとしちゃどう動く気なんだ?」

 セイネリアはバルコニーの手すりに寄りかかっているネデをちらと見て、視線を手元のグラスに向けた。

「さぁな、まだどうなるかは分らん。そもそも王がどう出るか分かってないのに出方を決められないだろ」
「その時にはこっちにつく、って言って貰えたら心強いんだがな」
「そんな義理はないな」

 ネデはそこで舌打ちをして顔を手で覆う。

「ここまで話させておいてそれはないんじゃないか?」

 セイネリアはそれに鼻で笑ってから、彼の顔をみた。

「なら少なくとも王側につく事はないと言っておこうか」
「少しでも向こうにつく気がありゃ、こっちにこなかったろ、あんた」
「そうだな」
「だったら最初から協力体制って事でいいじゃないか、勿体ぶってないでさ」

 黒の剣傭兵団は王から疎まれている。だからここへ来た訳で、確かにネデとしては当然こちら側につくだろうと思って話をしたのだという事はセイネリアもわかっている。実際、そのつもりもあってここに来た事は間違いない。
 だが、彼らにつく、とはっきり言えない理由がセイネリアにはあった。
 
「俺がどう動くかは、あいつの状況によって決まるさ」

 それにはネデも目を丸くして口を閉じる。

「……成る程ね」

 それから、呆れと納得を混ぜたようなため息を彼はすると、バルコニーの手すりに背を預けて空を見上げた。

「シルバスピナ卿は……本当にあんたにとっちゃ特別なんだな。まぁ理由がそれじゃあんたの件は他の領主連中に聞かれてもぼかすしかないか」

 あっさりそう返した彼に、セイネリアは今度は苦笑する。
 ネデは育ちの所為もあって、立場の割に情に厚い。つまりそれで済むという事は、彼もまたシーグルのことを気に入っているという事だろう。会わせただけの意味があるというものだ。

「おそらく、王は即南部をどうこうしようしてはこないだろうよ。王にとっての優先順位はまず首都周辺だ。……だからな、お前達がどうこうするより、俺の方が先に動く可能性の方が高い」

 恐らくは、南部方面に手を出すより早く、王はシーグルをどうにかしようとするだろう。死んだと思って兵士達がシーグルを英雄視するのを放っておいた所為で、ノウムネズ砦の戦い以前よりもシーグルの名声は上がっている。あの気の小さい王が、そんなシーグルの存在を放置しておける筈がない。必ず王は、遠からずシーグルに何かしらの手を打つ。

「だったら尚更、こっちとさっさと手を組んで置いたほうがいいんじゃないか?」

 ネデが不思議そうに聞いてくる。彼としては、予め手を結ぶ約束をしておけば、セイネリアが何かを起こそうとした時、領主達にすんなり協力させる事が出来ると思ったのだろう。

「俺は安売りはしない主義だ」

 少し小ばかにしたようにそう言えば、挑発されやすいネデは怒りと疑問に顔を顰めて怒鳴ってくる。

「なんだそりゃ」

 セイネリアは分かり易い彼の表情を鼻で笑ってから、じっと彼の顔を見据えて答えた。

「現時点では、南部の領主達にとって俺は所詮『ただの傭兵風情』だ。この状況で手を組んだら、ずっと彼らの中での俺への認識はそうなる」

 そうなれば、セイネリアが動いたところで領主達は無視を決め込む可能性が高い。傭兵風情が勝手に暴走したのに付き合えるか、と切り離して終わりだろう。

「じゃ、どうするんだよ」

 領主達がセイネリアに協力するなら、『協力してやる』というカタチではなく、向こうから協力したいと申し出るようにしなくてはならない。

「そうだな、もし俺が動いたら、お前は領主達にこう言ってくれればいい」

 セイネリアは、金茶色の瞳に不穏な色を浮かべて、唇だけを釣り上げて答える。

「俺につけば損はさせん――そう言っていたとな」

 ネデはそれに、まさに間が抜けたように目と口を開いたまま固まった。
 けれど暫くすると吹き出して、それから大声で笑い出した。

「なんつー自信だよ、『ただの傭兵風情』が領主連中に協力させようっていうのに、それだけって」
「あれこれ言うより、南部の連中には分かりやすいだろ?」

 ファサンの連中は悪く言えば単純だが、良くいえば豪胆な人間が多い。そういう連中には、あれこれ説明するより自信がある事を伝えるだけでいい。後は、その自信を結果で示せばそれで済む。

「確かにな、なんていうかヘタにあれこれ説明するより分かり易いな」

 涙まで浮かべて笑っていたネデは、子供っぽく思い切り歯を見せた笑顔でウインクしてくる。

「それじゃ、そん時がきたらその言葉を伝える役は任せてくれ。あぁそれと……俺は最初からあんたに協力するってのは宣言しとくぜ」
「なんだ、お前も領主様だろ、そんな安売りをしていいのか?」
「ぎりぎりまで勿体ぶっても、あんた相手に交渉出来るとは思わないからな。まぁそれに重要ポジションを取りたいなら早い者勝ちというのはお約束だろ」

 そうしてネデは笑みを収めると、臆せずセイネリアの瞳をじっと見つめて言ってくる。

「なぁセイネリア・クロッセス、あんたはいつまでも『ただの傭兵風情』でいる人間じゃあない筈だ」





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 セイネリアさんの裏での企み編(?)



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