行く者と送る者の約束




  【6】



 冬の入口であり、その年最後の国としての行事である鎮魂祭。かつてリオロッツを倒し、新政権に変わったばかりの時に初めて行われた行事である二人のシルバスピナ卿の葬儀と戦死者達への鎮魂を兼ねた行事だったそれは、今では合わせて鎮魂祭という国家行事として毎年この日に行われる。
 目的が目的であるから華やかさや煌びやかさは極力排除されているものの、セニエティの中央広場四隅に焚かれる大きな炎と祭壇の姿や、最後に騎士団員達が両脇に並ぶなか国王や貴族達がリシェまでを移動するその列は圧巻で、国内だけではなく国外からの客人を呼んで盛大に開かれるのが恒例だった。

「さて、本当にシーグルが現れるのかね」

 呟いて、ウィアは辺りを見渡す。こういう行事でのシグネットの席は勿論母親の隣で、ウィア達の席は貴賓席の最前列になる。だから今日は離れた場所で見守るしかないのだが、みたところシグネットの機嫌はとんでもなく良さそうだった。イベント事では普段は滅多に傍にいられない母親にいて貰えるのだからそれだけでもいつも機嫌はいいのだが、今回は特別な意味がある。
 将軍であるセイネリアが今日、シグネットに死んだ父親と会せてやると約束したのだ。

――まぁそりゃ、会せることは出来るだろうけどさ。

 なにせ本物は生きていて将軍サマの隣にいつもいる、だからおそらくセイネリアが会わせると言えば会わせることは簡単だろう。だがシーグルが生きているのをバラさずに会わせるとなれば話は簡単にはいかない。さてどんな仕掛けを使ってくれるのか――まさかここで生きていたとバラすつもりではないだろうし――と、考えるのが苦手なウィアは昨夜からずっと考えていた。
 あの男の事だから上手くやるとは思うもののどうするつもりかは予想がつかない。例のシーグルが現れたと言う時もウィアはここに来ていないからどういう風に出てくるのかもわからない。どうやらあの将軍サマは魔法ギルドとつながりがあるらしいから魔法でどうにかする……つもりならいくらウィアが考えたところで予想が出来る筈もない、とは分かっていたが、なんとももやもやして落ち着かなかった。

「なぁに難しい顔してんの、ウィアなんかただ座ってるだけの役なのに」

 言って来たのはラークで、彼はリシェの新領主として中央広場の式典が終わった後、リシェへ行く列の先頭に立って列を先導しなくてはならないらしい。それで式典のかなり前から打ち合わせに追われていて、休憩を兼ねて子供部屋に顔を出すとフェゼントに泣きついて愚痴を漏らすのがこのところの日課になっていた。ただ『領主にならなきゃ良かった』とか『もう嫌だ』なんて言葉は絶対に言わないあたりはウィアも感心したところで、彼がもう子供ではない事を妙に実感出来てしまった。もっともそれは何も愚痴の話だけではなく、ラークは魔法使いになってから随分言動が大人っぽくなったとウィアは思う。ウィアに対しては未だによく嫌味を言ってくるもののもうどちらがガキか言い合う事もなくなったし、フェゼントに甘えるにしてもちゃんとフェゼントの都合を考えてから行動するようになっていた。
 当然ながらフェゼントはウィアよりも敏感にラークの変化を分かっていて、ふとした時に『嬉しいですけど、寂しいものですね』と呟いたのをウィアは聞いていた。

「なにおぅ、俺だってなぁいろいろ考えてンだよ」

 返せば、ふん、と小ばかにしたように鼻であしらわれる。むかつくがこういうところも彼が大人になったと思うところで、その後に何処か遠い目で祭壇に見るに至っては、自分よりも彼の方が大人になってしまった感があって正直悔しかった。

「シグネットは機嫌良さそうだね」
「それは……楽しみでしょうからね」

 ラークの呟きにはフェゼントが返して、それでラークは視線を大好きな兄に向けてにこりと笑う。そうしている顔は前通り変わらないからちょっとウィアはほっとする。

「会った覚えのない父さんに会えるんだから、そりゃ嬉しいよね」
「えぇ、興奮して昨夜はなかなか寝付かなくて乳母さんが困ったそうです」
「だよね、シグネットとしては見た覚えも抱いて貰った覚えもないだろうし、噂だけはたくさん聞いてるだろうからね」

 けれどその笑みは前のような無邪気なものではなく少し寂しそうにも見えて、そういうところでも彼が変わってしまったのが分る。それに気づいたフェゼントの表情も少し曇って、だから優しい声で彼に話しかける。

「ラークは……父さんや母さんに会いたいと思いますか?」
「どうかな。俺は父さんと母さんにあまりいい思い出ないし」
「それでも、二人共貴方をとても愛していましたよ」
「そうだね、シーグルの次にね」
「ラークっ」

 最後は語尾を荒げたフェゼントに、ラークはすまなそうに目を伏せた。

「……ちゃんと楽しい事も覚えてるよ、父さん生きてる内は母さんも優しかったし」

 そうして二人して黙り込んでしまったから、ウィアは殊更明るい声を出して二人の会話に割り込んだ。

「いいことも悪いこともちゃんと思い出せるくらいには覚えてるってのはいいじゃねーかよっ、俺は残念ながらガキすぎて顔覚えてないからさ、思い出して文句言うにしても顔が出てこないから本物に文句言ってる気になれねーもん」

 言えば二人してくすりと笑うから、ウィアはにっと歯を見せて笑う。

「将来シグネットがデキの良すぎた父親に愚痴の一言も言いたくなった時にさ、今の歳で覚えてられるかは微妙だけど……まぁ絵で補完して本物像をどうにか出来るとしてだ、確かに見たって記憶があるのは重要だろ」
「そうですね」
「まぁね」

 笑いながら顔を見合わせて、それから申し合わせた訳でもなく三人は自然と祭壇に目をやる。ただウィアの視線は、期待一杯で近くに立っているセイネリアを見ているシグネットの顔を確認してから、その後ろに控えて立っている将軍側近の騎士にどうしても向けられてしまうのだが。







 昼の鐘が鳴って、式典の始まりを告げる。
 中央広場の四隅にある柱の上に炎が現れて、人々が歓声を上げる。
 将軍であるセイネリアが座る椅子の後ろに控えて、シーグルはその光景を見ていた。

 開始の言葉を進行役のリパ神官が告げれば、その後ろに控えていた神殿の合唱隊が歌い出す。それから貴賓席に座っている人間の紹介が始まって、それが終われば将軍であるセイネリアと、最後に摂政であるロージェンティからの言葉が続く。そうすれば後は祈りをささげる儀式としてリパ大神官であるテレイズが祈りの言葉を言い、それが終わると同時にまた合唱が起こる。その合唱が続く中、貴賓席から将軍、摂政がそれぞれ石碑の前に花を置いていく……と、一応ここでの式典のメインはそこまでなのだが、今回は特別な客としてアルワナ大神官が呼ばれていた。リオロッツを倒した時の協力者の一人である彼は、今日は現王シグネットに特別なプレゼントをする為にやってきた、という事になっていた。

 シーグルはあまり詳しくは知らなかったが、あの戦いでセイネリアはアルワナの大神官に『貸し』を作ったらしい。それはリオロッツを倒すのに果たした事だけでは返せない程のものだったらしく、今回の提案に相手は二つ返事で協力を約束してくれたという事だった。……確かにこれからやろうとしている事は、アルワナの最高位の神官が行ったとなれば人々は疑問に思わず納得する。意図して死者を呼ぶなどということさえ、あれこれ詮索する者も出ず、かといって簡単に実現できるものでもないと思わせる事も出来る。

「さて、そろそろだな。お前は大人しく見てろよ」

 言ってセイネリアは立ち上がると、その場所から前に出てシグネットを抱くロージェンティの前へ行って跪いた。そうしてロージェンティから許可を貰うと、シグネットを抱いて祭壇の前に立っているテレイズとアルワナの大神官の傍に向かった。

 三十月神教は魔法使いと建国王アルスロッツが作り上げた。
 それを知るのは魔法使いと……各神殿で最高位に立った者だけだ。この宗教を作りだした時、それぞれの神の代理人としてその神殿魔法を使える魔法使い達が神官となって教えを広めた。だから神殿魔法も魔法使いの魔法も本来は同じ物で、各神殿は魔法ギルドと根本で繋がっている。神殿で一番上に立った者だけがその真実を受け継ぎ、魔法ギルドにも密かに籍を持つ事になる。シーグルがサテラから知った事実の通りであるなら、現在のリパ神殿の最高位であるテレイズと、アルワナの最高位の大神官は二人とも魔法ギルドと繋がっていて、当然ながらセイネリアと黒の剣の秘密もシーグルの事も了承済みという事になる。
 だから今回の件も、話が通せたというのもあるのだろうが……。

 祭壇の前に、シーグルの馬が連れて来られる。
 誰も乗っていない、けれどシーグルが使っていた時の鞍をつけたその白馬の前に、シグネットを連れたセイネリアが近づいていく。不思議そうに馬を眺めながら思わず手を伸ばすシグネットに、馬は暴れず大人しくそこに立っていた。
 それから、黒と灰色の特徴的なローブと神殿のマークが掛かれたフードで顔を隠したアルワナの大神官が金色の錫杖を掲げる。シャン、シャン、と軽やかな音を鳴らした後、彼が何かを叫べば広間の炎がボン、と一度膨れ上がり人々が声を上げた。この儀式が何をするものなのか知っているのは一部の者だけで観客たちは何も知らない。あれがシーグルの馬だと分かりもしない人々にはこれから何が起こるのか分からないまま固唾をのんでその光景を眺めるだけだ。
 アルワナ神官の錫杖が数度振られてまた音を鳴らし、そうして止まったところで観客の……前の方から歓声が上がった。馬上に現れた銀色の騎士の姿に、人々がわっと声を上げる。魔法鍛冶製の特殊な輝きを持つ甲冑と、その胸にあるシルバスピナ家の紋章。新政権が立つ前なら首都の者の殆どが知らなかったその紋章は、今では知らない者の方が首都では少ない。現在の王家の紋章の一角となるその紋章がついた、失われた筈のその旧貴族特有の甲冑を失われた時の形のままで着る人物といえば一人しかいない。少し前のリーズガンが死んだ時に現れた時と同じその姿に人々は熱狂の視線を向けた。
 けれど、その前に近づいていくセイネリアとその腕の中の小さな姿を確認して、熱狂しそうになった人々は口を閉ざし、辺りは急激にしんと静まり返る。彼らの愛する幼い王が父親と会う瞬間を邪魔しないよう、最初の感嘆の声だけで抑えて人々はその光景を見守った。

「ちちうえ?」

 シグネットが言えば、ゆっくりと馬上の銀の騎士は兜を取る。そうして現れたその顔に、黙っていた筈の人々からまた声が漏れた。
 シグネットが届かないながらもセイネリアの腕の中で、体を伸びあがらせて手を伸ばす。

「ちちうえっ、あのね、あのね、ははうえがだいすきだから、みんながちちうえだいすきだからっ……おれりっぱなおうさまになるから……だからぁかえってきて、だれもおこってないかぁ、かえってきていいんだよ」

 それ以上を直視するのは辛すぎて、シーグルは兜の中で歯を噛みしめて目を閉じた。見えていなくても、この後あの銀の騎士がどうするのかは分かっていた。セイネリアの腕の中にいるだろう子供に手を伸ばして笑い掛け、それから――すまない、ロージェを頼む――とそれだけを呟いてその姿は消えるのだ。

「ちちうえっ、ちちうえっ」

 シグネットの声が広場に響く。

「もう終いだ」

 けれどセイネリアがそう言えば、暫くして小さな子供は、うん、と小さく呟いて目の涙を手て拭う。その光景にあちこちからすすり泣きの声が上がる。
 辛くとも自分は泣いてはいけないとシーグルはただ歯を噛みしめた。皆が悲しんでいるのは分かっている、こうしてここにいることが罪だと分かっている……けれど、この結果を後悔はしない、してはいけないと思うから耐えるしかない。
 母親のもとに戻されたシグネットが、ごめんなさい、とロージェンティに小さい声で謝る。気丈な彼女は涙こそみせていなかったが、息子のその言葉にはきつく眉を寄せて、堪らず子供を抱き寄せてその小さな頭を胸に押し付けた。

 たくさんの涙の上に今の自分がある事を忘れてはいけない。
 セイネリアの腕の中で幸福を感じていても、それはこれだけの涙と悲しみの上に成り立っている。罪は許されるものではなく、ずっと背負わなくてはならない。それだけの罪をおかしている事を忘れてはならない。
 けれども、それを後悔してはいけない。
 たとえどれだけの罪を背負っても、あの絶望だけしかない最強の男を助けると決めたのは自分なのだから。自分だけしか助けられないあの男に最後までついて行く事を決めたのだから、振り返ってこうすれば良かったなんて言葉は言ってはいけない。

 この場にいる多くの人々が泣く姿を目に焼き付け、シーグルは自分に言い聞かせた。

 その後、かつてのシーグル馬にはそのままラークが乗り、現シルバスピナ卿を先頭とした王族と貴族の列がリシェへ向かうのを、シーグルは最後尾を守るセイネリアと共に進みながら眺める事になった。



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 実はこれでお仕事終わりじゃないアルワナ大神官。
 



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