行く者と送る者の約束




  【8】



 アルワナは全ての眠りを司る。だから永遠の眠りについた死者の神でもある。
 そのことは三十月神教を知るものなら誰でも知っている。けれどその神官の能力には謎が多い。人を眠らせたり、眠る者を操ったりなどという能力は比較的知られていてそれは人々に恐れられているが、それ以外の能力……特に死者との対話という方面での能力というのは殆ど知られていなかった。

「私が呼べる死者の魂は二通りあります。天に召されず地上に残っているもの、もしくは天に召されていても特定の人物を見守るために繋がっている者です」

 言うとアルワナ神官は立ち上がってシーグルの手を引き、錫杖を鳴らした。シャラ、シャラ、と優しい音色が部屋の中を満たし、静かな呟きのような呪文がそれに続く。それはどこか眠くなるくらいに心地よくて、シーグルは頭がぼうっとしてくるのを感じていた。そうすれば視界が妙にぼやけるというか微妙にブレて、違和感を感じた時には部屋の中に白いもやがふわふわと浮かんでいるのが見え出した。
 そして。

「貴方のお父上とお母上はいつでも貴方を心配して、貴方とつながって傍にいたのですよ」

 シャン、と錫杖が振り降ろされれば、そこには確かに『彼ら』がいた。

「父さん……母さん……」

 そう呟いてからシーグルは黙り込んだ。いや、言葉が出てこなくなったといったほうが正しい。
 言いたいことはいくらでもあった筈なのに、いざ二人の姿を見たら何も言えなかった。
 記憶よりも歳を取った両親の姿。特に母親はシーグルの記憶からはかなり変わっていて、それでも父親は葬儀の時に見た姿と同じだとわかったからおそらく母親も死んだ時の姿なのだろう。兄から聞いた話では母親は病気だったそうだから、だから痩せて思った以上に歳を取って見えるのだとシーグルは思った。

『愛しているわ、シーグル』
『すまない……すまない、シーグル』

 父と母がシーグルを抱きしめてくる、実体のない彼らの抱擁は感触がなくとも、心を満たす暖かさがわかったからシーグルは目を閉じてその感覚を追った。そうすれば気持ちが落ち着いてきて、ゆっくりと目を開いて彼らの姿をよく見ることができた。

『すまない……すべてをお前に押し付けて……すまない』

 悲しそうな声と顔でひたすら謝る父を見てシーグルは苦笑する。
 ……もし、父に会えたらたくさん文句を言いたかった。何故祖父を裏切ったのだと、何故母達を守れずに早く死んだのだと。元凶はすべて父で、祖父も自分も兄弟達も母も、全部父のせいで不幸になったのだと思ったこともある。けれども、いざ目の前にいると父を責める言葉は何も出てこなくて、ただ謝るその姿を見て自分は本当に彼に似ている、なんて思ってしまうのだから呆れるしかない。
 父はやはり後ろめたいのか申し訳なさそうな顔をして体を離し、こちらをじっと見つめてくる。だからシーグルは彼に笑ってやって、それから視線を抱きしめてくれている母親に向けた。

『愛してるわ……会いたかった、会いたかった……私のシーグル』

 愛おし気に頬を撫ぜる母親にシーグルは笑いかける。
 幸せだった家族での生活を思い出せばまず優しい母親の姿があった。大好きだった母……けれど、兄から聞いた母の話はただ悲しくて、自分を愛してくれていたことを知って嬉しい反面後ろめたさばかりが募った。だから少しだけ、ほんの少しだけなら恨み言をいってもいいだろうか。

「ごめん、母さん、一度も会いにいけなくて……でも、母さんは俺を忘れてくれてよかったんだ、兄さんとラークだけを見て笑ってくれればよかったんだ」

 そうすればきっと、父が死んでも三人で幸せに暮らしていてくれたはずだった。もしかしたら騎士になって自分が会いに行った時に皆で笑って再会できたかもしれない。今更言っても仕方のない事だとしても、自分の事よりただ家族には幸せになってもらいたかったとそれだけを伝えたかった。
 けれどそうして言ったからこそ……胸の中に残っていた重い何かがとれて、妙に心が軽く感じる。長く背負ってきた何かを落としたように心と体がほっとして、シーグルは今度こそ満面の笑みを浮かべて自分から彼らに手を伸ばすことが出来た。

『愛してる、愛してるわ、シーグル』
「うん、俺も二人を愛してる」

 触れられないけど触れてくる優しい両親の姿を眺めて、シーグルはその姿をしっかり頭にやきつけようとする。彼らの姿を忘れない、愛してくれた事を忘れないと心に誓いながら二人の顔を見つめる。
 二人共を愛していたけれど憎んでいた時もあった。けれど、知らなかった事をいろいろ知った。人を愛する事を知って、父の選択を憎めなくなった。
 いろいろあったけれど、今は笑って二人に言える。

「父さん、母さん、俺を見ててくれてありがとう、愛してる、感謝してる。……けれど、もう俺を見ててくれなくてもいいんだ。俺よりも兄さんやラーク、あと出来たらロージェやシグネットを見守ってやってほしい、皆が笑っていられるように見ていてほしい」

 笑みと決心を表情に乗せて、強い瞳で二人の顔を見上げると、シーグルは一歩、彼らから離れた。

「俺は大丈夫、なにせ俺には俺の事だけをやたらと心配する不死身で最強の男がついてる、勝手に怪我さえさせて貰えないくらいだ」

 言いながらちらとセイネリアの顔を見れば、先ほどまで不機嫌そうにしていた彼の顔が僅かに驚いているのが分る。それには思わず笑ってしまって、だからシーグルは満面の笑みで父と母に言葉を続けた。

「……だから俺はもう見守って貰わなくても大丈夫。父さんと母さんは、これからこの国を守っていかなきゃならない彼らの事を見守ってやって欲しい、お願いだ」

 そうすれば悲しそうだった二人ともが笑って、そうして急にシーグルにぶつかる勢いで近づいてくる。それには驚いたシーグルだったが、彼らがこちらにぶつかると思った時にはすり抜けて……両親の姿は見えなくなった。

『分かった』
『分かったわ』

 ぶつかったと思った瞬間そう言った声が聞こえたから、きっと彼らは兄弟や家族の元へ向かったのだろうとシーグルは思う。

「ありがとう、大神官様」

 だが、そういってシーグルがアルワナ神官の手を離そうとすれば、神官はその手をもう一度握り直してにこりと笑った。

「いいえ、まだです。もう一人、貴方の傍にいますよ」
「……え?」

 そうしてアルワナ神官の視線を追って顔を向けたシーグルは、見慣れた、いつも通りの厳しい顔をして立っている祖父の姿を見つけた。

「御爺様……」

 だがシーグルと目が合った途端、いつでも厳しかった祖父の顔がわずかに崩れる。厳しかった老騎士は厳しい瞳はそのままで僅かに口に笑みを浮かべると、たった一言をシーグルに告げてくれた。

『お前を、誇りに思う』

 シーグルは何も言えなかった。
 けれどその言葉を聞いた瞬間、驚きに見開いたままの瞳からは涙がこぼれた。父と母との会話では堪えられた涙を、シーグルはそこで堪えることができなかった。
 声を出したら震えてしまいそうで、だからシーグルは姿勢を正すと祖父に向かってただ深く頭を下げた。
 祖父はそれ以上何も言わなかった。ただ父と母の時と同じく、祖父もまたこちらに近づいてくるのをシーグルは感じた。
 そうしてシーグルが頭を上げれば、そこにはもう祖父の姿は見えなかった。

「三人は、兄さんやロージェ達のもとに行ったんだろうか」

 今度は向うから手を離してくれた神官にそう聞いてみれば、フードを被った上からでも見える口元だけに笑みを浮かべて、アルワナの最高神官は答えた。

「えぇそうでしょうね。地上に残った者ではなく天に召された魂はもうこの世界がよく見えないのです。だから好きな場所へ自力で行くことは難しいのですけど、心がつながっている者のもとへは行けます。彼らは貴方を通して心の繋がった貴方の兄弟や家族達のもとへ行ったのですよ」
「心が、繋がっている……?」

 シーグルは神官から離した手を自分の胸に当てた。

「えぇ、どんなに離れていても、貴方と彼らが想いあっている限り貴方の心は家族と繋がっているのです」

 未だ涙が残る瞳を細めて、シーグルは両手共を胸に置いて呟いた。

「そうか……繋がっている、のか」

 瞳からはまた涙が落ちてしまったものの、その涙は暖かく、そして心地よかった。
 ただどうやら実は相当に緊張していたのか、ほっとしたと同時に体から力が抜けてシーグルは軽くよろけた。そうすればいつの間に来ていたのかその背をセイネリアに支えられて、顔を覗き込んでくる彼の顔を見上げることになった。

「ありがとう、セイネリア」

 言えば獣のようなと言われる彼の琥珀の瞳が細められて、その口元が緩やかに笑みを作る。

「言いたい事は言えたか?」

 彼が笑っているならきっと、自分は今とてもさっぱりとしたいい顔をしているんだろうなと思って、シーグルは彼に笑い返した。

「あぁ……でも本当に俺はどこまでも父に似ているんだな……死者として息子に掛ける言葉まで一緒なんだからな」

 笑った筈なのにそう言ったら涙がぼろぼろ先ほどよりも落ちてきて、仕方なくシーグルは腕で涙を拭う。

「俺はロージェに……『いつも謝ってばかりだ』とよく叱られてたんだ。どうやらそこは父譲りだったらしい」

 声が震えて、笑みを保つのが難しくなる。悲しい訳ではない筈なのに涙が止まらなくて、それがみっともなくて、シーグルは涙を拭っていた腕でそのまま顔を隠した。
 そうすればやけに冷静で、けれど優しい響きの彼の声が頭の上からかけられる。

「あぁ、お前はなんでも謝りすぎだ。俺なぞお前にしか謝らない」

 それには今のシーグルさえ吹き出してしまって、そのまま声を出して笑ってしまう。勢いで顔を隠していた腕が外れたらやはりこちらを見ているセイネリアと目があって、シーグルはそのまま彼に寄りかかって体重を預けると、優しく自分を見つめる琥珀の瞳を見つめて呟いた。

「確かに、そうだな」

 セイネリアがそれで額にキスをしてくる。唇にしてこないのは人前だからなのか――いやこの男がそれを気にするとは思えないが――その分、額だけでは飽き足らず両方の目元と鼻の頭と顔のあちこちに触れるだけのキスをしてくるから、笑いながらシーグルは尚もキスを続けようとしてくるセイネリアのその顔を手で止めた。意外な事に、それであっさりこちらの手におさまった彼の顔に、シーグルはいつの間にか涙が止まっていた顔で笑いかけた。

「……実はな、シグネットに言う言葉を……本当は『ロージェを』だけではなく『皆を頼む』とも言おうとしたんだ……けれどそれじゃ本当にあの子に全部を押し付けるみたいで……父と同じになると思って言えなかった。だから……シルバスピナの当主としてではなく、ただの父親として母親だけを頼む事にしたんだ……彼女は、シグネットだけが救えるから」

 ロージェンティの事を言った所為なのか、セイネリアがそこで僅かに眉を寄せる。それを見てシーグルも笑みが消えてしまえば、突然彼は真顔で聞いてくる。

「お前は、あの女を愛してるのか?」
「当然だ、彼女を愛してる」

 即答したものの、それで益々不機嫌になるだろうかと思った彼の顔は変わらなくて、彼は静かに……ゆっくりとまた額にキスをしてきてから、にやりと彼らしい、自信に満ちた顔で笑った。

「だが、俺がいるから大丈夫、なんだろ? もう誰に見守ってもらえなくても、今のお前には俺がいると、そう、分かっているんだろ?」
「……あぁ、そうだ」

 シーグルが笑って返せば、セイネリアも笑ったまま、今度は唇にキスをしてきた。



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 次回はウィアの話。
 



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